無意識の発見

 

意識の下にあって
意識よりも広く深い領域を指す心理学用語として
いまでは日常会話の中でも
ふつうにつかわれている「無意識」
ですが、
ふるくからあった概念かと思いきや、
そうではなく、
割と最近、
催眠術・磁気術などを通して、
十八世紀ごろに起きてきた考えであることを
初めて知りました。
アンリ・エレンベルガー著『無意識の発見』(弘文堂、1980)
エピソードをふんだんに取り入れ
緻密に論じて飽きることがない。
上下二巻で1100ページを超える大著ながら、
木村敏、中井久夫をはじめ、
日本における精神医学の精鋭たちの共訳。
訳もすばらしい。
大げさでなく下手な小説より面白い!
フランスの心理学者・精神医学者のピエール・ジャネが
コレージュ・ド・フランスに就職する際、
ジャネの畏友でもある
哲学者ベルグソンの推薦があった
などというのも、
時代の空気がうかがえて楽しい。
お勧めです!

 

・いぼむしり行きつ戻りつ進みけり  野衾

 

きょうは晴れ

 

よく見るテレビは天気予報と旅歩き。
天気予報はどの局でもやっていて、
内容がほとんど同じであるにもかかわらずつい見てしまいます。
しろうと考えですが、
にんげんの行動とおなじく、
いつの時代になっても
予報ほどむつかしいものはない。
台風ひとつとってみても進路の予測はむつかしく。
さてきょうは晴れ。
洗濯日和
と予報士のお姉さんが言っていました。
週末は雨模様。

 

・秋の灯や足裏(あうら)の闇の深まりぬ  野衾

 

猫山

 

わたしが住んでいる山には野良の猫がけっこうおりまして、
エサは上げずに声だけかける。
「おはよう」
「……」
「元気か?」
「……」
「寒くなったな」
「……」
「こたつでまるくなるタイプのおまえにはきつかろう」
「……」
「え、野良だから。そうか。なるほど」
「……」
「エサはあるのか」
「……」
「じゃあな。風邪ひくなよ」
「……」
猫のことばを知らないわたしは、
一方的に
ニンゲンのことばで話すしかなく、
その間、
猫はだまって
こちらを見ているだけ
ですが、
目をそらさぬところをみると、
まあ、話の主旨というか
傾向はおおむね分かっているのかもしれません。
通り過ぎて振り返ると
まだ見ていたりしますから、
きっとそうなのでしょう。

 

・程ヶ谷を過ぎて秋踏む足裏(あうら)かな  野衾

 

一気呵成

 

依頼された原稿を
粗いものではありますが、
土、日、月の三日間をつかい四千字ほど書き上げました。
だいたい目標の数字です。
へろへろになり、
とくにきのうは一日
アタマがロックしていた。
ひとそれぞれ
書き方はいろいろだと思いますが、
わたしの場合、
与えられた、または自分で設定したテーマについて、
まずは飯を食う間も惜しむ(食いますが)
ように
一気呵成に書き上げます。
てにをはがおかしかったり、
繰り返しがあったり、
ときどき
なにを言わんとしているか
じぶんでも分からなくなったりしますが、
そんなこと
とりあえずおかまいなしに、
どんどん書いていく。
書いて書いて書きまくる。
その勢い、スピードだけを尊重しつつ。
出来上がったものは
とうていひと様に読んでもらえるようなものではなく、
それでも、
こうやって書くと、
どこでじぶんが飾ろうとしているか、
どこで嘘をついているか、
つこうとしているか、
なにがオブセッションとなっているか、
などなど、
ふだんの生活でなかなか気づきにくいことが、
ちょいちょい現れてくる気がします。
心理学でいうところの自動書記みたいなものかもしれません。
その後何度も、
日を措き、場所を変えて
推敲します。
分量にもよりますが、
経験上、
勢いをもって書いたものでない場合、
推敲しているうちに
ひょろひょろ痩せた文になってしまい
読んでいて
なによりじぶんが面白くない。
なのでまずは、
何はなくとも一気呵成。

 

・秋澄みて厨(くりや)の音の高きかな  野衾

 

虎杖

 

こんどは虎杖。
虎の杖ってなんだよ?
『新編 飯田蛇笏全句集』(角川書店)をちょこちょこ読んでいるのですが、
まあむつかしい漢字がよくでてきます。
むかしのひとだから仕方ありませんが、
ふりがなを振ってほしかったよなぁ。
漢和辞典では調べようがないし。
こういうとき
インターネットは便利。
虎と杖を順に入力すると…。
あったあった!
そうかイタドリか。
イタドリが虎の杖。
さらに疑問は広がります。

 

・篁(たかむら)の横に腹這ふ猫の秋  野衾

 

あいさつ少年

 

三日前のことになりますが、
保土ヶ谷橋から路地に入って
急階段をえっちらおっちら上りきり、
さらに坂道を歩いて
右に大きくカーブしたあたり、
「こんばんは!」
と声をかけられました。
「あ。こんばんは」
少年はそのまま坂を下りていきました。
ちょっと驚いた。
なぜあいさつしてきたのでしょう。
ごくあたりまえのような
「こんばんは」
いや、
少年にとって
「ような」ではなしに
ごくあたりまえだったのでしょう。
面識はなくとも、
あの時間に歩いているのは近所の人にちがいないから、
いやそんなことを考えることなく、
ふつうにあいさつしてくれた
のかもしれません。
とにかく気持ちよかったです。
おそらくこの少年、
このごろは朝六時半に「行ってきます」と
大きな声で言って家を出る彼でしょう。
声がわたしの部屋まで聞こえてきます。
何年か前までは
七時半ごろでした。
部活動の朝練習でもするようになったのかと想像していますが、
あの少年にちがいありません。

 

・吹く風の落ちてかそけき暮れの秋  野衾

 

山茶始開

 

きのうは立冬。
今週は第五十五候の「山茶始開」
つばきはじめてひらく。
いよいよ冬支度の季節です。
おととい税理士の先生が来られ、
第十九期決算の中間報告をつげられました。
細かいことはともかく、
売り上げを始め
かなりいい数字であることが明らかになりました。
みんなで知恵を出し合ってきたことの証です。
二十年やっていますので、
直感で
だいたい分かるようになってきました。
経営の才覚がありませんから、
経費と売り上げがほぼほぼトントンになるように
というのがわたしの考え。
資本主義経済においては
拡大再生産が基本かもしれませんが、
マルクスも
そう言っていますけれど、
単純再生産でいいと単純に思っています。
単純愚直に、
量的な拡大を追わずにつづけることが
質的な向上を産むはずである
と信じています。
みなさま、これからもよろしくお願いいたします。

 

・はしやぎての後ろはたれの秋深し  野衾