時代のなかで読む

 

小学校の理科教室の黒板の上に、
黒黒と「真理探求」の文字が掲げられていたことを、
これまで書いたり、
口頭で話題にしたりしてきましたが、
「真理探求」の「探求」は、「探求」でなく「探究」だったかもしれません。
きっとそうだったでしょう。
確かめたい気持ちはありますが、
わたしが学んだ校舎はすでになく、
いまのところ確かめようがありません。
そのことをまた思い出したのは、
読み始めた矢内原忠雄の『土曜学校講義 5 ダンテ『神曲』Ⅰ』の文言のなかの
「真理」が浮き出て見えてきたからです。

 

この前は空襲があり、欠席した人がありますから、
初めに簡単に土曜学校の性質を話しておきます。
この前言ったことでありますが、私ども、今年はダンテを学ぶことにしました。
ダンテを学ぶことと、
ダンテによって真理を学ぶこととは違うことなのです。
私どもは何かによらなければ真理を学ぶことができません。
――何かによらなければ真理を学ぶに非常に不便です。
ですからダンテによって真理を学ぶことは大いに意味があり、かつ有益なことです。
ダンテによって真理を学ぶためにはダンテを知らなければなりません。
ダンテを知らずして
――ダンテについての知識をもたずして――
ダンテによって真理を学ぶことはできない。
しかしダンテについての知識をもつことは、必ずしも真理を学ぶとは言えないのです。
ダンテの深い精神を知れば、
それはダンテによって真理を学ぶことなのですが、
ダンテを外側で――外形的に知ることは、
ダンテによって真理を学ぶとは言えない。
本当の意味でダンテを知ったとは言えないのです。
ダンテ学とかシェイクスピア学とか、専門の研究があります。
そういう研究をしている人たちは微に入り細を穿ってダンテを研究します。
それはダンテによって真理を学ぶために大いに役に立つことですが、
しかし私どもがここで学ぼうとしているのは、
いわゆるダンテ学を学ぶのではありません。
私はダンテ学を教える資格もなし、知るところ極めて乏しいのです。
ただわれわれもダンテによって真理にふれることは、
――いやしくも真理を愛し、誠実な態度をもって真理を学ぼうとするものには――
それぞれの態度に応じてゆるされることなのです。
(矢内原忠雄[著]『土曜学校講義 5 ダンテ『神曲』Ⅰ』みすず書房、1969年、p.17)

 

矢内原忠雄は、キリスト教主義に根ざした言論が批判の対象となり、
東京大学教授の辞任を余儀なくされました。
辞職後、
1939年から自宅で土曜学校を開きましたが、
引用した講義が行われたのは、
1942年4月25日。
空襲うんぬんから、
きびしい時代のなかでの講義、読書会であったことが分かります。
本を読むのは、
寝転がってでもできる
(いまの中国で「寝そべり族」という若者の出現が注目されているのだとか)
ことですが、
時代から飛び出し、時代から遊離して、
読書をするわけにはいかない。
矢内原忠雄とそこに集う人びとが
戦時下においてダンテを読んだように、
ことばが、
ことばの本質が失われていく、
いまこの時代の状況下において本を読むしかありません。

 

・灯り消しとろりの闇に虫の声  野衾

 

コメディアンの覚悟

 

おととい土曜日、テレビを点けたら、
キングオブコント2021をやっており、見ていたら面白かったので、
きわめてわたくしごとながら、
ふだんのルールを破り、
就寝時刻を一時間も延長して最後まで、
見ました。
見てしまった、でなく。
優勝は空気階段。
決勝に進出した顔ぶれを見ると、すでに知っているチームもありましたが、
初めて見るチームも数組あり。
三時間ほど見ていて感じたのは、
時代は確実に変化しているということ。
また、
コロナのことは、
ネタの中には一切出てきませんでしたけれど、
これは想像ですが、
こんな時代において、なぜいまじぶんたちはお笑いをやっているのか、
やり続けていこうとしているのか、
お笑いってそもそも何なのか、
そういう問いを含みつつのコントが多かった気がします。
睡眠時間を一時間減らしても見る価値は十分。
というわけで、
元気に眠りに就くことができました。

 

寅さんで成功してからの渥美清と、雨の降る肌寒い日、ばったり地下鉄で会ったことを
今回、加筆してあります。
「これから松竹へ行くんだ」って言うから、
ぼくが
「松竹もタクシーくらい用意したってバチは当たらないだろうに」と応じたら、
うまい喩えををしました。
「おれみたいな役をやってるのは、車に乗ってちゃダメなんだ。
こうやってパチンコの玉みたいにのべつ《「のべつ」に傍点》くるくる動いてないと、
錆びついちゃうんだよ」。
びしりと、そう言いました。
彼だって、それまではタクシーに乗ってたんですよ。
寅さんの役のために、
意識して地下鉄に乗るようになったわけです。
こういうことも〈喜劇人としての覚悟〉ですよね。
(小林信彦[著]『決定版 日本の喜劇人』新潮社、2021年、p.551)

 

・寂しさも華やぎて在り土瓶蒸し  野衾

 

野〈や〉の23期目

 

弊社は、本日より23期目に入ります。
22期目は過去最高となる60点の書籍を刊行しました。
百パーセントではありませんが、
ほとんどが学術書です。
2019年に亡くなった日本文学者のドナルド・キーンさんは、
『百代の過客〈続〉』の序で、
「私の関心を最も惹いたものは、日記作者その人の声にほかならなかった」
と記していますが、
この言に準えていえば、
「私の関心を最も惹くものは、学術書を執筆する著者の声にほかならない」
ということになりそうです。
日記もそうですが、
学術書も、
すぐにこれと分かるような形では声を聞くことができません。
ところが、
精緻に記述された学術書を丹念に読んでいくと、
直接ではない、
木霊のようなエコーとして聴こえてくる
と感じられる瞬間が訪れます。
学術書を編集していて、
この瞬間の体験は、
ちょっと他と替えがたい。
それぞれの著者が一つのテーマを追いかけ、研究し、
その過程で思索したことを記述しているうちに、
著者それぞれの体験から発せられる声が学問の峰々に向かって発せられ、
それが、
原稿を精読しているうちに、
静かなエコーとして聴こえてくるのではないか、
そんな想像がもたげてきます。
それが聴こえてくるとき、
学問の営みを通じても、人とつながることができるのだ
という、
確信めいたものがふつふつと湧いてきます。
たとえば。
これまで弊社から、博士論文を書籍化された方が約100名おられますが、
その方々に、
書籍化の過程で考えたこと、
今後の展望について原稿をお願いしたところ、
50名ほどが寄せてくださいました。
これを一書にまとめ、
来春『わたしの学術書』として出版する予定です。
著者それぞれが今後を考えるための一里塚、
またこれから学問の世界で生きていこうとする方々への励ましと参考になればと願っています。
できれば、
シリーズ化することも考えています。
いま学問の世界において喫緊の課題は何か、
と問われれば、
端的に言って「総合化」ということになろうかと思います。
とくに人文系の学問を考えるとき、
学問研究をとりまく環境は決して望ましいとは言えないようですが、
そうであればあるほど、
学問をすることの根本にかえって、
その喜びを探り、記述することが大事ではないでしょうか。
学術書の編集者、出版社は、
その手伝いをさせていただくことに
大いなる喜びを感じます。
23期目もどうぞよろしくお願いいたします。

 

・国道沿い騒音の間の虫の声  野衾

 

『対談集 春風問学』

 

2012年から、いろいろな方と対談、鼎談を行い、
それを春風新聞に掲載したり、図書新聞に掲載していただいたりしてきましたが、
こんかい、
それらを一書にまとめ
『対談集 春風問学』として刊行することになりました。
Amazonですでに予約注文が始まっています。
ご参考のために、目次を引用すると、
以下のとおりです。

 

対話はよろこび、学を問いつづけて(はじめに)
池内紀の読書会(池内紀×三浦衛)
長田弘の読書会(長田弘×三浦衛)
「本を読む、書く、出版する」よもやま対談(平尾隆弘×三浦衛×中条省平)
北上川という宇宙 3・11以前の「日常」をめぐって(橋本照嵩×佐々木幹郎×桂川潤×三浦衛)
文は人(池内紀×横須賀薫×三浦衛)
「本は物である」考(桂川潤×三浦衛)
学術書の未来 学術書の出版はどこへ向かうのか(鈴木哲也×三浦衛×馬渡元喜)
教育・学問の原点 鎌倉アカデミアに学ぶ(大嶋拓×三浦衛)
本づくりの根 赤羽―鎌倉―桜木町(上野勇治×三浦衛)
「学ぶ」について(石渡博明×三浦衛)
知識と経験と勘 鍼灸の世界(朝岡和俊×三浦衛)
叡智の人 森田正馬にきく 森田療法の誕生(畑野文夫×三浦衛)
「ソコカラ ナニ ガ ミエル?」 都市をめぐって 都市は喘いでいる(吉原直樹×三浦衛)
「悪の凡庸さ」とリーダーシップ(末松裕基×生澤繁樹×橋本憲幸×三浦衛)

 

どの対談、鼎談も思い出深く、またなつかしく、
幾度も思い返しては、都度に、考えるきっかけをもらってきました。
このごろよく思い出すのは、
2019年にお亡くなりになったドイツ文学者でエッセイストの池内紀さんのこと。
対談の際、
参加された方からの質問にこたえ、
池内さん、
こんなことをおっしゃいました。

 

最近はあまり一人では山に行かないのですが、
一人で歩いていると、
これまで自分が出会ってきたいろんな人と自分の中で会話ができる。
初恋の人を呼び出して、
「最初に新宿で会った時、どの喫茶店で話したか」
なんてことを思い出しながらずっと歩いていると、
急に対話の相手が三番目の人に変わったりする。
そういう一人対話は楽しいですね。

 

この話をされたときも、
池内さんは、いつもの、あのにこやかな表情をされていました。
わたしも、
山歩きではないけれど、
会社への往き、復り、同じことをしています。
すでにこの世にいない人とでも、
一人対話なら楽しむことができます。
さて『対談集 春風問学』
ですが、
装丁は南伸坊さん。
すてきな装画を描いてくださいました。
Amazonのページはコチラ
発売は10月15日です。

 

・秋の風揺れて草木の白さかな  野衾

 

哲学とは何か

 

拙著『文の風景 ときどきマンガ、音楽、映画』に関する鼎談の折、
学習院大学の中条省平先生が
ジル・ドゥルーズの『シネマ』に触れられ、
そのことばが印象にのこりましたので、
さっそく読んでみました。
「シネマ1」「シネマ2」とあって、
1は「運動イメージ」、2は「時間イメージ」
2の最後の第10章「結論」に、
映画を論じることは哲学なんだということに関して、
ドゥルーズはこう言っています。

 

多くの人々にとって、哲学は「生成する」ものではなく、
出来合いの時空にすでに作られたものとして、
前もって存在している。
しかし哲学理論はその対象に劣らず、それ自体一つの実践なのである。
……………
映画の概念は映画の中に与えられてはいない。
しかしそれは映画の概念であって、映画についての理論ではない。
したがって、
真昼であれ真夜中であれ、
もはや映画とは何かではなく、
哲学とは何かと問わねばならないときが、いつもやってくる。
映画それ自身はイメージと記号の新しい実践であり、
哲学は概念的実践としてその理論を作らなければならない。
なぜなら
どんな技術的あるいは応用的(精神分析、言語学)、内省的な規定も、
映画そのもののもろもろの概念を構成するのに十分とはいえないからである。
(ジル・ドゥルーズ[著]宇野邦一/石原陽一郎/江澤健一郎/
大原理志/岡村民夫[訳]『シネマ2*時間イメージ』法政大学出版局、2006年、p.385)

 

く~っ。
でも。
分かったような、分からないような。
ともかく。
哲学が実践であり「生成する」ものであるという考え方に魅力を感じます。
哲学が哲学であるということは、
そこで語られていることがつねに開かれており、
いま、いま、
を開いていくことになるのだと。
道元禅師なら「而今」とでもいうところでしょうか。
哲学の本が、
難しいけど面白い、面白いけど難しい、それなのにやめられない止まらない、
カルビーのかっぱえびせん
なのは、
生きているいまこの瞬間に関わることだからなのでしょう。

 

・秋冷や空の下なるいのちどち  野衾

 

ハーヴェスト

 

拙著『文の風景 ときどきマンガ、音楽、映画』につきまして、
いろいろな方から、
ありがたい葉書、手紙、絵、電子メール、また直接のコメントをいただきました。
寄せられることばに接するたびに、
じぶんでは気づかなかったことに気づかされ、
本を出してよかったと思います。
今回の本では、
この十一年間に読んだ古今東西の本が中心ですが、
一読者として改めて拙著を読んでみると、
その都度取り上げた本のなかのことばたちが、
いわば、
わたしの記憶(=精神)の田んぼに蒔かれた種で、
拙著は、
その種が時の恩恵をいただき、
日々の体験から養分を摂取しやがて実りの季節を迎え、それを刈り入れ束ねて出来たもの、
とも思います。
なかには、
途中で枯れてしまったり、
鳥に啄まれたりしたものがあったかもしれない。
それは、
種の問題というより、土の問題。
これらの連想は、
畏友高橋大さんからいただいた絵によって喚起された部分が大きい
気がします。

 

・秋麗や亡き友と行く半僧坊  野衾

 

将来の夢は

 

小学五年生のとき、だったかと思います。
担任は、小武海市蔵(こぶかい いちぞう)先生。
国語の時間に「将来の夢」をテーマに作文を書く、というのがありまして。
わたしが書いた作文のタイトルは
「日本一の百姓」
大きく出たものです。
内容はすっかり忘れてしまいましたが、
なぜそのタイトルにしたかといえば、
理由ははっきりしていて、
稲刈り後の、父の、ある姿が目に焼きついていたからです。
当時まだコンバインはなく、
バインダーが出始めの頃だったでしょうか。
ともかく、
刈り取った稲をどうしていたかといえば、
地元で「ほにょ」と呼ぶ杭を田んぼに挿し、
束ねた稲をその杭に、たがいちがいに十文字に重ね上げ、
二週間ぐらいでしょうか、
天日で干し、
十分に乾いてからトレーラーに積み込んで、
家の庭と倉庫に、それでも不足のときは家のなかの部屋にまで、運び入れました。
天日で干した稲を運ぶというだいじな日の終りの回に、
雨が降ってきた。
父は、
着ていたものをすべて脱ぎ、稲を蔽い、
パンツ一丁となって、トレーラーに繋いだ耕耘機の運転台に乗った。
父は、無言のまま、
あたりまえのこととして動いていたようですが、
それはわたしが、
「働く」ということを、
理屈でなく見た、知った、瞬間であったと、
いま思います。
それを思い出したのは、
今月刊行された松本大洋の新作『東京ヒゴロ 1』(小学館)を読んだからです。
これは、
漫画編集者・塩澤を主人公にした物語で、
塩澤は、
じぶんが立ち上げた雑誌がうまくいかなかったのを機に、
30年間勤めた出版社を自己都合により退社します。
しかし、
漫画への熱い思い断ち切りがたく…、
というようにストーリーは展開していきますが、
30年間の編集者時代のエピソードが、
いい感じで、
ときどき差し込まれ、
塩澤の人となりがだんだん見えてきます。
かつて、
じぶんが担当した女性漫画家から出来立ての原稿を預かって外に出たとき、
雨が降ってきた。
塩澤は着ていた背広を脱いでぐるぐると原稿に巻きつけ、
傘をその上にだけ差し、
じぶんは濡れ鼠のようになって道を急いだ。
女性漫画家はその姿を、
深夜の喫茶店の二階から見ていて、ある決心をする。
「これからは、自分が好きなものだけ描く」
ここを見て、読んで、
父のあのときの姿がまざまざと蘇りました。

 

・秋深き丘に佇立の友を見し  野衾