ブルーズ最高!

 2003年が「ブルーズ生誕100年」とかで、マーティン・スコセッシ制作指揮のもと、7名の映画監督がブルーズを題材にした映画を作った。
 先日、ヴィム・ヴェンダース監督の『ソウル・オブ・マン』を観、初めて知るブルーズマンたちの音楽を堪能。ギター1本で人生の困難や悲哀を歌うブルーズが、ゴスペルとは出生を異にすることを初めて知った。
 エリック・クラプトンとキース・リチャーズが共にリスペクトするロバート・ジョンソンはじめ、サン・ハウス、ハウリン・ウルフ、ベッシー・スミス、ジョン・リー・フッカー、バディー・ガイ、マディ・ウォーターズ、B.B.キングらのブルーズは、ぎりぎりボリュームを一杯にして聴くもよし、ぎゅっと絞って子守唄がわりに聴くのもまた一興で、これぞアメリカの音楽! と思う。歌詞がわからないのに、鳥肌が立つ歌がいくつかある、リズムと、なんといってもあの声、声。
 ブルーズだけは日本人に真似できない。ロックなら、いろんな楽器を駆使し、技術に長けた日本人はそれなりマスター出来ようが、ギター一本で人生の酸いと甘いをスロー・バラードで表現するブルーズは、アメリカならではの音楽と思われ、水田稲作が基本形の日本人にはどうしたって無理だ。高橋竹山の津軽三味線や瞽女唄を外国人にやってみろというようなもの。以前、「たけしの誰でもピカソ」にブルーズを演る親子が出ていたが、観ているほうが恥ずかしくなった。
 タワーレコードでもらったブルーズの解説書(文・吉田淳)によれば、アメリカ南部で生まれたブルーズは、1920年代に入り徐々にスタイルを確立していったのだという。ミシシッピ州デルタ地帯のプランテーション農場がその舞台だった。ということは、どの国においても多くの歌がそうであるように、ブルーズも、酷薄な労働に疲れた心と体を癒すためのものだったのだろう。
 ん、憂歌団を忘れていた。憂歌団はまぎれもなく日本のブルーズ・バンドだ。ブルーズを外形でなく、こころをまなび、日本人として共鳴できる要素をとらえ、そのエッセンスを静かに発酵させて出来た歌たちだ。そうそう、憂歌団を忘れていた。