哲学書を読むよろこび

 

仕事の関係もありますが、この仕事に就くまえから、
割と好んで哲学書を読んできた気がします。
西暦480年ごろに生まれ、525年ごろに反逆罪に問われ処刑されたローマの哲学者に
ボエティウスさんという人がいまして、
獄中で『哲学の慰め』を書きました。
この書名が今のわたしにはいちばんぴったり来ます。
哲学のことばは難しく、難しいのが哲学、
みたいな印象もありますけれど、
読んでいるうちに、
ほかの本では味わえない得も言われぬ、ほのかなよろこびに満たされることがあります。
哲学の本を読むことで慰められる、
哲学の本には、そういうところがあるようです。
岩波文庫の『哲学の慰め』は、
畠中尚志(はたなか なおし)さんの訳です。
このごろは、
ベルクソンさんの文章に慰められています。

 

まったく純粋な現在のなかだけに生き、
一つの外的刺激に、直接的反応でとっさに応えるというのは、
下等な動物[に類する人間]に固有の生き方である。
そのような生き方をする人間は、衝動的人物である、と言われる。
しかし、
過去に生きることを喜びとする人、
現在の状況には何の役にも立たない想起ばかりが意識の明るみに浮かび上がる
ような人も、また、
[衝動的な人よりも]行動に向いているとは言いがたい。
その人は衝動的人物ではないかもしれないが、
夢想的人物である。
この両極端の典型の中間に位置しているのが、
現在の状況が示す輪郭に精確に対応しうるほどには柔軟であり、
それ以外の呼び声には
断固として抗いうるほどには精力的である記憶機能[を持つ人]の示す、
うるわしい天賦の素質である。
良識といい、現実感覚というのも、どうやら、
それ以外のものではないようだ。
(アンリ・ベルクソン[著]竹内信夫[訳]『新訳ベルクソン全集2』
『物質と記憶――身体と精神の関係についての試論』
白水社、2011年、p.210)

 

ここに訳者である竹内信夫さんの注が付されており、その文にも、
ふかい共感を覚えます。
曰く
「ベルクソンは、1895年の講演「良識と古典研究」で、
良識とは「思考と行動の求めるものの内なる一致」である、と定義している。
哲学的議論のあいだに、
このような世間的教訓(しかし、それは常識=共通感覚の宝庫でもあるのだが)
に近い感想がふとこぼれてくるのが、
ベルクソン読者の何とも言えない喜びの一つである。
少なくとも訳者にとっては、
ベルクソンに限りない愛着と共感を感じる瞬間である。」

 

・冬の月一歩一歩の近さかな  野衾