精神の土台

 

哲学の本はどれもむずかしく、なにが書かれているのか分からなくなる
ようなときがあり、
ちょうど、初めて来た土地で道に迷ってしまった、
そんな気持ちになることもあります。
でも、それは、
著者が感じているところをことばにし、
ことばを用いてことばによる新しい風景を紡いでいるわけなので、
そう思ってあきらめずに歩いていると、
だんだんおもしろくなってきて、
さらに歩いて行くと、
いままで見たことのない初めての景色がそこに広がっている、
なんてことがありまして。
むずかしいことばを使う哲学者たちだって、
考えてみれば、
さいしょはアーアーとかウマウマとかマーマーとかのいわゆる喃語から始まった
のでしょう。
それから始めて
あんな巨大な伽藍を作ってしまうんだから、
大したものです。
哲学の本を読みながら、
巨大な伽藍を外から内から眺めているうちに、
建物の構造を成り立たせている土台のところはどうなっているんだろう、
そのことが気になってきます。
少年少女のころ、
なにを視、なにを聴き、なにに触れ、なにを感じ、なにを考え、
なにに感動し、なにに怒りを覚え、
どんな風に生きたのか、
それがきっとのちに創り出すことになる構造物の土台を形成しているに違いない、
そんな思いがもたげてくると、
伝記に手が伸びます。

 

五月二十八日、メスキルヒで葬儀が行われた。
ハイデガーは教会の懐に還って行ったのだろうか。
マックス・ミュラーが語っているところでは、
ハイデガーは遠出をしたときに教会や礼拝堂にやって来ると、
いつも聖水を受けて片膝をついてお祈りしたという。
あるときミュラーがハイデガーに、
あなたは教会のドグマから距離を置いてきたというのに、
これは首尾一貫しないのではないか、
と尋ねたことがあった。
ハイデガーの答えはこうであった。
「ものは歴史的に考えねばならない。そんなにも多くのお祈りがなされた場所には、
神々しいものがまったく特別な仕方で近くにいる」。
(リュディガー・ザフランスキー[著]山本 尤[訳]
『ハイデガー ドイツの生んだ巨匠とその時代』法政大学出版局、1996年、p.631)

 

・東海道宿場をつなぐ夕立かな  野衾

 

こんな連想も

 

いつからか…、なんて書き出しましたが、実ははっきりと覚えていて、
高校の教員をしていたころのこと、
三年生のための一泊二日の卒業修養会の帰りのバスのなかで観たのがきっかけで、
『男はつらいよ』が好きになったのでした。
以来、
ことあるごとに観てきました。
どうにも精神状態がよくないときに、
土日をかけぶっつづけに八本のDVDを観たこともあります。
わたしにとりまして、寅さんは、じわり、
精神の漢方薬、かな、と。
さて。
第22作『男はつらいよ 噂の寅次郎』に、
寅さんが静岡県島田市にある蓬莱橋(ほうらいばし)を渡るシ-ンがあります。
季節は秋。
ホームページによりますと、
蓬莱橋は、
大井川にかかる日本一長い木造の橋。
全長897.4メートル。
橋上、大滝秀治さん扮する坊さんと寅さんがすれ違う。
坊さん、振り向きざま
「もし。旅のお方。まことに失礼とは存じますが、
あなたお顔に女難の相が出ております。お気をつけなさるように…」
と告げます。
寅さん、あわてずさわがず、
「わかっております。物心ついてこの方、そのことで苦しみ抜いております」
二人は反対方向に歩一歩と離れていく。
こころに残る名場面。
とこう、
また寅さんのことを思い出して書きましたのは、
ただいま小学館から出ている『新古今和歌集』を読んでおりまして、
順序としては、
そのなかの953番の藤原定家さんの歌によって、
連想が喚起されたからであります。
その歌というのは、

 

旅歌たびのうたとてよめる

という詞書が付された

旅人の袖そで吹きかへす秋風に夕日寂さびしき山の掛橋かけはし

 

というもの。
校注者である峯村文人(みねむら ふみと)さんの訳は、
「旅人の袖を吹き返している秋風の中で、夕日が寂しくさしている山の掛橋よ。」
となっています。
峯村さんのコメントとして、
「旅人が、夕日のさす山の桟道《さんどう》を、
秋風で袖をひるがえしながら渡っている。
夕日の色が、孤独な旅人の姿を浮彫にしている感がある。」
建久七年(1196)九月の「百二十八首和歌」中の秋の歌の一首ということですが、
峯村さんのコメントともあわせ、
八百年のときを超えて、
さびしい旅人の姿がほうふつとなり、
すぐに寅さんのシーンが思い出されたのでした。

 

・境内のうずくまる背に蟬の声  野衾

 

意外なサッカー好き

 

どの時代のどんなことをした人かにかかわらず、伝記、となると気になって、
けっこうな数を読んでいると思いますが、
ていねいに調べ記された伝記だと、
へ~、そんなことがあったの、知らなかったぁ、
と感じることがしばしば。
ですが、
なかでも、
ほんのちょっとしたエピソードなのに、
その人に対してこれまで持ってきたイメージをさらに味わい深いものにしたり、
場合によっては、
変ってしまうことがあったりし、
そうなると、
ますます伝記が面白くなり、好きになります。
それは、
ふだん付き合っている知人・友人の、
ちょっとしたことばや、ふるまいによって、
イメージが深まったり変り得ることと同じようです。

 

ハイデガーは今は威厳のある老紳士になっていたが、
かつての不愛想で手厳しいところはなくなって、
すっかり角が取れていた。
近所へ出かけて行ってサッカーのヨーロッパ杯をテレビで見ることもしばしばで、
七〇年代初めのハンブルクSVとFCバルセロナとの伝統的な試合
のときには昂奮して
コーヒーカップをひっくり返した
こともあった。
フライブルク劇場の当時の支配人が列車の中で彼と出会って、
文学や演劇の話をしようとしたが、
ハイデガーはそれには乗ってこなかった。
彼はサッカーの州対抗試合に心を奪われていて、
フランツ・ベッケンバウアーのことを話したかった
からである。
彼はベッケンバウアーの感情豊かなボール捌きを最大級に賛嘆していて、
ベッケンバウアーの華麗な技巧を説明しようとして、
支配人を驚かせている。
ハイデガーはベッケンバウアーを「天才的なプレーヤー」と呼び、
一対一でボールを奪い合うときの
「危険を恐れぬ大胆さ」
を賞賛した。
ハイデガーは自分に専門家の判断ができると信じ切っていた。
かつてメスキルヒでは教会の鐘を撞いただけではなく、
サッカーでレフトウイングとして活躍したこともあったからである。
(リュディガー・ザフランスキー[著]山本 尤[訳]
『ハイデガー ドイツの生んだ巨匠とその時代』法政大学出版局、1996年、p.624)

 

・クリニツク出でて降りくる蟬の声  野衾

 

悲しいときには

 

エミリー・ディキンソンさんの詩のなかに、わたしが好きな詩があります。
その詩を読むたびに、
国語教育で著名な大村はま(1906-2005)さんのことを思い出します。
大村さんに直接お目にかかり、
赤羽の居酒屋でしたしくお話を伺うことができたのも、
この仕事をしていることの賜物であるかとありがたく思います。
たしかその時だったと記憶していますが、
こころが悲しみに満ちているときには、
明るい場所では癒されない。
むしろ、
暗いしずかな場所に居て癒されることが多い。
そんなふうに語ってくれました。
それは、
塩鮭の塩を抜くのに、
真水によってではなく、塩水によって行うのに似ている……。

 

 

傷ついた鹿              エミリー・ディキンソン

 

傷ついた鹿は一番高く躍り上がると

狩人のいうのを聞いたことがある

それはただ死の法悦にすぎなく

やがて叢くさむらは静かになる

 

砕かれた岩はいずみをほとばしる

踏まれた鋼はがねは跳ねかえす

頰は病に冒されると

かえって紅くなる

 

陽気は苦悩のよろい

なかでそれは注意ぶかく守っている

だれかが血を見付けて

“傷ついている”と叫ばないように

 

 

日本語訳は新倉俊一さんによるものです。
こういう詩を読むことで、わたしの中の、あるこころが癒されます。
こういうことばをつむいだということは、
エミリーさんもまた、
人生の中で、
人知れず傷ついていたのかと想像します。

 

・引き出しの匂ひ袋や用忘る  野衾

 

最後まで読まない本

 

興味や関心のおもむくまま、一気に読む本もありますが、
なかには、
途中まで読んで、
じぶんが電池切れみたいになって、
あるいは、
ほかの本へ興味がうつり、そちらの本をつい読んでしまう、
ということも間々。
それで、
途中までで止めていた本を再度取りだしては、
ためつすがめつ眺め、
おもむろに読み始めることになる
わけですが、
こまかいことは忘れているのに、
記憶の容器の底の方に、
しばらく前に読んでいたことの経験が滴り、
それが透明な水になって残っているようにも感じられ。
そんなイメージが浮かんだのは、
さきごろ、
ハイデッガーさんに関する伝記を読んでいた
のですが、
途中で止めて、
きのうここに引用した、
渡邊二郎さん訳のハイデッガーさん著『「ヒューマニズム」について』
を読みだし、
そちらの方を先に読み終え、
ふたたびこの伝記に戻ってきたら、
読み始めのところの文が、ぐっとこころに沁みてくるようで、
予期せぬ連関が生じ、
これは『「ヒューマニズム」について』を挟んだことによる効果かとも感じられ、
最後まで読まないで、
寝かせておくのも悪くない、おもしろいと思いました。

 

存在を経験するとは
――これまでにわれわれはそれが何かを見てきているのだが――
より高い世界を経験することを意味するのではなく、
現実が汲み尽くせないものであることを経験すること、
人間のいる現実の真中に自然がその目を見開き、
自分がそこにあることに気づく「開かれた場所」が開かれるのに驚くことを意味する。
存在を経験することによって、
人間は自らを活動空間として発見する。
人間は存在するものの中に捕らわれ、虜になっているのではない。
車輪が動くためには轂の部分に「遊び」がなければならない
ように、
人間ももろもろの事物のただ中に「遊び」をもつ。
存在の問題は結局、
「自由の問題」だとハイデガーは言う。
(リュディガー・ザフランスキー[著]山本 尤[訳]
『ハイデガー ドイツの生んだ巨匠とその時代』法政大学出版局、1996年、p.446)

 

ところで。
片仮名のハイデッガーとハイデガー。
どちらかというと、わたしとしては、ハイデッガーと促音の「ッ」を入れたい。
なぜならば、
ハイデガーだと、どうしても、
わがふるさとことばの「歯、いでがー(痛いか)?」
のイメージがもたげてくるから。

 

・パイナツプル飴の友や半夏生  野衾

 

「存在の真理」へ

 

「存在」ということば、日常的にも割とつかわれていると思うのですが、
ハイデッガーさんにとっての、となると、
急に身構えてしまいます。
ハイデッガーさんといえば、
なんたって、『存在と時間』の著者ですから。
さて、その「存在」。
目の前の机もノートも本も、スマホもメガネも、コーヒーカップやテーブルクロス、
リンゴやミカン、帽子や腕時計、もう、なにもかにも、
目に見えるもの、耳に聞こえてくるもの、
人間の五感でとらえられるものすべて「存在」じゃないの?
目に見えない「存在」もあるか、
と、
まず考えてみるわけですけれど、
それは、
ハイデッガーさんにとっては、
「存在」でなく「存在者」なんですね。
え!?
そうなの?
なら「存在」は?
ということになります。

 

私たちは、人格的でないさまざまな事象についても、通常、
多様な動作的振舞いを付与して、
これを表現し、
その際なんらの言語的違法行為をも犯してはいないことに、ひとは気づくべきである。
たとえば、
「その風景は、私になにかを語りかけ、
呼び求め、訴え、大切にするように要求している」。
「その荒涼とした土地は、
私を拒絶し、私を近づけさせず、その秘密を打ち明けようとしない」。
さらには、
「樹木の陰から、湖が姿を顕わし」、
「太陽が、雲の陰に姿を隠した」とも言う。
自然ではなく、歴史的現象を例に取れば、
「時代の状況は、
私になにかを語りかけ、呼び求め、訴え、熟慮するように要求している」
とか、
「その歴史的社会的状態は、私を拒絶し、私を近づけさせず、私の関与を拒んでいる」
とか、
さらには、
「さまざまな人生遍歴において、運命が私には姿を顕わし、
あるいはその姿を隠して私には見通せない」とか、
と私たちは語るであろう。
私たちは、そのとき、
たんに擬人的に、隠喩的に語っているのではない。
むしろ、
主観の思い込みを捨て去り、
「みずからを放棄して」〔本書一八頁、訳注(12)〕、
実在と現実の重みをしっかりと受け止めながら、
そうであるよりはほかにない「存在の真実」
を、

そのとき私たちは、
ひしひしと実感しつつ、語り出している
と言わなければならない。
そのとき私たちは「存在の真理」に「触れ(ティゲイン)」
〔本書六〇頁、訳注(140)〕、
いわば実在の経験の原点に立ち、
痛切な実感と身を切られるような切実な「存在経験」において、
もはや引き返すことのできない、
あるいはかけがえのない人生の途上で、
実在の真相に接し、
「有る」ということ、
「存在」ということの、
まさに実相を観て取ったのである。
その観取と洞察が、私たちの言説や行為の根本の基礎を成し、
それなくしては、
私たちの通常の自然的・歴史的・社会的振舞いも成り立たないのである。
この根本的な次元を見つめながら、
ハイデッガーは、
「存在」が人間に対して要求と拒絶を行い、
それに対して、
人間が、
「存在へと身を開き-そこへと出で立ちながら(Ek-sistenz)」、
その「存在の真理」のなかへと、
まさに
「存在へと身を開き-そこへと没入するというありさまで(ekstatisch)」、
関わり、
それを受け止め、
存在へと「聴従・帰属しつつ(gehören)」「耳を傾け・聴き入る(hören)」
と言うのである。
実際、ハイデッガーによれば、
「存在」とは、
「現今の世界の瞬間のうちで、あらゆる存在者の激動を通じて、
みずからを予告してきている(sich ankündigen)」ものなのである。
(本書一一五頁)。
(マルティン・ハイデッガー[著]渡邊二郎[訳]『「ヒューマニズム」について』
ちくま学芸文庫、1997年、pp.381-2)

 

翻訳をふくめ、渡邊二郎さんのハイデッガーさんに関するものを読むと、
ハイデッガーさんが考えていたことが
くっきりはっきりと見えてくるように感じます。
上で引用した文章は、
渡邊さんが訳された『「ヒューマニズム」について』
の解説のなかから。
こうなりますと、
ハイデッガーさんが好んでヘルダーリンさんの詩について語る
のも分かる気がします。
詩のことばにおいて
「存在の真理」へ近づき、存在の牧人となる、
ことになるでしょうか。

 

・鉄臭きオートバイ事故夏の空  野衾

 

動くいまのこころ

 

たとえばきのうのこのブログのタイトルは「なぜか気になる荷風さん」。
ほかに「荷風さんのこと」「荷風さんについて」
も、
ちょっと思いましたが、
「なぜか気になる~」がいいかと考え、
それにしました。
こんなこと書こうかな、をきっかけとして書き始めますが、
書き始める時点で着地点を考えたり、
想ったりすることがこのごろ少なくなりました。
どちらかというと、
こんなこと書こうかな、
から始め、
そこからチョビチョビめぐっていく思考をことばにしていく、
ひとつのことばを思いつき、
それにつぎのことばをつなげたら、
またつぎ、
という具合に進めていき、
やがて着地点。
その過程を楽しみながら書いている、
のかなと思います。
そうすると、
きのうの場合、
「荷風さんのこと」「荷風さんについて」よりも、
「なぜか気になる~」のほうが、
きのうの朝の「いま現在」の時点に相応しく、
ゆっくり、ことばを探し、じぶんなりにコレかな、
それからコレ、
の過程からじぶんが疎外されず、
大げさかもしれませんが、
その時間を生きてその時間のことばが目の前に現れてくるのに立ち会える、
文を書くことをできるだけ楽しみたい、
そんなことだったと思います。
出来上がったものを見、
書いてきたわたし自身に向い、
は~、
これがいまのあなたのこころですか、
みたいな。
堂々巡りに似た状態が現れ、それと分かることばの連なりも生じてきます。
そうであっても、
いまこの時点での体とこころとあたまのリズムやテンポ、
またスピードに合わせて書きたい気持ちが強く、
そのためのタイトル。
これは、
ここの短文のことでありまして、
本のタイトルを考えるときとは違っています。
ちなみに、
きょうのタイトルは「動くいまのこころ」。
はじめに思ったのは
「文のタイトルのこと」
でした。

 

・夏は海生まれた日また死ぬる日も  野衾