イルカにのった少年

 

ブルククハルトの『ギリシア文化史』の人名注に
「アリオン」という人物が紹介されています。

 

アリオン 前七世紀頃。ディテュランボス詩人。レスボス島出身。
船中で船乗りに殺されかけたとき、乞うて一曲を歌ってから海中に身を投じたところ、
歌を好む海豚《いるか》が背に乗せて救った、という伝説がある。
(ヤーコプ・ブルクハルト[著]新井靖一[訳]『ギリシア文化史 第二巻』
筑摩書房、1992年、p.588)

 

むかし、城みちるの『イルカにのった少年』という歌があり、
ヒットしました。
大ヒットといっていいかもしれません。
上の文章を目にしたとき、
これがあの歌の元かと思い調べてみましたら、
直接的ではないにしても、どうやら、大元はこの伝説にあったようです。
ウィキペディアによると、
城みちるは、
芸能事務所社長宅に下宿していた時期があり、
『イルカにのった少年』で歌手デビューを果たしたわけですが、
曲名を決めたのは事務所の社長で、
当時観た映画の「沈没船船首のイルカに乗った少年の像」
から着想を得た、
とのこと。
さらに調べてみたところ、
映画の原題は、
そのものズバリ『BOY ON A DOLPHIN』(1957)
日本語タイトルは『島の女』
わたしはこの映画を観ていませんが、
舞台はエーゲ海に浮かぶイドラ島、
海女に扮するソフィア・ローレンが海底で発見した、
イルカに乗った少年の黄金像にまつわる冒険物語
だそうです。
と。
半世紀ほど前にヒットした歌に、
こんなエピソードがあったとは。
知りませんでした。

 

・夏帽子被れば祖父の夏帽子  野衾

 

時を超え

 

ソクラテスは、あらゆる種類の人たちのあいだを歩き廻っていたとき、
疑いもなくその反語的物の言い方によって、
あちこちで殴られたり、蹴とばされたり、
髪の毛をむしられたりというお返しをもらう目にあったであろう。
だが彼はこのような仕打ちを依然として諧謔を弄しつつ受けたということである。
しかしながら、
大部分の人たちは彼らなりにソクラテスを嘲笑し、
軽蔑していたのである。
他人のいる所で辱《はずか》しめられることは、いつでも、
またどんな場合であっても特別につらいことと見なされていた。
ピュタゴラスは、
人々のいる前で彼の弟子の一人をいくらか厳しく面責したところ、
その男は首をくくって死んでしまったということがあって以来、
二度と他人の前では激励の言葉さえ言うことはなかった。
これに反してソクラテスはこの点に、
物にこだわらぬ彼の快活な態度を裁判官たちの前でもみせている。
「なぜあのようにたくさんの人が以前からいつも私の周囲にいようとしたのでしょうか?
それは彼らは、
自分では賢いとうぬぼれているが、
実はそうでない人たちが、
私から聞きただされるのを聞いていたいからにほかなりません。
それはずいぶん面白いことですからね。」
無論、
その生贄になっている当人にだけは楽しいことではなかった
のは言うまでもない。
(ヤーコプ・ブルクハルト[著]新井靖一[訳]『ギリシア文化史 第二巻』
筑摩書房、1992年、pp.484-5)

 

ペロポネソス戦争でスパルタに敗れたアテナイの状況と人心に関するブルクハルトの記述
を第一巻ですでに読んでいましたので、
『ソクラテスの弁明』における上の有名な記述が、
これまでとはちがって、
切実に迫って来るものがあります。
伊藤博の『萬葉集釋注』を読んでいたとき、
ふと、
一二〇〇年以上の時を超え、
目の前の文をとおして、
詠われている当時の情景、風景、光の具合、
山道の、露で湿った草のひんやりとした冷たさまで感じられるような、
そんな瞬間が幾度かありましたけれど、
ブルクハルトの本を読んでいると、
同じような感覚に襲われることが間々あります。
これも、
すぐれた学術書の魅力であると思います。

 

・目覚めては夏のとろりの光かな  野衾

 

『明治事物起原』

 

【自動電氣扇】明治三十五年四月二十日の〔時事〕に、
東京市赤坂區溜池、廣瀨新の自動電氣扇の廣告を見る。
電氣扇は、
三拾時間絕えず廻轉、凉風を送り、
不必要の節は、風力の强弱、且つ電池の作用を止むることを得。
例へば、
一日二時間宛使用すれば、拾五日間の使用に堪ふ。
蓄電池一箱拾五圓、電氣扇箱共拾貮圓、電氣詰替料一囘五拾錢、
これ、乾電池式の自動煽風器なり。
芝浦製作所、三菱電氣、川北電氣、日立電氣などにて、煽風器を發賣せるは、
至つて近來の事なり。
(石井研堂『明治文化全集別巻 明治事物起原』1969年、p.1430)

 

かつて東京の出版社に勤務していたとき、社の本棚に、『広辞苑』より重そうな、
どでかい本がありました。
それが、かの有名な『明治事物起原』。
著者は、
現在の福島県郡山市出身の石井研堂。本名は民司(たみじ)。
明治時代に初源を持つ物、事を総覧的に取り上げ説明した事典、といった内容で、
いわば一冊ものの、
「明治はじまりはじまり大百科事典」
です。
明治41年(1908年)に橋南堂という出版社から出されましたが、
わたしが持っているものは、
1969年に『明治文化全集』の別巻として刊行されたもの。
時を措いての出版は、
それだけ、
この本の価値が広く認められていたということでしょう。
『明治文化全集』の編輯代表者が木村毅ということですから、然もありなん。
さて引用した箇所は、
いわゆる扇風機、についてですが、
はじめは自動電氣扇、と称したんですね。
引用文中「これ、乾電池式の自動煽風器なり」とあり、
これがけっこう重要かと思われます。
というのは、
乾電池の発明は、
日本の時計職人、屋井先蔵(やいさきぞう)が世界初だとされているからです。
石井研堂畢生の名著『明治事物起原』、
下の写真で見るとおり、そうとう分厚い。
とは言い条、
休日、コーヒーを飲みながら、腹ばいになって、
つらつら適当にページをめくり、目についたところを眺めるのも一興。
いまは文庫にもなっています。
こちらも絶版のようですが、
古書で入手可能。
ところで引用した文章、
字面の雰囲気を出そうと思い、旧漢字に変換しようと思い立ったのですけれど、
たとえば電気の「気」は「氣」にすぐ変換できたのは良しとして、
「扇」を変換するのはなんだか面倒くさそうなので、
けっきょく、
旧漢字と新漢字がごちゃごちゃ混じってしまいました。
それでも、
雰囲気はなんとなく伝わるのではないでしょうか。

 

・竹林に白き雨降る五月かな  野衾

 

ブルクハルトの学問

 

ただいま『ギリシア文化史』の二巻目。
A5判・二段組、各巻600ページほどで五巻ありますから、そうとう読みでがあります。
古代ギリシアの文化を総合的に捉えようとするもので、
一巻目は、
わたしの興味関心が薄いジャンルだったせいか、
さほど面白いと感じませんでした。
が、
二巻目に入るや、がぜん面白くなり、
この土、日の二日間、
まさに巻を措く能わずの状態になりまして、
きのうの夕刻、外に出ましたら、ちょっとへろへろしていた。
とくに「ギリシアの英雄神祭祀」「未来の探索」「ギリシア的生の総決算」の項目など、
ギリシア人は私だ!
と感じるぐらいの迫力でせまってきまして。
ところでこの本、
注の数が半端でなく多く、
二ページ、四ページ、あるいは六ページごとに、
十個以上の注がまとめて記載されています。
注を読むのは厭いませんが、
数ページごとに収録されている体裁に、はじめ戸惑いました。
けれど、
左手の指を注のページに挟みながらの読書に、
それほど時間がかからずに慣れましたので、
いまはストレスなく、
割とページが進みます。
注の多くは、
本文の記載がどの本に基づいているかの典拠を示しており、
なかでも、
ホメロス、ヘロドトス、プラトン、プルタルコス
の多さに驚きます。
徹底的にこれらの人の著作を読み込んだことが分かります。
修道社版の『完訳 聊齋志異』を読んだときに、
「読書」のルビが「がくもん」
となっていて、
中国における学問というのは、
なによりもまず書物を読むことであったかと、
ふかく納得しましたが、
中国に限らず、
ヨーロッパにおいても、
それを自身の学問の根本にすえていた人がいたことを、
この本で知りました。

 

・サイフォンの珈琲の香や緑さす  野衾

 

暁と曙

 

古今和歌集六二五番は、壬生忠岑《みぶのたゞみね》のつぎの歌

 

有明のつれなく見えし別れより暁ばかりうきものはなし

 

片桐洋一さんの通釈は、
「有明の月はまだ残っているのに、それがつれなく見える思いで、
つれないあなたと別れて帰って来てからというものは、
いつも明け方ほどつらく感じられるものはないことであるよ。」
語釈のところを見ると、
まず「有明の」についてですが、
「夜が明けて明るくなって来るのに、月が空に残っているのが」
の意であり、
「月」と言わなくても、月のことであるのが分かります。
さて、暁《あかつき》と曙《あけぼの》
暁《あかつき》は《あかとき》の転で、
あたりが全体的にようやく明るくなって来た時を指す。
それに対して曙《あけぼの》は、
暁《あかつき》につづく時で、東の空に日の出を感じる頃、
とのこと。
ややこしくなりましたが、
要するに、

 

  暁《あかつき》  曙《あけぼの》  すっかり朝

 

こういうことでしょうか。
なので、
『枕草子』の有名な、
「春は曙、やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」
の曙《あけぼの》は、
朝の時間経過としては、
暁《あかつき》のつぎに来る時間帯であることになります。
こういうところにも、
日本人の言葉感覚、
感性の特徴があるのでしょう。

 

・口への字郵便局長アロハシャツ  野衾

 

人類の心性

 

病気もまた、「ある人間の上に乗っている」神霊だと言われることがある、
それもすでにホメロスにおいてそう言われている。
しかしなかでも特別にこの名前をもらっているのは精神病であろう。
ソポクレスの『アイアス』の主人公は、
自分の狂気をおのれの神霊《ダイモン》によるものだと言い、
この神霊が自分に狂った言葉を吹き込んで言わせているのだと信じている。
そのときの主調をなす意見を握っている人間、
悲劇の合唱隊はきわめてしばしばそういう人間として語っているのだが、
このような人間もまた、
ある神霊に突然襲われて身の毛もよだつ予言を下すことがあったかもしれない。
アイスキュロスの悲劇において合唱隊は予言するカッサンドラにこう呼び掛けている。
「いかなる神霊がお前に激しくのしかかって、
お前の(目前に迫っている)死の嘆きの歌をお前に吹き込んでいるのか?」
次に、
後代の、
おそらくはオリエントに由来すると思われる考え方で、
本当に物に憑かれた人たち《ダイモニゾメノイ》について言われているものであるが、
これはある神霊がこの人たちの中へ外から押し入ったのであって、
それはまたたぶん追い出すことができるのだ、
というのである。
(ヤーコプ・ブルクハルト[著]新井靖一[訳]『ギリシア文化史 第二巻』
筑摩書房、1992年、p.98)

 

いまわたしの関心は、
歴史的に各地域で発生し、ユニークとされる文化の比較を通して、
人間のこころのありよう、起源をさぐる、
みたいなところにあるのかな
と、
他人事のように思っています。
じぶんのことなのに変ですが、
あまり明確に言葉にできません。
もう少ししたら、
少しは言葉を見つけられるかもしれない。
上に引用した箇所を読んだとき、
『アラビアンナイト』に登場するジンのことを思い浮かべました。
神霊、精霊、ジンといい、
それらは、
ある文化状況、
生活空間の中で人間によって生み出されたものでしょうけれど、
そこに人類共通の心性が潜んでいるように感じます。
そのことを考えるために、
中井久夫さんの『分裂病と人類』が参考になりそうです。
ヘッケルの
「個体発生は系統発生を繰り返す」
がいまも有効ならば、
例外なくだれのなかにもある、
神霊、精霊、ジンを生み出す起源が眠っているはず。

 

・早朝の部屋の中にも緑さす  野衾

 

心境の変化

 

秋田に電話したところ、父がでて、田植えが済んで安堵したという。
疲れた疲れた、
とは言うけれど、
それを話す父の声に張りがある。
わたしが訊くまえに、父は、こんなことを口にした。
齢九十ということもあり、今年で米づくりを止めようと考えていたけれど、
弟(わたしの叔父)から、
米づくりを止めたらボケるぞと諭され、
それもそうかなと思い始めている、
云々。
父より九歳年下の叔父がサポートすることで今年の田植えも済んだ。
叔父のサポートはさらに増していくだろう。
叔父は身近にいて、父の気持をよく知っている。
「米づくりを止めたらボケる」
そうかも知れない。
叔父におんぶにだっこだけれど、
ありがたい。

 

・新緑のざわめきの下女人行く  野衾