カルビーのJagabee

 

コンビニで買い物をしていた折、レジ前の列に並んでいて、ひょいと横を見たら、
黄緑とベージュ色の爽やかなパーッケージが目に入り、
しゃがんで一袋手に取り、ほかのものといっしょにレジへ。
家に帰り、夕飯を終えた後、
おもむろに袋を開け、なかの捨て一句、
いや、
スティック状のものを口中に運ぶや、
じゃがいも本来の濃厚な味がぶわわわと広がりました。
それがカルビーのJagabee
でありました。
以来、
何度か買っていますが、
だいたい4:6の割合で食べています。
家人が6、わたし4。
ま、いっか、と。
それにしても。
Jagabee、美味い! 美味すぎる!
これを知ってから、ポテトチップスの袋に手が伸びなくなった。

 

・新米か母の手提げの重さかな  野衾

 

受け継がれる心

 

かくして、
「散る花ごとにたぐふ心」は「花摘みより帰りける女ども」の一人一人に「たぐふ心」
ともなったのであるが、
このようなことが可能であるのが古今集的表現の特色なのである。
窪田空穂の『古今和歌集評釈』が、
「詞書を添えると、恋の歌となって、女性に対しての淡い憧れ心を、
隠喩《いんゆ》で現したものとなって来る。
(中略)
人事と自然とを一つに融かして、区別をつけなかったこの当時の歌風が思われる。
区別はさすがに付ければ付くのであるが、付けようとしないところに、
そうした歌風に対しての誇りもうかがわれる。
詞書があるとないとで、歌の内容が全く変って来るというこの事は、
時代の特質である」
と言い切っているのはさすがと言うべく、
春の部に入っているから恋の心を抜いて純粋に春の歌として鑑賞しなければならない
というような窮屈な理解が最近は多いが、
これでは、古今集和歌の「みやび」は理解できないと思うのである。
(片桐洋一『古今和歌集全評釈(上)』講談社学術文庫、2019年、p.666)

 

「たぐふ心」とは、一体になる心、また、連れ添っていく心、のこと。
ここで評釈されている歌は、
凡河内躬恒の

 

留《とゞ》むべき物とはなしにはかなくも散《ち》る花ごとにたぐふ心か

 

その詞書が
「弥生《やよひ》のつごもりの日、花摘《つ》みより帰《かへ》りける女どもを見てよめる」

 

片桐さんの通釈は、
「三月の最終にあたる今日となっては、
もう花の散るのを止めるということはあり得ないので、
はかなく散ってゆく花の一片一片に連れ添ってゆく我が心であるよ。
そんな花を持って帰る一人一人に連れ添ってゆく我が心であるよ。」
我が心。
連れ添ってゆく我が心。
変幻自在のこゝろのありよう。
なるほどと合点がいきました。
ほかの古典もそうですが、
現代語に訳されたものを読んで、ことばの意味を知るだけでは、
いまひとつ、味わうところまではなかなかたどり着くことができません。
たとえば、
『万葉集』なら、このブログでも幾度か取り上げた伊藤博さん、
『古今和歌集』なら片桐洋一さんのものを読むことにより、
歌が作られた背景を知り、
また、その歌が読み継がれてきた時代的背景、読みの歴史を知ることで、
歌を、文を、
幾分でも味わうことができるようになる気がします。
わたしは、
伊藤博さん、片桐洋一さんのものに拠りましたが、
ほかの方の評釈もいろいろ出ていますから、
そこは、出版社のコメント、読者のレビューなどを参考にしながら、
それぞれの勘と好みで選ぶといいように思います。

 

・天高し大宮行きが参ります  野衾

 

『男の生活』

 

敬愛する中条省平先生が、
『マンガの教養 読んでおきたい常識・必修の名作100』(幻冬舎新書、2010年)
のなかで、
「泥くさいショーモナさに噴きだす」と絶賛していたので、さっそく読んでみた。
中崎タツヤ[著]『完全版 男の生活』(白泉社、2004年)

 

42ページ目「完ペキの男」
一コマ目。
ジャケット姿の編集者らしき男が、目の前の向き合う男に笑顔で話しかける。
テーブルにコーヒーカップが置かれているから、
場所はどうやら喫茶店。
「中崎さんてどんな人なんですか?」と編集者。
それに答えて、ウソかホントか、割とイケメンの中崎が
あっさりと、
「ボクってホラ漫画なんか描いててけっこう評価されてるわけだけど、
一所けんめいやってんじゃないのね」
二コマ目。
中崎がウソかホントか、
「まあ、ウチが病院なんかやってるし、
ボクも医師免許もってて生活のこと考えなくていいでしょ」
それを聴いていた編集者らしき男のひたいに汗。
三コマ目。
調子に乗った中崎が、
「それにこの顔でしょ。出身は麻布なんですけどね」
編集者の顔に怒りのしるし。
四コマ目。
さらに調子に乗った中崎が、
「学生のころはよくケンカもしたけど、負けることはめったになかったなあ」
編集者の肩、テーブルに置いた握りこぶしが小刻みに震え。顔には怒りマーク二つ。
五コマ目。
「ボクのことイヤな奴って思ってるでしょ」
編集者らしき男の目はすわっている。
ここで中崎が意外な発言。
六コマ目。
「でもチンポが小さいんですよ」
それを聴いた編集者らしき男の目が、文字どおり、・・
そして最後、
七コマ目。
中崎から顔を逸らし、うしろ向きになり泣いているような編集者らしき男がポツリ
「…よかった…」
中崎、うつむき加減に「よかったはないだろ」

 

文字だけだと、このマンガのショーモナさがうまく伝わりませんが、
実に、
なんとも爆発的にショーモナくて、
敬愛する中条先生がおっしゃるとおり、
休日この箇所を読んでいて思いっきり噴き出しましたら、
ちかくにいた家人に
「またーーーっ!」
って言われた。
気持ちを落ち着かせ、
すこし静まった脳裏に浮かんだのは、敬愛する中条先生の、秋の湖面のような端正な顔。
あの中条先生が、
このマンガを、
どんな顔で読んだのかと思った
ら、
想像するだに、そちらのほうが面白くてぶっ飛び破壊的で、
噴き出しそうになりました。

 

・さびしさを住み処とすなり秋の雲  野衾

 

詩は世界を定義する

 

小学校で詩を習って以来、詩を、文学ジャンルの一つ、
ぐらいにしか考えてきませんでしたが、
イーリアス、アエネーイス、またこちらの、古事記、万葉集、古今和歌集、
お手本の詩経、杜甫などを読んできて
思うのは、
いまでこそ文学ジャンルの一つかもしれないけれど、
春になると蛙、うぐいす、
夏になると蟬、
秋になれば、
実際は鳴かないのに、蚯蚓が鳴くように、
にんげんがにんげんであるためには、詩をうたってきたのだろう、
ということ。
詩が有していた本来の意味、意義は、
文字の発明や科学技術の進歩などにより、
時代とともに細分化され、
希薄化、拡散したかもしれないけれど、
失われたわけではなく、
ひょっとしたら、
いわゆる詩よりも、いろいろに形を変え、今に至るまで残ってきたのではないか。
クラシック音楽をはじめ、ジャズやロックなど古今東西の音楽、
さまざまな歌、民謡、童謡、カラオケ、
ありがとう、こんにちは、いただきます、さようなら、
等々のあいさつだって。
ほとんど、
ことば本来のありように近く詩があった、
いやむしろ、
ことばは詩だった。詩がことばだった。
生きられる喜びの表現として、
ふかくこころの通ったコミュニケーションツールとして。
そんなふうな想念がもたげ始めたのは、
もともと詩は口承のものであり、
ということは、
記憶に深く関係していただろうということ。
字を読まなくても、読めなくても、字を知らなくたって、
記憶さえあれば。
記憶の力。
ばんばごだーぢ あーぢまれ。
意識しないでも記憶することはあるけれど、忘れぬように意識しようとすれば、
きたないものよりも、きれい、醜いものよりも、美しい
と感じられるものを凝視し、
ことばを短く、ならべ、そろえ、韻を踏む。
そのほうが覚えやすい。
記録しなくても、
たいせつなものを記憶によっていつでも呼び出し、
諳んじられる。
諳んじることで、だいじなことが確認でき、そこに喜びがある。
感動を伴う世界の定義。
そんな興味と関心をもちつつ、
これから『文心雕龍』『詩品』を読もうと思います。

 

・休日の勤め閑あり秋の蜘蛛  野衾

 

矢内原忠雄と新井奥邃

 

このごろの朝読は、矢内原忠雄の『土曜学校講義 五』の「ダンテ『神曲』Ⅰ」。
みすず書房から刊行されたは1969年
ですが、
講義そのもの(地獄篇、煉獄篇、天国篇の全体で94講)
は、
1942年4月から1944年12月まで。
戦時中のことです。
戦時下において、
つどう人びととともにダンテの『神曲』を読み、
講義していたというだけで凄いと思いますが、
語り口がなんとものびのびしており、
読んでいると、
戦時下であることを忘れてしまいそうになります。
さて、
わたしが注目したのは、
講義で用いている日本語訳。
矢内原は、
第一講で、日本語の全訳は、中山昌樹のものと山川丙三郎のものがあり、
山川訳の方がいいけれど、
山川訳は非常に少なくて購入が難しいだろうから、
便宜上中山訳を使う、
と語っている。
そういうことで講義は始まりますが、
矢内原は、ことあるごとに、しばしば山川訳を紹介しています。
戦後になって山川訳は岩波文庫に入りましたが、
岩波文庫には、
山川訳のもともとの版である警醒社版の巻頭にあった新井奥邃のことばが抜けている。
わたしの記憶違いでなければ、
岩波書店は、
岩波文庫に山川訳のダンテ『神曲』を入れる際、
作家の正宗白鳥の言を入れて外したのではなかったか。
ところで、
矢内原が講義のなかで盛んに引用する山川訳、
岩波文庫にはまだ入っていませんから、
矢内原が読んでいたのは、
奥邃のことばが巻頭に収録されている警醒社版とみて間違いないのではないか。
いまのところ、
講義のなかで奥邃に触れてはいませんが、
天国篇までは三巻ありますから、
どこかで新井奥邃の名前が出てくるかもしれません。
出てきたら、
このブログでそのことを報告したいと思います。
が、
仮に出て来なくても、
矢内原が警醒社版のダンテ『神曲』を読んでいたのはまず間違いないのだし、
だとすれば、
謹厳実直、
読み巧者の矢内原が奥邃のことばをいかに読んだか、
想像するだに楽しくなってきます。

 

・何かあるか何もない日の夜長かな  野衾

 

文と写真との距離

 

このブログの下にいつも写真を一枚掲載しています。
テキストと対応する写真かといえば、
そんなことはなくて、だいたい文章と関係のない写真がほとんど。
きのうも、
カマキリのことを書いたのに、
写真は、
仕事帰りに工事現場で見た電気の数字。
カマキリを撮った写真も、あることはありました。
が、
カマキリのことを書いて、カマキリの写真では芸が無いのでは、
というよりも、
じぶんでなんとなく楽しくなくて、
スマホで撮ったいくつかの写真から一枚選び、
ポチっと。
なんで楽しくないかといえば、
一日が、
カマキリを意識した時間もあったけど、
電気の数字に目が行った時間もあって、
たとえば、
カマキリが東だとすれば、電気の数字は西、
カマキリが万葉集だとすれば、電気の数字はカズオ・イシグロ、
カマキリが元気とすれば、電気の数字は消沈、
わたしは目をみはり、息をつめたり、深呼吸をしたり。
たとえば、
です。
一日は、
刻々変化する天気のようでもあるし、
ジェットコースターのようでもあり、
テキストと写真が近い時は、
気持ちが割と安定していて、
テキストと写真が離れ、どうしてその写真なの?と感じられる時は、
気持ちが激しく揺れて不安定、
いや、
同じ一日なのに、
空間的にはいつもと同じ移動しかしていないのに、
精神は知らない町を旅していた、
たとえば、
そんなようなことかな、
とも思います。

 

・華やぎて退け退け退けと野分かな  野衾

 

カマキリ

 

このごろカマキリをよく見ます。
カマキリは、漢字で書くと、蟷螂。とうろうとも読みます。
書き取り問題に出されたら、
ちょっと覚束ない。
家人は虫が嫌いで、なかでもカマキリは一二を争うぐらい嫌いらしく、
ギャーーーッ、と声を発し指差す先を見れば、
このごろは、だいたいカマキリ。
先日はベランダに登場。
そうとう大きい体格でしたが、
色から判断すると、
まだ若者のようで。
わたしが近づくと、蟷螂の斧よろしく、
また、
真空飛び膝蹴りで一世を風靡したキックボクシングの沢村忠よろしく、
脇を固めて向かってくる風情。
腹と長い首の境い目のところを摘まむと、
ものすごい力で振り向き、
ギザギザのついた斧でわたしの指をガッキと挟みましたから、
たまりません。
あわてて振りほどいたら、
バサと飛んで、フワリ。なかなかの運動神経。
ああ痛かった。

 

・予報士を裏切りて行く野分かな  野衾