『エドワード・トマス訳詩集』3
『エドワード・トマス訳詩集』には「ふるさと」と題された詩もあります。
ふ・る・さ・と、とゆっくり声に出してみる。
くにはちがっていても、
そこに息づくいのちと風景へのまなざしに共感をおぼえます。
昔よく通った道だった。
でも今、ここ以外へは行ったこともなければ
行くこともできないように思えた。
ふるさとだった。ひとつの国民性を、
僕と歌う鳥たちは 共有していた。
ひとつの記憶を。
鳥たちは僕を歓迎してくれた。その晩
どういうわけか、どこか遠くから戻ってきた僕を。
四月の霧、冷気、穏やかさは
僕たちにとって 慣れ親しんだ心地よい
同じものを意味していた。よそよそしくはあったが、
垣根はなかった。
小道の樫の梢で、ツグミが
最後の、あるいは最後のひとつ前の歌を囀《さえず》った。
その歌が終わると、楡の梢で
別のツグミが、その最後の歌を
囀り始めた。彼らは僕と同じく
一日が終わったことを知らずにいた。
農夫がひとり、暗がりに沈む白い小屋の前を
歩いていった。その歩みは遅く、
半ばくたびれ、半ばのんびりとして見える。
静けさのなか 小屋から聞こえてきた
のこぎりを引く音が、沈黙の語ることすべてを
朗々とまとめあげた。
(エドワード・トマス[著]吉川朗子[訳]『エドワード・トマス訳詩集』
春風社、2015年、pp,186-188)
なんどか読み返しているうちに、道の曲がりや、光とか、ツグミの姿が目に浮かび、
うす暗がりのあたたかさがつたわって来るようです。
詩が、沈黙のひびきと
沈黙の語ることばを聞かせてくれるものであることを、
この詩は思い出させてくれます。
・春分の散歩の道と栗鼠と鳩 野衾

