歴史の味わい
高校生のときの話になりますが、
大学受験のために世界史を選択している同じクラスの女生徒が、
「もっと早くに生まれていたかった。そうすれば、憶えることがこんなに多くなかった」
と言った。
ほかの生徒がいるまえで、笑いながらでなく言ったので、
かえって可笑しかったのを憶えています。
暗記科目と思っていた歴史が俄然おもしろく感じられるようになったのは、
大学に入ってからのことでした。
ちかごろ読んだ本に、
紙にまつわる歴史がいろいろ取り上げられていて、
仕事とも関係するし、おもしろく読みました。
この紙と郵便の連携の意義は、決して過大評価ではない。
十七世紀には学者のあいだで「論文書簡《エピストラ・ドクタ》」が活発にやりとり
されたが、
それが十八世紀における雑誌の誕生へとつながる。
書簡のやりとりは、
既成の知識の普及に役立ったのはもちろん、知識が生産される段階ですでに存在していた。
書簡のやりとりがそれだけ頻繁におこなえたのは、
郵便制度が誇る定期性ゆえである。
郵便物をいつどこから出せば、いつどこに届くかが、
従来よりもはるかに正確に予測できるようになった。
紙は、
印刷機の複製速度を持続的に支えると同時に、
郵便制度の定期性とも深く結びついていたのである。
ここに郵便という、
近代的な生活世界に特徴的な一つの要素が生まれる。
人々は退屈な日常のなかで、「郵便集配日」を待ちわびた。
文学の重要なモティーフともなった。
鉄道時代が訪れるはるか以前に、郵便は運行計画を利用していた。
そして最終的には、
現在を現在として経験することを可能にし、
物理空間内に散在する諸個人をまとめて同時代人へと変えるメディア――
すなわち新聞を生み出したのである。
新聞の成立は十七世紀前半のことであり、
印刷機の発明からは百五十年もの開きがある。
それゆえ新聞は印刷術から直接生まれたわけではない。
むしろ新聞は、
手書きの書簡や印刷された見本市報告《メスレラツィオーン》と郵便との共同作用
から誕生したと言うべきである。
(ローター・ミュラー[著]三谷武司[訳]『メディアとしての 紙の文化史』
東洋書林、2013年、pp.109-110)
論文書簡。へ~。知らなかった。それが雑誌へ、か。
また、
紙と郵便、手書きの書簡と新聞、
歴史的な事象に関してのつながりの糸が見えてき、合点がいき、
俄然おもしろくなってくる。
学術的な内容ですが、
さりげなく、
「人々は退屈な日常のなかで、「郵便集配日」を待ちわびた」
なんてことばが挟まれると、
さらにグッと味わいが深くなります。
ちなみにこの本の装丁は、
2021年7月5日に他界された畏友・桂川潤さんです。
・朝からのゲラに文鎮夕涼み 野衾