深造自得

 

新しい『春風新聞』が出来ました。28号になります。
今回の特集は、
書評エッセイでもある拙著『文の風景 ときどきマンガ、音楽、映画
について、
フランス文学者の中条省平さんと教育学者の末松裕基さんをお招きし、
鼎談を行った、その前半部分。
拙著を媒介にし、
読み巧者お二人の話を親しくお伺いしましたが、
今後の弊社の進むべき道にとって、
道標となることばが鏤められておりました。
謙虚に、
つねに考えつづける出版社でありたいと思います。
表紙絵は畏友・高橋大さんが、拙著を読んで描いてくださったもの。
高橋さんの了解を得て使わせていただきました。
添えた文は、新井奥邃の
「言葉を以て学びたる者の能く深造自得せし者創世より未だ之れあらざるなり。」
ニンゲンにとって言葉とは何かを、
一言で表していると思われます。
「深造自得」は、
奥深くきわめつくして、みずから体得すること。
「造」は至るの意。

 

・缶コーヒー飲むよりも先ず暖つつむ  野衾

 

薄《すすき》を詠むこころ

 

「薄」は次の二四三番歌のように、その風になびく様を、「人を手招きする」
ことに喩《たと》える形でも詠まれたが、
「本心を表す」という意を掛けて「穂に出《い》づ」という言い方も、
この歌のようによく用いられた。

 

人目守る我かはあやな花薄などか穂に出でて恋ひずしもあらむ      (恋1・549)

花薄ほに出でて恋ひば名を惜しみ下ゆふ紐の結ぼほれつつ        (恋3・653)

花薄我こそ下に思ひしかほに出でて人に結ばれにけり          (恋5・748)

花薄穂に出づることもなき宿は昔忍ぶの草をこそ見れ     (『後撰集』秋中・288)

花薄穂に出づることもなきものをまだき吹きぬる秋の風かな     (同・恋4・840)

 

これらに共通しているのは「穂《ほ》に出《い》づ」が「本意出づ」に掛けられて、
自分の恋の思いを吐露するという意で、
恋の歌として詠まれていることである。
「本意出づ」が「ホンニいづ」
というように連声の形で発音されていたとすればこの掛詞は、
さらにぴったりする。
(片桐洋一『古今和歌集全評釈(上)』講談社学術文庫、2019年、pp.894-5)

 

わたしの住まいする辺りにも薄がけっこう生えており、
風にゆれる花薄の前で立ち止まって、ぼーと眺めることがしばしばですが、
「人を手招きする」ことに喩えられるだけでなく、
じぶんの本心を表すことにも掛けられていたとなれば、
またさらに、
季節の秋がひとの心の「飽き」に掛けられていたということですから、
恋の歌が多くなるのは、
当然かもしれません。
だんだん寒くなり、
恋人に飽きられもする秋となれば、
薄の穂は出でても、
ひとの本意を表すのは躊躇われ、
そのこころで古くから薄が歌に詠まれてきたのでしょう。
あ。
忘れるところでした。
引用した箇所は、
平定文(たいらのさだふん。写本によって、平貞文とも)の、
「今よりは植ゑてだに見じ花薄ほに出づる秋はわびしかりけり」
につづく鑑賞と評論です。

 

・自販機のお茶ガチヤリ落つ寒さかな  野衾

 

書くことの現在

 

会社をつくって半年遅れで始めたこのブログ、
アップするのに、
平均して約一時間かかります。
たとえば、
本からの引用は正確でなければいけませんから、
入力後、一字一字、三回は元の本と照合することを自分に課しています。
それでも間違うことがあり。
引用がない場合はどうかといえば、
雑文ではありますが、
読んでくださる方がいますので、
改行、句読点の位置、てにをは、単語の選択、
いろいろ修正を加えているうちに時間はたちます。
日々のこの行為と時間が、
本を読むときにも、少なからず影響していることに気づきました。
ただいま片桐洋一さんの『古今和歌集全評釈』
を読んでいますが、
一首ごとに【要旨】【通釈】【語釈】【他出】【鑑賞と評論】
のほかに、
【校異】の項目が設けられ、
一首のなかの単語が、
写本によってどういう風に違っているかが具体的に示されています。
これがすこぶる面白い。
時代からいって印刷はまだ無く、
当時の人は、いちいち手で書いて写したわけですから、
微妙に単語が違っていても、
おかしくありません。
なぜ違うのか。
それを想像すると楽しい、
というか、面白い。
単純に書き写すときのミステイクということもあるでしょう。
でも、
元々の単語はそうだけれど、
こんな風に直した方が絶対いいだろうじゃないか、
というような、
写字生の、無意識の(あるいは意識的な)気持ちが働いたことはなかったか。
あったかもしれない、いや、絶対あっただろう。
そういう想像が働くのは、
このブログを書くことによって培われた癖によるのかなと。
そんなことを考えているうちに、
思い出したことがありまして。
わたしは若いときから宮沢賢治が好きで、
賢治、介山、奥邃
への興味は、
「南無妙法蓮華経」のお題目のように、生涯変ることはないでしょう。
さて、かつて、
筑摩から出ている『校本宮沢賢治全集』を求め、
一巻から順に、
それこそ、
蚕が桑の葉を食むように読んでいった時期がありました。
その後、身辺俄かに動きが生じ、
お金がなくなり、
同僚で、知り合いの先輩に買ってもらいました
が、
のちにまた、
売った先輩に頭を下げて買い戻したり、
と、
それぐらい愛着がありました。
ひとつ、
当時、それほど意識しなかったのが、
『校本宮沢賢治全集』の「校」。
この「校」は、校異の「校」、「校正」の「校」でありまして、
作品の初期形や先駆形を掲出し、推敲異文のすべてが分かるようになっている。
いくら賢治が好きといっても、
校異にはそれほど、
いや、全くと言ってもいいぐらいに興味がありませんでした。
それが「待てよ」
となったのは、
このブログを書くようになって、
また、日々の編集作業、
とりわけ校正作業によって、
書くことの「現在」に思いを馳せることが曲がりなりにも、
できるようになったからかもしれません。
なのに。
その後、四十代後半のとき、病気を患い、
もう読むことはないだろう
と思って
『校本宮沢賢治全集』を再び手放した。
ん~。
ん~。
古書でいくらくらい、
くらいかな?
なんてことを考えていたら、
なんと、
かなり前に
『校本宮沢賢治全集』でなく
『新校本宮沢賢治全集』が出ているではありませんか。
前のとどこが違うかといえば、校異部分が独立し「校異篇」として分冊になったこと。
これで決まり。
買うしかない。
もう一度、
今度は、
「校異篇」を食みながら、
賢治さんの創作の「現在」を訪ねてみようと思います。

 

・樹を離れいま目の前を枯葉かな  野衾

 

新ソバは清水の味

 

先週金曜日、仕事の帰りに紅葉坂をてくてく歩いていたときに、
ふと、蕎麦を食べたくなりまして、
そうだ、太宗庵へ行こう!
と、
急に思い立ち、
下り坂を右手に折れ、明かりの灯った太宗庵へ直行。
久しぶりの太宗庵は懐かしく。
まず、
女将さんと大将にごあいさつ。
コロナの新規感染者数がここのところ減っていることもあってか、
店内は、
距離をとりつつ数名のお客さん。
さてと。
壁のポスターに、大きい字で「新そば」と。
そうか。
新ソバの季節か。
食さぬわけにいかぬな。
「せいろの大盛りをください」
「はい。せいろ大ひとつ」
と、
厨房の大将へ女将さんのいい声が。
ほどなく、
せいろに盛られたきらきら光る新ソバが目の前に。
小皿には、ネギとワサビが添えられてあり。
小鉢につゆを三分の一ほど入れ、ネギとワサビを加えて静かに交ぜます。
箸でつまんで持ち上げたソバは、
なおも光を発し。
つゆにソバの端を落とし、やおら口中へ。
美味い。
新ソバって、こんなに美味かったか。
二口目。
美味い。
美味いだけでいいけれど、この味を言葉にしたらどうなる。
そうだ。わがふるさとの奥山、とったが(とさか=鶏冠)石の脇を流れる清水の味だ。
高校生の頃から蕎麦を食べて来たけれど、
蕎麦の味を初めて分かった気がした。
と、まあ、
そんなふうな感動を覚えましたゆえ、
このごろは土曜日、日曜日も出勤し、仕事をすることが多いので、
じぶんへの褒美を兼ねて、
土曜日と日曜日も太宗庵で新ソバを。
うしし。
三日連チャン。
三日目のきのうはさすがに、
「ごめんください」戸を開けた瞬間、
「いらっしゃいませ」と言って、わたしを見た女将さんの目がまん丸。
しばらく行かなかったのに、
行ったとなったら、三日つづけてだもの、
さもありなん。
ともかく、新ソバ、
太宗庵の蕎麦は天下一品だけど、
新ソバは尚いっそうの美味でありました。

 

・光つれ意味の意味なる枯葉かな  野衾

 

古本、人から人へ

 

矢内原忠雄の『土曜学校講義 ダンテ神曲』(みすず書房)は、
地獄篇、煉獄篇、天国篇の三冊で、
少し前になりますけれど、
それぞれを古書で求めました。
煉獄篇の本のなかに、かつて所持していた方の読者カードが入っていたことは、
すでにこの欄に書きましたが、
いま読んでいる天国篇の巻末の見返しに、
煉獄篇の本を持っていた人とは別の人の文字で、
「S47.12.31(日)
さらば1972年よ!! 本年最後の日
うめだ旭屋書店本店にて之を求む」
と記されています。
黒いインクのボールペンによるもののようです。
昭和47年のカレンダーを調べてみたら、
大みそかは、
たしかに日曜日に当たっています。
一年の最後の日に購入した本ということで、格別の思いがあったのかもしれません。
また、
本の帯を、
きちんと二つに折り畳み、
見返しの裏に、糊で貼り付け。
さらに、月報も、
本文の最終ページと奥付の間に糊付けされてあります。
インターネットで古書を検索しているとき、
「月報はなし」
の注意書きを目にすることがよくありますが、
ぺらぺらした月報は、
本そのものとは別に刷られ、本といっしょに綴じらることがないので、
紛失しやすい。
糊付けしておけば、紛失することはありません。
この本を最初に購入した方の、
この本への思いの丈が伝わってくるようです。
新刊書のぴかぴかした佇まいも悪くありませんが、
所持していた人の思いが添えられた古本の味わいも捨てがたく、
「古」の付くものが総じてそうであるように、
魅力的に感じられます。
わたしがこれまで古書店に持ち込んだ本たちも、
捨てられたものがある一方で、
なかに、どこかで、だれかに、どんな形でか分かりませんが、
読み継がれているものも、
きっとあるでしょう。

 

・ふるさとの光の子らを抱く落葉  野衾

 

ひたすら真理の人

 

私ども地上における現実生活もこれに準じて考えるべきであり、
それは
自分と考えの違った人、
意見の違った人と争いますが、
それは真理を愛するがゆえの争いでなければならない。
だから意見はちがってもその人物を尊敬し、
真理に対する愛において友達でありうるわけなのです。
なぜそれが人間的な憎しみにまで堕落するか
といえば、
先ほど言ったように
利益とか勢力とかを愛して真理を愛しないからそういう争いになる。
学者でも本当に真理を愛して真理を喜んで学問が好きで学問している人と、
学問と自分の地位とをごっちゃにして、
学問をもって自分の勢力を得るための手段としてやっている人とは非常な違いですからね。
それは
その人の学説いかんなどということで少しもわかるものでありません。
学説としてみると実に理想家的な学説をのべている人でも、
その学説によって自分の利益や勢力を計る手段としている人の学問というものは
鼻もちならん。
これに反して
世間からは唯物論者・無神論者・共産主義者と言われている人も
本当に真理を愛している人であるならば、
その学問は美しい。
われわれの友達になれる。
私などでも理想主義者とかキリスト者と言われていますが、
そういうことを自ら標榜し世間でもそう認めている人よりも、
無神論者、唯物論者の中に
本当の友達を幾人かもっています。
(矢内原忠雄『土曜学校講義第七巻 ダンテ神曲Ⅲ 天国篇』みすず書房、
1970年、pp.274-5)

 

無教会派のキリスト者でもあった矢内原忠雄は、
日中戦争が勃発した1937年に、
ある講演においてなした
「汝等は速に戦を止めよ!
……日本の理想を生かすために、一先ず此の国を葬って下さい」
などの発言が問題視され、
追放されるごとく、東京帝国大学教授を辞任しました。
その後、自宅を開放し、
少数の若者相手に行った「土曜学校講義」の話は、
矢内原が置かれた当時の状況と合わせて考えてみるとき、
ことばの重さ、深さが伝わってきます。
また、
引用した箇所のとくに後半部分、
「世間からは唯物論者・無神論者・共産主義者と言われている人も
本当に真理を愛している人であるならば」
は、
根本において、
新井奥邃とも共振し、通底していると感じられます。

 

・さわがしき脳の内なる落葉かな  野衾

 

全集のこと

 

若いときに、小林秀雄を読んでいたら、
全集読むべし。これはと思う著者がいたら、主な作品はもとより、
日記や書簡、断簡零墨まで、隅々まで読むことで、著者の人となりが自然と見えてくる、
みたいなことが書かれていたので、
まじめなわたしは、
はい。わかりましたのノリで、
好きな宮沢賢治、柳田國男、魯迅の全集を読みました。
全集の全部を読んだのは、
賢治と魯迅で、
筑摩の箱入りの、箱ごとに色の違うカバーがかけられていた柳田國男全集は、
五分の四ほど読んだところで、
息切れと、興味がほかへ移ったか何かして、
途中で止めました。
あ。
第Ⅰ期の斎藤喜博も全部読んだ。
さてこの頃はといえば、
小林秀雄の言うことは、
まちがってないとは思うけれど、
そうとばかりも言えないなぁという実感がもたげてきました。
どういうことかというと、
目を皿のようにして、
隅々まで読むことをしなくても、
あまり意識せず、てきとうな一冊を手に取り、ゆっくり静かに読んでいけば、
おのずと風景が立ち上がってくる。
風景が立ち上がって来なければ、
それはそれ。
出会えなかっただけのこと。
記憶によるだけの話で恐縮ですが、
小林秀雄は鉄斎の絵を何日もかけて見て、見て、見て、見て、疲れ果て、
挙句の果てに、
階段を踏み外した(どこかの二階だったのでしょうか?)
みたいなエピソードが
たしかあったよう
(違っているかもしれませんが、わたしのなかの小林秀雄像としては実にぴったり来ます。
階段を踏み外したのくだりは、事実でなく、
わたしのなかの小林秀雄像が勝手につくり出した創作かとも思います)
に憶えていまして、
カ、カ、カッコいい!!
って、
若い時でしたから、しびれてまくってしまったものです、
が、
いまは、
しびれたじぶんを思い出し、
若かったなぁと思うぐらいのもの。
本だけでなく、
人も、じぶんも、思い出も、
隅々まで付き合うより、短い時間をていねいに付き合うのがいいような気がします。
離れていた方が、より深く抱けるような気もしますし。
昵近は親近に非ずの訓えは、
人との関係だけではないようです。

 

・かさこそと乾き這ひずる落葉かな  野衾