にこるんの牛丼

 

ネットニュースを見ていましたら、
ファッションモデルでタレントの藤田ニコルさんは、
吉野家の牛丼並盛りに、ネギラー油、半熟たまごをトッピングするのが好きらしく、
このごろそれが商品化したとのことで、
その名称がずばり
「にこるんの牛丼」
ニコルさん喜んではいるものの、
少々問題があるらしい。
それを食べたいと思っても、
「にこるんの牛丼ください」と声に出して頼むのがちょっと恥ずかしい
という客がいるのだとか。
その記事を読んで思いました。
あれ!?
そうか。
吉野家って、
店の入口でチケットを購入するんじゃなかったか。
なるほどなるほど。
このごろ何年も、
いや、十年以上かもしれません、
吉野家に行っていないので、
すっかり忘れていました。
と。
吉野家に入った自分の姿を想像してみる。
六十を過ぎた初老のおっさんが、
メニューを見ながら「にこるんの牛丼ください」。
言えねー言えねー。
ぜーーったい言えねー。
仮に、
バンジージャンプで空中に飛び出す勇気をもって言ったとして、
追い打ちをかけるように
そこの店員が、
「にこるんいっちょう!」と復唱などしたら、
恥ずかしくて墜落すること間違いなし!
でも、
ちょっと食べてみたい気はする。
にこるんの牛丼。
店員に、復唱しないで下さいと前もって言い、
小声で頼むか。

 

・万緑や姿は見えず台湾栗鼠  野衾

 

ギリシア的人間

 

優勝者への褒美は、元来はおそらくどの地でも値打のある商品であって、
これはホメロスの叙事詩からわれわれの知るごとくである。
時が経つにつれてようやく、
何ものにもまして尊重された冠が優勝者への褒美となった。
……………
だが、
試合の真の目標は、勝利そのものであり、
勝利、ことにオリュムピアでの勝利は、
地上における最高のものと考えられたのである。
というのも、
このような勝利こそそれを手にした優勝者に、実はどのギリシア人も目標としていたこと、
すなわち、
生きているあいだ驚嘆の眼で見られ、
死んだときに高い栄誉を受けるにちがいない
ということを保証したからである。
(ヤーコプ・ブルクハルト[著]新井靖一[訳]『ギリシア文化史 第四巻』
筑摩書房、1993年、p.145)

 

ブルクハルトの『ギリシア文化史』は全五巻で九章ありますが、
筑摩書房の単行本では、
さいごの第九章に四巻と五巻の二冊があてられています。
その章タイトルが
「ギリシア的人間とその時代的発展」
なにがギリシア的なのか?
それは、
英雄神的であり、植民的であり、競技的であること。
ブルクハルトの洞察がここにあります。
およそ二千五百年前、
あるいはさらに前の時代のことなのに、
ブルクハルトのていねいな古典読解に案内されながら進むうちに、
当時のギリシア人と
現代のわたしたちが、
何一つ変っていないことに気づかされ、
驚きを禁じ得ません。
まさに、歴史も古典も、
自己と社会を映しだす鏡であると納得。

 

・つとめ終へうら悲しきや五月雨  野衾

 

論語と聖書

 

白川静さんの『孔子伝』のなかに、「卷懐《けんかい》」という言葉が何度かでてきます。
「才能をあらわさない」という意味で、
これは、
『論語』「衛霊公」にでている文にもとづいています。

 

君子なる哉《かな》、蘧伯玉《きょはくぎょく》、邦、道有るときは則ち仕へ、
邦、道無きときは、則ち卷きて之れを懐《をさ》むべし。

 

「懐」の字を白川さんは、「をさ」と読んでいますが、
諸橋轍次さんは、「ふところ」と読んでいます。
意味は同じ。
ここについて諸橋さんはつぎのように説明しています。
「卷いて之を懐にす可しとは、
布帛などが、これを巻けば、簡単に懐中することの出来得るように、
何の雑作もなく隠退韜晦して世の人に知られずにおる姿をたとえたものである。」
(諸橋轍次『論語の講義(新装版)』大修館書店、1989年、p.359)
孔子がある時期を境にして、
蘧伯玉の例にならった生き方に転換していく様が、
『孔子伝』で印象深く描かれていますが、
『聖書』に、
蘧伯玉をほうふつとさせるエピソードが記されています。

 

どの町、どの村にはいっても、その中でだれがふさわしい人か、たずね出して、
立ち去るまではその人のところにとどまっておれ。
その家にはいったなら、
平安を祈ってあげなさい。
もし平安を受けるにふさわしい家であれば、
あなたがたの祈る平安はその家に来るであろう。
もしふさわしくなければ、その平安はあなたがたに帰って来るであろう。
もしあなたがたを迎えもせず、
またあなたがたの言葉を聞きもしない人があれば、
その家や町を立ち去る時に、足のちりを払い落しなさい。
(「マタイによる福音書」第10章11-14節)

 

白川さんは、日本が戦争に敗れたあと、
『論語』と『聖書』を同時に読んでいたとのことですから、
たとえば、
こういう箇所を重ねながらの読書であったか
と想像します。

 

・青梅のひかり帯びたる和毛かな  野衾

 

箱型リュック

 

先週金曜日、朝、電車に乗っていましたら、
隣に立っていた女子高生(たぶん)が、箱型のリュックサックを胸に抱えながら、
英語の参考書を読んでいた。
と、
おもむろにスマホを取り出し、
なにやら調べる風でした。
参考書を読んでいて、気になるところを確かめたかった
のかもしれません。
左手に本、右手にスマホ。
なるほど、
いまどきの若い人はこういうスタイルなのか。
と、
つぎの瞬間、
スマホをポンとリュックの上に置いた。
あっ!!
声がでそうになりました。
でなかったけど。
なるほどね~!!
箱型のリュックって、
こういう使い方ができるのか。
たしかに。
箱型のリュックを体の前に抱えるようにすれば、
箱型だけに、
やわらかくはあるけれど、
一枚の小さなテーブルが現れますから、
スマホを一時置いておくぐらいは何ら問題ありません。
本を読んでいて調べたいことがあれば、
スマホで検索し、
終えたら、一時リュックの上に置いておく。
電車のなかが自習室になる。
ふむふむ。
わたしもやってみたくなった。
ちなみに。
わたしのリュックは箱型でないので、
前に抱えても、
スマホを置いておくわけにはいかない。

 

・海南風烏賊焼きの香にくすぐらる  野衾

 

うら悲し

 

2006年に96歳で亡くなった白川静さんは、
『万葉集』にある大伴家持の歌、

 

春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に うぐひす鳴くも

 

を、ことのほか愛しておられたようです。
この歌を、ふと、思い出しました。
昨日、
「新井奥邃先生記念会」が、春風社が入っているビルの一階を会場に開催されました。
御年92歳の小野寺先生が、
仙台から瀬上先生が、
秋田から造園業を営んでおられる佐々木吉和さんが飛行機で参加されるなど、
人の縁の奇しきを改めて感じました。
わたしは、
春風社と奥邃の縁と、
このごろのわたしの勉強を披露させていただきました。
一時間ほど話したでしょうか。
会終了後、
幾人かの方から声をかけていただき、
うれしい気持ちに満たされ、
その後、
三階の社にもどり、
山岸さんと岡田くんに別れを告げ、
外に出ました。
蟬はまだ鳴いていませんが、いよいよ本格的な夏に入ったか、
と、
結婚式場横の、
伊勢山皇大神宮の裏参道にしばし佇み。
トークイベントで話さなければいけないときは、
意識して昼食を摂りません。
そのせいもあったでしょうけれど、
どっと疲れが押し寄せてきて、
満足したのに、
なんとなく悲しいような、
淋しいような、
切ないような、
名づけようのない感興がもたげてきました。
その時、
大伴家持の歌を思い出しました。
家持のこの歌の詞書に、
「興に依りて作る歌」
とあります。
いわく言い難い感興が湧いてつくった、
という意味でしょう。
この「興」という発想、考え方は、
『詩経』にもあって、
ということは、
歌を詠むこころの根本にあるもの、と言えるかもしれません。
家持は、
この歌のほかにも、
いくつか「興に依りて」と記しています。
家持が隣に立っています。

 

・照々の天よりのこゑ奥邃忌  野衾

 

ブエノスアイレスのビル・エヴァンス

 

ある男性客が、バーに座りファースト・セットを最初から最後まで聴いてくれていた。
次のセットまでの休憩中、
僕がコカ・コーラを注文しにバーに行くと、彼が話しかけてきた。
「私は出張でね。普段は農業をやっているんだが、仕事で町に来たんだ。
なんとなく、このクラブに立ち寄る気になってね。
こういうジャズは知らないんだが、
ひとつ君に言っておきたかった。
今のは、ある種の宗教的体験みたいなものだった!」
もちろん彼の言葉の意味は理解できた。
彼は農業家だ。
しかし彼は、僕がいつも伝えていると感じるメッセージを、
正確に受け止めてくれたんだ。それは実にうれしいことだった。
(ゼブ・フェルドマンによるマーク・ジョンソン・インタビュー(2021.6.2)
寺井珠重[訳]英文オリジナルライナーノーツより)

 

鎖骨を骨折した折、たいへん世話になった瀬上正仁先生から、
ビル・エヴァンスの最後のトリオによる、
ブエノスアイレスでのライブ盤二枚組CDをいただきました。
かつて海賊盤として出回ったこともあったようですが、
今回、
ライヴ当日のオリジナル・テープ・リール (放送音源) からリマスターされ、
正式盤として制作されたもの。
さっそく聴いてみた。
聴き惚れました。
二枚組CDをつづけて二度まで。
瀬上先生が、マーク・ジョンソンのベースが、
伝説のベーシスト、スコット・ラファロに似ているとおっしゃった意味が
分かった気がします。
また、
1979年、亡くなる一年ほど前の演奏でありながら、
ビル・エヴァンスの集中はさすがと感じられ、
空気感、間のあり方は、
ビル・エヴァンスならではもの
と、
あらためて納得。

 

・上天に烏の声す夏の朝  野衾

 

ひとつの灯り

 

愛をほとんど経験したことがないとしたら、どうやって愛を選ぶことが出来るでしょうか。
機会あるごとに、愛の小さな一歩を踏み出すことで、
私たちは愛を選びます。
微笑み、握手、励ましの言葉、電話をかける、カードを送る、抱き締める、
心のこもった挨拶、助ける仕種しぐさ、注意を払う一瞬、
手助け、贈り物、財政的な援助、訪問、
これらのものはみな、愛に向かう小さな一歩です。
それぞれの一歩は、
夜の闇の中で燃えている一本のろうそくのようなものです。
それは闇を取り去ることはありませんが、
闇の中を導いてくれます。
愛の小さな歩みが残したたくさんの足跡をかえり見ると、
長くて美しい旅をしてきたことが分かります。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.213)

 

『傷ついた癒し人』という本も書いているナウエンは、
オランダ出身のカトリックの司祭で、
1996年に64歳で亡くなっています。
ナウエンのものを読んでいると、
いろいろインスパイアされますが、
引用した箇所を読んだとき、
すぐに、
宮沢賢治の、
わたくしといふ現象は仮定された有機交流電燈のひとつの青い照明です
で始まる詩集『心象スケツチ 春と修羅』の「序」
を思い出しました。
つづく言葉は、
(あらゆる透明な幽霊いうれいの複合体)風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅めいめつしながら
そして、
第一連の最後は、
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
賢治を媒介にしてナウエンを読み、
また、
ナウエンを媒介にして賢治を読むことで、
ふたりの心象スケッチが、
エコーし合いながら、
明滅しているようにも感じます。

 

・鎖樋まどろみつたふ梅の雨  野衾