本を閉じる

 

人生を坂道にたとえたり、マラソンにたとえたりします。
そうすることで、人生の意味が、より明確になる気がするからでしょうか。
始まり、終り、途中にもドラマがあります。
本はどうだろう?
と、
ふと思いました。
小さな本はもとより、どんなにぶ厚い本でも、
あたりまえですが、
本を閉じるとき音はしません。
何巻もあるような長大な本を、二か月、三か月、あるいはそれ以上の時間をかけて読む
ことがあり、
途中眠くなったり、飽きたり、感動したりもして、
人生にたとえていいような気もしますが、
そうはしない。
いよいよ最終巻の最後のページを読み終え本を閉じるとき、
たとえば、
ファンファーレが鳴ってくす玉が割れる
ようなことはなくて、
スッと終る。
わたしはこれが好きです。
「おわったー!!」とバンザイをするようなことはない。
(やりたくなる本がたまにある)
何か月もかけて読んできた本でも、
本を閉じたら、
何事もなかったかのようにつぎの行動に移りますから、
じぶん以外はだれも気づかない。
ただ、
ちょっとこころに空白ができる気がして、
その味わいも悪くないと思います。

 

・初夢やくりくりの眼の祖母がゐる  野衾

 

あっぱれ!アントニウスさん

 

プルタルコスさんの『英雄伝』を読んでいて感動するのは、たとえば家族の情愛、友情、
そういったものでありまして、
それは、洋の東西を問わず、時代を問わないものだなと
改めて感じさせられます。
とくに以下に引用する箇所などは、
すぐれた人格のなせる業で、
ほんとうだろうかと、ちょっと疑いたくなる。

 

ブルトゥスの親しい友人の中に、ルキリウスという肝の太い男がいた。
この男は追撃してくる夷狄の騎兵数名が、他の者には目もくれず、
ブルトゥスをめがけて勢いよく駆けてくるのに気づき、
命を投げうってでもこの騎兵たちを止めねばならないと意を決した。
そこでわざと味方から少し後れて、
このおれがブルトゥスだと名乗り、
おれをアントニウスのところに連れて行け、
カエサルには信を置けないがアントニウスなら安心だから、
と申し出た。
これを真に受けた騎兵たちは、
思いがけない拾い物に小躍りし、何か不思議な幸運にめぐり会ったつもりで、
すでに夕闇の広がるなか、
この男を連れてアントニウスのもとに向かった。
先に遣わされた者たちから報告を受け、
アントニウスは嬉々として一行を迎えに出た。
ほかにもブルトゥスが生きて連行されてくると聞き付けた者たちが駆け集まってきて、
運に見放された哀れな男とか、
命惜しさに夷狄の獲物になって名を汚した男とか言い合った。
近づいて来る一行を見て、
アントニウスは立ち止まり、
ブルトゥスをどのように迎えたものかと思案していたが、
ルキリウスは
その前に引き出されるや、傲然と言い放った
「アントニウス、マルクス・ブルトゥスは敵の手に落ちていないし、落ちるはずもない。
どうか運が徳にそれほどに大きな勝ちを収めませんように。
あの方がおまえの前に現われるときは、
生きているにせよ屍となって倒れているにせよ、
みずからにふさわしい姿で現われるであろう。
おれ自身については、
おまえの兵士を欺いてここに来た以上、どんな目に遭わされようと、
覚悟はできている」。
(プルタルコス[著]城江良和[訳]『英雄伝 6』京都大学学術出版会、2021年、
pp.374-375)

 

く~。あっぱれ!ルキリウスさん!
ほんとかね。
ほんとうだとしたら、えらいもんだ。真似できない。
またさらに感動的なのは、このときのアントニウスさんの対応であり、
これまた好きにならずにいられない。

 

ルキリウスがこう言って、誰もが呆気にとられるなか、
アントニウスはルキリウスを連れて来た兵士たちの方を向いて語りかけた
「たぶんおまえたちは虚仮にされたと思って、
この失敗に口惜しくてたまらないだろう。
だが、
実のところ、おまえたちは探し求めていたのよりもりっぱな獲物を捕まえたのだ。
敵を探し求めて、友を連れて来たのだから。
おれはもしブルトゥスを生きたまま連れて来られたら、
神に誓って言おう、
どのように扱えばよいか分からないが、
こういう男なら敵よりもむしろ友として迎えたいと思う」。
そう言うとアントニウスはルキリウスを抱きしめ、
とりあえず友人のひとりに身柄を預けておき、
その後は常に忠実で信頼に足る仲間として最後までそばに置いた。
(プルタルコス[著]城江良和[訳]『英雄伝 6』京都大学学術出版会、2021年、
pp.375-376)

 

・父と母おとうとも居る三ケ日  野衾

 

プルタルコスさんはこんな人

 

プルタルコスさんの『英雄伝』は、50人の政治家・軍人を取り上げています。
ことばによる肖像画と呼びたくなるほど、
取り上げられている人物たちが活き活きと描かれています。
これまで自分なりに描いてきた人物像が修正を迫られる、
そういう人もいます。
また、もちろん初めて知る人もいます。
さらに、
巻を進めるほどにおもしろいと思うのは、
それら傑物たちの描写をつうじて、
書き手であるプルタルコスさんの人となりが
だんだん見えてくるように感じられることであります。

 

カトーがまだ軍務に就いていたとき、
兄のカエピオがアジアへ向かう途中にトラキア地方のアイノスで病に臥した。
知らせの手紙が、すぐにカトーのもとに届いた。
当時、海は大荒れで、
しかも十分な大きさの船は手元になかったけれども、
カトーは友人二人と下僕三人だけを連れて小さな荷船に乗り込み、
テッサロニケから船出した。
そして危うく難破しそうになりながらも、
奇跡のような幸運に助けられて到着したのは、
カエピオが息を引き取った直後のことだった。
カトーが泣き叫び、遺体を抱いて、悲嘆に暮れるそのさまは、
不幸の耐え方として哲学者らしくない、
感情に負けた者のように見えた。
そのうえ葬儀に贅の限りを尽くし、高価な衣装と香料を遺体とともに燃やしたことも、
またアイノスの中央広場に八タラントンの費用をかけて、
タソス産の大理石で墓碑を建立したことも、
そのような印象を強めた。
こういうことはカトーがふだん見せる克己心とは相容れない、
と咎める者もいたが、
そういう者は、
恥ずべき快楽と恐怖と懇請にけっして屈しないこの人の剛毅の下に、
どれほどの慈悲と愛情が隠れているかを知らないのだ。
(プルタルコス[著]城江良和[訳]『英雄伝 5』京都大学学術出版会、2019年、
p.336)

 

わたしは個人的に、この箇所がとても好きです。
哲学者が王として統治するか、あるいは、王が哲学を修めるのでないかぎり
国の不幸は終らないという考え方・思想が
プラトンさんの政治哲学の根本であり、
それをプルタルコスさんは信奉しておりますが、
そのさらに奥深く、
人の見方のやさしさが隠れていて、
それがたとえばこの文章に表れているように感じます。

 

・うつすらとご縁たまはる初日かな  野衾

 

人を知るには

 

ことわざに「馬には乗ってみよ 人には添うてみよ」
というのがありまして、
まえに勤めていた出版社にいた方がよく口にされていました。
なつかしい。
馬の良し悪しが、馬に乗ってみなければ分からないのと同じように、
人の良し悪しは親しく付き合ってみなければ分からない。
わたしが伝記を好むのは、
このことわざのこころに近いところがあるようです。

 

本篇にはアレクサンドロス王の伝記とポンペイユスを破ったカエサルの伝記を収める
わけだが、
このふたりについて伝えられる事績の多さにかんがみて、
あらかじめひとつだけ読者にお願いしておきたいことがある。
それは、
本篇が名高い事績のすべてを網羅せず、
またひとつひとつの事績についても細部にわたって描き尽くさず、
むしろほとんどを要点のみの記述にとどめるとしても、
どうか私を責めないでほしいということである。
私が書こうとするのは歴史ではなく伝記
であり、
そして人の徳や不徳というのは、
必ずしも広く世に聞こえた偉業の中に顕われるわけではなく、
むしろちょっとした行動や言い草、
あるいは冗談のようなものが、
数万の死者を数える合戦やまれに見る規模の戦陣や都市包囲よりも、
いっそうはっきりと人の性格を浮き彫りにする
場合がしばしばある。
それゆえ
ちょうど肖像画家が人物を写そうとするときに、
その人の性格の滲み出ている顔や目付きに力点を置き、
それ以外の部分にはほとんど注意を払わない
ように、
それと同じように私には、
偉大な功業や戦争のことは他の人にまかせて、
むしろ心性の表徴となるものの中に分け入り、
それをもとにふたりの生涯を描き出すのを許してもらいたい。
(プルタルコス[著]城江良和[訳]『英雄伝 5』京都大学学術出版会、2019年、
pp.4-5)

 

このようなプルタルコスさんの考え、方針は、
これまでの巻にも記されていましたが、
大王と称され、
歴史の教科書に黒い太い文字で書かれていたアレクサンドロスさん、
それと、
「ブルータス、お前もか」のカエサルさん
について言われると、
なおいっそう、
歴史と伝記の違いと特徴が際立つように思えます。
この本を読みすすめていると、
人間と人生の妙を知る歳のいったおじいちゃんから話を聞くような、
そんな風な感想がもたげてきます。

 

・初日さす薄きご縁の浅からず  野衾

 

本は友だちに似て

 

かぞえてみたら、途中まで読んで止めている本がけっこうありました。
最後まで読むまえに興味がほかへ移ったり、
仕事の関係からどうしても先に読む必要が生じたりして、
そうなってしまうことが間々あるようです。
でも、
あ、そうだ、途中になっていたんだ、と気づき、
おもむろに手に取り、
しおりを挟んであるところから読み継ぐと、
すぐにその本の個性が感じ分けられ、
読みすすめることができます。
さらに、
途中で止め、読書をふくめて、その間の体験が作用してか、
当初の興味とはまたちがった角度で文章の味わいが増すように感じられる
ことがあります。
友だちとしばらく、あるいは、長く会わずにいて、
久しぶりに会ってみると、
ああ変らずにその人だと感じられ安心し、
また、ほんの少し変った気もし、
友だちから見たらきっとわたしもそうなんだろうと思って、
なつかしく、また新鮮な驚きがあったりしますが、
そういうところも、
本と似ている気がします。

弊社はきょうが仕事始め。
本年もよろしくお願い申し上げます。

 

・去年今年かへらぬ水の辺りかな  野衾

 

経験の落とし穴

 

弊社は、きょうがことし最後の営業となりますが、
一年をふりかえってみて、
わたし個人としては「経験」ということを改めて考えた年でありました。
高校の教員を辞めて東京にある出版社に勤務し、
そこの倒産を機に同僚ふたりと春風社を起こしました。
出版社勤務がちょうど十年。
春風社がこの十月一日から二十五期目。
なので、
編集者として三十四年が経過したことになります。
本づくりについて習い、覚え、身につけてきたことがあります。
そのことが良きにつけ悪しきにつけ、
考えるときの土俵になっている気がします。
経験をとおして培ってきたことの重みを感じる
とともに、
それが重力のように逃れられない呪縛になっている
かもしれない
と、ふと、感じることがあります。
そう感じられることに感謝したいと思います。
いつの間にか、経験則によってものを考え、発想し、ひとを量るようになっていた
のではないか、
我執を離れ、
もっと自由に新しく考えることができたのではないか。
そう思ってみると、
これまでながく親しんできた『論語』や『聖書』の文言が、
これまでとはちがった響きをともなって、身に沁み、
こころに及んできます。
先人たちが『論語』や『聖書』をどんなふうに読み、
この世で与えられた仕事に、どう役立てていこうとしたのかが気になります。
ただ謙虚をこころに刻み、ひとに、仕事に、
向き合っていきたいと思います。

弊社はきょうが仕事納め。
2024年は1月9日が仕事始めになります。
どちらさまも、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

 

・ふり向けば老いたる犬の嚏かな  野衾

 

こんな話、好き

 

カイコが桑の葉を食むような速さで読んでいるのが寺島良安さんの『和漢三才図会』。
平凡社の東洋文庫に入っていて、十八巻あります。
ただいまその十巻目。
江戸時代の百科事典のようなものですね。
ヘタなようだけれど、そうともいえない、
味があるといえば味のある絵が文に添えられている箇所もあり、
たのしく、おカイコさん読みには適している。
第十巻からは、しばらく日本の地誌がつづくことになり、
地誌なので、絵は地図ぐらいで、
ほかにはありません。
でも、こんな話には惹きつけられます。

 

枕石しんせき寺 久慈郡川井村(常陸太田市上河合町)にある。
〔東派二十四輩の一つ〕
開基 道円房
道円は江州蒲生郡日野左大将頼秀ひののさだいしょうよりひで卿の裔しそん
で、
名は左衛門尉(頼秋)。
由があって当郡大門おおかど村(常陸太田市内)に在住した。
ある日、
親鸞が来て一夜の宿を乞うたが許さなかったので、
親鸞は門前の石を枕まくらにして臥した。
すると家主の夢に老僧があらわれて、
「阿弥陀如来が今夜門前におられる。どうして饗応もてなししないのか」
といった。
家主は驚いて目をさまし、
門外をみると一僧が石の上に臥しており、
その呼吸はみな称名であった。
家主は恐れ同時に喜んで家に迎え入れ厚くもてなし、
その弟子となり薙髪して名を道円と称し、
宅を寺とした。
枕石寺がこれである。
中古に内田村に移り、のちまたここに移った。
(寺島良安[著]島田勇雄・竹島淳夫・樋口元巳[訳注]『和漢三才図会 10』平凡社、
1988年、pp.60-61)

 

きのうのプルタルコスさんの『英雄伝』中のエピソードもそうですが、
こういう話はなかなか忘れない。
何巻もあって、ながくつづく本のなかから、
こんなことがあったんですか、
へ~、知らなかったー!
というようなことを見つけるのも読書のよろこびです。

 

・怒と哀を忘れたき世や歳の暮  野衾