かすれどこまで

 

雑誌はなるべく買わないようにしていますが、
どうしても読みたい記事があって買うことがたまにあります。
気になる記事を読んだあとは
捨ててしまうことがほとんどですが、
たまたま捨てずにいた雑誌を
コーヒー豆を挽くときミルの下に置いたり、
淹れたコーヒーをカップに入れ
雑誌の上に置いたりしているうちに、
表紙の文字と写真が
だんだんかすれてきました。
それでさすがに、
捨てようかとも思ったのですが、
ふと、
このかすれ
どこまで進化(?)していくだろうかと、
へんな好奇心がわいてきて、
捨てずに
毎日かすれ具合を確かめるようになってから
はや一年と数か月。
爪や髪の毛を切らずに伸ばしている仙人
みたいな人がたまにいますが、
その感覚に近いのかもしれません。

 

・花万朶ながめせしまに五十年  野衾

 

ンパのだたふ

 

ふだんあまりパンを食べませんので、
たまに食べるといっそう美味しく感じられます。
このあいだ、
パンを食べながら
ふと思い出したことがありました。
子どものころ、
「ふただのパン」というパン屋さんがありました。
いまあるかは分かりません。
さかさに読むと
「ンパのだたふ」
「ンパ」がおもしろく、
また
「だたふ」というのが
だぶだぶ感があってなんとなく愉快な気持ちになり、
ンパのだたふンパのだたふ。
まるでお念仏。
子どもってふしぎです。
面白いとなったら、
もう、なんでもかんでも。
わたしのなまえをさかさにすると
「るもまらうみ」
弟は「るとさらうみ」
じぶんたちの前にまだ見たことのない海がひろびろ広がっているような。
山は「まや」で川は「わか」
馬は「まう」犬は「ぬい」猫は「こね」
先生は「いせんせ」
伊藤陽子せんせい、川上景昭せんせい、小武海市蔵せんせい。
さかさにすると…
がっこうは「うこっが」
とじぇねわらしはいろんなことを工夫し
こんなことでも面白がった。

 

・養花天たのしきことをさがしをり  野衾

 

さくらの季節

 

桜が咲いております。懐かしい葛飾の桜が今年も咲いております。
…………………………
今、江戸川の土手に立って生まれ故郷を眺めておりますと、
何やらこの胸の奥がぽっぽと火照ってくるような気がいたします。
そうです。
私の生まれ故郷と申しますのは葛飾の柴又でございます。

 

『男はつらいよ』シリーズ第一作冒頭にでてくる車寅次郎のセリフ。
シリーズ中好きな作品はいくつもありますが、
ひとつ上げろといわれれば、
この第一作に尽き、
揺らぐことはありません。
ものがたりがてんこ盛りでありながら、
望郷の念が全編を強烈にけん引し、
結末までまるでジェットコースター(古!)
のようにひかれていきます。
歯切れのいい冒頭のセリフ、
なんど聴いてもよく、
なんども聴きたくなり、
なんど聴いたか分かりません。

 

・花ぐもりかへりみすれば故山かな  野衾

 

澁澤さんの論語 2

 

英国監督派の基督教教師皆川輝雄氏や、
また海老名弾正氏の基督教に就ての講義をも聴聞し、
余はそれに共鳴することができぬ故に、半途で止めてしまつた。
余は耶蘇の聖書よりも、釈氏の禅書よりも、
老子の道経よりも、また儒教中の易経よりも、
何よりもかよりも、
論語一部が最も理解(わか)り易く、読めば直ちに処世上に行ひ得られ、
男子にも女子にも、老人にも青年にも、
普遍的に実行せらるる教訓であると信ずるのである。
論語の句は暗記してゐるが、
聖書の句などはとても暗記してをられぬのである。
(澁澤榮一述『論語講義』二松學舍大學出版部、1975年、p.324、原文は旧漢字)

 

澁澤翁の口吻がみえるきこえるようではありませんか。
著者の原稿に向かう際に、
わたしは「~のである」はだいたいカットし、
その旨を著者にも伝えるようにしていますが、
上の文の「~のである」は
なんというか、
なんともいえぬ可笑しみがたたえられていて、
こういう「~のである」ならばカットしたくありません。

 

・花ぐもり世をふる客や五十年  野衾

 

顔、貌、かお、(^^)/

 

このごろ外を歩いていると、
また家のなかから外を眺めているときとか、
いや、
家のなかのたとえば壁を
何ということもなく見ているようなとき、
あれ!
顔に見えるぞ!
となることがよくあります。
そのたびにスマホで写真を撮り、
このブログにのせてきました
が、
ついこのあいだも家を出て、ああ、いい天気だ、さくらのきせつ、
さてと、
いやいやいそぐことはないか、
ま、ちょっとここにすわってみるかな…

 

目の前のガードレールがこんな感じで。

 

・花ぐもりふるさとを出て五十年  野衾

 

でん六豆

 

子どものころよく食べていて、
それから数十年とんと忘れてしまっていましたが、
ちかごろ近くのスーパーマーケットでみつけ
なつかしくて買って食べたら
なんとも美味しくまたなつかしく、
以来、
常備している豆菓子
「でん六豆」
先日、家人の姪っ子JKが遊びに来た折、
「でん六豆」をすすめたところ、
「美味しい!美味しい!」と言って食べはじめ、
やめられない止まらない感じでしたから、
別れるときに
常備していたひと袋をプレゼントしました。
かのじょは愛知県在住ですが、
愛知県といえば、
なんといっても春日井製菓という老舗菓子舗があり、
豆菓子も製造販売しているので、
山形に本社がある株式会社でん六の「でん六豆」は初めてだったようです。
というわけで「でん六豆」
きのうも食べました。

 

・文庫本閉じて顔上ぐうららかな  野衾

 

澁澤さんの論語

 

吉川幸次郎の対談集『中国文学雑談』(朝日新聞社、1977)
を読んでいましたら、
井上靖との対談のはじめのほうで吉川さん、
こんなことを語っており
目をみはりました。
「『論語』というものを、私はそれまではたいへん反動的な書物だと思っていたのです。
(「それまで」というのは、大学に入って二十歳になってから
ということが前段に書いてあります――三浦)
ところが読んでみると、そうでありませんね。
そのころはいろんな反動家が『論語』をかついでいて、それに対する反感があったのです。
一番いやだったのは、私があまり好きでなかったある実業家が、
『論語』を非常にあれしていた。(「あれ」に傍点が付されています――三浦)
そのほか私の嫌いだった人が大へんもちあげているところから、
『論語』が大へんいやだったのです。……」
この箇所を読んで、
ははー、
ある実業家というのはきっと
澁澤さんのことだな、
そうにちげえねー
と勝手に思い込んでしまいました。
引用した後のほうで、
「ある実業家」について吉川さん、
自著『中国の知恵』のなかでそのひとの名前を実名で書いたら、
身内の方から手紙をもらい、
そのこともあって、
第二版以降は「ある実業家」とした(笑)
となっていますから、
『中国の知恵』の初版を見ればすぐに分かることですが、
それはまだ見ることが叶いません。
がしかし、
おそらく、百パーセント、まちがいなく、きっと、
澁澤榮一のことだろうと思いまして。
(まちがっていたら、澁澤さん、スミマセン)
という思い込みをふまえ、
ただいま
二松學舎大學出版部から昭和五十年に出版された浩瀚な『論語講義』
を読みはじめました。
(わたしが読んでいるのは昭和五十二年二月に上梓された第二刷)
吉川さんは嫌っていたようですが、
たしかに「反動的」と思える箇所がないわけではない
ですが、
それよりも、
澁澤さんが、
人生の指針としていつも『論語』のことを念頭に置いていた
ことがよく分かり、
だけでなく、
幕末から明治大正にかけての著名な人物たちとの交際が親しく語られており、
おもしろく読み進めています。
(この講義を澁澤さんは八十四歳のときから始めています)
千ページちかい本ですが、
あきらかに活版印刷で刷られており、
文語文と相まって
なんともいい感じ。
吉川さんの『論語』は好きだけど、
澁澤さんの『論語』もけして嫌いではありません。
ていうかむしろ好き。
吉川さんがあんなふうに感じたのは、
時代もあったのかと思います。
(下の写真の「BARBER吉川」は吉川幸次郎さんとは関係ありません、たぶん)

 

・おつかない医者にさよなら春ららら  野衾