ことばを測る

 

かつて青江三奈さんという歌手がいました。
「伊勢佐木町ブルース」が大ヒットし、NHK紅白歌合戦に出場するなど、
当時、歌う姿をよくテレビで見たものです。
伊勢佐木町モールには歌碑もあります。
さて、
八十六歳で亡くなったわたしの祖母は、
青江三奈さんがテレビに出てくると、
しみじみ「このひとはりっぱな人だ」と、だれに言うでもなく、ポツリと言った。
それ以上、なぜそう感じるのかを説明してくれなかったし、
家族のだれもそれを問い質しませんでした。
そして、
また青江さんがテレビ画面に現れると、
「このひとはりっぱな人だ」。
あれからすでに半世紀以上たっている。
青江さんも、祖母も、すでにこの世の人ではない。
しかし、
ことばをなりわいとしているせいもあってか、
祖母が青江さんをテレビで見るたびに言い放った「このひとはりっぱな人だ」が、
いまも、いや、いまになって気にかかる。
大きな国語辞書を開いて「りっぱ」の項目を見ると、
①から始まっていくつかの意味が書いてある。
それは、だいたいわたしが知っている「りっぱ」の意味だ。
意味を追いながら、
声のトーン、それを言い放つときの表情と併せ、
祖母の「このひとはりっぱな人だ」を思い浮かべると、
辞書に書いてある説明のどの意味も
しっくりこない。
おそらく、
生前、祖母に直接問い質したとしても、
こたえを得ることはできなかったのではないかと思う。
そこで考えた。
祖母の「りっぱ」の意味を考えることは、
辞書的な意味を超えて、
考えつづける、そのこと自体に、むしろ意味があるのではないかと。
おばあちゃん、
どうして青江さんのことをりっぱだと思うの?
それは、
家が貧しくて小学校へも行かせてもらえなかった祖母の人生がかかっているのだと、
そんなふうにすら思えてくる。

 

・ストレスが腸にまで水の秋  野衾

 

ロックさんと聖書

 

小学校から高校までの教科書には、
おぼえておかなければいけない、
試験に出そうな人の名まえがゴチック体の黒黒した太い文字で記されていました。
それを、
楔形文字みたいな言い方で、
黒太文字(くろふともじ)と称していた友だちがいたっけ。
さいしょ、なんのことかと思ったよ。
黒くて太い文字だから、くろふと文字、まあ、
そう言われればそうに違いないけど。
それはともかく。
黒太文字で昔おぼえた人の書いた本や、
その人の伝記を読むと、
学校の先生から習ったときの印象とはまた違った印象をもつことが多く、
いちばんは、
身近に感じられるようになることかな。
ジョン・ロックといえば、
タブラ・ラサ。
生まれたばかりの人間の心は白紙みたいなもので、
その後の経験によって、いろいろいろいろ、
あらゆる観念が獲得されるようになると主張した…。
なんてことしか知らないわけですが、
たとえば岩波文庫の『人間知性論』を読み始めると、
すぐに『聖書』にある文言がさりげなく引用されていて、
それが幾度か目にしたものであったりすると、
これまで呼び捨てであったジョン・ロックに急に親しみをおぼえ、
ジョン・ロックさん。
『聖書』のどこかといえば、
「箴言」第20章27節
「人の魂は主のともしびであり、人の心の奥を探る。」
は~。そうですか。
ここか~。
『人間知性論』の訳者・大槻春彦さんによれば、
この句は、
ロックさんの敬愛したベンジャミン・ウィチカットさんが好んだ句
だそうで、
『人間知性論』の第4巻第3章第20節にも引用される、
とのことですから、
さっそくその箇所を見てみた。
たしかに。なるほど。
学校時代に習ったことを改めて勉強し直すことの味わいが、
こういうところにもある気がします。

 

・いわし雲吾のこころのみ見てゐたり  野衾

 

嫌いな人ともつきあう

 

子どもの頃からいまだに、これといった方法が見つからないことのひとつに、
嫌いな人とどうやってつきあうか、という問題がありまして。
どんな場所に行っても逃れられないことながら、
隠しても隠し切れないし、
相手だってわたしを嫌っているかもしれず、
相性もありますから、
ほどほどの付き合いで勘弁してもらい、なるべく避けて付き合わないようにする、
ぐらいが無難かな、とも思います。
ところが、
そういうやり方、浅知恵ではない方法で道を切り開いた人がいました。

 

修道院の中には、もちろん仇はおりませんが、やはりここにも、
自然に好きな人と嫌いな人がありまして、ある人の側には知らず知らずひきよせられ、
ある人には回り路をしてでも会うことをさけたりいたします。
……以前、
何かにつけ事々に私が不快の感を抱かずにはいられなかったひとりの修道女
がおりました。
それには確かに悪魔の手が加わっておりまして、
私はその悪魔にあやつられて、
彼女の嫌な点ばかりを見ておりました。
どうかしてこの自然の隔意に打克うちかちたい、
そうだ愛はただ心に蔵おさめておくばかりでは足らず、
行為に表わさなければならないと思い付きましたので、
私は全力を尽して、
この姉妹を最愛の友を扱うように扱いはじめました。
そして彼女に出会う度たびにその為に祈り、またその功績の凡すべてを
主の前に数え並べました。
すべてどのような名匠もおのれの手の業を讃えられて喜ばぬ
ことはございません。
霊魂の名匠にいます主も、
私がただその御手の業の外形ばかりを見ず、
主が住居として選び給うた内なる聖所まで見透して、
その美を賞め讃えたことを、たしかに嘉よみしたもうたことと存じます。
私にそのような自己抑制の機会を備えてくれた姉妹のため、
ついにはただ祈るだけでは心足らず、
私は彼女にできるだけの奉仕を献げ、また不愉快な返答をしそうになるときは、
大急ぎでほほえみ、
又談話の向むきをかえるように致しました。
そしてついにこれら凡ての戦闘に勝利の日があけました。
彼女は或日、
真によろこばしげなほほえみを浮べて申しました。
「テレジア童貞よ、
私のうちに、何かあなたをそれほどひきつけるものがあるのでしょうか?
まあ、おめにかかるごとに
何ともいえぬ御親切なほほえみで迎えていただきますので……」。
ああ、
私の心をひきつけるもの、
それは彼女の霊の奥ふかきところに住み給う主イエス、
もっともにがきものをも甘きにかえ給う主イエスでございます。
(大塚野百合・加藤常昭[編]『愛と自由のことば 一日一章』日本基督教団出版局、
1972年、p.345)

 

引用した文章は「リジューの聖テレーズ」とよばれた、
マリー・フランソワーズ・テレーズ・マルタンさんのことば。
1952年、新教出版社から刊行された宮城春江さん訳の『小さき花』から
とられています。
テレーズさんは、フランスのカルメル会の修道女で、
1873年に生まれ、1897年に亡くなっています。
24年の人生でした。

 

・悲しさの底の無音を鈴に秋  野衾

 

つねおくんのこと

 

おとうとから電話があり、つねおくんが亡くなったことを知った。
小学生のころ、
わたしはつねおくんと、
とくに親しくしていた時期があった。
よく話をし、家に帰ってからも、よくいっしょに遊んだ。
こんなことがあった。
あるとき、
川上先生が担任のときだから、
たしか小学三年生。
わたしは親に買ってもらったばかりの新しいベルトを締めて学校に行った。
つねおくんは、それを目ざとく見つけ、
なにか言った。
そのときの印象を、
その時点ではことばにできなかったけれど、
のちに、
『銀河鉄道の夜』を本で読み、
「ジョバンニ、らっこの上着が来るよ。」
と冷やかしたザネリの顔
を想像し、
ザネリと重ねてつねおくんを思い出した。
しかし、
わたしがして行ったきれいなベルトを見つけ、
なにか言った後のつねおくんの振る舞いは、
ザネリとはまったくちがっていた。
というのは、
わたしが三色の編み上げのベルトをして学校へ行ってから三週間、
いや四週間ほど経ったある日のこと、
一時限目の授業が始まる前に、
つねおくんがわたしのもとへやって来て、
ぺこりと頭を下げあやまった。
けげんに思っていると、
わたしが身に着けていた三色のベルトが羨ましくて、
それであんなことを言ってしまった、
「ゴメン!」
「……」
わたしはだまってつねおくんを見ていた。
「ぼくも三色のベルトが欲しくなって買ってもらった。ほら!」
「あ!」
ほんとだ。ぼくのとおんなじ。
そうか。
そういうことだったのか。
ぼくは、つねおくんは、ほんとうの友だちだと思った。
……………
中学を卒業してから一度もつねおくんと会ったことがなかった。
が、
一度だけ、
帰省した折、買い物をしようとアマノに行った際、
つねおくんによく似た人を見かけた。
「つねおくん」と思ったけれど、どうやら買い物を終えて帰りしなだったし、
少し離れてもいて、人ちがいかもしれず、
声をかけなかった。
つねおくんのことでは、
あとふたつ、
忘れられない思い出がある。

 

・はじめのことば秋冷に葉の揺るる  野衾

 

こころが写される

 

一冊の本を集中して読む読み方に対し、
大部の本をまいにち少しずつ読む方法がありますが、
『心を新たに ウェスレーによる一日一章』
は、そうしたたぐいの本で、
書名にあるとおりの形で読みすすめ、ことしで五回目になりますが、
毎回グッとこころに沁みてきたり、刺さったりすることばがあるかと思えば、
五回目にして初めて目に留まり、
こころが凪いでくるような、そういう文にでくわすことがあります。
そのときどきの、
読むこちら側のこころが写されているのか、
と思います。

 

真実の信仰者の肉体の苦悩から来る悲しみや苦しみの原因は何でしょうか。
使徒は明確に
「あなたがたは……今しばらくの間、
いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが」〔一ペト四6〕
と語っています。
「いろいろな」というのは多くの種類、無数という意味です。
数え切れない状況の中には、
それぞれ異なった多様性や違いを見せるかもしれません。
この多様性、相違はそれらに対抗することをより困難にします。
これらの中には肉体的な混乱、
特に突然の病や激しい痛みがあります。
一〇〇〇人のうち一人は、
他人のようには痛みを感じない体質を持っているかもしれません。
しかし、
一般的に痛みは悲惨であり、患者を打ちのめすものです。
神の恵みにおいて彼らが忍耐していたとしても
心は苦しく、
心が体に同情を示しているのです。
長く続くすべての病も、
痛みを伴わなくても同じ効果をもたらします。
同じことは、神経の混乱にも言えます。
そして信仰は本来の体質を覆えすことができません。
自然から起こる原因は
自然の結末をもたらすのです。
たとえ信仰があっても熱があると脈拍が上昇するように、
病的興奮による病にかかると心がしぼんでいくことを防ぐことはできません。
もう一度言いますが、
不幸や貧困がつむじ風のようにやって来る場合、
それはわずかな試みと言えるでしょうか。
子供たちのために食糧や住居を持つことができない彼らは
どうしたらいいのでしょうか。
信仰を持っている人たちでさえ、
それが憂い以上のものを引き起こさないことに驚きを禁じ得ません。
(ジョン・ウェスレー[著]A.ルシー[編]坂本誠[訳]
『心を新たに ウェスレーによる一日一章』教文館、2012年、p.133)

 

この本の「11月8日」の文章に、
これまでとちがった感想をもったことのひとつの要因として考えられるのは、
先日DVDで観たヴィットリオ・デ・シーカ監督の映画『自転車泥棒』
の強烈な印象です。
『自転車泥棒』、アンドレ・バザン、聖骸布、
またさらに、
わたしの身体というイメージが動けば、まるで万華鏡を動かしたときのように、
世界全体の景色が変ると言ったベルクソンの言説
まで思い出され、
そういう連関のもと、
文の風景が変ったのかな、とも思います。

 

・貝殻やことば無き世を秋の風  野衾

 

一冊の手書きの本

 

伝記を読むと、とくに、日記や書簡を多く取り込んでいるたっぷりした伝記を読むと、
時代と国を超え、とりあげられた人の人生に寄り添っていく、
そんな気持ちにさせてもらえるわけですが、
いまは、
ルイス・キャロルさんこと、
チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンさんの人生に同行しています。

 

ダックワースとぼくはリデル三姉妹とゴッドストウめざして川を遡る遠足に出かけた。
ゴッドストウの岸辺でお茶を飲み、
クライスト・チャーチに再び帰ったときには八時を三十分まわっていた。
そして
みなで子どもたちをぼくの部屋に連れていき、
マイクロ写真(原注*チャールズが撮った写真の巧妙なミニアチュア版で、
時に小さな象牙色の望遠拡大透視装置の中に仕掛けてあり、
覗くと写真が浮かびあがるようになっている)
のコレクションを見せてあげた。
ちょうど九時前に子どもたちを学寮長邸宅にお返しした。
[一八六三年二月十日、
チャールズは反対側の白紙のページに次のように覚書を書き加えている。]
この折に、
ぼくは子どもたちに『アリスの地下の冒険』というおとぎ話を語って聞かせた。
ぼくはアリスのためにこの話を清書すると請け合い、
いま書き上げたところだ……
(モートン・N・コーエン[著]高橋康也[監訳]安達まみ/佐藤容子/三村明[訳]
『ルイス・キャロル伝(上)』河出書房新社、1999年、pp.164-5)

 

清書されたおとぎ話、さらに一冊の手書きの本が、ひとりの少女の依頼によって書かれ、
世紀を超えて読みつがれる本に成長していくなど、
この時点では本人をふくめ、
だれにも予想することができませんでした。
ひとりの少女とは、
アリス・リデルさん。
一冊の手書きの本とは『アリスの地下の冒険』。
のちに書名を変え『不思議の国のアリス』として出版されることになります。

 

・樹のむかし空のむかしや秋の風  野衾

 

歌に詠われた塩竈

 

ふるい歌を毎日少しずつ読んでいると、あるとき、フッと、あるいは、フ~ッと、
歌が詠まれた時代に吸い込まれていくような、
まるで魔法のランプのなかに戻ってでもいくような、
そんな気持ちにとらわれることがあります。

 

『新古今和歌集』1611番

見わたせば霞のうちもかすみけり煙けぶりたなびく塩竈の浦

 

シンプルで分かりやすく好きな歌です。
峯村文人(みねむら ふみと)さんの現代語訳は、
「見渡すと、一面の霞の中でも、ひと所がいちだんとかすんでいることだ。
藻塩の煙のたなびく塩竈の浦のあたりなのであろう。」
「霞のうちも」の「うち」が利いていて、
実際に見たことのない藻塩づくりの景色が目の前にパ~ッと広がるようにすら思えます。
作者は藤原家隆さん。
1158年生まれですから、
わたしの生年からかぞえて799年前のひと。
計算、合ってるか?
検算。はい。合ってます。
歳とともに寂しさが加わる分、昔の人のこころにじぶんをかさねることで、
なぐさめられ、励まされ、しみじみさせてもらえたり。

 

・秋澄むや園児らの声ここにまで  野衾