結論を急がない負の力

 

イギリスの詩人キーツさんがシェイクスピアさんに備わっていると発見した
ネガティブ・ケイパビリティ(負の力)について、
キーツさんは、
弟たちへの手紙で一度だけ触れたそうですが、
それを、
第二次世界大戦に従軍した精神科医ビオンさんが再発見したとのこと。
帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)さんの
『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』は、
いまの時代のさまざまな問題を考えるうえで、
また、
むつかしいこの世をどう生きていくかを考えるうえでも、
多くの示唆に富む本だと思います。

 

ネガティブ・ケイパビリティが最も自戒するのは、性急な結論づけです。
しかし同様の自戒は、
精神分析学のフロイトも、現象学のフッサールも提起していました。
例えばフッサールの現象学的還元は、
観察者が自らの偏見や主観を消し去って、純粋無垢な眼を手に入れる
ための試みです。
一方、
フロイトの自由連想法では、
患者は自らを括弧に入れて、想起された事柄すべてを口にします。
その事柄が重要であるか、
そうでないかの判断は棚上げするのです。
もちろん治療者のほうも同様です。
成り行きにいかなる目的も持たず、
連想や治療の新たな展開にも、驚きをもって身を任せ、
終始とらわれのない心眼を開いておくのが理想
とされます。
フッサールが外側から世界を括弧に入れたとすれば、
フロイトは内側からそれを試みたと言えます。
私自身、
もう三十五年以上も前、
『鬼平犯科帳』の作者である池波正太郎氏が、
ある月刊誌で編集者と対談したときの記事を読んだことがあります。
池波氏が週刊誌に時代小説を連載していた頃です。
ある回の最後のところで、
夜道を歩いていた主人公の侍が、背後から一太刀を浴びせられます。
瞬時に身をかわした場面で、その回は擱筆したのです。
担当の編集者が、
「この切りつけた男は、いったい何者ですか」
と訊いた返事が、
「いや私も実は分からんのだよ。来週になれば大方の見当はつくと思うが」
でした。
このやりとりを読んだ私は、
何と無責任な作家だろうと、腹が立ちました。
しかし、
創作とはそういうものだと、今では池波氏が到達していた境地に敬意を払う
ばかりです。
(帚木蓬生[著]『ネガティブ・ケイパビリティ 答えの出ない事態に耐える力』
朝日新聞出版、2017年、pp.145-147)

 

精神科医であり小説家でもある帚木さんは、
この本のなかで、
この世の多くのことは、
答えの出る問題よりも、答えの出ない問題の方が多い、と述べています。
医療の問題にしても、教育の問題にしても、
人生の多くの問題にしても。
ポジティブ・ケイパビリティでなく
ネガティブ・ケイパビリティ。
生きるうえでの、だいじな補助線だと思います。

 

・母の居ぬ初めての世や春隣  野衾