ウンベラータ

 

会社のフロアにある緑のうち、ウンベラータの鉢がふたつありまして、
そのうちの一つが昨年、
とうとう天井にとどいてしまいました。
天井を突き破る、
なんてことはまさかない
とは思いましたけれど、
どうも気になる。
見るからに窮屈そう。
というわけで、
先月、
家から剪定鋏を持っていき、土の表面から50センチぐらいのところをバッサリ、
剪りました。
バッサリやったものの、
やってしまったのではないか、
と、
少し不安がもたげてきた。
が、
数日して、
切り口ちかくの茎の辺りがブツブツし始め、
おや、
これはひょっとして。
期待をもって眺めていたところ、
だんだんブツブツ大きくなり、
ついに。
下の写真がそれ。
この写真を撮ってからさらに数日たち、
芽はさらに伸びています。
きょうはどれぐらい伸びたか?
このごろのたのしみ。

 

・花曇り三角屋根のうへの空  野衾

 

根について

 

高く育つ木には、深い根があります。
深い根を持たずにかなりの高さに到るのは危険です。
聖フランシスやガンジー、マーティン・ルーサー・キング牧師といった
この世界の偉大な指導者たちはみな、
世間の悪評に囲まれながら自分に与えられた影響を及ぼす力を謙虚に受け止め、
生きることの出来た人々でした。
それは彼らが深く霊的な根を地に下ろしていたからです。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.137)

 

異色のキリスト者・新井奥邃(あらい おうすい)について、
秋田出身で衆議院議員も務めた中村千代松は、
いろいろエラいひとに会ったけれど、新井先生ほどの人に会ったことがない、
それは、
新井先生には根があるからだ、
という主旨のことばを遺しています。
ところで、
ふかく人と出会い、本と出合い、音楽と出合い、世界と出合うとき、
ひとは感動し、
こころに衝撃が走ります。
しかし、
程なく、またふだん通りの生活に戻り、
ルーティーン化した日常と取り組むことになる。
あの感動は何だったのか。
そう感じることが少なくありません。
ところが、
時がたち、数年、数十年して、
ハッとする出来事が生じ、
また、
ハッとするイメージに思い至ることがあり、
待てよ、
これって、
数年前、いや数十年前の、あの出会いとどこかでつながっていやしないかと、
気付かされる瞬間に遭遇します。
出会いの感動、衝撃は、
目には見えないけれど、
いわば、
ひと粒の種となってこころに蒔かれ、
それが目に見えないところで根付き、根を張り、根を伸ばし、
時を経て、
それが思わぬところに芽を吹く。
地表に、
意識にのぼってくる。
聖フランシスやガンジー、マーティン・ルーサー・キング牧師、新井奥邃でなくても、
だれであっても、
そういうことが人生にはありそうです。
映画『男はつらいよ』の主題歌『男はつらいよ』の二番の歌詞は、
「ドブに落ちても根のある奴は いつかは蓮の花と咲く」
で始まります。
「蓮」はハチス。ハスのこと。

 

・うぐいすや閑の谷を渡りゆく  野衾

 

栗山英樹さんのこと

 

秋田魁新報の「ひと旬」の欄に、
WBCで優勝した日本代表監督の栗山英樹さんのことが載っていました。
通信社からの配信記事かと思われます。
後半部分に、
こんなことが書かれていました。

 

現役引退の引き金となったのが、めまいなどを引き起こすメニエール病だった。
「本当に苦しくて、人生、どうなっちゃうんだろうと思っていた」
と述懐する。
若いころは病気のことを口に出すとめまいが起こる
のではないかと不安になり、
周囲に伝えることは少なかった。
今は
「自分のことばかりを考えてどうするんだと思って。
俺、元気でやってますからと、同じ病気の方の不安を少しでも取り除けられれば」。
講演会などで病気のことを積極的に口にする。
野球を「師」と呼び、
人生のいろいろなことを競技を通して学んできた。
ただ、
今後はユニホームを着る気はないと断言した。
「若い人のために、場所を空けておいてあげないと」
と優しい表情で笑った。
東京都出身、61歳。
(2023年3月23日『秋田魁新報』「ひと旬」より)

 

引用した記事に書かれている主旨は、
ネットニュースで見たり、
テレビの特集番組で見て知っていましたが、
栗山さん本人のことばとして引用している文言のなかの、ひとつのことばに目が留まりました。
「自分のことばかりを考えてどうするんだと思って」
がそれです。
こういうふうに思い、考える人なんですね。
すごいなぁ。
宮沢賢治さんの詩「青森挽歌」のうしろの方に、
こんなことばがあります。

 

感ずることのあまり新鮮にすぎるとき
それをがいねん化することは
きちがひにならないための
生物体の一つの自衛作用だけれども
いつでもまもつてばかりゐてはいけない

 

「いつでもまもつてばかりゐてはいけない」
このことばが、
栗山さんのことばに重なります。
賢治の前を歩んだ妹 宮沢トシの勇進』という学術書を先月刊行したばかりですが、
著者の山根知子さんは、
賢治さんと妹トシさんとのこころの行き交い、
信仰のあり様を、
ライフワークとして研究されておられる方。
その本を編集しながら、
賢治さんとトシさんの、
精神のひびき合うかたちを見させてもらい、
それを通して二人のいのちに触れさせてもらった気がします。
賢治さんが妹のトシさんを思う気持ち、
栗山さんが選手たちを思う気持ち、
そこに共通したものを感じます。

 

・散り残る眼下名残の花に風  野衾

 

翔平さんと岩手県

 

もう一冊、こちらは、大谷翔平さんにスポットを当てて書かれた本ですが、
こんな記述がありました。

 

岩手という地で十八年の歳月と時間を過ごした大谷を栗山監督はこう見つめている。
「翔平は、世の中的なものに左右されていないですよね。
大自然には人間はかなわないということを、
頭では考えたことがないと思いますが、
彼は何となく体で感じ取っているんじゃないですかね。
前にこんなことがあったんです。
あと3イニングスを投げれば防御率のタイトルを二年連続で獲れるというときに、
僕が『どうする?』と訊いたら、
翔平は『どっちでもいいです』って。
結果的にそのときは投げさせなかったんですが、
改めて当時のことを訊いたら
『うぅぅ~ん、(タイトルを)欲しくないというわけじゃないんですけど、
どっちでもいいですよね、そういうのは』
みたいな感じで言うんです。
そういう価値観なんですよね、翔平は」
(佐々木亨『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』扶桑社、2018年、p.187)

 

これ、笑ってしまいます。
好きだ~、ここ。
本を読んだときに、プッと噴き出してしまいましたが、
いまこの箇所を入力していても、
やっぱり可笑しい。
おもしろい。
「どっちでもいい」という翔平さんの顔、
翔平さんのことばを耳にしたときの栗山監督の顔
(「へ?」とか「は?」とか、声が漏れたかもしれない)
を想像すると、
んー。
おもしろい。
体は大きいですけど、翔平さんの表情、野球少年そのものですものね。
あれって、稀有のことではないでしょうか。
ほんとに。
稀有稀有。
アメリカから日本へ来るのにチャーター機で4000万円かかっても、
おカネいっぱいもらっていますから、
そういうのは、
意に介さないのかもしれません。

 

・花誘ひ花の色にて風よ吹け  野衾

 

栗山監督と翔平さん

 

大谷翔平(現・ロサンゼルス・エンゼルス)がファイターズでプレーしていた当時も、
胸騒ぎに襲われたことがありました。
ケガの予兆を察したら、
ほぼすべてのケースで無理はさせませんでした。
周囲からは過保護に映ったかもしれません。
コーチには
「翔平への愛を出し過ぎです」
と言われたりもしました。
自分では
「いやいや、出し過ぎではないよ」
と思っていましたし、
翔平も私とは意識的に距離を取っていました。
高校を卒業したらメジャーリーグへ行きたいと明言していた彼を、
ドラフト1位で指名してファイターズで引き受けたのです。
日本のプロ野球でステップアップさせて、
メジャーリーグへ送り出すという大きな責任が、
私にはありました。
彼の野球人生が成功することに妥協をしなかったからこそ、
小さな変化を見落とさなくなり、
ケガのリスクに敏感になっていたのだと思います。
監督としての経験ではなく愛情
――母親が子どもの表情やしぐさから体調や感情の浮き沈みを読み取る、
ということに似ていたのかもしれません。
(栗山英樹『栗山ノート』光文社、2019年、pp.58-9)

 

WBCでの優勝から、栗山英樹さんについてもっと知りたいと思い、
読んでみました。
『論語』『書経』『易経』をはじめ、
先人の本を多く読み、
じぶんにとって参考になると思われることばを、
その都度ノートに書き記し、
くり返し読んできたそうです。
プロ野球の監督といっても、タイプはいろいろでしょうけれど、
この本を読むと、
日々、
研鑽と努力を怠らない謙虚でまじめなひととなり
が浮かび上がってきます。
大会終了後、
WBCの日本チームの選手たちに話をする栗山監督の動画が公開され、
そのときの翔平さんの姿に好感をおぼえた
という人の
コメントがアップされていました。
たしかに、
なにげない、さりげない姿に、
監督への気持ちが表れていると感じます。
翔平さんの人柄もあるでしょうけれど、
これまで二人が培ってきたもの、
気持ちの行き交いが垣間見られた瞬間でもあったかと。
倦まず弛まず、
仕事を思い、ひとを思うことの大切さを、
本からも教えられます。

 

・「小手指」が耳に「小手先」春うらら  野衾

 

聖書を読むという冒険

 

聖書は、私たち自身の日常的経験を批判的に照射する《別の》世界を映し出しているのです。
それは、
私たちが日ごろ慣れ親しんでいるものの見方や閉じられた生活経験にたいして、
根本的に疑問をつきつけるのです。
聖書は、
私たちに未知の、
まったく新しい地平へ目を開いてくれる《窓》であるばかりではありません。
それは、
さらに私たちにたいして自分自身を映し出してくれる、
それによって自分自身を正しくとらえることを可能にする《鏡》でもあるのです。
いずれにせよ、
聖書は、
情報を伝える言語ではなく、
語りかける言葉です。
それは、
信仰を告白し、賛美し、訴えて、
聖書の言葉に耳を傾ける私たちを同じ信仰へとつき動かそうとするものです。
聖書の言葉は、
そうした信仰の出来事の中に私たちを巻きこむことによって
生きた神の言葉となるものです。
そこでは、
主体的な聞き方=読み方が求められてくるのは当然でしょう。
ふつう私たちが一冊の本を手にとり、
それをまず開こうとするとき、
私たちは、
他者によって創造され体験された未知の世界へ足を踏み入れ、
それによって自分の個人的地平をさらに広げようとする希望に促されているはずです。
聖書を読むという冒険をあえてする人は、
自分の実存が問われ変えられる新しい可能性を探求する途上にある
と言ってよいでしょう。
(宮田光雄『御言葉はわたしの道の光 ローズンゲン物語』新教出版社、1998年、
pp.139-140)

 

アンラーニングという単語をこのごろ目にし、
耳にします。
「これまで学んできた知識を捨て、新しく学び直すこと」
と定義されるようですが、
上で引用した箇所など、
まさに、
アンラーニングによるラーニング、
ということになりそうです。
十代の終りの頃から聖書を読んできましたが、
これで終りということがなく、
読めば読むほど、味わい深く、
いったん身についたと思われることが剥がれ落ちていく、
そんな感覚もあり、
冒険が
「危険を承知の上で、あえてやってみること」
だとすれば、
聖書を読むことはたしかに「冒険」かもしれません。
たとえば、
怒りを爆発させ落ち込み、
それでも、
自分自身を納得させるような理由を見つけ反芻した翌朝、
旧約聖書「箴言」第16章第32節、
「怒りをおそくする者は勇士にまさり、
自分の心を治める者は城を攻め取る者にまさる。」
(口語訳聖書から。
「城を攻め取る者」が、新しい聖書協会共同訳では「町を占領する者」)
なんてことばに遭遇し、
とほほ、
前日納得したはずの理由がポロポロ、
こぼれ落ちてゆきます。

 

・花曇りつんざく鳥の空の道  野衾

 

抵抗の根としての森

 

「自由は土佐の山間より出づ」ということばは、私自身、少年時代に、
よく耳にしたものでした。
今から思えば、
これは、
明らかに土佐の民権運動の中から生まれたものだったのです。
自由党の創始者であった板垣退助の言葉に
「自由は独乙〔=ドイツ〕の深森より生まれる」

というのがあります。
自由の伝統をゲルマンの森に帰した根拠は、
おそらくモンテスキューの『法の精神』あたりから来ていたのではないでしょうか。
この中で、モンテスキューは、
タキトゥスを引きながら
「イギリス人がその国政の観念をえたのは、
彼らゲルマン人からであることが分かるであろう。
この立派な組織は森林中において見いだされたのである」
と述べています。
共同体の最重要問題は自由人全体の会議によって決定する
という古代ゲルマンの民会の慣習が思い浮かべられていたわけです。
この伝統は、
ゲルマン諸民族の中でも、
とくにザクセン民族に強く残り、
それは、
彼らのブリテン島上陸後も継承されました。
いわゆるノルマン・コンクェストにたいするアングロ・サクソンの抵抗精神は、
自由の大憲章として結実しました。
これこそゲルマンの森に由来するというわけでしょう。
モンテスキューがロックの政治理論に影響されて『法の精神』の有名な一章で論じたのは、
まさにこの自由の歴史的伝統だったのです。
『法の精神』は、
すでに明治初年には邦訳も出ていますが、
この本の英訳書は、
当時、
「朝野の間に愛読された」「もっとも有力なる欧州の書籍」
だったと言われています。
自由民権運動の人びとにとって、
ここから、ゲルマンの森への道は近かったのでしょう。
(宮田光雄『御言葉はわたしの道の光 ローズンゲン物語』新教出版社、1998年、pp.91-2)

 

本を読み、自分のスピードでゆっくり学んでいくと、
こういうつながりが仄見え、
たとえていうなら、
深い森の中に入り込んだ自分のところにまで
光が差し込んできたように感じ、
そうか、
そういうことだったのか、
と、
自分なりに発見できた喜びが湧いてきて、
なんだか楽しくなります。
宮田光雄さんは高知県出身、
板垣退助さんも、土佐藩出身ですから、
いまの高知県。
ヨーロッパの自由の精神がゲルマンの森を根拠とし、
それを論じる
「板垣死すとも自由は死せず」
で有名な板垣退助の
「自由は土佐の山間より出づ」のことばは、
なんだか、とても説得力があります。

 

・現状維持診察の日は春の風  野衾