ルターの本気

 

宗教改革の立役者マルティン・ルターの著作のなかから
「95か条の提題」「キリスト者の自由」など、
主な作品をえらびまとめたものが
『ルター著作選集』として教文館からでている。
そのなかに、
「ヴィッテンベルク版「ドイツ語著作全集」第一巻序文 1539年」
が入っており、
その冒頭に置かれている文言に刮目した。
いわく、
「私の切にねがっていることは、私の書物がことごとく捨てられて、
消滅してしまうことである。」
なぜなら、
ひとびとが聖書のほかに多くの書物を無差別にかき集め、
大きな書庫に入れ、
肝心かなめの聖書は腰掛けの下に
ほこりにまみれ忘れられるにいたったからであると。
パウロの精神をまっすぐ受けつぎ
腐敗したキリスト教界に旋風を巻き起こしたルターの
本気がうかがわれる
切っ先鋭い内容の文章に触れることができた。

 

・長き尾を針金のごと冬の猫  野衾

 

不舎昼夜

 

ある日の喫茶店。
チャイをたのみ読みかけの文庫本をひらいていましたら、
すぐ隣の席に
スーツ姿の男女が来ました。
「どうぞそちらへ」
中年の男性が、
黒髪の若い女性に窓側の席を勧めました。
ことばづきから会社の上司と部下ではなさそうです。
女性の飲み物を訊き、
じぶんのものとふたつトレーにのせて持ってきました。
男性がたのんだ
カップ満杯のカプチーノには
かわいいハートマークの
ホイップクリームが浮いています。
男性は、
やおらノートパソコンを取り出し、
「それでは面接をはじめます」
ああそういうことだったのね。
耳を澄ませていたわけではありませんが、
手を伸ばせばとどく距離ですから、
細かい話はわからなくても、
おおかたのことは了解できます。
男性が質問し女性が答える。
文庫本に集中しようとするのですが、
申し訳ないと思いながら、
どうも気になる…。
女性が発した「ダブルワーク」なる単語が耳に留まりました。
はっきりと
今の勤めにプラスして
もうひとつ別のところで働きたい旨を告げました。
男性はそのことを受けて条件を示しています。
そのやりとりが
とても印象にのこりました。
受けるほうも雇うほうも、
ひとところで
という前提はもはや無くなっているのかもしれません。
まさに不舎昼夜、
時代は移り変わります。

 

・冬の朝はずむ厨の音をきく  野衾

 

有朋自遠方來

 

例年この時期になると、
高校以来の友人が勤め先のカレンダーを持って訪ねて来てくれます。
高校一年生のときから、
陸上競技部でもいっしょでしたし、
学部は違いますが
大学もいっしょ。
桜木町駅で待ち合わせをし、
野毛の福家さんへ。
かれと話そうとすると、
つい、
秋田なまりがでてしまいます。
かれの顔を前にして
ヒョウジュンゴで話すのは、
なんとなく他人行儀な感じがし
なによりもじぶんがたのしくありません。
わたしは文系、かれは理系ですが、
そんなことはつゆ関係なく、
会えばすぐに意気投合、
苗字でなく名前で呼び合っているうちに
いつしか、
年をかさねた少年がふたり笑いあっています。

 

・嘘のなき世は来らずや初日の出  野衾

 

バーゲンセール

 

最初にお断りしておきますが、
夢のはなしです。
初夢ではありません。
すでに変なのから愉快なものまで
いろいろと見てますので。
しにせの古書店が開催するバーゲンセールの夢でした。
おおきな古書店で、
フロアが三階まであり、
どの階も本の数に匹敵するぐらいの人の数。
立錐の余地もないぐらい。
気に入った本をすでに何冊も抱えているひとがあり、
すれちがうこともままならず。
わたしも
欲しい本を数冊見つけ持ち歩いていたのですが、
値札を見ていなかったことに気づき、
ひょいと見た。
一冊が七万円、もう一冊が八万円、
さらに上下巻で持っていた二冊は合わせて十一万円、
ギョギョギョとなって、
あわてて返却
しようとしたら、
店の人に理由を訊かれたりしてどぎまぎ。
しどろもどろになりながらも
なんとか返すことができ、
買わずに済みました。
さて二階も見てみようかな
と階段にさしかかったときのこと、
上から連なって下りてくるひとのなかに
見覚えのあるひとがいて、
よく見たら
業界紙のAさんで、
「あれ、Aさんじゃないですか」
「あ。みうらさん」
「もうお帰りですか? ずいぶん買い込みましたね」
「あ、はい。もうすぐ銀行が閉まってしまうもので…」
「そうですか」
Aさんは下から上ってくるひとにぶつからないように、
買った本を大事そうに抱えながら
ゆっくり階段を下りてゆきました。
Aさんと別れたあと、
わたしは二階に上っていったはずですが、
それからのことはどうにも思い出せません。

 

・初春や祖母も来てをり竈神  野衾

 

プラテーロとわたしとわたし

 

『プラテーロとわたし』という本も、
それを書いたスペインの詩人ヒメネスというひとも知りませんでした。
もう四十年ちかくまえのことになります。
プラテーロとわたしも
ヒメネスも
シンプルで覚えやすく、
それにこちらのわたしも若かったので、
忘れずに来ました。
が、
名前を知っているだけで、
買うことも読むこともなく月日が過ぎていきました。
二〇一一年、
東日本大震災があった年に
新刊案内のニュースか何かで、
新装版がでることを知りさっそく求めました。
が、
それでもまだ読まずに
自宅の本棚に置いたきり
月日ばかりが過ぎていきます。
そしてきのう、
初めて読みました。
なんでいままで読まなかったのか
と思うぐらい
のもので、
ふと時計を見れば
すでに夕刻でもありましたから、
のこりのページは
つぎの休日の楽しみに
とっておくことにしました。
「プラテーロは、小さくて、ふんわりとした綿毛のロバ。」
訳は伊藤武好さんと伊藤百合子さん。
絵は長 新太さん。
訳も絵もすてきです。
「スペイン語で銀はプラータといいます。そこでプラテーロの名は、
銀のようなというひびきをもっています。」
と注に書かれています。
帯には
「これはたぶん、私の知る限りもっとも美しい書物です。」
江國香織さんのことばが引かれています。
時間はあっという間です。

 

・これほどの日和のなかの初湯かな  野衾

 

謹直なユーモア

 

東京の出版社に勤めていたとき、
『奥邃廣録』の復刻につづき企画編集したのが
かつて警醒社からでていた山川丙三郎訳『ダンテ神曲』の複製版。
『奥邃廣録』が案外売れたので
割とすんなり社長がOKしてくれたのだった。
そのパンフレットにのせるため作家の大江健三郎さんに推薦文を依頼したところ、
快諾してくださり、
ありがたい文章をいただいた。
そのなかにつぎのような文言があった。
「文体のおだやかな威厳。
生真面目でいて、
この訳者には謹直なユーモアとでもいうものがあったはず
と感じさせる言葉の選び方。」
謹直なユーモア。
つつしみぶかく正直であってなおかつユーモアがある…。
大江さんは山川に会ったことはないはず。
山川の日本語からそう感じたのだろう。
さて、
ただいま『新井奥邃選集』(仮題)編集のため、
コール ダニエルさんがえらび入力してくださった奥邃の文章を
すこしずつ読み進めている。
仕事でありながら、
文の気とでもいったものに触れることができ、
こちらの気も晴れていくようだ。
吉川幸次郎の言い方になぞらえていえば、
わたしは奥邃を読むためにこの世に生まれてきたと思いたいぐらいだ。
きのう読んでいた文章にこんなのがあった。
「悔悟は何の益ありや、悔悟の益は其善実を結ぶ所に在り。
若し其善実を結ばずんば百度悔ゆるも何の益なし。
盗賊は休業すと雖も盗賊なり。
若し悔いて復盗まざるも、
盗賊の性根にして其中に存せば、休業の盗賊のみ。良民に非ざるなり。」
ここにさしかかったとき、
つい声をだして笑った。
笑ったことでその分、また気が晴れた。
そして、
大江健三郎さんが山川の文体を評していった言葉を思い出した。
謹直なユーモア。
一流の作家というのは、
書くだけでなく
読み巧者でもあって、
文章からそれを書いた人間を洞察するのだろう。

 

・学業と部活合間の初バイト  野衾

 

トイレの蜘蛛2

 

自宅のトイレで見つけた蜘蛛について
先月この日記に記しましたが、
けさ起きてトイレに行くと、
いました。
奇妙な夢を見ていたせいで
頭がぼーっとしていた
のですが、
蜘蛛くんのおかげでスッキリシャッキリと。
それにしても、
この蜘蛛くんを見るといつも思うのは
いのちの不思議。
透明にちかいちっちゃなからだで
あいまいなところがこれっぽっちもなく、
これのどこにいのちが宿っているのか
と、
つい見てしまいます。
感情ってものはあるのか知らん?
いやいや、
その疑問はおそらく
こちらが勝手に蜘蛛くんにおっかぶせているだけで、
ただいのちそのままの蜘蛛くんにしてみれば、
不思議そうに眺めているこのわたし
の方こそちゃんちゃら可笑しい
のかもしれません。
だんだん親しみがわいてきます。

 

・十七の肩も凝るなり初日の出  野衾