さまざまのこと 22

 

不安と期待でドキドキしながら上がった小学校でしたが、
伊藤陽子先生という、いつも笑顔のすてきな担任の先生のおかげで、
小学校はもとより、
その後ながくつづくことになる学校生活は、
あかるい日差しのもとで幕を開けることになりました。
一年生のとき、
同じクラスにKくんという子がいました。
背の高さが同じぐらいだったためか、
体育の時間、ふたりが組になってする体操のときに、
Kくんと組むことになりました。
両手を相手の肩にかけ座ってする運動でしたが、
しばらくすると、ピピーッとホイッスルが鳴ったので、
動きを止め先生のほうを見やりました。
と、
先生に指示され、わたしとKくんが前にだされ、運動の見本としてふたたび組み、
みんなの前でおこないました。
恥ずかしかったけれど、ちょっと誇らしかった。
Kくんと組んでの運動は、
わたしが力を入れる場面ではKくんが力を抜き、
Kくんが押してくるときにはわたしが力をゆるめ、
やっているうちにコツがつかめたのか、
ふたりが一心同体となるような具合で、
なんとも気持ちよかったことをおぼえています。
そんなこともきっかけだったのでしょう、
Kくんと仲よくなり、
その後、Kくんの家に遊びに行ったこともあります。
Kくんの家は、
学校を基点にしてみたとき、
わたしの家とは反対方向でした。
なので、平日ではなく、
休みの日に遊びに行きました。
近くにあった広場は、山を切り崩したような印象で、
赤土の崖が切り立っていたのをおぼえています。
Kくんのおかあさんが作ってくれたお菓子をふたりで食べました。
おなじ町(当時はまだ村)なのに、
都会に来た気がしたものです。
Kくんはのちに野球部のピッチャーとして活躍することになります。

 

・はみ出して首もて余す青大将  野衾

 

さまざまのこと 21

 

小学校のあった場所から左と右へ入る両方の小道についての思い出を記しているうちに、
それから二十年ほどたったある日のこと、
横浜の友人宅で聞いたアメリカのある詩人の詩を思い出しました。
彼女が語るひとことひとことが、
つらい時期にあったわたしのこころに深くしみ入り、
詩人の名をおぼえ、行きつけの書店におもむき、詩集を求めました。

 

黄色に染まった森のなかで、道が二手ふたてに分かれていた。
旅人ひとりの身でありながら、両方の道を進むわけには
いかないので、私は長く立ち止まって、
目の届く限り見つめていた――片方の道が向こうで
折れ曲がり、下生したばえの下に消えていくのを。

 

それから別の道を進んだ、前のと同じくらい平坦だし、
ことによれば、より選ばれる資格があると思って――
その道は草が深く、もっと踏み均ならす必要があったから。
だがそれを言うなら、実のところ、どちらの道も
ほぼ同じ程度に踏み均されていたのだが。

 

ロバート・フロストさんの詩「選ばなかった道」の第一連と第二連。
詩は第四連まであります。
引用は、
わたしがかつて買った詩集からではなく、
川本皓嗣(かわもとこうじ)さん編の岩波文庫からのもの。
選ばなかった道があれば、選んだ道があるわけですが、
選んだ道を行くと、
その先にはまた二手に分かれた道があり、
そこでも、どちらかの道を選びすすむことになります。
さらにすすむと道はまた二手に分かれ……
そうして眩暈がするぐらい、
いまのここに至ることになります。

 

・とりとめのない心かや夏の蝶  野衾

 

さまざまのこと 20

 

道の印象はいろいろ。薄暮のなかへ引き込まれるようにつづく道があるかと思えば、
カンカン照りの太陽の下のまっすぐの道もあります。
かよいなれた小学校のあった葹田(なもみだ)から左へ折れる道が
記憶のなかで月明りに照らされているとすれば、
右へ折れる道は館岡(たておか)へと至る明るい道。印象のはなしです。
小学校二年生、三年生だったかな、
年については、正確にはおぼえていません。
ただ、ことがらとしては、はっきりとおぼえています。
社会科の授業の一環として、学校から家までの地図を描いてみよう、ということで、
わたしの班のだれかが、それなら館岡の山に登れば、
学校とその周辺が一望できるから、そこへ行ってみよう、
と言いました。
野外活動がゆるされる授業でした。
学校を出て館岡の目的地までは二十分ほどかかったでしょうか。
山というか丘の上からは、
学校周辺がパノラマのように見わたせます。
学校を起点とし、
わたしの家のある方角へたどると校門を出てすぐにお店があり、
そのとなりのとなりがクラスのHさんの家、
そこで家並みがとぎれ、道は寺沢へと向かいます。
大きな屋根のある家の前を井川が流れ、川べりには、丹波栗の大木。
その木がはっきり見えたわけではありませんが、
あることはある。
寺沢にはまたクラスの友だちYくんの家もあります。
ふだんかよっている道を、
全体ではないけれど、一望できたことに感動を覚えました。
そこまでがくっきりしている記憶で、
そこで見た光景をその場で地図に落とし込んだのか、
ササっとメモ程度に描いて、学校へ戻ってから清書したのか、
そこのところはもはや
霧がかかって定かではありません。

 

・夏近し土器と鏃の森へ行く  野衾

 

さまざまのこと 19

 

小学校の行き帰りに、知ってはいるけれど、その道を行くとどこへ行くのだろうと、
先が分からない道がありました。
わたしの家を出て、集団登校で学校へ向かう道は、
仲台からはじまって坂道をくだり、寺沢から葹田(なもみだ)へと至る。
小学校は葹田にありました。
と、
学校をちょっと過ぎたところから横へ入る小道があることは知っていて、
全校一斉の写生会の折などに、すこし入り込むことがありました。
が、
その道の方角に、遊ぶ友だちはいなかったし、
親から用事を言いつけられることもなかったしで、
その道をちゃんと歩いて、
それがどこへ通じているのかを確かめることなく来てしまいました。
その道をとおって学校へ来る一年先輩の髪のながい色白の
おとなしそうな女子がいました。
名前も分かりませんでしたが、写生会の折にでも、
その子がその道を歩いて帰る姿を目にしたとか、そういうことでなかったかと思います。
話したことなどもちろんなく、名前も知らぬひとですが、
道の先が分からないことと重ね、
美しいひととして、わたしのなかにずっと居つづけています。
二年前になるでしょうか、
帰省した折、
晴れた日に家を出て、
あたりの景色を目で触れるように眺めながら歩きました。
寺沢を過ぎ葹田へ。
道の左手にあった小学校の建物はすでになく、夢の跡を風が吹きすぎます。
さらに歩いて、知ってはいても
ちゃんと歩いたことのない道をはじめて歩きました。
光がさんさんと降りそそぎ、
あいまいなところのない道がしずかに蛇行しています。
左手は田んぼ、右手の家々はやがて終り、草深いみどりが丘になっています。
時間の霧が晴れていき、きらきら輝くようでした。
道は上りにさしかかり、
息を切らして登っていくと、ようやく知っている道へと至ります。
わたしのなかの二次元の地図は完成しました。
しかし、一年先輩の女子がかよった四次元の美しい道は、
そのままの印象として、
これからもつづくことになりそうです。

 

・待ち人を待つ心地して夏燕  野衾

 

さまざまのこと 18

 

小学校の高学年、四年生、いや五年生のときだったかな、切手収集にいちじ凝った
ことがありました。
葹田(なもみだ)の同級生Mくんと親しくしていたことがあり、
Mくんのえいきょう、というか、Mくんが集めていたきれいな切手を見て、
まねしてみたくなったんだと思います。
いろいろ集めました。
どんなものでも、集めはじめるとおもしろくなりますが、
集めているうちに、知識もだんだん増えてきて、
おもしろさに拍車がかかります。
いつもながらの楽しみ、父と母と弟といっしょに秋田市に遊びにいったとき、
切手を収納するファイルを買いました。
そんなに高価なものではありませんでしたが、
表紙が濃紺、台紙が黒で、
切手を収納するためにページごとに透明なビニールが施されていました。
すでに持っている切手であっても、ファイルに収めると、
台紙が黒だったせいもあり、
なんだかとても立派な切手に見え、
じぶんがいっぱしのコレクターになった気がしたものです。
趣味週間、国際文通週間の記念切手のうち、何枚かは手に入れて持っていました。
趣味週間の見返り美人とか、写楽とか、月に雁など、
いいなぁ、ほしいなぁ、とカタログを見て思ったものですが、
いずれも高価で、
じぶんのものにはできませんでした。
めずらしい高価な切手の一つでも手に入れていたら、あるいは、
もう少しながくつづいていたのかもしれませんが、
濃紺のファイルを使いきるまでには至らなくて、
いつのまにか興味が失せてしまいました。
春風社を起こしてから、いちじ体調をこわして、昼、
ドジョウ鍋を食べさせてくれる野毛のお店にひんぱんにかよった
(それだけがおいしく食べられました)
時期がありましたが、
その店の二階に上がる階段の横に、
菱川師宣が描く見返り美人図が額装されているのを目にし、子どものころ、
短い時間でしたが、
切手収集の趣味があったことをにわかに思いだしました。

 

・母笑むよ屋根の上なる夏の空  野衾

 

さまざまのこと 17

 

小学校のときに、なべっこ遠足というのがありました。
なべっこ遠足の「なべ」は鍋。鍋っこ遠足というわけです。
食材を持って生徒と先生たちがいっしょに出掛け、川べりで煮炊きをします。
わたしの班は「だまっこ鍋」。
つぶしたご飯をまるめただまっこ、鶏肉、ゴボウ、セリ、マイタケ、ネギ、醤油など。
Aさんはだまっこ。Bさんは鶏肉。Cさんはゴボウとセリ、
というふうに。
わたしは事前に母か祖母に言って、
わたしも手伝い、だまっこを用意してもらいました。
いったん学校に集まり、
それから目的地に向かいましたが、
とちゅう、じぶんの家を横に見て歩くことになりますから、
「ほら、そこがオラの家だよ」と、ちょっと恥ずかしいような、誇らしいような。
井内を越え、長いゆるい上り坂を越えて歩き、
やがて大台に至ります。
さらに歩くと道がだんだん細くなり、山々が迫ってきます。
くねくね曲がる山道を、
あたりの景色に触れながらクラスの友だちと歩くのはなんとも楽しく。
水がちょろちょろ流れ落ちる沢を越えると、
大きな一本杉があり、
そこから川べりに下りる細い道がありました。
一列になり、そろり静かに下りていきます。
川べりにはゴツゴツした大きな石が顔をそろえ、
場所によって小石や砂の平地もあります。
煮炊きをするには、
大きな石をうまくつかって、にわかづくりの竈を用意します。
水はどうしたんだったかな。
持って行った記憶がないから、
たぶん川の流水をつかったのだと思います。
班ごとに用意してきた具材を用い、自然の景色にかこまれ、自然の音を背景に、
みんなして火を焚き、料理を作り、鍋をつつきました。
野外で火を燃やすと、
どうしてあんなにこうふんするんだろう。
つくった料理は、先生たちにもおすそ分け。
その後、中学、高校、大学へとすすみ、
社会人になっても、
ふるさとへ帰り、山菜採りなどのためにその場所を通るとき、
かならず思いだすことになります。鍋っこ遠足。

 

・切通し弁天様の五月かな  野衾

 

さまざまのこと 16

 

小学校への登校は地域ごとの集団登校。先頭の六年生以下、
きちんと二列に並んで歩いたものです。
授業開始まえに体育館でのあそびの時間もありますから、
寄り道をすることはありません。それにくらべ、下校となると、寄り道、道草、
なんともたのしく、ワクワクしたものでした。
「キリストはすぐに来る」という、
黒い地に白い文字で記された意味ふめいの看板を見たのは、
営林署の事務所のあった寺沢という場所でしたが、
そこに、
とても優秀なセンパイがいるということをクラスの友人Yくんから聞き、
おそらくYくんといっしょに訪ねたのがさいしょだった
と記憶しています。
センパイは、こころよく、
じぶんの作ったものをいろいろ見せてくれましたが、
そのなかにUコンの飛行機がありました。目を奪われました。ひとめぼれ。
じぶんで作る飛行機といえば紙飛行機ぐらいしかなかったのに、
Uコンは、
小型ながらちゃんとエンジンが付いていて、飛ぶのに燃料が要る。
金属のワイヤー二本に引かれはするものの、
爆音をたてて大空を舞う。
烏がおどろいてギャーギャーわめき散らす。
センパイがあやつるUコンの飛行機に見入り、魅せられ、
さっそくじぶんでも作ってみたくなった。
こづかいをためてUコンを買ったのは、それからどれぐらいたっていただろう。
学校から帰るや、時間をかけひたすら作った。
やがて機体が完成。
と、
へんな想像がわく。ワイヤーを付けずに飛ばしたら、どこまで飛んでいくだろう。
井内を越え、大台を越え、かっち山のほうまで行くだろうか。
おおい雲よ。
燃料が切れ、さいごに落ちてこわれても、かまうものか。
それを試したい欲望がもうぜんと湧き、
どうすることもできない。
完成した機体を持ち、家を出て、Hくんの家の前の広いコンクリートの庭で、
人差し指と中指でプロペラを回しす。轟音をたて、プロペラが回る。
鼻水と涙がいっしょにでてくる。
センパイのとおんなじだ! ワイヤーは付いてないけど。
機体を押さえる左手には、
まるで生き物のような強い力が伝わってくる。バルルルル…
もう、抑えておくことなどできない。
空のとおく、とおく、どこまでも飛んで行け!
パッと機体から手を離す。
勢いよくわたしの手を離れた機体は、10メートルも飛ばないうちに、
グチャッと地面にたたきつけられ、片方の翼が折れた。
しばし呆然。
破損して散らかったバルサ材を集め、家に帰った。
家のものになんと言われたか、弟にどう話したのか、
まったく記憶がない。

 

・春の雨雲に緑の映えるかな  野衾