サリヴァンとフィッツジェラルド

 

さらに、ジャズ・エイジの寵児だったフィッツジェラルド夫妻
つまり作家のF・スコットとその妻ゼルダというモデルの破壊的な衝撃力がある。
一九二七年ごろのフィッツジェラルド夫妻は
デラウェア州ウィルミントン近郊に住んでいた。
フィッツジェラルドは大酒を飲み、作品を書くことがきわめてむつかしくなっていた。
多分この年だろう。
フィッツジェラルドはサリヴァンに逢っている。
もっともどういう形で逢ったか、正確なことは分らない。
(ヘレン・スウィック・ペリー[著]中井久夫・今川正樹[共訳]『サリヴァンの生涯 1』
みすず書房、1985年、p.310)

 

伝記を読んでおもしろいのは、こういう記述にときどき遭遇することだ。
サリヴァンとジャズ・エイジの寵児・フィッツジェラルドは
逢って何を話したろう。
自身の酒癖のことか、
はたまた妻ゼルダの精神状態のことか。
サリヴァンの養子となり当時同居していたジェームズ・インスコー・サリヴァンは、
F・スコット・フィッツジェラルドに会ったことがあると、
著者のペリー女史に話したそうだ。
ペリー女史は、
ジェームズがサリヴァンに紹介されてフィッツジェラルドに会ったのだろう
と推測している。
なお、
ペリー女史はまた、注でつぎのように記している。
「ジェームズ・サリヴァンは、
サリヴァンの患者の情報を洩らさないように特に気をつけていた人で、
間接的にそれとなくほのめかすことが時々あっただけである。」
この注の記述から、
著者のこころ配りが感じられ、
情報の信憑性がいっそう高くなる気がする。

 

・白雲と連れ立ちてゆく春の水  野衾