風は思いのままに吹く

 

「風は思いのままに吹く」とイエスはニコデモに言われました。
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、
それがどこから来て、どこへ行くかを知らない」〔ヨハ三8〕
これは、
太陽の下の最も賢い者も十分に説明できない事柄です。
御霊によって生まれる者も皆その通りです。
あなたは風が吹いているという事実を通して、
初めて完全に確信を持つことができるでしょう。
しかし、
それがいかに吹くかという正確な吹き方、
聖霊がいかに魂の中で働くかは、
最も賢い者も説明できないのです。
しかしながら、
好奇心を持ちつつ徹底的に求めることによって初めて、
私たちは聖書的な新生の本質を説明することができるのです。
(A.ルシー[編]坂本誠[訳]『心を新たに ウェスレーによる一日一章』
教文館、2012年、p.129)

 

弊社の名まえは春風社。社名に「風」が入っています。
第二案でした。
取り下げた第一案にも「風」が入っていました。
けっこう、あれこれ考えましたが、
無理せず、
風の向くままに、
という気持ちがあったようです。
たとえば、
隅の首石(おやいし)である『新井奥邃著作集』の出版をふり返るとき、
社名ひとつ取っても、
なるべくしてなった名であったか、
と思わないでもありません。
新井奥邃(あらい おうすい)さんは、
「影響」を「かげひびき」と読んでいますが、
ここにも、
エビデンスを超えた精神、風が働いているように思います。
風がどこから来て、どこへ行くか
は、
予想できないのでしょう。

 

・野の道のゆるやかな風踊子草  野衾

 

装丁のこと

 

わたしの母校の創立百五十周年を記念する本の打ち合わせのため、秋田入り。
本文の方は、
すでに四校の途中ですので、
ほぼ終りに近く。
いよいよ装丁(そうてい)を具体的に推し進める段になり、
あらためて「装丁」について考えてみました。
『広辞苑』によりますと、
【装丁・装釘・装幀】の漢字表記のあと、

 

(本来は、装(よそお)い訂(さだ)める意の「装訂」が正しい用字。
「幀」は字音タウで掛物の意)
書物を綴じて表紙などをつけること。
また、
製本の仕上装飾すなわち表紙・見返し・扉・カバーなどの体裁から
製本材料の選択までを含めて、
書物の形式面の調和美をつくり上げる技術。
また、その意匠。装本。

 

と説明されています。
意を尽くした説明であるなあと感じます。
文中の「形式美」に目が留まります。
本は中身がだいじで、
外見はそれほど重要ではないとする考え方が一方にあるかもしれません。
しかし、
人間と同様、本も、外見は大事であると思います。
『論語』に「文質彬彬(ぶんしつひんぴん)」ということばがありますが、
これは、
外の美しさと内の質朴さがほどよく調和し、
バランスがとれていることを表しており、
装丁と人間を考えるときに、
よく思いだす言葉です。
『広辞苑』で正しい用字とされている「装訂」の「訂」の文字ですが、
『新漢語林』によりますと、

 

音符の丁は、釘(くぎ)を打ち固定させるの意味。
意見の違いや誤りを正して、
おちつかせるの意味を表す。

 

と説明されています。
そうすると、
「そうてい」することによって、本はおちつく、
ことになります。
さらに、いまのわたしの感覚では、
「そうてい」することにより、
本は、死なせることができるようになる、
そんな風にも思います。
死ぬことができる、ということは、
生きることでもあります。
装丁された紙の本は、経年変化によって、やがて年をとり、朽ちていきます。
その点、
媒体を替えて生きつづける中身だけの本を想像すると、
どこか幽霊に似ている気がしないでもない。
この世に生まれ、存在し、時に育まれ、やがてこの世を去ってゆく、
そういう「物として本」をイメージする。
「物としての本」を装う。
文質彬彬。
そのために本を「そうてい」したいと思います。

 

・新緑は薄紫の交ざるかな  野衾

 

米づくり本づくり

 

五月の連休で帰省した折のこと、
朝三時起きし、居間で、習慣になっている本読みをしていましたら、
五時ごろ、
いつもだいたい五時半過ぎに起きてくるはずの父が来て、
深刻そうな顔をし、
夜中の十二時に目が覚め小用を足したら、
田に水を入れるタイミングのことが気になり、
それからずっと眠れなかった
と、
わたしに告げる。
91歳の父は、
近くに住む82歳の叔父とふたりで米づくりをしており、
何事につけ、
叔父の世話になっていて、
だまっていれば、
その日の早朝、
叔父は田に水を入れるかもしれないと
不安になり、
叔父が行動するまえに水入れを止めるよう、
電話で指示しなければならないと焦ってのことだった。
父が叔父に電話すると、
叔父はまだ家に居た。
じぶんの胸の内にある思考と判断を叔父に説明し、
田への水入れを数日遅らせるよう頼み、
父は安心したようだった。
その一連の父の行動を目の当たりにし、
ああ、
似ている、と、思った。
わたしも、
会社を退けた後、また会社に出向く前、社員に電話をしたり、メールすることがある。
本づくりで、ふと、気になることがあると、
だまっていられなくなる。
朝、
居間に現われた父の表情を見、
米づくりと本づくりで、
つくる物はちがっていても、
不安に駆られ、社員に電話するとき、
鏡で見るわけにはいかないけれど、
わたしも同じ貌をしているかもしれない、
いや、
きっと、
しているにちがいないと思った。

 

・田植え前水を張りたる鏡かな  野衾

 

「文学」のことば

 

「散歩」と題するように、あらかじめ決まった目的地を目指すのではなく、
気の向くままに、
道すがら四季折々の風景や花を眺めて、
寄り道を楽しむ散歩のような筆致で、『万葉散歩』は書かれている。
それでいて、
各回には歌をまとめるゆるやかなテーマがあり、
それぞれの回ごとに、
自然の景物や古人の人生や真情への感動があり、
人を愛することや生きることの憂いと喜びに気づかさせてくれる。
本書は、
古くから読み継がれてきた『万葉集』の魅力を
ユーモアたっぷりに語った
田辺聖子の万葉エッセイなのである。
それにしても、
コロナ禍の「令和」の世に本書が出版されることの意味は大きい。
戦時下の少女時代を回想して、
田辺聖子は
「あの酷烈な戦争を生きのびるのに、私は、詩や小説や絵や、
美しいコトバなどが手もとになければ、ひからびてゆく気がしていた」
(『欲しがりません勝つまでは』「あとがき」)
と書いている。
過酷な現実に直面せざるを得ない時こそ、
心を感動で満たす文学の「ことば」が必要であるに違いない。
(中周子「解説 田辺聖子の万葉エッセイ」、
『田辺聖子の万葉散歩』中央公論新社、2020年、pp.251-2)

 

中周子(なか しゅうこ)さんは、
大阪樟蔭女子大学の教授で、田辺聖子文学館の館長を務めておられる方。
中さんの文中に引用されている田辺さんの文言を読み、
また、それにつづく中さんの文に触れ、
なるほど、と思いました。
いつの時代、どこの社会でも、過酷な現実はありますから、
じぶんで考えるだけでなく、
信頼のおける先輩や友人と語り合い、
話を聞いてもらうことが必要かもしれません
が、
古今東西の人の発したことばに触れることで、
どくとくに慰められることがあります。
古典なら古典。
古典を紐解き、
いまはこの世にいないこの人も、
この世にいる間は、
こうやってことばを発し、漏らし、叫び、ことばを紡いで生きたのか、
そう感じられ、思えることで、
わたしももうすこし頑張ってみようかな、
と、
あまり力瘤を入れないで、
落ち着くようです。

 

・蛙鳴くカスタネツトを打つ如く  野衾

 

清さんと聖さんのこころばへ

 

現代仮名遣いだと「こころばえ」。漢字で書くと「心延へ」。
「延ふ」は「這ふ」につうじて、ひとしれず延びていく。
そういうイメージからすると、
こころの根がどちら方面に延びて行くかは、本人も与り知らぬことかもしれず。
のびのび延びていき、
それがいつしか、
その人のこころの本質となっていく。

 

「紙? 少納言はそんなに紙に注文がむつかしいの?」
「いえ、注文も何も、紙なら何でも好きなのでございますが。
気がむしゃくしゃしているときでも、
世の中がいやになって生きてる気もしないときでも、
いい紙の
――たとえば陸奥紙みちのくがみなど、
それから、
ただの紙でも真っ白のきれいなのに、
良い筆などが手に入りますと、
幸福な気分になっていっぺんにご機嫌きげんがなおってしまいます。
『よかったよかった、このままでもうしばらく生きていこう!』
と元気が出るのでございますわ」
「また単純ねえ。紙と筆があれば気が慰められるなんて」
と中宮はお笑いになる。
(田辺聖子『むかし・あけぼの 小説枕草子 上』文春文庫、2016年、p.267)

 

田辺聖子さんの書くものは、どれもすらすら、たのしく読めますので、
しかも、この本は、
小説ということですから、
原文をよく読み、自家薬籠中のものとしたうえで、
田辺さんが、
田辺さんなりに再創造したもの?
と勝手に思いながら、読みすすめていたのですが、
ふと興味がわいて、
原文と照らし合わせてみたところ、
たとえば上で引用した箇所など、
『枕草子』第二百五十九段の現代語訳といってもいいぐらい、
ピッタリ。
すごいですねえ!
あらためて驚きました。
田辺さんは、ほんとうに、古典が好きなんだと思います。
『新源氏物語』もおもしろかったけど、
『むかし・あけぼの』は、
さらにノッて書いているような。
人生観においては、
紫式部さんよりも、清少納言さんに、
田辺さんは近いのかな?

 

・恥づるほど光あふるる五月かな  野衾

 

ふるさとの野の道

 

帰省してたのしみなのが散歩。年をかさねるにつれ、ますます、そうなっています。
秋田の田舎なので、クルマもひとも、そんなに通りません。
ひとが住まなくなっていると思われる家が、
あちこち、ちらほらあります。
終りは、始まり。
田植えはまだですが、林や森からは、小鳥たちのにぎやかな声が聴こえてきます。
たぬき、青大将はヌッと。
やかましいのが蛙。
道は、昔ながらに、曲がっています。
歩行が曲がりにさしかかるとき、曲がっているとき、曲がり終えてさらに歩くときの、
意識すれば、その時々の気分が変ります。
しずかに歩いているのに、
ゆったりした景色の変化と微妙な気分が同調し、
いつか来た道、記憶の旅へ。
子どものころ、
この道の先は、どうなっているのだろう、どこへつながるのだろうと思った。
でも、歩いて行ってみようとは思わなかった。
なので、道の先は、ずっと、薄ぼんやりしたままで。
いま歩いてみて、
その道のつながり具合がはっきりし、
そうすると、
ちょっとさびしい気もします。
が、
薄ぼんやりの空気に光が射して、
明るく新しい景色を見せてくれます。
薄ぼんやりの景色と明るく新しくなった景色は、
まったく違っているようでもあり、
記憶を挟んでの上下で重なっているようでもあります。
思い出すままに、
家持さん、西行さん、芭蕉さん、
杜甫さん、李白さんも、
ペトロさん、パウロさんだって、
歩いて旅して考え考え、ことばをつむいでいきました。
あるくことのほうが先なのか、
と思えてきます。

 

・新緑や流離の汽笛ここにまで  野衾

 

奥邃さんはこんな人 2

 

村井先生のとぎれとぎれの発音が入り交じる沈黙より長くとだえ、
女学生たちも暇乞いとまごいをする時になったのを知ったほとんど直前、
ふいに村井先生が語りだした言葉は、
三人の誰にもまして加根を驚かせた。
――むしろ、
そんな表現では追いつけず、
時に思わず叫ぶ郷里くに言葉の、「魂たまがった」なる驚愕きょうがく
ほかならなかった。
では、
なにが語られたのか。
まず、学ぶことの尊さがいわれた。
同時にどこで、どんなかたちで、誰について学ぶかが重大な問題だ。
その意味から、あなた方は仕合せだ。
この言葉につづいたのは、
なんと日本女学院に対する批判であった。
「あすこに集まっている方々は、皆さんがただ人びとではない。
申さば、
一人一人が竜りゅうであり、麒麟きりんであり、鳳凰ほうおうであります」
それを師として学ぶ彼女らは幸福だ。
しかし村井先生の言葉は、
それにはとどまらなかった。
「ただ遺憾ながら、竜や、麒麟や、鳳凰には、馬車は曳けない」
(野上弥生子『森』新潮文庫、1996年、pp.368-9)

 

この「竜や麒麟や鳳凰には、馬車は曳けない」ということば、
なんども噛みしめたくなります。
味わいの深いことばであると思います。
新約聖書にあるイエス・キリストのことばがひびきます。

 

こうして彼らの足を洗ってから、上着をつけ、ふたたび席にもどって、
彼らに言われた、
「わたしがあなたがたにしたことがわかるか。
あなたがたはわたしを教師、また主と呼んでいる。そう言うのは正しい。
わたしはそのとおりである。
しかし、
主であり、また教師であるわたしが、
あなたがたの足を洗ったからには、
あなたがたもまた、
互に足を洗い合うべきである。
わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、
わたしは手本を示したのだ。
(「ヨハネによる福音書」13:12-14)

 

新井奥邃(あらい おうすい)さんが聖書を「仕事師の手帳」とよぶ意味が、
聖書のこういう箇所にあらわれていると感じます。
きわめて実践的。

 

・ながむれば憂さを忘るる五月かな  野衾