木の家に住むように

 

子どもの頃、大工さんが家を建てるのをワクワクしながら見ていました。
少しずつしかできていかない。でも、少しずつできていく。
じぶんの家じゃないのに、
毎日見ているうちに、なんだか楽しくなってくる。
あたりまえに暮らしていたけれど、
じぶんの家もそうやってできたのかと思うと、
いとしく思えてきて、
家に帰ってから、古くなった柱を撫でてみたり、床を足裏でこすってみたり。
紙の本を読むときも、
両手の指で本のノドのところを何度も押し開き、
両手で持って読むときもあれば、
左手だけで本を持って読んだり、右手に持ち替えてみたり。
むつかしい本の場合は、
左手の親指を本のノドにあてがい、
ふかく本を持ち、
右手の親指で、文章の一行一行をゆっくりなぞっていく。
紙の感触が指から脳に伝わり、
一行の意味と相まって得も言われぬ快感が走る。
「生命活動、というのはすなわち物質世界に投げ出された意識のことであるが、
その注意を自らの運動そのものに注ぐとともに、自らが通過してゆく物質世界にも注いでいる。」
しばらく意味の海に身を任せ、
左手でこれから読んでいく本のページの束をつかみながら、
右手の指で、
いま読んだばかりの二行を二度、三度、
撫でてみる。
時間をかけて大工さんが建てた木の家に住むように、
しばしの時間、本に住む。
その家の空気を吸うようにして。
本を読むことは、
撫でさすり、指の腹で紙の感触を味わうことだ。
意味はそのためのきっかけに過ぎない。
物に触れて感じる味わいを「感味」
と呼ぶことを、
峯村文人(みねむら ふみと)さん校注の本で知った。
「感味」は『新古今和歌集』の歌の意味だけにあるのではない。
みじかい歌の一行に指を這わせることで、
よりいっそうの「感味」が脳を刺激し、
生きていることが実感され、
深い味わいとなってわたしを支えてくれる。
きょうもまた、何冊かの本を訪ね、本に触り、本を味わう。

 

・このごろの父の電話や冬構  野衾

 

『新先蹤録』の書評

 

わたしの母校・秋田高校の同窓会からの依頼で上梓した
『新先蹤録 秋田高校を飛び立った俊英たち』
の書評が『図書新聞』に掲載されました。
各界で活躍してきた卒業生38名のライフヒストリー
をまとめたもので、
同窓会の了解を得て市販することになった本
(中身は同窓会へ納めたものと同じ)
につき、
東京学芸大学の末松裕基(すえまつ ひろき)さんが書いてくださいました。
本にこめられた精神を深く汲む、いい書評であると思います。
コチラです。
高校の三年間は、
時計的なながさからいったら、あっという間ですが、
このごろよく口にする、
薄い縁が浅いわけではなく、
いろいろ感じ、また考え、吸収する時間でありました。

 

・秋風とぎれ人知れず松の声  野衾

 

トラウマを耕す

 

宮地尚子(みやじ なおこ)さんが書かれた本『トラウマ』(岩波新書、2013年)
を読もうと思って買って、まだ読んでいませんが、
ぱらぱらめくっていましたら、
第6章の見出しが「トラウマを耕す」
となっており、
目が留まり、中扉の裏に記されたことばを、そこだけ読んでみました。
幾度かくり返し読んでいるうちに、
書かれたことばが発せられる声まで想像できる気がし、
これは、
のっぴきならない事象を、思い、反芻し、ご自身のこころにも浸み込ませるようにして、
やわらかく、わかりやすく記した実のあることば
と思えてきました。

 

この章では、「トラウマを耕す」ということを考えてみます。
トラウマを社会から消し去ることはできないし、
いったん被ったトラウマを個々人が忘れ去ることもできません。
トラウマを抱えることは苦しいことですが、
それでも人は生きていきます。
他者とのつながりを少しずつ取り戻し、自分の居場所を一時的にでも見つけ、
生きていく意味をかすかに感じながら日々を紡ぎ続けること
はできます。
そこから出てくる知恵や想像力、創造性もあります。
だから、
むしろトラウマの存在をきちんと認め、
生き延びてきた人たちから学び、
トラウマによって生みだされる文化を尊重し、味わうという方向性
を考えてみたいと思うのです。
(宮地尚子『トラウマ』岩波新書、2013年、p.222)

 

・ことばに傷つき癒され秋の風  野衾

 

金色の午後

 

『不思議の国のアリス』のもとになったお話は、
1862年7月4日、ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンさん、
友人のロビンソン・ダックワースさん、
それとロリーナさん、アリスさん、イーディスさんのリデル三姉妹
といっしょに、
アイシス川をボートで遡るピクニックに出かけた際、
ドジソンさんがアリスさんのために語った「アリスの地下の冒険」
でした。
それから四半世紀後に、
チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンさんは、
思い出にふけったとして、
伝記作家のコーエンさんは、
ドジソンさんが記した文章から引用しています。
わたしは、日本語に翻訳された日本語で読んだのですが、
訳文がいいせいで、
もとから日本語で書かれた日記を読むようなぐあいで、たのしく読み、
また、しみじみした気持ちになったのでした。

 

何日も何日もぼくたちはいっしょにあの静かな流れを漕いだのだった
――幼い三人の少女とぼくと――
そしてたくさんのおとぎ話があの少女たちのために即興で語られた
――時には、作者の「気が向いて」、
追い求めずともさまざまな空想が群をなして押し寄せてくることもあり、
また時には、
疲れ切った詩神が突き棒で追い立てられて動きはじめ、
何か語りたいことがあるからというよりは、
何か語らなくてはならないと責め立てられるかのように
おとなしくとぼとぼと歩いていくこともあったにせよ――
けれどもこれらの多くのお話は
どれひとつとして書き留められはしなかった。
それらは夏の小さな羽虫のように生まれては死んでいった。
それぞれがそれなりの金色の午後を迎えながら。
けれど
やがてある日のこと、
たまたまぼくの幼い聞き手のひとりが
そのお話をあたしのために清書してほしいのと哀願したのだ。
それは何年も何年も昔のことだ。
だが今こうして書きながらも、ぼくははっきりと思い出す。
妖精伝説に何か新機軸を打ち出そうと必死になって、
あとさきの展開も考えずに、
手始めに女主人公をウサギの穴のなかに投げ込んだことを……
そのお話を書き留めながら、
ぼくはたくさんの新鮮な着想を付け加えていった。
それらはもとの幹からひとりでにどんどん成長していくみたいだった。
そしてさらにたくさんの着想がおのずと付け加わっていき、
数年のちに
ぼくはもう一度すっかり書き直し、出版したのだ……
ほんとうに何年もの歳月がいつのまにか過ぎ去ってしまった。
おまえを生みだしたあの「金色の午後」
のときから。
しかしぼくはまるで昨日のことのように、
あの午後をほぼはっきりと蘇らせることができる
――雲ひとつない青空が上方に広がり、水の鏡が下方に光っていた。
ゆったりと漂いながら進むボート。
オールがゆらゆらとたいそう眠たげに波打つたびに、
滴り落ちる雫の音。
そして
(こうしたまどろみに誘われる眺めのなかでただひとつ、命の輝きを放っていた)
三つの熱心な顔。
妖精の国からの便りを待ち焦がれている。
それにはとても「だめ」とは言えそうもなかった。
唇からもれるのは、
「お願い、あたしたちにお話をして」という言葉。
そこには変えることのできぬ運命の三女神のいかめしさが浮かんでいた!
(モートン・N・コーエン[著]高橋康也[監訳]安達まみ/佐藤容子/三村明[訳]
『ルイス・キャロル伝(上)』河出書房新社、1999年、pp.166-7)

 

金色の午後……、
ドジソンさんとアリスさんたちのようではありませんけれど、
わたしにも「金色の午後」
とよべる時間があったように思います。
おそらく、
だれにとっても「金色の午後」があるのでしょう。
さてその「金色の午後」ですが、
引用した文章中に「雲ひとつない青空」という文言もあるくらいですから、
当然快晴だっただろうと想像しますが、
この本の原注によると、
気象庁の記録では雨ということになっており、
そうすると「金色の午後」の意味合いは違ってくることになります。
ですが、
そうであっても、
それならばそれで、感味は尚いっそう深まる気もいたします。

 

・夕映えやけふはここまで窓の秋  野衾

 

斧の柄の故事

 

わたしは碁をやりませんし、将棋は駒の進め方くらいしか知りませんけれど、
中国に、
碁のたのしさと時の経過をつたえて味わいぶかい故事があります。
晋の時代、木こりの王質が山に入り、
四人の童子らの打つ碁を、
童子にもらったナツメを食べ食べ見ていると、
いつの間にか、
斧の柄が朽ち果て、
山から里に帰ってみれば、知っている人はだれ一人いなくなっていた、
それぐらい膨大な時間が経っていた……。
その故事をふまえて、

 

『古今和歌集』991番、

 

故里ふるさとは見しごともあらず斧の柄の朽ちしところぞ恋しかりける

 

また『新古今和歌集』1672番、

 

斧の柄の朽ちし昔は遠けれどありしにもあらぬ世をも経るかな

 

こちらは、
ふるさとを詠んだものでなく、
父帝である後白河院が亡くなったのちに、式子内親王が、
父帝在世中のむかしを懐かしんでの述懐
ですけれど、
時間経過に関する感じ方としては、共通のものがあります。
さて、
ふるさとを離れて暮らすことは、
つらいこともありますけれど、楽しいこともあり、
そうやって暮らしているうちに、
幼なじみがひとり、またひとりと亡くなったことを知るにつけ、
時のたつ速さにおどろき、また、それを感じて歌に詠った古人のこころを
思わずにはいられません。

 

・霜月や吾はまだ世には居らざりき  野衾

 

信仰のかがやく場所

 

ことわざに「鰯の頭も信心から」があり、
関暁夫さんの「信じるか信じないかはあなた次第」という文言も、
よく耳にしますが、
信じる、信じない、に関し、
味のあることばだと思います。
見えるものだけを在るとするのか、見えないものでも在るかもしれないとするかで、
大きくちがってくるかもしれませんが、
『聖書』の「マルコによる福音書」第九章二十四節に、
信じることについての切実なことば
が記されています。
悪い霊に取りつかれた我が子をなんとか救いたくてイエスのもとにやってきた父親
のことば。
「信じます。信仰のないわたしをお助けください。」
下に引用する、小塩力(おしお つとむ)さんの文には、
『聖書』からの引用はありませんけれど、
「マルコによる福音書」の当該箇所に深くかかわっていると思います。

 

だいぶ前に、ある小説家が、神父カンドウらしい人の説教を聴聞ちょうもんして、
感動する場面を描いた一文を読んだことがある。
われわれが、礼拝の中心部として、正統的なかたちで期待している説教とちがって、
聴衆との共通の部分をたしかめ、
小さな、
しかも抗あらがいがたい手がかりを与えて、
終局に達するような説教である。
その最後の「手がかり」の部分が、
次のような詩の引用を核心としている文章にみられる。
「……わたくしは最後に、ヴォルテールの詩を皆さんにご紹介したいと存じます。
あの、キリスト教に反抗し、キリスト教を敵視したヴォルテールにさえ、
こういう美しい詩があるのです。
その詩を申しあげて、
わたしの話を終りたいと存じます。
これは、
珠玉のような、極く小さい詩でありますから、
これだけは原語で、フランス語で申しあげます……。
これを好い加減に、
日本語に訳してみますと、
『若し神様というものがあるとするなら、
神様、
どうかわたしに幸福を与えて下さい』
という意味になります。
皆様も夜中に目がさめて眠れない時は、
どうぞこのヴォルテールの詩を口ずさんで下さい」。
ここに、
不信仰の真剣にあらわにされる場所には、
ふしぎにも、信仰が輝くことが示されると思う。
キリストの形の成るところにこそ、
この二重の真理がみえてくる。
信仰をほこってはいけない、とともに、信じえない現実を、
ただ悲しんでいてもいけない。
(大塚野百合・加藤常昭[編]『愛と自由のことば 一日一章』日本基督教団出版局、
1972年、p.349)

 

小塩力さんは群馬県の生まれ。1903-1958。
上で引用した文は、
新教出版社から1959年に出版された『キリスト讃歌』からのもの、
とのことです。

 

・夢の世を葛の葉裏のささめけり  野衾

 

ことばを測る

 

かつて青江三奈さんという歌手がいました。
「伊勢佐木町ブルース」が大ヒットし、NHK紅白歌合戦に出場するなど、
当時、歌う姿をよくテレビで見たものです。
伊勢佐木町モールには歌碑もあります。
さて、
八十六歳で亡くなったわたしの祖母は、
青江三奈さんがテレビに出てくると、
しみじみ「このひとはりっぱな人だ」と、だれに言うでもなく、ポツリと言った。
それ以上、なぜそう感じるのかを説明してくれなかったし、
家族のだれもそれを問い質しませんでした。
そして、
また青江さんがテレビ画面に現れると、
「このひとはりっぱな人だ」。
あれからすでに半世紀以上たっている。
青江さんも、祖母も、すでにこの世の人ではない。
しかし、
ことばをなりわいとしているせいもあってか、
祖母が青江さんをテレビで見るたびに言い放った「このひとはりっぱな人だ」が、
いまも、いや、いまになって気にかかる。
大きな国語辞書を開いて「りっぱ」の項目を見ると、
①から始まっていくつかの意味が書いてある。
それは、だいたいわたしが知っている「りっぱ」の意味だ。
意味を追いながら、
声のトーン、それを言い放つときの表情と併せ、
祖母の「このひとはりっぱな人だ」を思い浮かべると、
辞書に書いてある説明のどの意味も
しっくりこない。
おそらく、
生前、祖母に直接問い質したとしても、
こたえを得ることはできなかったのではないかと思う。
そこで考えた。
祖母の「りっぱ」の意味を考えることは、
辞書的な意味を超えて、
考えつづける、そのこと自体に、むしろ意味があるのではないかと。
おばあちゃん、
どうして青江さんのことをりっぱだと思うの?
それは、
家が貧しくて小学校へも行かせてもらえなかった祖母の人生がかかっているのだと、
そんなふうにすら思えてくる。

 

・ストレスが腸にまで水の秋  野衾