プルタルコスさんを読むのは
京都大学学術出版会から出ているプルタルコスさんの『英雄伝』はぜんぶで六冊。
1から3までは柳沼重剛(やぎぬま しげたけ)さんが訳されていますが、
2008年7月29日に柳沼さんが他界されたので、
4から最終6までは
城江良和(しろえ よしかず)さんが訳されています。
第1巻の巻末に解説が付されており、
柳沼さんのそのことばが、
いまのわたしにはとても貴重に感じられます。
プルタルコスのは学問とは違う何か、
おそらく「教育」と名づけるほかない営みだと思える。
そしてそこで大いに発揮されているのは、学問的追求よりは教育的熱意であり、
根幹をなすのは、常に変わらぬ常識である。
プルタルコスは学者・研究者であるよりは常識に富んだ教育者であった。
常識という言葉は、
多くの場合軽蔑のために使われる。
「そんなのは常識だ」とか、
「単なる常識で深みに欠けている」とか。
深みに欠けるぐらいなら、即座に認めてもよいが、
「それは常識にすぎない」
と大威張りで言えるほど、人は常識をもっているとは私には思えない。
人が信じているよりはまれにしか常識人はいなくて、
だから、
そういう人と話をする、
あるいはそういう人の話を聞くときは、
完全にこっちの身をその人なりその話なりにあずけてしまって、
安心し切って話をしたり聞いたりする
ことができる。
するとこっちはいい気分になったり楽しくなったりする。
プルタルコスを読むのは、
そういう経験をすることだと私は思っている。
(プルタルコス[著]柳沼重剛[訳]『英雄伝 1』京都大学学術出版会、2007年、
pp.439-440)
『エセー』を書いたモンテーニュさんが愛読し、
「万の心を持つ」作家といわれるシェイクスピアさんが英語訳で読んでいた
というのも宜なるかな、
であります。
時代はいっそう加速度を増しているようにも感じられますが、
だとすれば猶のこと「常に変わらぬ常識」が
いぶし銀のごとく、
しぶく光を放ってくるようです。
・消防団出でて集ひぬ藥喰 野衾

