矢内原忠雄と宮本武蔵

 

ベアトリーチェが一二九〇年に死んだということはダンテが書いているのです。
それでちょうど同じ年に死んでいるこの人は
フォルコ・デ・ポルチナリの娘で後シモネ・デ・バルディの妻になって
一二九〇年に二十四歳で死んだ女がダンテのベアトリーチェである。
ダンテが九歳の時に見た少女はこれであろう。
この説は何に基づいているかというと、
ダンテと同時代の人でボッカチオという文学者がおります。
ボッカチオはダンテの『神曲』を講義いたしました。
ボッカチオの言っている言葉なのです。
しかしボッカチオ自身は何もそれに対して証拠を出しておりません。
「或る信ずべき人の言によれば」
ということでボッカチオが書いている。
ところがボッカチオは有名な『デカメロン』という物語の作者であり
なかなか面白いことを書く人で、
当時のいろんな社会の様子や人物などのことを言っておりますが、
ただ彼は面白く書き過ぎるという欠点をもっている。
これは今の日本の文人にもそういうことがあります。
事実を材料として歴史小説という名をうって面白く書いているのがある。
例えば宮本武蔵などそうです。
作者が現実の事実としてそんな本に書く。
文人というのはそういうことをするらしい。
ボッカチオはそういうことをした。
これは巧みなる嘘つきであり、ベアトリーチェについてもうっかり信用できない。
ベアトリーチェについては
「或る信ずべき人の言によれば」
というのだからどれほど信じていいか解らない。
(矢内原忠雄『土曜学校講義第七巻 ダンテ神曲Ⅲ 天国篇』みすず書房、
1970年、p.758)

 

矢内原忠雄の『土曜学校講義』五・六・七の「神曲」をようやく読み終りました。
『神曲』についての理解が増し、
また、
矢内原さんが『神曲』をどのように読んでいたかが分かったことは、
大きな収穫でありましたが、
さらに、
矢内原さんのひととなり、性格が垣間見えたことは、
おまけのようなもの。
「ベアトリーチェが何者であるかは、一向に解らない」理由として、
流布されているベアトリーチェ像に関する認識が、
ボッカチオの言に基づいていることによる。
それは、
ボッカチオの発言というのは、なかなか信用できない、
なぜならば、ボッカチオには、
面白く書きすぎる欠点があるからだ云々。
ここのところを、
わたくし、ふんふんと頷きながら、矢内原さんの口ぶりを想像しつつ読んでおりました。
そうしたら、
「例えば」ということで、
いきなり「宮本武蔵」が出てきた。
わたくし、
ここでプッと噴き出した。
これは吉川英治の「宮本武蔵」でしょう。
なんで噴いたかといえば、地獄篇、煉獄篇のどこだったか覚えていませんが、
これまで二度ほど「宮本武蔵」が出て来たからです。
その都度、
いきなり宮本武蔵かよ、と思ったものです。
ダンテ神曲の講義において、
日本の作家には一切触れていないのに、
「宮本武蔵」だけ三回も登場している。
しかも、引用した上の文脈からいっても、面白さについて、
また事実の扱いに関して批判的ではあるものの、
面白さそのものを否定しているわけではありません。
ていうか、
矢内原さん、
物語としての「宮本武蔵」の面白さを認めているんではなかろうか、
と勘ぐりたくなります。
面白いことは面白い、だがしかし、事実を曲げてまで面白くするのは善くない!
そりゃそうだ。
そうだけども…
わたしはといえば、
保土ヶ谷橋交差点の拡張工事で移転してしまいましたが、
よく通った床屋の書棚に全巻置いてあった井上雄彦の漫画『バガボンド』を
途中まで読んだぐらいで、
吉川英治の原作は、今のところ読んでいません。
そういえば。
辻邦夫と水村美苗の往復書簡集だったか、対談だったかで、
吉川英治の「宮本武蔵」を面白く読んだ二人のエピソードが取り上げられていて、
へ~、そうなんだ、
って思って、
思っただけでやり過ごし、読んでない。
さてと、どうするか。

 

・凩や少年の日を連れ来たる  野衾

 

父の怒り

 

どういうきっかけで思い出すのか
匂いや味によらなくても 突然 過去のエピソードが蘇ることがあります
あれは祖父の葬式のときだったと記憶しています
田舎の農家のこととて
父が取り仕切り
自宅での葬儀の場でありました
要らぬ世話を焼きたがるひとは いつでも どこでもいるものですが
そのときも
本人は親切心からだったかもしれないけれど
そばでわたしが聴いていても
喪主でもないのに ずいぶん判った風なことをいうものだと感じた
すると
父が
怒鳴ることはさすがにしませんでしたが
きつい口調で一言
わがってる
抑えた一言なれど
そのひとことに 万感の思いが籠められていた
齢を重ねるごとに
我慢する場面が多くなった気がします
体が弱るとともに
どうやら心も弱るよう
こころに刻んだ皺の数
ひとに言えない罪の味
てか
ふ~わり浮かぶ雲にでもなりたい
雲になってやり過ごしたい
なんて
ぐっと腹に力を入れ堪え
ること間々あり
なんだった?
忘れてしまいました
ひとでなく
場に感謝
どうもどうも

 

・坂道を葱の白さや富士の峰  野衾

 

校異から見えてくるもの

 

「もみぢしにけり」の場合は、
まさしく草木の紅葉についてしか言わない言い方であるのに対して、
「色づきにけり」になると少し範囲が広がり、
さらに「うつろひにけり」になると、
盛りのものが次第に衰えてゆくことを自然・人事を含めて一般的に言うようになっている
という事実を基に考えれば、
おそらくは「紅葉《もみぢ》しにけり」が最も古体であり、
次いで「色づきにけり」が古く、
歌語、すなわち文学用語として最も洗練されている「うつろひにけり」
が最も後の段階になってからの改変ではなかったか
と思うのである。
そして、
211・255・782番歌の例について見ても、
他本は「色づく」となっているのに、
俊成本・定家本は「うつろふ」になっているのも同種の事例として興味深い。
このように、
俊成本・定家本は、
『古今集』の原初の形を伝えているとは必ずしも言えないが、
伝わっている本文の中で最も整った、最も文学的な本文を選んで採用している
ことは確かだと言える。
なお、俊成にしても、定家にしても、
みずから本文を捏造することはなく、
伝わっている本文の中から最も適当なものを選んで採用していたことは
数多くの事例から帰納できる。
(片桐洋一『古今和歌集全評釈(上)』講談社学術文庫、2019年、p.936)

 

片桐さんのこの評論は、『古今和歌集』262番

ちはやぶる神の斎垣《いかき》に這《は》ふ葛《くず》も秋にはあへずうつろひにけり

に関してのもの。
「もみぢしにけり」「色づきにけり」「うつろひにけり」が
写本によって違っているというのが先ず面白く、
さらに、違うだけでなく、
クロニクルに
「もみぢしにけり」→「色づきにけり」→「うつろひにけり」
ではないかという考察が興味深い。
その根拠となる大事な観点が、
三つの語のうち「うつろひにけり」が「歌語、すなわち文学用語として最も洗練されている」
というところにあると思われますが、
わたしは正直なところ、
そうかな、
という疑問を持ちます。
取り上げられた用語に具体と抽象の差があり、
また、
具体から抽象へという観念の移行は、
一般的に宜えるとしても、
それが「洗練」という価値を含むかどうかは、
別問題。
一概に言えないのではないか。
「紅葉《もみぢ》す」「色づく」に比べ「うつろふ」が文学的であるように言われると、
反発心がもたげてもきます。
ともあれ、
校異を基にいろいろ想像してみることは一人遊びにはもってこい、
少々マニアックではありますが、
読書の一つの楽しみです。

 

・焼薯を温めなほす夜半過ぎ  野衾

 

かなしさの味

 

個人的な友だちの場合、ことばの意味だけでなく、心情までが伝わる気がして、
だから友だちなのかな、と思うことが多い気がします。
それが仕事となると、なかなかそうはいかず、
というか、
むしろそんなことは意識しなくても、
かつて「報告」「連絡」「相談」のアタマの文字から
「ほうれんそう」が仕事をするうえで大事だ、
などと言われたりした
(わたしも若いころ、勤めていた会社の社長と懇意にしていた人が、
その言葉を口にするのを直に聞きました)
ように、
情報、
すなわち意味が正確に伝わることが何より大切であるようです。
ところが実際に仕事をしてみると、
これがなかなか難しく、
会社の外でも中でも、
伝えたいことが過不足なくちゃんと伝わる、という風にはいきません。
それが心情となれば猶更。
しかし、
こちらの話していることがちゃんと伝わった
ようだ、
と感じられるだけでなく、
相手の受け答え、
表情から、
こちらの伝えたいことばの意味が、それを下で支える心情とともに伝わった
と感じられる瞬間が訪れ、
うれしく、またすぐに、
悲しいような、
妙な具合の感情が不意にもたげてくることが、
ごく稀にありまして。
「おもしろうてやがて悲しき鵜舟哉」
という芭蕉の俳句に準えていえば、
「うれしうてやがて悲しき対話哉」
であります。
涙は追いつけません。

 

・焼薯を買うて頬まで弛みたり  野衾

 

永遠なるダンテ

 

多くの人が地上において――偉い事業をした人でも――死ぬ時には暗い思いをもって
暗い中にひきこまれて行く。
これで人生がおしまいだという具合に嘆いて行く人が多い。
精々のところ運命に従うという諦めをもって行くにすぎません。
その中にあって
キリストを信ずる者は死を天への凱旋と考えて死んで行くことができることは、
今申しましたが、
そのこと自体が信仰の勝利の型である。
われわれも最後の眼を閉じて頂いて、
死ぬ時にはこういうふうに光に包まれ歌に包まれながら
天に行きたいものだと思います。
たぶんそういう幸いを私どもも与えられることができるのでしょう。
こういうところを読むと
ダンテがいかに天国の栄光を望み、
それを慕い
それに力を得て生きていたかということがわかります。
地上において他人のパンを食うことがどんな味のするものであるか、
他人の階を昇り降りすることがどんなに足の重いものか、
と言って嘆いたそのダンテの俤を
私ども忘れてしまって、
ダンテの魂が天翔っている喜びを感ずるのです。
前にも申したことですが、
多くの人がダンテを地獄の詩人としてしか知らない。
深刻な顔をして涙を流して人を罵倒したダンテしか知りませんが、
それは地上におけるダンテであって、
ダンテが脱ぎ去るべき生涯に関するものであり、
永遠のダンテの姿――ダンテの本質というものは、天国の喜びをうたっているダンテ
でなければならないのです。
(矢内原忠雄『土曜学校講義第七巻 ダンテ神曲Ⅲ 天国篇』みすず書房、
1970年、pp.516-7)

 

この一文に出合えただけでも、この本を読んできてよかったと思います。
三十年ほど前に、
岩波文庫に入っている山川丙三郎訳『神曲』を読み、
その後、
これは割と最近ですが、
今道友信の『ダンテ『神曲』講義』を読みながら、
『神曲』乃至ダンテに対する印象が微妙に変化してきた気がする
とはいえ、
基本的には、
矢内原が言うところの
「地獄の詩人」
「深刻な顔をして涙を流して人を罵倒」する詩人
としてのダンテ、
という認識から出られなかったように思います。
矢内原のこの講義は、
それこそ滾る血が流れているようであり、
切れば血が噴き出す体の、
(ときに巧まざるユーモアを交えながら)
緊迫した、揺るがぬ信に基づいていると感じられます。

 

・表見せ裏見せ光る枯葉かな  野衾

 

ええっ!! そうだったの!!

 

もう四十年以上前になりますが、
大学生の頃いちばん聴いていたのが、
スティービー・ワンダー。
わたしにとっての“青春の音楽”といっても過言ではないでしょう。
なかでも大好きだったのが、
アルバム『キー・オブ・ライフ』に収録されていた『Another Star』
まだレコードの時代、
何十回どころか、
おそらく、
何百回となく聴いたはずです。
あのシャウトを聴いて孤軍奮闘横断歩道「よし! きょうも頑張るぞ!」
と気合いを入れ、
大学へ行こうとした朝のことなど、
今は懐かしい思い出。
その『Another Star』について、
桑田佳祐が驚くべき発言をしており、目をみはりました。

 

『勝手にシンドバッド』の「ラララ」のイントロだって、
あの頃流行ってたスティービー・ワンダーの『Another Star』を
……まぁ、ノリで拝借したわけである、
エッヘン(威張るな!!)。
初期のアマチュアイズムというのは、とても無邪気で偉大なものだった。
(桑田佳祐『ポップス歌手の耐えられない軽さ』文藝春秋、2021年、p.83)

 

言われてみれば、なるほどなぁ、
で。
そして、なんだか、いつしか、どういうわけか、
しずかに、感動ともよべるような感情がふつふつと湧いてきたわけで。
『Another Star』も『勝手にシンドバッド』も、
歌は「ラララ」で始まります。
しかし、受ける印象は、まったく違う。
『ポップス歌手の~』は、
先月発売されたばっかりの本ですが、
桑田がこれまでどれほど多くの音楽を聴いてきたか、
また、
それをゆっくり、じっくり消化し、
自家薬籠中のものとして歌を作ってきたか、
そのことがよ~っく分かります。
大瀧詠一、細野晴臣などと共通するDNAを持っているのでしょう。
また例えば、
サザンが所属しているレコード会社、ビクターのディレクターが、
神泉町のスタジオのバー・カウンターで、
そこにいた内田裕也に桑田を突然紹介したとき、
緊張しまくりの桑田に対し、
内田裕也が、
「ふーん」と言いながら、座っていたスツールを回し、振り向き、
例の巻き舌で、
「キミが『いとしのエリー』を作ったのか?」
と、一言。
などなど、文がきらきら光ってる。
こころが籠ってる。
A5判上製、
400ページを超える大部の本、
これからどんなエピソードが出てくるか、
目が離せません。

 

・ここにまた妻の足音木の葉髪  野衾

 

深造自得

 

新しい『春風新聞』が出来ました。28号になります。
今回の特集は、
書評エッセイでもある拙著『文の風景 ときどきマンガ、音楽、映画
について、
フランス文学者の中条省平さんと教育学者の末松裕基さんをお招きし、
鼎談を行った、その前半部分。
拙著を媒介にし、
読み巧者お二人の話を親しくお伺いしましたが、
今後の弊社の進むべき道にとって、
道標となることばが鏤められておりました。
謙虚に、
つねに考えつづける出版社でありたいと思います。
表紙絵は畏友・高橋大さんが、拙著を読んで描いてくださったもの。
高橋さんの了解を得て使わせていただきました。
添えた文は、新井奥邃の
「言葉を以て学びたる者の能く深造自得せし者創世より未だ之れあらざるなり。」
ニンゲンにとって言葉とは何かを、
一言で表していると思われます。
「深造自得」は、
奥深くきわめつくして、みずから体得すること。
「造」は至るの意。

 

・缶コーヒー飲むよりも先ず暖つつむ  野衾