かたちを変えたはっぴいえんど

 

細野がこのころの松本の考えを推しはかる。
「松本のなかには意図があったんだね。大滝くん、ぼく、それから茂もそうだけど、
はっぴいえんどのメンバーを引っぱりだしてきて、
違うかたちではっぴいえんどを再現したいって。
ぼくはYMO、
大滝くんは『ロング・バケイション』でそれぞれ世に出ていったので、
絶好のチャンスだと思ったんじゃないかな。
だからみんな駆りだされて」
松本はその意見に同意する。
松田聖子との仕事に彼らが参加してきたとき、
これはかたちを変えたはっぴいえんどだと思ったと。
解散から八年を経た一九八一年、はっぴいえんどは思わぬ再結集を果たしたのだ。
それに加えて松本には別の感慨もあった。
「はっぴいえんどはヴォーカルが弱かったけど、
松田聖子という最強のヴォーカリストを得て、ぼくたちのポップス魂を満足させた。
みんなアメリカン・ポップスで育ってるからね。
フィル・スペクターは大滝さんの専売特許じゃないでしょう。
細野さんにもぼくにもあるものだから。
女性ヴォーカルっていうのがまたひとつよかったな。
あのころのぼくたちは日本語のロックじゃなく、
本当の日本語のポップスを作ろうとした。
コニー・フランシスを超えられたんじゃないかと思うけどね」
(門間雄介『細野晴臣と彼らの時代』文藝春秋、2020年、pp.349-350)

 

伝説のロックバンド・はっぴいえんどは、活動期間が三年ほどでしたが、
メンバーがその後それぞれ活躍し、
だけでなく、
はっぴいえんどの音楽も各方面で取りざたされ、
また、
テレビ番組のバックに流れたりもし、
いまもその影響力の大きさに驚かされますが、
松田聖子というヴォーカリストを中心に、
はっぴいえんどのメンバーが、再結成でなく、再結集したというこのくだりを読み、
合点がいった気がします。
別の言い方をすれば、松田聖子の歌は、
はっぴいえんどのメンバーを再結集させるほどの磁力を持っていた、
とも言えるのでしょう。
ちなみにコニー・フランシスは、
大滝詠一が音楽を聴き始めのころのエピソードとして必ず語られるもので、
そういう補助線を引いて松本隆の発言を読むと、
よけい面白く感じられます。

 

・おとなしき一日一声寒烏  野衾

 

読者カード

 

矢内原忠雄『土曜学校講義』(みすず書房)の『ダンテ『神曲』』を古書で求め、
このごろ毎朝読んでいますが、
二冊目の煉獄篇に読者カードが挟まれていました。
名前、年齢、住所のほかに、
購読している新聞名、最近買った書物など、青いインクで記されています。
インクの青がやや黒く変色しているところに、
経過した時間の長さが感じられます。
「本書についての御感想」の欄だけが空白になっており、
おそらく、
読み終ってから投函するつもりのところ、
なんらかの理由で、
そのままになったものと思われます。
職業の欄には学生、
年齢は19歳と書かれています。
この本は1969年10月15日に第1刷が発行されています。
その年に買ったものかどうか
までは分かりませんが、
読者カードの葉書の差出有効期限が昭和45年(1970)2月28日、
となっていますから、
1969年10月15日から1970年2月28日までのあいだに買った
ものであろうと想像します。
ひょっとしたら、
本を買ってすぐに書き込めるところを書き、
読み終って感想を書いて出そうとしたときには差出有効期限が過ぎていた、
と、
そういうことかもしれません。
いろいろ想像がふくらみ、
読者カードに記載されていた名前で調べてみました。
ちょっと珍しい苗字の方です。
同姓同名ということもありますから、
断定はできませんが、
1969年から1970年ごろに19歳であること、
通っていた大学の寮の名称、
矢内原忠雄への興味関心
(読者カードの「本書読了後、つづいてどんな本を読みたいとお考えですか?」
の質問に対して「矢内原忠雄全集」と記入されています)
から、
おそらくこの人だろうと思われる方が見つかりました。
その方はいま、
ある幼稚園の相談役をされており、
キリスト教の教会で講演をされたりもしておられます。
どういう経緯でその方の本がわたしのもとへ来たかは分かりません
けれど、
本は旅人、人生は旅であると改めて感じます。

 

・おとなしき冬日をただに暮らしけり  野衾

 

よさそうな名前!?

 

先日、スマホを耳に当てながら、家人がからから笑っていました。
ときどき電話がかかってくる妹との会話のようでした。
電話が終ってから、
わたしが質問するよりも先に、
家人曰く、
「あのね、期日前投票に行ったとき、
○○ちゃんたら、
最高裁判所裁判官の国民審査の表に、三浦守という人の名前があったので、
よさそうな名前だと思って、○を付けたんだって。
あはははは…」
わたしもつられて、
あはははは…。
記入の仕方を読まなかったことによる間違いでしょうが、
わたしとしては、
○○ちゃんに嫌われてなくて良かった!

 

・冬支度終え公園の陽を浴びに  野衾

 

真理を生活する

 

「人間にとって」ということは人間が真理を理解する上にということです。
また同時に人間が真理を生活する上にということです。
真理を生活することをはなれて真理の理解はありません。
真理の生活をすることを離れて理解しようとすると、
机上の空論に終り死んだ知識になる。
結局どちらの理解のしかたがわれわれの生活のために必要であるか。
正しく生活するためにどちらが必要であるか
によって判断を立てることが一番適当であるように私は考える。
何もわれわれの必要のために真理を学ぶのではありません。
そういう功利主義的な見方から真理を学ぶのではありませんが、
しかし生活に役に立たないような真理は
これは真理でない
と言わなければなりません。
真理を実践的に――生活的に把握することが大切なのです。
(矢内原忠雄『土曜学校講義第六巻 ダンテ神曲Ⅱ 煉獄篇』みすず書房、
1969年、p.415)

 

矢内原忠雄の面目躍如といったところでしょうか。
口吻が伝わってくるようです。
新井奥邃のことばに、
「言語を以て学びたる者の能く深造自得せし者創世より未だ之れあらざるなり。」
があります。
深造自得とは、
奥深く極めつくして、みずから体得すること。
造は至ること。
矢内原の言に引きつけて読めば、
生活することによって能く真理を深造自得せよ、
ということになりそうです。

 

・何となく心急くなり冬支度  野衾

 

虎猫

 

桜木町駅から紅葉坂の会社へ向かう途中、
本町小学校近くの裏通りに、いつもだいたい寝そべっている虎猫がいます。
首輪がときどき替えられていて、
赤いスカーフ様のものが巻かれていたときなど、
口をへの字に曲げたムスッとした表情との対比に、
思わず笑ってしまったこともあります。
さて、きのうのことです。
虎猫がいつものように、
工事現場の横で寝そべっています。
お、きょうも居るな、と思いながら通り過ぎると、
反対側から一人の女性が歩いてきて、
わたしとすれ違いました。
すれ違いざま、
眼がきらりと光り、ほんの少しだけ微笑んだように見えました。
ん!?
わたしは立ち止まり、
ふり返って彼女の後姿を目で追いました。
と。
十メートルともう少し、歩いていったかと思いきや、
なにやら虎猫に声をかけたようでしたが、虎猫には近寄らず、そのまま、建物のなかへ。
すると、
虎猫がスッと立ち上がり、
女性を追うように建物のなかへと入っていきました。
いつものモサッとした印象とは別物で。
そうか。
そういうことだったのか。

 

・この年の不要不急の冬支度  野衾

 

詩を生きる

 

私ども肉体において生きている自分たちの状態はそれは不完全なものですが、
不完全なものでありながら神を信ずることができ、
神を知ることができ、
神を慕うことができ、
神を見ることができるようにせられたのは絶大なる神の恩寵である。
ダンテはそれを詩として書きましたが、
私どもはダンテのような詩を作ることはできなくても
自分たちの生涯の経験の中にこれを知っておるのです。
そういう意味でわれわれは詩を作る詩人ではないが、詩を生きる詩人であるのです。
われわれの各自がそうであるのです。
そうであればこそダンテの『神曲』を読んでもなるほどと思う。
部分的に解らないことがあっても全体としてダンテをわれわれが理解することができる。
それは、
自分もダンテと同じ詩を生活する恩寵の中につつまれているからです。
ここでダンテは詩人としてそのことを、
信仰をもって旅路をつづけることで表現したのです。
(矢内原忠雄『土曜学校講義第六巻 ダンテ神曲Ⅱ 煉獄篇』みすず書房、
1969年、pp.363-4)

 

矢内原忠雄の土曜学校講義は、矢内原の自宅で、
20人からせいぜい30人ほどの聴講者を前にして行われていたようですが、
そのなかに、
のちに美学者・中世哲学研究者となった今道友信がいました。
わたしは、
今道さんの『ダンテ『神曲』講義』を
おもしろく読みましたので、
少年時代の今道さんがどんな顔で、こころで、姿勢で、
矢内原さんの講義を聴いたのか、
そのことへの興味もあり、
朝、少しずつ読んでいます。
詩を書く詩人と詩を生きる詩人、なるほどと思います。
わたしの住まいする近くに聖隷横浜病院
がありますが、
経営母体である社会福祉法人聖隷福祉事業団の創立者・長谷川保は、
キリスト者でありましたが、
生涯私的財産を持たない主義を貫き、
病院敷地内のバラック小屋に住み続け、90歳で亡くなりました。
たとえばこの人も、
詩を生きた詩人であったのでしょう。

 

・蕭統と家持千年《ちとせ》の秋を編む  野衾

 

漱石の言葉

 

わたしが本を読み始めたきっかけが、
小学四年生のときに母が買ってくれた夏目漱石の『こころ』であることは、
これまで書いたり、話したりしてきましたが、
縁と言いますか、
ライフワークとして夏目漱石を読み、研究して来られた
斉藤恵子先生の『漱石論集こゝろのゆくえ』の見本本が本日、
会社に届く予定になっています。
仕事ではありましたが、
個人的にも、
わたしにとりまして夏目漱石がどういう存在だったのかを振り返る、
いい機会になりました。
書名にある「こころ」を「こゝろ」としたのは、
いまは新仮名で「こころ」と表記されているけれど、
初版では「こゝろ」でしたから、
あえて「こゝろ」とすることで、
『  』を外しても、漱石の代表作である『こゝろ』と分かるし、
それが今後どんな風な読み方をされていくのか、
またもう一つ、
そもそも人間のこころが、
どういうものであり、
どうとらえられ、
AIの時代を迎えたいま、どこに向かおうとしているのか、
そんな二様の意味を込めてのことであります。
いまでも人気のある漱石ですが、
仕事がら、
つらつら思い出しているうちに、
いろいろし始めたことが、それが何であっても完成することはない、
というような文言が何かの小説に確かあったような気がしてネットで検索したら、
ありました。

 

世の中に片付くなんてものは殆どありゃしない。
一遍起った事は何時までも続くのさ。
ただ色々な形に変るから、他にも自分にも解らなくなるだけの事さ。

 

『道草』にでてくることばでした。
漱石の「片付く」を、
わたしのこころを含む身体のバイアスは「完成」と加工し、
記憶回路に落とし込んでいましたが、
まぁ、
当たらずとも遠からず
のことばとして覚えていたようです。
ところで、
いまこのことばを改めて眺めてみると、
共感する部分もありますが、
反発するこころももたげてきて、
どういうことかといえば、
片付かないことの妙味と、諦めと、願いが、
一日一日の暮らしにはあるじゃないか、そこが幽かに面白いのではと感じます。
すっかり片付けようとしない、片付いてしまわないところに、
赦しがあり、
謙虚の教えが隠されているようにも思います。
斉藤先生の本の第22章は
「『こゝろ』と聖書の世界」
先生が聖書をどう読んできたのかが分かって面白かった。
仕上がりがたのしみ、たのしみ!

 

・この年の佳きこと算へ冬支度  野衾