『鰰』の書評

 

図書新聞に拙著『鰰 hadahada』の書評が掲載されました。
書いてくださったのは、
学習院大学フランス語圏文化学科教授の中条省平さん。
本の書き手としていつも感じるのは、
書評や読後感を伺うことで、
こちらが意識しなかった、
あるいは
意識できなかったこと、ところに、
ひかりをあててもらえること。
本を読むのも書くのも、
自我を破り
自我を脱け出たいとねがう心ですから、
ほんとうに有難い。
コチラです。

 

・凍て空を遠ざかりゆく烏かな  野衾

 

ヒルティと奥邃

 

宗教などはなにも知らないと言う人の方が、
こんにちでは、喋々と信仰を告白する多くの人よりも、
内的にはよりいっそう宗教に近づいているのは何故か……
(カール・ヒルティ著/齋藤榮治訳『ヒルティ著作集 第二巻 幸福論 Ⅱ』
白水社、1958年、p.229)

 

新井奥邃のことばと響き合うことばであると感じます。

 

・操車場くねる線路の寒さかな  野衾

 

誤読

 

そこで私のおちんこでいった成行きは、
ちょうど結婚を申しこまれた相手にあれこれと難くせをつけずにいられない娘
のようなものになった。
不幸なことに、
たった一人の秘密の恋人を心に抱いているばっかりに――。
(エッカーマン著/山下肇訳『ゲーテとの対話(上)』岩波文庫、1968年、p.38)

 

一瞬のことでしたけどね。
上のような文言が目に飛び込んできて、
ん!?
と訝り、
目を近づけ見たのでした。
なんてこった。そりゃそうだよな。
ただしくは「おちこんで」でありまして…。
これぞ老人力、
あるいは無意識力。
トホホ。

 

・ふるさとはひかり轟く雪解川  野衾

 

記憶と想像力

 

記憶にもとづかない想像力がないように、
すでに想像力の側面を含まない記憶も存在しないのである。
記憶を呼び戻すという行為は、
同時にメタモルフォーゼである。
(編集/校閲 和泉雅人・前田富士雄・伊藤直樹
『ディルタイ全集 第5巻 詩学・美学論集 第1分冊』
法政大学出版局、2015年、p.492)

 

記憶の変成作用は、
としを重ねるほどにおもしろく感じられます。
今道友信さんの本のなかで、
外国の知人から告げられたとして、
「神の人間への最高の贈り物が自由意志であるのに対し、
人間の人間への最高の贈り物はよき思い出である」
ということばが紹介されていました。
長田弘さんの詩集に『記憶のつくり方』
がありますが、
記憶となる種は過去のある時点で蒔かれたとしても、
育たないで枯れてしまうこともあるでしょう。
生きてはたらく記憶は、
まさに今のわたしを生かしてくれます。

 

・節くれの指より落つる箸の凍て  野衾

 

一徹の貌

 

神田高等女学校の四年間、岩波は実に骨身を惜しまず、愛を以て生徒を率いた。
地方から来て英語のできぬ生徒の為に、
朝始業前に英語を講じてやり、
又特別講義として論語や聖書などを講じ、
その為には放課後遅くまで残ってプリントなどを作り、
寒い朝も休まず、この課外講義をやり、
その上教師が休むと岩波が進んでその補欠講義をやり、
又或る時は講義に夢中になって、教壇からおっこちたという風で、
自ら
「僕はみんなに教える時間が一時間でも多く欲しいのだから」
といっていた。
(安倍能成『岩波茂雄伝 新装版』岩波書店、2012年、pp.92-93)

 

岩波書店を創始した岩波茂雄の顔は、
写真で見て知っていたが、
若き日から生涯にわたって友人であったという安倍能成が書いた伝記は、
ひとについて語ることのおもしろさ、むずかしさ、ありがたさ
について、あらためて考えさせられた。
かならずしも全面的に褒めてはいない記述から、
だからこそかもしれないが、
かえって岩波への深い愛情がしみじみ読むものに伝わってくる。
岩波茂雄が学校の先生をしていたこと、
岩波書店の始まりが古書店経営だったこと、
それも、値引きをしない正札販売だったことなど、
知らないことの何と多いことか。
それにしても、
山口青邨の句にあるあのこほろぎの一徹のようなる貌をして
女学生たちの前で教壇から転げた姿を想像すると、
なんとも愉快で楽しい。
岩波茂雄は、
彼をきらいだというひとは
もちろんいたかもしれないが、
実際に接すると好きにならずにいられない、
どうやらそんな人だったようだ。

 

・農家在り雪に煙の白きかな  野衾

 

いのちあるものにとって歌とは

 

たとえば万葉集3433番

薪伐(たきぎこ) 鎌倉山の 木垂(こだ)る木を 松と汝(な)が言はば

恋ひつつやあらむ

 

『萬葉集釋注 七』のなかで、
伊藤博は、
「薪を伐る鎌、その鎌倉山の、枝のしなう木、この木を松
――待つとさえお前さんが言ってくれたら、こんなに恋い焦がれてばかりいるものかよ」
と訳した後で、
「もともと、伐採作業などの折に、
男たちによってはしゃぎ唱われた歌なのであろう」
と説明している。
民謡のようなものを想像すればいいだろうか。
だとすれば、
これは、
日本におけるいわばブルース、
ってことになるのかもしれない。
もうひとつ想像が及ぶのは、
宮澤賢治の「セロ弾きのゴーシュ」
にでてくるかっこうのことば。
セロを弾くのをやめたゴーシュに向かい、
かっこうが
「なぜやめたんですか。
ぼくらならどんな意気地ないやつでものどから血が出るまでは叫ぶんですよ」
このことばには、
洋の東西、古今を問わず、
にんげんがなぜ歌を詠い、唱い、歌うのか、
いのちあるものにとって
歌とはなにかを端的に物語っているように思う。
万葉集をそうした視点から見たとき、
〈古代の知的な文藝〉の世界を超えて
生の根源をたたえる普遍的なありようを示す千古の表現、
ということになりはしないか。

 

・帰郷終ふ上りホームの寒さかな  野衾

 

天気のごとく

 

いわゆる森田療法を創始した森田正馬(もりた しょうま)に関する本を読むと、
「あるがまま」ということばがたびたび登場します。
シンプルなことばだし、
あるがままといわれれば、
そうですか、
あるがまま、ね、はい、あるがままにやってますよ、
と、
べつに取り立てて問題にするようなことでもない気がします
が、
こんかい、
畑野文夫さんの『森田療法の誕生 森田正馬の生涯と業績』
を再読し、
「あるがまま」が
ことばそのものはシンプルでも、
そのことが指し示す内実は
抜き差しがたく切実で味わい深いものであると感じました。
AIによって人間が取って代わられることが夢物語でなくなった時代にあって、
きのうも天気予報は見事に外れ、
横浜地方は夕刻雨が降ってきました。
天気予報は、
当たることもありますが、今でもよく外れます。
おみくじよりは少しマシ、
でしょうか。
にんげんの喜怒哀楽の感情は、
天気のごとく予測不可能なところがあります。
コントロールが難しい、
もっといえば、不可能に近い。
コントロールが難しいのであれば、
コントロールしようとしないで放っておくしかありません。
そうすると、
いつしか、
これも天気のごとく、変化します。
永久に変わらぬ感情というものはありません。
ある感情にとらわれたとき、
それから逃れたくて
ああでもないこうでもないと考えたり、
逆にプラスの感情であれば永続させたいと願ったりしますが、
感情というのはつねに変化し、
とどまっていません。
怒りがもたげたら怒ったなり、
悲しみにとらわれたら悲しいなり、
喜びも楽しさも長つづきすることはない、
そういうことをどうやら森田は「あるがまま」と称んだようです。
さて3月29日(日)15時から春風社にて、
畑野文夫さんと
『森田療法の誕生 森田正馬の生涯と業績』をテキストに、
対談を行います。
興味のある方はふるってご参加ください。
スペースの関係がございますので、
参加ご希望の方はお早目に電話かメールでお知らせください。
ちなみに森田の名まえは、
辞書を引くと、
「まさたけ」となっているものもありますが、
「しょうま」であることが
畑野さんの本にくわしく丁寧に説明されています。

 

・古時計午前三時の淑気かな  野衾