概論書について

 

概論書による教育を通じて得た〔学問的〕習性は、たとえそれが最良の状態でなされ、
いかなる欠点も伴わない場合でも、
それは、
広汎かつ長大な典籍の研究を通じて得た習性よりも劣るものである。
後者の場合には、
数多の反復や長期の勉学がなされ、
そのいずれもが完全な〔学問的〕習性の獲得に役立っているのである。
ところが
わずかの反復しかなされない場合には、
当然その習性も劣ったものとなる。
概論書による教育の場合も同じで、
学生が専門的知識をたやすく修得することを目的としているにもかかわらず、
有益でしっかりした習性を身につけることが妨げられているために、
かえって学問の修得を困難にさせているのである。
(イブン=ハルドゥーン[著]森本公誠[訳]『歴史序説(四)』岩波文庫、2001年、p.94)

 

イブン=ハルドゥーンは、1332年、チュニジアのチュニスに生まれました。
中世のイスラーム世界を代表する歴史家、思想家、政治家で、
岩波文庫に入っているのは、
タイトルにあるとおり、
「序説」であって、
書かれた『歴史』本編は、
この何倍もある膨大なものだとか。
滔滔とながれる人間の営みのあれこれについて、
ゆったりと、
それでいて細心のきめ細かな叙述が特徴であると感じられ、
歴史に名をとどめている人の思索の一端
を垣間見る気がします。
引用した箇所などは、
いまもまったく同様であるようです。

 

・読み止しの本の疑義問ふ書架の秋  野衾

 

デパートのにおい

 

せんだって、エスカレーターに乗っていたら、
すぐ横を、
髪の長い女性が静かに歩いて下りていきました。
ほのかにいい香りがし、
不意に昔の記憶がよみがえりました。
子供のころ、
まだ若かった父と母、それに弟、
四人で「秋田さ行ぐ」のが、いちばんの楽しみでした。
わたしのふるさとは秋田県なのですが、
「秋田さ行ぐ」の秋田は、
地理的な意味でなく、
動物園があり、まんぷく食堂があり、木内デパートがある秋田駅周辺のことであって。
「秋田さ」の「さ」は、
方向を指し示す助詞。
「秋田さ行ぐ」と言ったときの、
あの、うきうきした気持ちを、いま何と比較し、どう表現していいものか、
分かりません。
木内デパートに入るとき、
少し緊張したものです。
さーっと明るい光が降り注ぎ、床は、どこもかしこもぴかぴか。
それと、いいにおい。
土や緑や山や川に親しんでいる子供にとって、
木内デパートは、
いわば、
あこがれの都会そのものでした。
秋田出身の三人でつくるフォークグループ「マイ・ペース」の
リード・ボーカル森田貢さんが、
今年六月に亡くなりましたが、
ヒット曲「東京」で表現される東京的なもの、
「美し都」「花の都」東京を、
木内デパートは無言で垣間見せてくれていたと思います。
あっという間です。

 

・夏草や伸びてここまで蔓の先  野衾

 

マルクス・アウレーリウス

 

このあいだの日曜日、
Zoomによる対談を行った際、米山優先生の『アラン『定義集』講義』のなかから、
対談の進行上、何か所か読み上げたなかに、
マルクス・アウレーリウスの『自省録』がありました。
わたしが読み上げ、感想を述べると、
米山先生はしきりにうなずき、
その箇所が好きなのだと仰いました。
岩波文庫に入っている神谷美恵子訳の『自省録』を読んだのは、
四十年以上前のことになります。
それ以来読んでいませんでしたが、
こういう本は、
一度読んでそれでよしということはないはず。
というか、
ローマ皇帝で哲人であったひとの深い孤独のなかから紡ぎだされた珠玉のことばは、
時代を超えて、
だれのこころをも深く慰めてくれるようです。
米山先生の本にも引用されている『自省録』のことばを引きます。
文字の大きいワイド版岩波文庫から。

 

ある人は他人に善事を施した場合、ともすればその恩を返してもらうつもりになりやすい。
第二の人はそういう風になりがちではないが、
それでもなお心ひそかに相手を負債者のように考え、
自分のしたことを意識している。
ところが第三の人は自分のしたことをいわば意識していない。
彼は葡萄の房をつけた葡萄の樹に似ている。
葡萄の樹はひとたび自分の実を結んでしまえば、
それ以上なんら求むるところはない。
あたかも馳場を去った馬のごとく、
獲物を追い終せた犬のごとく、
また蜜をつくり終えた蜜蜂のように。
であるから人間も誰かによくしてやったら、
〔それから利益をえようとせず〕
別の行動に移るのである。
あたかも葡萄の樹が、時が来れば新に房をつけるように。
(マルクス・アウレーリウス[著]神谷美恵子[訳]『自省録』ワイド版岩波文庫、
1991年、pp.64-65)

 

肝に銘じておきたいことばのひとつです。
ちなみに、引用文中の「追い終せた」は、
「追い果せた」と同じく、「おいおおせた」と読むのでしょう。

 

・モンク憂しまたありがたしモンク聴く  野衾

 

第一句集

 

句集を出すことになりました。
毎日このブログの最後に一句掲載していますが、
いつ始めたのかと思い、さかぼって検索してみたら、ほぼ十五年前でした。
はじめてつくった俳句が、

 

パナマ帽夕立ばちばち破れ笠

 

というもの。
夕立は「ゆうだち」ですが、
「ゆだち」とも読めますから、ここでは「ゆだち」と読んでいます。
実体験を句にし、五・七・五、
いちおう十七音にはなっていますけれど、
これには季語が、
ふたつならまだしも、
三つ入っています。
パナマ帽が、夏帽子の子季語あるいは傍題で、夏。
夕立が、夏。
破れ笠は、
素浪人が被っているような笠を連想して、
そうしたのですが、
破れ傘という、
山地の薄暗い林下に生えるキク科の多年草の名称で、
れっきとした夏の季語でした。
ああ。
こうして始まった「わたしの俳句」
でありました。
その後、
写真家の橋本照嵩さんと連日、ファックスをつかい、できた俳句を見せ合ったり、
ふたつの俳句結社に入っておられた金子か代さんに
添削してもらったり、
そういうことはありましたが、
とくに、結社に所属したり、
先生について習ったことはありません。
いわゆる無手勝流であります。
俳句の本は、
松尾芭蕉のものからはじめ、かなり読みました。
このごろは、
木曜日のプレバトと、日曜日のNHK俳句が、
わたしの先生です。
今まで出してきた本もそうですが、
小説が小説としてどうか、
エッセイが作品としてどうか、
俳句が俳句としてどんな出来栄えか、
それが気にならないことはないけれど、
本を出したわたし個人の切なる思いとしては、
それよりも、
「ことばって何?」
そのことが最大の関心事であります。
ソシュールの『一般言語学講義』に啓発され、研究を推し進め、
日本語の文法の本を書いた時枝誠記と、
気持の上では重なるところがあると感じます。
無手勝流とはいえ、
十五年間やってきましたから、
そうとうの数に上ります
が、
はじめの十年間ぐらいは、
我ながら、
人さまに見せられるようなものがきわめて少ないと感じられ、
なので、
主に、
この五年間につくった俳句のなかから、
三百八十句ほどを選び一書にまとめました。
Amazon等で、
すでに予約注文が始まっています。
コチラ
三百八十句のなかで、見られるものが何句かあればうれしいです。

 

・浴びるほど降りきて止まず蟬の声  野衾

 

オンラインとノンライン

 

きのうの日曜日、
『アラン『定義集』講義』の著者、米山優先生とオンラインでの対談を行いました。
『アラン『定義集』講義』は、
米山先生が名古屋大学において、
2017年の定年まで、
十年余りにわたり行った講義草案を基にまとめられた本です。
いまから三年前にこの本を買って読み、
とてもおもしろかったので、
本を出版している版元経由で、対談をお願いしたところ、
快く引き受けてくださったのですが、
新型コロナの影響により、
延び延びになっていました。
対談の内容は、次号『春風新聞』に掲載予定です。
対談は午後からでしたが、
午前中は、
マンションの総会があり、
それに出席しました。
議案の一つに、
【オンラインによる総会等の運用承認に関する件】
があり、
はぁ、いまどきだなぁ
って思いました。
体を運ばなくてもできることは、
体を運ばないでする、
そういう時代がきたようです。
体をどこに置くか、
メリハリを感じる今日この頃でありますが、
必然的に、
ひとりの時間が多くなります。
『アラン『定義集』講義』のなかに「礼儀」の項目があって、
礼儀といえば、
自分以外のひとを想定するのがふつうですが、
自分に対しても礼儀正しくあることの要諦が論じられています。
中国の古典『大学』の「慎独」に通じる考え方
であると思います。
なぜ自分に対して礼儀正しくあることが大切か。
いろいろ考えさせられますが、
その言葉から連想するのは、
ゴーゴリの『死せる魂』のなかの、
「ひとは一人になると何をするか分からない」
という言葉。
場所の制約がかつてほどでなくなるにつれ、
自分への礼儀正しさについて考えさせられる場面が多くなりました。

 

・さき旨し丸もまた佳しどぜう汁  野衾

 

一字も削れない

 

このころ宵曲は、自宅の大森から水道橋までの定期をもち、
午後、
まず本郷に岡本経一氏の青蛙房に寄ってから、
夕方五時半頃には、
神保町に八木福次郎氏の日本古書通信社を訪ねるというのが予定のコースだった。
八木氏によると――
事務所で仕事をしていると、
階段をコトッ、コトッ、コトッと昇ってくる下駄の音が聞こえてくるんです。
そのころでも下駄の人は少なかったので、
柴田さんみえたなとわかります。
手すりのない木造の急な階段を、
手をつくようにして昇ってこられるんですね。
六時半頃いっしょに社を出て、
御茶ノ水駅近くの喫茶店で、
いつも決まった席にすわって珈琲をのみながら一時間ぐらい話をしました。
柴田さんとよく行った喫茶店は、
明治大学の通りを上った左側の八百屋の二階にありました。
今の茗渓堂のあたりでしょうか。
柴田さんは書くのは速かったですね。
「古書通信」の紙面の都合で埋め草を急遽お願いすると、
しばらく考えてから下書きもせずに書きはじめ、
二十五行なら二十五行に収まるように書いて一字の訂正もないというふうでした。
柴田さんの文章は一字も削れないんです。
行間を変えたり、
行を追い込んで組むよりありませんでした。
柴田さんを俳句とすると、
森(銑三)さんは和歌でしたね。
やはりきれいな書き直しのない原稿でしたが、
三十一文字ですから削れるんです。
(鶴ヶ谷真一『月光に書を読む』平凡社、2008年、pp.214-215)

 

たとえば引用したこの文章をゆっくり三度読むと、
たしかに、
「階段をコトッ、コトッ、コトッと昇ってくる下駄の音が聞こえて」
くるようです。
それは、
鶴ヶ谷さんの文章が一定のリズムをもち、
心地よいテンポがあるから、
読むことをとおして、
文章がこちらに沁みてくるからでしょう。
柴田さんも然り、森さんも然り、こういう文を書くまでの精進を思います。

 

・終りまで天蓋叩く蟬の声  野衾

 

身につく

 

十読は一写に如かずというように、昔の人はよく本の筆写をやった。
これには、
今のように簡単にコピーをとることができなかった
という事情のほかに、
文章の練習という意味合いもあった。
作家志望の青年が、
敬愛する作家の作品を一字一句丁寧に写しながら、
文章の呼吸を学んだのだった。
井伏鱒二は若いころ、
志賀直哉の作品を原稿用紙に丹念に写して文章の勉強をしたという。
先年亡くなった澁澤龍彥は、
堀口大學の訳詩をノートに書き写して、
詩の翻訳の機微を学んだらしい。
没後、
お宅にうかがう機会があり、
そのとき書斎を整理していた夫人に、
こういうノートが出てきたのですが、
本があるのに
どうしてわざわざ書き写したのでしょうと尋ねられた。
フランス文学者の翻訳家でもあった澁澤龍彦も、
人知れずそんな地道な努力をしていたのだった。
(鶴ヶ谷真一『月光に書を読む』平凡社、2008年、pp.121-122)

 

文章も、体験して身につくということでしょうか。
きのう、この欄に、ヤザワさんとイトイさんの対談のことについて書きましたが、
ふたりの語りのおもしろさは、
どれも体験に裏打ちされているからだと感じます。
大声を発しなくても、
体験に裏打ちされ生まれることばが、
胸にとどき、
こころにひびいて来るのでしょう。
同じように、
文章の呼吸が身につくには、
身体を通すことがどうしても必要なようです。

 

・身の上がひとり旅する秋の風  野衾