『アンパンマン』のこと

 

いまNHKでは連続テレビ小説『あんぱん』をやっていて、たまに見ています。
『アンパンマン』のことは、あまり知らないのですが、
すこしは知っていて、作者のやなせたかしさんはおもしろいなぁと思い、
数年前、
『アンパンマン』の絵本や、
やなせさんが書いたエッセー集を何冊か買って手元に置いてありました。
そのなかの一冊『人生なんて夢だけど』を読んでいたら、
え、そうなの! という文言にでくわしました。

 

アンパンマンのお話が、子どもたちになぜ受け入れられたか。
その理由はいくつかあるにしても、
主役以外のキャラクターが鮮明に個性的なことだと自惚れもまじえて確信しています。
アメリカ映画「風と共に去りぬ」は実にキャラクターがくっきりとできている、
ひとつの模範例です。
主役のスカーレット・オハラは美人でわがままで強気で
相当いやな性格をしていますが、女優はみんなやりたがります。
アンパンマンでいえばドキンちゃんですね。
おとなしいメラニーはバタコさんで、
知的な二枚目のアシュレーはしょくぱんまんということになります。
レッド・バトラーは、
強いていえば「アンパンマンとばいきんまんを足して二で割る」でしょうか?
でも、ちょっと違いますね。
というわけで、
「風と共に去りぬ」は意識して参考にさせてもらいました。
(やなせたかし『人生なんて夢だけど』フレーベル館、2005年、pp.211-212)

 

『アンパンマン』と『風と共に去りぬ』。
作者のやなせさんがおっしゃっているわけだから、そうなんでしょう。
『風と共に去りぬ』の映画を若いときに観て、
その後、マーガレット・ミッチェルさんの原作も読んだけど、
まさか、
『アンパンマン』を描くときやなせさんが『風と共に去りぬ』を参考にしたなんて、
思いもしませんでした。どこでつながるのか、
分からないものですね。

 

・六月の朝の障子に蝶の影  野衾

 

丘のうえの桜

 

わたしの部屋からおおきな桜の木が見えます。ここに住むようになってから約三十年
になりますが、
ほぼまいにち見ているはずです。
ここは、もともと山だったのでしょうね。
いかにもそこを切り崩して宅地にしたというような地勢で、
わたしのところから見ると、桜の木は、
伊良湖岬を小ぶりにしたようなカーブの先の丘の上にあるのです。
朝のツボ踏み運動をしながらまいにち見ていて、
ふと思いました。
ちかくまで行ったことがないな。
わたしの部屋からだと、
直線にしておそらく100メートルぐらいではないかと思いますが、
下の道から急階段があり、途中でいちどガキッと曲がって、さらに上方へ。
その階段、
どうやら丘上にあるお宅の個人所有のものかとも想像され、
そんなこともあって、
これまで近づくことをしませんでした。
が、
階段の登り口にとくに注意書きはなさそうだし、
登って行って、ちゃんとことわればいいことかな。そんな気がしてきました。
リスくんたちのホームもその辺りにありそうだし。
それにしても大きな桜の木。
この木なんの木、桜の木、てか。
うすピンクの花が咲いているときはもちろんですが、
散ってからも、風の日は風の日なりに大きくしずかに揺れうごき、
風のない日は風のない日で、
緑のなかの点々とある葉陰がなにを思うのか、
思わないのか、
安らいでいるようにも見えます。

 

・撥ね返り膝下までも夏の雨  野衾

 

さまざまのこと 35

 

たしか小学六年生のときのこと。
ゴム動力のプロペラ飛行機をつくって飛行時間を競うじゅぎょう、
というか催しがおこなわれたことがありました。
がっこうで模型飛行機をつくるのは、じゅぎょうというより、あそびのえんちょう。
学校で仕上げられなかった生徒は、
家にもって帰って完成させてもよかったはず。
翌日、つくった飛行機をもって、
かつて中学校の校舎があった南台グラウンドまで行き、
グループに分かれ、先生の合図で、数人が晴れた空に手づくりの飛行機を放ちました。
わたしの飛行機は、可もなく不可もなくという感じで、ほどなく着地。
いちばん長く飛んだのは、
となりのクラスのNくんの飛行機。
グラウンドからはるかにそれて、緑の崖のほうまで飛んでいき、
ストップウォッチを手にした先生があわてて飛行機の着地を確認しに行きました。
Nくんと数名が、わが井川東小学校を代表して、
地区の大会へ参加しましたが、結果がどうなったか、
報告があったと思いますがおぼえていません。
わたしはといえば、
運もあるし、
ひどく悔しい思いをしたというわけではありませんでしたけれど、
じぶんのつくった飛行機がごくふつうに終ってしまったのが、
ちょっとこころのこり。
それで、
五城目町にあるおもちゃ屋まで行き、
学校でつくったものと同じ手づくりセットを購入。
家にもって帰り、意識を集中し、
ていねいにていねいにつくりました。
材料は木と竹ひごと紙ですが、飛行機の重量をできるだけ軽くするために、
木と竹ひごはろうそくの火にあて、燃えない程度に焦がすなどの念の入れよう。
薄い半透明の紙を貼って完成。
さっそく外へ出、家の裏にまわりました。
プロペラを回してゴムを巻きます。
両手を添え、ひろい田んぼに向かって飛行機を放ちます。
旋回することなく、どんどん上昇し、田んぼをつぎつぎ超えていきました。
急いで飛行機を追いかける。
このまま飛んでいったら、端っこのたんぼを超えて、
大麦のほうまで行ってしまうんじゃないか、
なんて。
そんなことまで思いながら、追いかけていくと、そうはならずに、
やがて、色づいてきた稲穂がささやく田んぼに着地。
こんなに飛んでくれてありがとう。
なっとくのいく飛行に、満足したのでありました。

 

・あれをしてあれもこれもと梅雨晴間  野衾

 

帷子川の鯉たち

 

JR保土ヶ谷駅で電車を降り、保土ヶ谷橋方面に歩くのが帰宅のコースになりますが、
国道一号線沿いよりも、
交通量の少ない西口の階段を下りて歩くほうがこのごろ多くなりました。
階段を下りるとタクシー乗り場とバス乗り場。
ガラス窓の多い高いビルが一つありますが、ほかに高層の建物とてなく、
そのぶん、
空がひろがり、
いちにちの終りを感じさせてくれます。
生活雑貨全般をあつかう店が昨年八月に閉店し、
つぎにどんな店が来るのだろうと横目で見ながら歩くことになりますが、
いまのところ、決まっていないのか、
とくに目立った掲示も動きもありません。
さらに進むと、左手の線路を電車が走っていきます。
踏切手前、
帷子川(かたびらがわ)に橋が架かっていて、
遮断機が下りているときは、橋の上からしばらく川面をながめます。
大ぶりの鯉たちがゆらゆら泳いでいるのです。
このごろ、そこでパンをちぎって与えている白髪の女性をよく目にします。
カバンから食パンを取りだし、こまかくちぎって放り投げると、
鯉たちが大きく口を開け、
競うようにつぎつぎ食べていきます。
切っては投げ切っては投げ、すると、口を開けてパクリ、口を開けてパクリ。
その様子をとなりで見ていたら、先日、
「向こうにいるのは若い鯉たち」
と、ひとりごとなのか、
わたしに話しかけたようでもありました。うなずいて、
なおしばらく見下ろしていました。
このごろは、
二羽、三羽の鳩が女性の足下に寄ってきて、
こぼれたパンをついばむようになりました。女性は、
それと見て鳩にもパンをあげています。
音が切れ、ようやく遮断機が上がり始めました。

 

・紫陽花や水の宝石こぼれ落つ  野衾

 

このごろのリスくん

 

わたしの住んでいるこの山の上でよく見る動物に、台湾栗鼠がいます。
忘れられないのは、
三匹が電線をつたわって追いつ追われつ走り回っていた軽業師のようなリスくんの姿。
三匹をいっしょに見たのはそのときだけですが、
一匹を見るのはけっこうあるし、二匹を見るのもたまにあります。
先日、二階の通用口から会社をでたとき、
となりの結婚式場の垣根からチョロっとリスくん這いだして、
伊勢山皇大神宮の裏参道をゆっくりかけ上っていきました。
色、大きさからして、台湾栗鼠のようでした。
電線を走るときはかなりのスピードなのに、地上ではむしろゆっくりめ。
電線上だと、はやく走らないと落ちてしまうのかな。
それはともかく。
せんだっての日曜日、いただいた下駄を履いて近くの公園まで行き、
ベンチに腰かけ休んでいたとき、
みどりの蔦がからむフェンスでなにやら動くものを発見。
見ればリスくん。あれま、ここもきみのあそび場なんだ。なんだかのんびりだね。
ひとりかい? スルスル、ツー、スルリ。
さておとといの日曜日、
朝、窓が東に向いている部屋で本を読んでいると、
視界の端を横ぎる黒い影。
あたまにのせていたメガネをかけ動くものに目をやる。
あれ、とうとうベランダにも現れたか。
手すりの外の、崖に接する30センチほどのふちをしずかに歩いていきました。
電線にくらべれば、
リスくんにしてみたら30センチの幅はさぞ大道だろう。
遊んでいるのか、エサをさがしているのか、はたまた別の目的が。
というようなわけで、
このごろよく目にするリスくんです。

 

・夏服や雲とあの娘と青き風  野衾

 

下駄を鳴らして

 

ある方から下駄をいただきました。二枚歯。家人から受け取りすぐ手に持ってみて、
その軽さに驚きました。
しかも、下駄の台に歯をはめ込んだものにあらず、とのこと。
見れば、たしかに境い目がありません。
せんだっての晴れた日曜日、下駄を履いていそいそと外へ出ました。
ぎごちないわたしの歩き方をうしろから見ていた家人に言われ、
鼻緒をはさんでいた足指の力をすこし抜きました。
と、
歩をはこぶたびに、
カラン、コロン、カラン、コロン、カラン、コロン。
軽みのある、かわいた、なんともいい音。
アニメ「ゲゲゲの鬼太郎」のエンディング曲、
またにわかに、
かまやつひろしさんの「我が良き友よ」が口をついてでてきたり。
すぐ近くの公園まで歩き、
ベンチに腰を下ろしてあたりの風景に目をやる。さらに腕を組む。ほう、
あそこに藤棚が… 明治の文豪ミニ、
になった気分でありまして。
というようなわけで、
下駄の音に魅了されおりましたところ、
きのうの日曜日、午前中は雨もようでしたが、
午後からすっかり雨が上がり、日和下駄ならぬ下駄日和。
カランコロンと出かけましたよ。
こんどは少し脚を延ばし開いててよかったセブンまで。
アイスを買って復路にカラン。
心地よい下駄の音を聴いているうちにコロン、
俳句をはじめようと思ったきっかけも音であったと思いだしました。
あれは夏帽子にあたる雨の音でしたが。

 

・用もなく下駄を鳴らして梅雨晴間  野衾

 

第一次世界大戦のこと

 

『赤毛のアン』シリーズを読みながらいろいろ考えさせられましたが、
さいしょの世界戦争について、あらためて考えることになりました。
じぶんのことながら馬鹿だなぁと思ったのは、
はじめての総力戦である世界戦争が起きたとき、
それを第一次とはだれも呼んでいなかった、
ということ。
最初で最後と思っていたにもかかわらず、二度目が起きてしまったので、
ふりかえってみて、まえのが第一次。そうか。
そうだよね。

 

シグマンド・ノイマンが指摘するように、
ナチスの中心的な幹部たちはほぼ、1890年から1900年の間に生まれており
(ヒトラーは1889年生まれ)、戦争が決定的な影響を与えた世代に属していた。
1919年9月ヒトラーがナチス党(国民社会主義ドイツ労働者党。NSDAP。
マーザーによればこの名称は2月20日以降に使われ始める)
の前身ドイツ労働者党に入党する前には、党員は、労働者と手工業者とが多かった。
ヒトラーの入党以後は、とくに復員兵氏が目立っていた。
現役兵士の数は少なかったが、
この少数の現役兵士たちもヒトラーの強力な支持者であった。
ヒトラーの熱烈な後援者は、
いわゆる「塹壕共同体」「塹壕の友愛」の体験者であった。
(桜井哲夫『世界戦争の世紀 20世紀知識人群像』平凡社、2019年、pp.185-186)

 

桜井哲夫さんのこの本は800ページを超える浩瀚なもので、
『戦争の世紀』(1999)『戦間期の思想家たち』(2004)
『占領下パリの思想家たち』(2007)をベースにしつつも、
その後の多くの研究をふまえ、
大幅に書き直したものであると「あとがき」に記されています。
二度にわたる世界戦争のかんけいについて、教えられることが多々ありましたが、
この本を読むときに、
『赤毛のアン』シリーズで描かれる
アンの三人の息子たちの従軍とその後をかさね合わせることになりました。
モンゴメリさんは、
アンの子どもたちについても、
誕生からはじめて、ていねいに物語をつむいでいますから、
よけいにこころを揺さぶられました。

 

・鍼灸院出でて見上ぐる雲の峰  野衾