原著者への愛

 

精神医学の目的は、人間の生きている相《すがた》を理解し、
この理解をとおして人間の生きる道をなだらかなものとすることにある。
精神障害者を治療するという(狭義の精神医学の)立場も、
この大目的につながるものとみてよいであろう。
たとえ狭義の精神医学の立場に立っても、
治療目的を設定し、治療計画を立てる段ともなれば、
どうしても社会構造を一つの重要な因子として計算に入れないわけにはゆかない。
臨床実践の中でも広い視野をもちつづけるだけの力量のある精神科医は、
早晩、
より進んだ立場に立って
そこから精神医学の大目的を達成する方策を考えなければならない
と覚《さと》るようになるだろう。
私がここでいう社会構造とは、
ただ単に患者の対人関係改善の限界を定めるものではない。
患者の問題はもとを辿れば間接的に社会構造に帰着し、
逆に、
社会構造の歪みはその徴候が患者個人の問題として現われる。
そういうものとして社会構造を位置づける
のが私の立場である。
(ハリイ・スタック・サリヴァン[著]中井久夫・山口隆[共訳]『現代精神医学の概念』
みすず書房、1976年、p.204)

 

いいなあこの伸び伸び広々とした感じ。溌剌さ。そして、こころざしの高さ。
中井久夫さんがサリヴァンの翻訳に多くかかわっている
ことの意味が、
この文章からもわかる気がします。
翻訳された日本語を読んでいるのに、
ときどき、
もとが英語であることを忘れ、
中井さんがじぶんの考えを述べたものとして読んでいるような錯覚をおぼえます。
それぐらいこなれていて、
専門書なのに、
ゆっくり読めば、
数行前にもどって読むようなことはなくて済む。
翻訳書なのにこの感じ。
村上春樹さんが訳したレイモンド・カーヴァーを読んだとき
を思い出します。
原著者への愛のなせる業なのでしょう。

 

・お日さまの匂ひ豊けし卒業式  野衾