夏井先生

 

木曜日はプレバトの日。
俳句のコーナーは、夏井いつき先生。
切れ味するどく
分かりやすい解説が勉強になり、
出場者たちの反応がまたそれぞれ愉快で、
毎週たのしみにしています。
その夏井先生、
プレバトだけでなく
NHKの俳句番組にもたびたび登場し、
昨年は、
紅白歌合戦の審査員にもえらばれました。
きのうのプレバトを見ていたら、
紅白歌合戦では終始ニコニコしていたとの指摘にこたえ、
「サザンとユーミンを見られて冥途のみやげができた」
と。
それを聞き、
そうか夏井先生は1957年生まれ、
サザン、ユーミンの世代だなと改めて思った次第。
きのうのプレバトも楽しかった。
中田喜子はついに名人。

 

・ふるさとも松も動くや氷柱落つ  野衾

 

ウンベラータ

 

会社に大型の観葉植物の鉢がみっつありまして、
そのひとつがウンベラータ。
明るい室内の気を吸いぐんぐん成長し、
成長し成長し、
どこまで伸びるんだろうと思って見ていましたら、
とうとう天井に
着いてしまいました。
なので、
その部分の枝をハサミで剪って、
別の鉢に挿しておいた。
世話の仕方を知らないわたしは、
しろうと考えながら、
てっぺんの芽が出るようにと、
枝についていた葉っぱをすべてカット。
それが良かったのか悪かったのか分かりません。
が、
あれから二か月ほどが過ぎ、
な、なんと
てっぺんにあった芽がひらいた!
いやぁ、
驚いたのなんの。
会社のだれかれかまわず声を掛け、
「見た?見た?これ!」
生命力の強さに感動しました。

 

・冬の陽をあつめて燃やすレンズかな  野衾

 

徒然

 

わたしのふるさと秋田では、
さびしいことを「とじぇね」といいまして、
そのことを枕にし
話したり書いたりすることがたびたびありますが、
どうやら秋田の専売特許
ではないらしく、
秋田県教育委員会による『秋田のことば』(無明舎出版)
にも
そのことの記載がたしかあったはず。
熊本では「とぜんなか」
と称することを
メールで教えてくださった方もありました。
語尾は地域によっていろいろ
変化を見せるものの、
もとの「とぜん」は徒然で、
けっこう全国展開しているようです。

 

・もの思ふやけにさびしも虎落笛  野衾

 

立春

 

こよみのうえではきのうが立春。
このところ寒い日がつづいていましたから、
すこしはあたたかくなるかと
期待していましたら、
予想をはるかに超え、
横浜は二十度を超すあたたかさ。
初夏の陽気といってもおかしくないぐらいでした。
ところがきょうはまたぐっと冷え込み、
最高気温で比べると、
きのうとの差が十度とか。
いやはや。
ついていくのがたいへん。

 

・呆としてながめやる間の寒夕焼  野衾

 

笑いと叡智

 

昨年、カルヴァン、ルターの著作を集中的に読み、
聖書理解も深められたか
とよろこんだのもつかの間、
どういうわけか、
だんだん胸が苦しくなってきました。
本のせいにするのはお門ちがいも甚だしいのかもしれません
けれど、
時代を画した人物、書物というのは、
清新さを帯びつつ
切っ先がなんとも鋭く研ぎ澄まされておりまして。
その切っ先に
触れてしまったような具合かと。
なので、
こんどは同時代のものながら
毛色のちがった書物を
と愚考し、
一計を案じ。
そうだ、ラブレーだ。
マイケル・A・スクリーチの
『ラブレー 笑いと叡智のルネサンス』(平野隆文訳、白水社)
を手に取りました。
渡辺一夫訳で
『カルガンチュワとパンダグリュエル物語』
を読んだのは三十年以上前ですから、
だいぶ時間がたってしまいました。
日本とも縁が深く
なんと渡辺一夫とも親交のあったというスクリーチさんのこの本、
日本語の訳文と相まって、
ふかく息ができ、
冬眠を終えてでてきたカエルのように、
ホッ!
ルター、カルヴァンの呪縛から
少し解放された気分になりました。

 

・孤独とや蒼茫として冬の空  野衾

 

加湿器

 

イシバシが机の上に個人用の加湿器を置いていて、
横で見ながら
なんとなくいい感じなので、
わたしも自宅用に買いました。
イシバシのと同じメーカーですが、
機種はちがいます。
吹き出し口から立ち上る白い湯気を見ているだけで癒され。
会社には業務用のがひとつありますが、
ワンフロアで広いせいか、
効いているのかいないのか、
これといってあまり効能を感じません。
ということで、
もうひとつ
新たに業務用の加湿器を購入。
気のせいか、
社内も肌も潤っている感じ。
って、
ほんとか。

 

・もてあます我を嗤ふや寒烏  野衾

 

一月尽は?

 

尽という字は「つきる」と読みますから、
最終という意味で尽をつけ、
月の晦日のことを「〇月尽」とし
季語として使っている俳句を目にします。
が、
一月から十二月まで
どの月でもいいかといえば、
然に非ず。
わたしが使っている角川の『合本俳句歳時記 第三版』によれば、
「古くから三月尽と九月尽とが並べて用いられてきたのは、
春と秋にはいろいろ心に沁む景物が多く、
それらを惜しむ気持ちの現れであろう。
ただ漠然とどの月にも何月尽と用いることはおかしい。」
とのこと。
納得。勉強になりました。
さて、なにはともあれ、きょうが一月最終日。
はやいなぁ。

 

・くさきもの臭ひ消さるる寒さかな  野衾