町の人、町の文

 

JR桜木町駅にある、そば・うどんの店川村屋さんが、
今月いっぱいで閉店するとの「お知らせ」が店先に掲示されていました。
春風社がいまある紅葉坂に引っ越してから
二十年ほどになりますが、
この間、
いろいろお世話になりました。
とくに好きで食べたのは
「とり肉そば」「とり肉うどん」。
とり肉に味が浸み込んでいて、とても美味しかった。
そばやうどんを食べるのは、
帰宅時、
ちょっと小腹が空いたときが多かったのですが、
一時体調を崩してからは、
あまり寄らなくなりました。
そば・うどん以外にも、
コロナ前は、
連日、この店に寄っていました。
それは、
ナマの青汁を飲むためです。
毎朝のことですから、
いつしか店のオバちゃんと話をするようになり、
あるとき、
「ところで、この青汁、どこから来るの?」
って訊いた。
ら、
オバちゃん、
「工場から」。
は?
思わず、笑ってしまいました。
「いや、そういうことじゃなく…」
と一瞬、
言おうとしましたが、
オバちゃんのこたえが見事ふるっていたので、
二の句がつげなかった。
明治三十三年創業ということですから、
この地で123年もの長きにわたって営業をしてきたことになります。
店長は何代目かなのでしょう。
閉店の「お知らせ」を何度も読み返しました。
いい文章だと思いました。
とくに三行目、
「ふと気が付きましたら従業員全員そして店主も高齢者になっていました。」
なんだかこみあげてくるものがありました。
この一文にこころ、
まごころが籠っていると思います。
やはり、文は人、
こころが表れるものだと、つくづく感じます。

 

・万葉の春いま海の彼方から  野衾

 

石井桃子さんの好み

 

「私がこれを編集している頃、すでに『プー』を知ってたと思うんですけど、
ユーモアとかそれから別の……つまり価値っていうようなものを、
できるだけ入れてもらいたいと努力しても、
なかなか認めてはもらえなかった……。
たとえば獅子文六っていうような人は、
山本さんとはまた別種の人間じゃないかと思いますね。
いえ、
ただ、私が獅子文六を愛読したってだけの話ですが、
世の中に残るのは『路傍の石』なのね。
でも、
私はあまり高く評価しない……。
なんだか、もう考えに考えた末に、作り上げた小説って気がしましてね、
心の中から湧いてきたっていう小説じゃない。
どれもテーマが先にあって、
それに衣を着せたような、そんなふうな感じがしてしようがないの」
(尾崎真理子『ひみつの王国 評伝石井桃子』新潮社、2014年、pp.189-190)

 

石井桃子[編・訳]の『ギリシア神話』が面白かったので、
石井さんに興味を持ち、
尾崎真理子さんがまとめた評伝を読んでいます。
石井さんの本や他の人の本からの引用もありますが、
「  」でくくられた文は、
石井さんの晩年、
尾崎さんが直接石井さん本人にインタビューしたもの、
とのことです。
引用文中、
「これを編集している頃」の「これ」とは、
新潮社からだされた「日本少国民文庫」に入っている「世界名作選」。
「日本少国民文庫」は、
「山本有三先生総編集」と銘打たれていました。
ところで、
わたしが「石井桃子」の名前を意識したのは、
バージニア・リー・バートンの二冊の絵本、
『ちいさいおうち』と『せいめいのれきし』の翻訳者として、
だったかと思います。
子どものときでなく、もう、おとなになっていました。
子どものころ、
本も絵本も読みませんでしたから。
尾崎さんのこの本の巻頭に、
石井桃子のことばとして、
「大人になってからのあなたを支えるのは、子ども時代のあなたです。」
とあり、
グッと胸にこたえ、
また、ホッとしました。
だって、もしも、
「大人になってからのあなたを支えるのは、子ども時代に読んだ本です」
なんて言われたら、
取り返しようがありませんから。

 

・春光や鳶旋回のゆるゆると  野衾

 

漢字とギリシア神話

 

むかしむかし、大むかしに、いまわたくしたちたちが、アーリア人とよんでいる人びとが、
中央アジアのどこかにすんでいました。
この人びとは、
すべてのものは生きているのだと考えました。
たとえば、
青空に白い雲が動いているのを見ると、
青い海をたくさんの帆かけ舟がわたっていくのだ、と考えました。
また、
その雲がとてもたくさんあって、
風でずんずんおなじ方向へふきながされていくのを見ると、
たくさんのメウシを、
目に見えない牛飼いが追っていくところだ、
と思いました。
(石井桃子[編・訳]富山妙子[画]『ギリシア神話』のら書店、2000年、p.10)

 

引用したこの本は、
かつて、あかね書房から刊行された『ギリシア神話』を復刊したもの、
とのこと。
「あとがき」を見ると、
小学校高学年向けとなっており、
引用した文章でいえば、
たとえば「中央」や「動いて」や「帆かけ舟」などに、ふりがなが振られています。

 

アーリア人は、あきずに空をながめました。
あるときは、雲を宝の山だ、といいました。
いなずまは、
その山のなかにある、かがやく宝を、ちらっと見せてくれる岩のさけめだ、
と思いました。
そのうち、
アーリア人たちは、
昼のかがやいている青空も、生きているもの、
と考えるようになって、
「父なるダイアーウス」(「父なる空」)とよぶようになりました。
青空はなによりも高いところにあって、
すべてのものを支配しているように見えたからです。
アーリア人は、また、太陽を
「かがやきながらさまようもの」「金の目と金の手をもつ神」とよびました。
そして、夜の暗やみは、
太陽神の矢で殺されたヘビなのだ、と思いました。
(同書、pp.10-11)

 

アーリア人たちのうち、ギリシアに移り住んだ人びとは、
じぶんたちと一緒に、上で引用したような話を、その土地に運んだ、
と、書かれています。
引用が長くなりますので、
この辺りで止めたいと思いますが、
この本は、
いまのわたしには、とても興味があることなので、
一気に読みました。
どういう興味かといえば、
それは、漢字との連想にかかわるものです。
白川静さんの一連の書物を読み、
漢字が、
それが成立するまでの古代中国の人びとの世界認識、世界観の表れである
ことを教えられましたが、
表意文字でない表音文字のヨーロッパで、
漢字による世界観、世界認識になぞらえるものがあるとすれば、
ギリシア神話がそれではないか、
との想像が脳裏をかすめた
ことがそもそものきっかけでした。
それも、
いきなりアタマに浮んだわけではなく、
渡邊二郎さんの『ハイデッガーの存在思想』に刺激され、
触発されてのことであります。
「存在」と「存在者」の区分けと説明は、
懇切丁寧で、
じつによく解り、
その観点から、ギリシアの思想、ソクラテス以前の哲学、ギリシアの神々、
に思い至り、
古代ギリシア人の世界認識のあり方を、
わたしなりに勉強し直し、
知りたいと思ったからです。
いまのわたしの関心から、石井桃子さんとのつながりにおいて、
エリナー・ファージョンも、
ぐっと身近に感じられるようになりました。

 

・春の日や交番前の老警官  野衾

 

きょうのこころ

 

多くを読まず、日めくりのように、一日一ページを謳い文句とする本がありまして、
ここで何度か引用しているヘンリ・J・M・ナウエンの
『改訂版 今日のパン、明日の糧』は、
そういうたぐいの本。
たとえば、きょうは、2023年2月28日。
あ。
きょうで二月も終り。
早い!
早すぎる!
♪きょうでお別れね もう逢えない
なんて歌がありました。
いや、あります。
齢をかさねた菅原洋一さんの歌には、
男と女の別れだけではない、いろいろな別れが含まれているようで、
いっそうの味わいがあります。
それはともかく。
去年もおととしも、その前の年も、
同じ短文
(一日一ページですから、何分もかかりません)
を読んでいると、
ああ、
こういう内容だったな、
と、
初めて読む文章ではありませんから、
すぐに思い出すことができます。
そのこととは別に、
去年、おととし、その前は、ふつうに、何ということもなく読んだはずなのに、
去年でなく、おととしでなく、
また、
きのうでなく、おとといでもない、
きょう読むと、
五行目から六行目にかけての一文が妙に気にかかったり、
ぐっと胸にこたえたり、
深くこころにささったり。
はたまた。
傍線や波線が引かれていて、
ん!?
どうしてここに線が引いてあるんだろう?
まるで古書を開いたときのような驚きがあったりもし、
見えないはずのこころが、
文を読むことで、
文が鏡となって映し出されているような具合であります。
ちなみにナウエンの本で、きょう、
目に留まるのは、
一行目
「空っぽであることを私たちは恐れます。」
去年、おととし、その前は
どう読んだだろう?
とんと忘れてしまいました。

 

・ばあさまやいつまで生きる?蜆汁  野衾

 

ある感想

 

年ふれば心や変はる秋の夜の長きも知らず寝しはなにどき

 

【通釈】年月を経過したので、あなたのお心が変わったのでしょうか。
秋の夜の長いのも気にせずに共寝したのは、どのような時だったのでしょうか。

 

(片桐洋一『古今和歌集全評釈(下)』講談社学術文庫、2019年、p.750)

 

片桐さんのこの本の底本に用いたのは、藤原定家嘉禄二年自筆書写本とのことですが、
それにはないけれど、
ほかの写本にでてくるものが、下巻の巻末に収録されています。
引用したのは、
六条家本にあるもの、
とのことですが、
この歌を読み、
片桐さんの丁寧な解説をながめているうちに、
ふと、
ある感想がわいてきました。
それはふたつの時間についてです。
この歌の冒頭に「年ふれば」ということばがでてきますが、
それによって喚起されたのでしょう。
つらつら一年半ほど、
もっとかな?
かけて読んできて感じたのは、
『古今和歌集』に登場する歌たちのベースに『万葉集』が厳然としてあること。
いくつかの歌に関しては片桐さんが説明していますけれど、
ほかの歌についても、
直接ではなくても『万葉集』が利いている
のではないか
と、
なんとなく、想像します。
『万葉集』の成立から『古今和歌集』の成立までは150年ほど
ありますけど、
その間に、
歌ごころのある人びとは、
『万葉集』をことあるごとに読み込んだのではないか。
その時間のたゆたい方、利き方、かげひびき。
これ、ひとつの時間。
もうひとつは、
『古今和歌集』から今わたしがそれを読んでいるまでの約1200年の時間の長さ、厚さ。
たとえていえば、
基礎年金と厚生年金みたいなもの?
ちがうか。
冗談はともかく、
ながい時間がたゆたい、揺らめきつつ、
げんざい時のわたしのこころまで及んでいるか
と思わずにいられません。
引用した歌など、
その感じ方は、いまとほとんど同じ、
時を超え、ひとがひとであるかぎり、変らぬ恋のこころかと思います。

 

・鰰や海の光を身に帯びて  野衾

 

荷風の性格

 

トルストイの名は「日誌」に出て来るが、ドストエフスキーの名は出て来ないばかりか、
彼の口から聞いたこともない。
彼は心理小説には余り心を引かれなかったのだろう。
この辺で結論をいえば、
彼はサイコロジストではなくて、
そんな言葉があるかどうか知らないが、ヴィジュアライザーである。
心理の曲折波瀾に興味を持つよりも、
目に見えるものを楽しむ型の性格だと思う。
彼が風景描写がうまいのも、女の姿態を描いて抜群なのも、
彼のこの性格によるものであろう。
そういう目で見ると、
この「日誌」くらい荷風の性格を赤裸々に現しているものは外にあるまい。
しかも、
青春の情熱を込めて書いているのだから、
――彼が一人前の人間、芸術家になろうとしている時の、以前の、未完の、
ボイラー一杯の熱湯が苦悶している呼吸の切実さは、
彼の外の作品には見られない。
人は「断腸亭日乗」を赤裸々だという。
しかし、
私に言わせれば、
「日乗」は赤裸々ではない。
赤裸々なのは、この「日誌」の方だ。
「日誌」には何を語ろうとする意識がない。
無意識で、
声を限りに全心をぶつけている。
「日乗」には意識があり、作意がある。筆者の冷静な顔が行間に覗のぞいている。
そうして「日誌」には成長がある。
青春の成長が楽しい。
(小島政二郎『小説 永井荷風』鳥影社、2007年、p.131)

 

ふと目に入り、気になって他のものといっしょに注文した本でありますが、
読み始めたら無類に面白く、
止められなくなりました。
書名に「小説」とありますけれど、
いわゆる小説のイメージからは遠く、
評伝、あるいは評論、
といったほうがいいかもしれません。
ちょっと言いたい放題かな、
と思える節がないではないけど、
それは小島政二郎の性格の然らしむるところか、
とも感じられ、
だからこそ面白いともいえます。
文中「日誌」とあるのは、
『西遊日誌抄』のこと。
ドナルド・キーンさんの『百代の過客〈続〉』にも取り上げられている。

 

・旋回の空さそはるるごと探梅行  野衾

 

藤原定家の志

 

此集家々所称雖説々多 且任師説又加
了見 為備後学之証本 手自書之
近代僻案之輩以書生之失錯称有
識之秘事 可謂道之魔姓 不可用之
但如此用捨只可随其身之所好不可
存自他之差別 志同者可用之
嘉禄二年四月九日     戸部尚書 (花押)
于時頽齢六十五、寧堪右筆哉

 

【通釈】この『古今集』の家々に唱えている学説は、あの説この説と多いが、
一方では師の説に任せ、また一方では自分の判断を加えて、
後に学ぶ人の証本として備えておくために、
みずからこれを書いたのである。
近頃、
偏った考えを持つ人たちは、書写者の失錯をもって、
歌学の深奥に精通している人の秘事と称している。
歌道修業のさまたげと言えるだろう。
このような説を採用すべきではない。
ただし、
このような点についての賛成・反対は、
ただその人自身の好むところに従うべきものであって、
自派の説であるとか、他派の説であるとかいうことによって差別を設けてはならないもの
なのである。
志が同じ者は、
どの学派の説であろうと、
このよい方を用いるべきなのである。
嘉禄二年四月九日     戸部尚書 (花押)
この時まさに、老齢六十五、どうして筆をとって書くことに堪えられようか。

 

(片桐洋一『古今和歌集全評釈(下)』講談社学術文庫、2019年、pp.716-7)

 

片桐洋一さんのこの本の底本は、
冷泉家時雨亭文庫所蔵の藤原定家嘉禄二年自筆書写本『古今和歌集』(国宝)
によっており、
引用した文章は、その奥書にあるもの。
原文のあと【訓読】もありますが、
引用は【訓読】を省き、片桐さんの通釈にしました。
これを読むと、
藤原定家の心意気、志、熱情が感じられ、
とても八百年ほども前の、むかしむかしの人と思えない。
文中の「歌道」を「学問」にすれば、
いまの時代の学問にたずさわっている人々にも当てはまる気がし、
また、
藤原定家そのひとが、
ぐっと身近に感じられるように思います。
研究者でないわたしが、
そんなふうに感じられるのは、
ひとえに片桐さんの懇切丁寧な評釈によるものであって、
そこのところにも、
学問研究のひとつの意義と意味がある
のだと、
この本を通じて改めて感得できた気がします。
そして最後に、
定家の口吻が聴こえてくるように思うのは、
「于時頽齢六十五、寧堪右筆哉」
「この時まさに、老齢六十五、どうして筆をとって書くことに堪えられようか。」

 

・日一日古屋の庭の梅の花  野衾