運動の起点、つながる思考

 

実際、そうした網の目はつねに広がり続けていますし、
それに応じてどんな書物も新たなつながりを獲得して、変化していきます。
つまり、
その意味では本もまた動くのです。
ちょうどインターネットという網の目をWWW(ワールド・ワイド・ウェブ)、
つまり〈世界中に広がる蜘蛛の巣〉
と考えた場合がそれです。
テクストはいったん電子的にリンクされたネットワーク上に置かれると、
単独で存在することを停止するのです
(ジョージ・P・ランドウ)。
蜘蛛の巣のどこかが震えれば、
その振動は巣全体に及ぶというイメージをもつとわかりやすい
と思います。
それではどうやったら当の書物は、
その震源となりうるのでしょうか。
それはやはり網の目や蜘蛛の巣といった比喩で表わされるネットワークの
〈結び目(結節点、ノード)としての個人〉
に振動が起こるからでしょう。
それがもはや形而上学的段階で前提とされる〈実体的な個人〉
ではないというのは予想がつきますよね。
なぜなら、
当の個人が関係のなかの結節点として位置づけられていて、
その存在そのものが関係のなかに深く入り込んでいるのですから。
そんな個人の眼の前にあって
すでに常識的な読解というものも定まっているテクストに対しても、
新たな読み解きがありうることは述べました。
その読み解きをさらに新たなテクストの執筆へとつなげる
ことができるなら、
それは
自分を運動の起点として
新たな「見慣れぬ光」を生み出すこと
なのだとも考えられそうです。
その光からエネルギーをもらって網の目は震え出すのです。
(米山優『つながりの哲学的思考――自分の頭で考えるためのレッスン』
ちくま新書、2022年、pp.126-7)

 

『アラン『定義集』講義』を読んだことがきっかけで、
著者である米山優(よねやま まさる)さんに対談をお願いし、
ご快諾を得、
おこなった対談の模様を
『春風新聞』30号に掲載しましたが、
そのときのまとめのタイトルが
「考えること、過去とつながるということ」
でした。
その後、
米山さんからご著書をいただき、
読んでみました。
『アラン『定義集』講義』もそうでしたが、
米山さんは、
ちくま新書のこの本のサブタイトルにもあるように、
「自分の頭で考える」
ことを徹底して行っているようで、
読みながら、
そのことを強く感じます。
本を書くひとはみんな「自分の頭で考え」ているのかもしれませんが、
読んでいて、
ふんふん、ふんふん、
と、
つい声が出てしまうのは、
「自分の頭で考える」ことがよく練り上げられ、
鍛えられていることの証だと思います。
ところで。
米山さんの本の、
上で引用した箇所を読んでいて、
ふと、
村上春樹さんがビリー・ホリデイについて書いた文章を思い出しました。

 

ビリー・ホリデイの優れたレコードとして僕があげたいのは、
やはりコロンビア盤だ。
あえてその中の一曲といえば、
迷わずに「君微笑めば」を僕は選ぶ。
あいだに入るレスター・ヤングのソロも聴きもので、
息が詰まるくらい見事に天才的だ。
彼女は歌う、
「あなたが微笑めば、世界そのものが微笑む」
When you are smiling, the whole world smiles with you.
そして世界は微笑む。
信じてもらえないかもしれないけれど、
ほんとうににっこりと微笑むのだ。
(和田誠/村上春樹『ポートレイト・イン・ジャズ』新潮社、1997年、p.32)

 

つながっていることを感じられると、
うれしくなります。

 

・鎌倉の古屋の雛の匂ふかな  野衾