ビートルズのこと 4
マーク・ルイソンさんの『ザ・ビートルズ史 誕生』からの引用を、
すでに三回おこないましたので、
そろそろ終りにしたいと思います。
さいごはローリング・ストーンズとの関係、
とくにミック・ジャガーさんの発言は目をみはります。
同じ日の同じ時間帯に、
そこからさらに200キロほど南下したサリー州ノースチーム
にあるウッドストックというパブで、
リズム&ブルースのローリング・ストーンズというグループが、
10回目のライブをやっていた。
彼らにとってはロンドン以外で行なう初のライブで、
ステージは2時間、観客はパブの奥にいる二人。
ギャラの15ポンドは五人に分けられ、
マネージャーがいないため
会場のブッキングにはブライアン・ジョーンズがみずから動いていた。
音楽誌はチャートの動きしか記事にしなかったため、
ビートルズはローリング・ストーンズ(ブライアン・ジョーンズ流に言うと
ローリン(「リン」に傍点――三浦)・ストーンズ)の存在を知らないが、
ストーンズは間もなくビートルズの音楽を耳にして衝撃を受ける
ことになる。
それから25年後のある夜、
ニューヨークで礼装の人々を前に、ミック・ジャガーはビートルズが
「ロックンロール・ホール・オブ・フェイム(ロックの殿堂)」
(1962年ではとうてい考えられない組織体である)
に名前を刻んだことを祝うスピーチを行ない、こう述べている。
イギリスは当時、まさに不毛地帯だった。
ポップ・ミュージックに関して言えばほんとうに、何も提供できるものがなかった。
ストーンズはロンドンの小さなクラブで、
チャック・ベリーの曲やブルースを演奏していた。
そして自分たちはまさに唯一無二の生き物である、自分たちのような人間は
ほかにいない、と思っていた。
それから、リバプール出身のグループの噂を耳にした。
彼らは長髪で、薄汚い服を着て、レコード契約を持っていて、
ヒット・チャートにブルージーなハーモニカの入った〈ラヴ・ミー・ドゥ〉
という曲を送り込んでいる、と。
彼らの音楽を、
これらの要素が組み合わさったサウンドを聴いたとき
……俺はショックで吐きそうになった。
(マーク・ルイソン[著]山川真理・吉野由樹・松田ようこ[訳]
『ザ・ビートルズ史 誕生』(下)河出書房新社、2016年、p.612)
引用したのは、この本の第32章「1962年10月5日、金曜日――60年代の幕開け」
にある文章。
こういうところを読んでいると、
過去が過去でなく、その時々における現在とでもいうのか、
それがにわかに立ち現れ、
「いままさに」の感に拍たれるようでドキドキします。
・新しき雑巾二枚春隣 野衾