シンクロニシティ

 

昨年読んだ本のなかで二番目におもしろかったのが
エレンベルガー『無意識の発見』(上・下)
ところできのう、
新しい本の打ち合わせのために静岡からN先生来社。
話の途中
おもむろに鞄の中から取り出したものがあり、
なにかと見れば、
な、なんと
『無意識の発見』
あ!!
いやぁ驚いたのなんの。
こういうことってあるんですね。
聞けば、
今回の原稿を書くために、
心理学、精神医学関係の書籍をリヤカー一台分くらいは購入し読まれたのだとか。
『無意識の発見』はそのうちの二冊。
送っていただいた原稿をまだザっとしか拝読していませんが、
熱量が感じられ
おもしろい本になること間違いなし!
の確信を得ました。
いい年の始まりです。

 

・三が日おだあげてをり酒祝(さかほが)ひ  野衾

 

2019年

 

いよいよ始まりました。
仕事始めの日は例年、
すぐとなりにある伊勢山皇大神宮に全員で出向きお祓いをしてもらい、
それから、
いただいた賀状に目を通しながら、
ご縁のある方々の近況を思い浮かべます。
原稿書きに余念のないひと、
七十を過ぎて新しい外国語を習得せんと精進しているひと、
定年後に夫婦で外国旅行を楽しんでいるひと、
いろいろです。
ご縁の輪はますますひろがっていきます。

 

・初市の樽を出でたる酢蛸かな  野衾

 

しにゃぐにゃ

 

八十七歳になった父は
年齢にふさわしく入れ歯を装着しています
が、
好物は変わらずで、
イカタコが食卓に上がれば、
つい箸がのびるようです。
イカやタコばかりではありませんが、
とくにイカやタコを
口に入れて噛んだとき、
くにゃくにゃして噛み切れず
噛んでも噛んでもなかなか嚥下できないことを称し、
秋田では「しにゃ」といいます。
しらべてはいませんが、
おそらく、
「弾力があって、しなやかにたわむ。しなる」(広辞苑)
の意の「撓う(しなう)」
から来ているのではないか
と思われます。
ところで今回、
弟が案内してくれたスーパーマーケットで購入した酢蛸は、
酢の具合もほどよく、
また二、三回噛んだだけでスッと噛み切れる
クオリティの高い蛸
でありました。
父もおいしそうに食べていました。
弾力があってしなやかにたわむことが「しにゃ」
「ぐ」は接続助詞の「~では」
かな?
「にゃ」は否定の意の「ない」
したがいまして
今回の酢蛸は「しにゃぐにゃ」
弾力がありすぎて噛み切れないものではない
という意味になります。
と、
さてきょうは仕事始め。
適度に弾力を保ち、
必要に応じて潔い謙虚さを忘れぬ仕事をしたいと思います。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

・壺を出て初市に蛸来りけり  野衾

 

仕事納め

 

年内きょうが最後となりました。
すでに二十期目に入っており、
来年九月には二十周年を迎えることになります。
第十九期の成績は、
売り上げでいえば十九年間で二番目、
悪くない数字でした。
これもひとえに
ご縁のある方々のご支援の賜物とうれしく思います。
二十周年を期し、
来年は
『春風と野』の小冊子を発行することを考えています。
学術書の出版社であることをつねに意識し、
また教えてもらいながら、
奥邃にならい謙虚を旨として
今後も出版活動を進めていきたいです。
みなさまどうぞよいお年をお迎えくださいませ。

 

・遠寺(えんじ)より梵鐘のこゑ冬ざるる  野衾

 

浪曲子守歌

 

九十八で亡くなった祖父の十八番(おはこ)は一節太郎の浪曲子守歌。
♪逃げた女房にゃ 未練はないが
♪お乳ほしがる この子が可愛い
……
酒が入り上機嫌になると、
祖父は一節太郎ばりに
だみ声で歌い出したものでした。
さてこのごろ藤圭子にはまっているわたしですが、
彼女が歌う浪曲子守歌に
不覚にも涙ぐんでしまいました。
いやぁ、すばらしい!!
両親ともに浪曲師だったといいますが、
この歌を聴いて明らかに
彼女にも浪曲師の血が流れていると思いました。
『流星ひとつ』を読み、
彼女がなぜ引退を決意したかのくだりも
涙なしには読み進められませんでした。
にしても、
どうもこのごろ涙もろい。
加齢!?

 

・山精の棲むとや冬の伊良湖崎  野衾

 

流星ひとつ

 

じぶんで勝手に決めていることなので、
変更は自由なのですが、
いちおう
これから読む本の順番というのがありまして。
ではありますが、
箸休めのつもりで手に取った
沢木耕太郎の『流星ひとつ』(新潮社)
がめっぽうおもしろく、
止められなくなりましたので、
予定は未定
のことばにならい、
こちらを最後まで読むことにしました。
この本は、
宇多田ヒカルの母である藤圭子におこなったインタヴューをまとめたもの
で、
地の文が一切なく
すべてふたりの会話文で構成されています。
宇多田ヒカルの母といわなくても、
藤圭子だけで分かるひとも少なくないでしょう。
話し言葉であるだけに
ちょっとした単語の使いかた、語尾に
その人の特徴が表われ、
目の前で藤圭子が話しているような錯覚に襲われます。
たとえば「別に」、
これを藤圭子はよく使う。
すかさず「また「別に」ですか」と沢木。
「だって、とくべつ強い気持ちがないんだもの」
会話から藤圭子の人となりがあぶり出されてきます。
さすがは沢木耕太郎、
たいしたわざだと思います。

 

・寒夕焼(かんゆやけ)伊良湖の夜を分かちけり  野衾

 

トイレの蜘蛛

 

見つけてから三か月ほどになるでしょうか。
トイレにちいさい蜘蛛が棲んでおり、
脚を入れても体長一センチほど
透明に近い色をしています。
いままで見たことがないきれいなかわいい蜘蛛。
なにを食べて生きているのか。
ちいさいので
いつも見つかるとは限りません。
便器の下やタンクの裏に潜んでいることもあるでしょう。
すがたを見れば、
お、いるね、元気か、なんて。
いつだったか
便器の蓋を開けたら
底にたまった水の中に落ちていたことがありました。
ティッシュペーパーをちぎり
そばへもっていって
紙に這わせ助けてやったことがありました。
蜘蛛の恩返し。
いや、
なにかもらったことは
いまのところありません。
けさは見ませんでした。
どこかにまた隠れているのでしょう。

 

・茶と沢庵と高笑ひする齒莖かな  野衾