一字も削れない

 

このころ宵曲は、自宅の大森から水道橋までの定期をもち、
午後、
まず本郷に岡本経一氏の青蛙房に寄ってから、
夕方五時半頃には、
神保町に八木福次郎氏の日本古書通信社を訪ねるというのが予定のコースだった。
八木氏によると――
事務所で仕事をしていると、
階段をコトッ、コトッ、コトッと昇ってくる下駄の音が聞こえてくるんです。
そのころでも下駄の人は少なかったので、
柴田さんみえたなとわかります。
手すりのない木造の急な階段を、
手をつくようにして昇ってこられるんですね。
六時半頃いっしょに社を出て、
御茶ノ水駅近くの喫茶店で、
いつも決まった席にすわって珈琲をのみながら一時間ぐらい話をしました。
柴田さんとよく行った喫茶店は、
明治大学の通りを上った左側の八百屋の二階にありました。
今の茗渓堂のあたりでしょうか。
柴田さんは書くのは速かったですね。
「古書通信」の紙面の都合で埋め草を急遽お願いすると、
しばらく考えてから下書きもせずに書きはじめ、
二十五行なら二十五行に収まるように書いて一字の訂正もないというふうでした。
柴田さんの文章は一字も削れないんです。
行間を変えたり、
行を追い込んで組むよりありませんでした。
柴田さんを俳句とすると、
森(銑三)さんは和歌でしたね。
やはりきれいな書き直しのない原稿でしたが、
三十一文字ですから削れるんです。
(鶴ヶ谷真一『月光に書を読む』平凡社、2008年、pp.214-215)

 

たとえば引用したこの文章をゆっくり三度読むと、
たしかに、
「階段をコトッ、コトッ、コトッと昇ってくる下駄の音が聞こえて」
くるようです。
それは、
鶴ヶ谷さんの文章が一定のリズムをもち、
心地よいテンポがあるから、
読むことをとおして、
文章がこちらに沁みてくるからでしょう。
柴田さんも然り、森さんも然り、こういう文を書くまでの精進を思います。

 

・終りまで天蓋叩く蟬の声  野衾