人間の声の大きさ

 

演出家で恩師の竹内敏晴さんと話をしていたとき、
談たまたま竹内さんの『ことばが劈かれるとき』(思想の科学社、のちに、ちくま文庫)
に及び、
竹内さん曰く、
本を読んでくれた人の感想をいろいろ聞いたり、読んだりしたけれど、
けっきょく、本のなかのエピソードに尽きる、
エピソードの力を改めて感じさせられた、
というようなお話でした。
プルタルコスさんの『英雄伝』を読んでいても、
なるほど、くわっ、と眼を大きく開き、文章を二度見、三度見するのは、
そこに記されたエピソードでありまして、
いろいろ想像力が刺激されます。

 

ギリシアが、自由という希望のもとに、長い間戦った戦争がやっと終わって、
今や確実と見えた平和をことほいで、
久しぶりにイストミア競技会が開かれて、
大勢の人々が競技場に座って見物していると、
高らかにラッパが鳴り響いて、一同に、口を閉ざしてよっく承れと合図した。
すると伝令使が中央に進み出て、
ローマの執政官にして将軍ティトゥス・クィントゥス閣下は、
ピリッポス王率いるところのマケドニア軍と戦って
打ち負かし、
よってコリントス人、ポキス人、ロクロイ人、エウボイア人、アカイア人、
プティオティス人、マグネシア人、テッサリア人、ペライビア人
をば解放して自由の身となし、
マケドニアの守備隊は撤退せしめ、
向後こうごは貢ぎ物を納める要なきこと、
および、諸国に父祖の法を用いるべきこととし給うた、
と告げた。
しかしはじめは、すべての人々にはっきり聞こえたわけではなく、
競技場はてんでんばらばらにわあわあいう騒ぎになった。
人々は驚いて、
もう一度布告を言ってくれと頼んだ。
静粛になると伝令使は一段と声を張り上げて、全員に聞こえるように告げた。
そしてその布告が終わると、
人々の歓声が信じられないほどの勢いで海に達した。
見物していた人々は総立ちになり、
競技の選手が何をしているかなどはもはやどうでもよくなって、
皆が皆、一人のこらず、夢中になって跳び上がり、
ティトゥスに手を差し伸べて、
ギリシアの砦、救済者と呼んだ。
このとき、
それまで人間の声の大きさについて、しばしば大袈裟に語られていたことが、
現実となって人々の目に見えた。
たまたま上空を飛んでいた烏どもが、競技場に落ちて来たのである。
その原因は、
上空の空気が割れたことにあった。
大勢の人々の大きな声が上空に伝わると必ず、
そのために空が裂けて、
飛ぶものを支え切れなくなり、烏どもは、陥没にはまり込んだように滑り落ちた
のである。
もっとも、それこそ矢でも飛んで来て、
それに打ち落とされて死んだのかもしれない。
あるいはまた、
海の波があまり烈しいと、
回転して逆流を起こすように、上空の空気が渦を巻いた、
ということもあり得る。
(プルタルコス[著]柳沼重剛[訳]『英雄伝 3』京都大学学術出版会、2011年、
pp.154-155)

 

あと三巻ありますけれど、
『英雄伝』を読み終え何年たっても、
戦争が終わったことを伝令使から告げられた競技場の人々の歓声の大きさによって、
空を飛んでいた烏が地に落ちて来たというエピソードは、
ほかのすべてを忘れても、
おそらく忘れないと思います。
というか、
プルタルコスさんといえば、
まずこの話を思い出すにちがいありません。
小学三年生のとき、
好きだった川上景昭(かわかみ かげあき)先生の怖い話とおんなじように、
忘れない。
本を読むのは楽しい。

 

・再校を送付して来る年の暮  野衾