個性はあとから

 

秋田魁新報の文化欄「ひだまり」のコーナーに、
「個性はあとから」の題で、
日ごろ考えていることの一端を書きました。
コチラです。
さいごから一つ前のセンテンスに「表現の普遍性」
という言葉を用いましたが、
これは、
いま「ディルタイ全集」の『詩学・美学論集』を読んでおり、
そのなかで、
ゲーテに関しディルタイがつかっていて、
腑に落ちたもの。
こういう機会が与えられると、
ふだんあまり使わないアタマが巡り、
かすみが晴れていくようにも感じます。

 

・哲学書ページ進まぬ目借時  野衾

 

時空を超えて

 

石走(いはばし)る 滝もとどろに 鳴く蟬の 声をし聞けば 都し思ほゆ

 

万葉集3617番。

伊藤博の訳によれば、
「岩に激する滝の轟くばかりに鳴きしきる蟬、
その蟬の声を聞くと、都が思い出されてならぬ。」
横浜から桜木町へ向かう電車のなかでこの歌を読んでいたとき、
ほんの数秒のことだったとは思うが、
ぐわんぐわんとうねるようにひびき渡る蟬しぐれの音を
たしかに聴いた気がした。
ふと目を上げ、
いまじぶんのいる場所と時間を確かめるように。
作者は大石蓑麻呂(おほいしのみのまろ)
天平18年(746)ごろ、
東大寺の写経師として出仕していたことが、
正倉院文書に載っているとのこと。
前後の関係から、
船旅をしてきて久方ぶりに陸上で聴く蝉しぐれだったらしく、
いっそうの感慨がもたげたとしてもおかしくない。
絵でなく写真でなく、
言葉によって、
言葉だからこそ伝えられるものがある。

 

・賑はひの果つる旅宿や霜の声  野衾

 

黒白猫

 

毎朝ソイツは現れます。
その子というにはふてぶてしいからソイツ。
黒と白のブチで、
白い面積の多いのはやさしい
なんてことを書いているサイトもありますが、
ほんとうだろうか。
あんまりやさしそうには見えないけど。
来るとかならずこちらを見、
じっと睨んで二秒三秒、
四秒はいることがない。
それからプイっ。
数歩歩いてそれから腹ばいになり、
間仕切りの板の下をくぐって隣へ消える、
ただそれだけ、
それだけのことなのだが…。
毎日のことなので、
だんだん待つような気持ちになってくる。

 

・梅東風や自転速度の増しにけり  野衾

 

「えらぶ」と「ならべる」

 

伊藤博の『萬葉集釋注』が八に入りました。
歌の解釈がなるほどと腑に落ちる
だけでなく、
子どもの頃からふつうに使ってきた秋田のことばが出てきたりして、
ハッと目をみはることがしばしば。
二重三重におもしろい。
ことばの伝播についても調べたくなります。
編集者の観点からいえば、
一般的な一首ごとの注解でなく、
意味のあるかたまりは歌群としてあつかい、
まずそのかたまりの意味を解き明かし、
そのうえで一首ごとの注解を加える形がとられているので、
なにをえらび、
どうならべるかの手本として読むことも可能。
「えらぶ」「ならべる」
これが編集という仕事の要諦と思われ、
さらに、
そういう見方をすれば、
編集だけに限らない射程の広い営みということになりそうです。

 

・朝(あした)に見夕べにもまた梅の花  野衾

 

声は顯す、言葉は隠す

 

よく見るテレビ番組がありまして、
ときどきそれに登場する女性の言葉が気になります。
なにを語っても、
意味する内容はふつうなのに、
なんとなく、
すべての言葉が嫌味にしか聞こえません。
ふと思い出したことがあります。
亡くなった祖母は、
テレビに歌手の青江三奈が登場すると、
この人は立派な人だ、
と言ってだまってじっとテレビ画面に見入っていました。
その時はどうしてだろうと不思議でしたが、
いま振り返れば、
あれは、
歌を通して、
青江三奈の声を聴いていたのだろうと想像します。
言葉はこころを隠し、
声はこころを顯します。

 

・レジ袋指に食ひ込む余寒かな  野衾

 

叡智の人・森田正馬にきく

 

このブログですでにお知らせしていますが、
来月29日((日))15時から、
春風社にて畑野文夫さんと対談を行います。
「叡智の人・森田正馬にきく」
そのレジュメができましたのでご覧ください。
コチラです。
畑野さんは若いころ、
森田の門下で入院森田療法を行っていた鈴木知準の医院に
79日間入院されました。
その体験が、
その後の人生に大きく影響したと伺いました。
なおかつ、
森田の残した日記を一年かけて丹念に読み込み、
2016年『森田療法の誕生』という画期的な本を執筆されました。
すでに申し込まれている方もおりますが、
ご興味のある方でまだの方はどうぞお早めに。

 

・影正し人事しづまる冬の暾  野衾

 

オートバイ乗りの夢

 

たまに、そうですね、
二年に一度か三年に一度ぐらいでしょうか、
大型のオートバイを所有している夢を見ます。
ハーレーダビッドソンほどではなくても、
排気量1000ccは超えるようなの。
かっこよく乗っているというのは少なくて、
ただ、
じぶんがそれを持っていて、
車庫においてあるとか、そんな感じの。
おとといでしたか、
めずらしくオートバイに乗って出かけ、気をよくしていたものの、
浮かれていたのか、
カギを抜くのを忘れたままオートバイを離れ、
ハッと気づいてその場に戻ったら、
オートバイはどこにも見当たらず。
近くにいたひとに訊いても首を横に振るばかり。
夢は急にしぼんで空の色までどんよりしてしまいました。
オートバイに限らず、
失くす夢、モノを忘れる夢が多い。
オートバイは、
実際には高校生の頃、
50ccの原付に乗っていたことがありました。

 

・春光や埃あらはれきらり消ゆ  野衾