無理に剥がさない

 

きのうのつづきのことですが、
「どうしてそんなこと言うの?」「そんな言い方ってある!?」
「クソッ!!」
と、腹に据えかねた場合、
腹に据えかねるだけでなく、こころに少なからず傷を負うことが間々ありまして。
そうすると、
「どうしてそんなこと言うの?」「そんな言い方ってある!?」
「クソッ!!」
まずいまずい。ほかのことを考えなきゃ。
とは思うものの、
同じことばが頭をめぐり、やりくりを始めます。
こうなるといけません。
まるで、
傷を負ったときに、放っておかずに、
直りかけたかさぶたをしょっちゅう触ってみたり、挙句の果てに剥がしてみたり
するのにも似て。
どういうのか、ひとつの癖みたいなものでしょうけれど、
これが、わかっちゃいるけどやめられない。

 

【かさぶた】痂皮(かひ)とも。
皮膚が創傷を受けたとき、傷口から浸出した血液や組織液が乾固したもの。
炎症や化膿(かのう)を伴うこともあるが、そうでない限り、
その下に表皮が新生して自然に脱落する。
むりにはがすと、治癒(ちゆ)が遅れ、瘢痕(はんこん)を残すことがある。
(百科事典マイペディアより)

 

引用した説明文の「皮膚」を「こころ」に置き換えると、
ひとのことばによって受けた傷にもピタリ当てはまるようです。

 

・商店街火点しごろの冬の月  野衾

 

怒りについて

 

アメリカの精神医学者ハリー・スタック・サリヴァンさんは、
精神医学は対人関係論であると喝破しました。
紀元前後ローマのストア派の哲人セネカさんに「怒りについて」の文章があります。
じぶんじしんに怒ることもあるけれど、
多くの場合、
他人に対して怒りは生じます。
「どうしてそんなこと言うの?」「そんな言い方ってある!?」
「クソッ!!」
腹に据えかねる。
どうにもこれは厄介な問題で、
一筋縄ではいきません。
いろいろ思い悩んでいるうちに、じぶんがおかしくなってくることもあります。
吉井和哉さんの「みらいのうた」は好きな歌ですが、
その歌詞に
「怒りもあるならば素直に出せばいい」
とありまして、
なかなか実人生でそんなふうにはできないけど、
歌うしかない、思いの深さが感じられます。

 

結局、どこに行っても一緒なんやなあ。100%満足できる環境はないんです。
だから大事なのは、
「今いる場所で、どうしたら己が快適に過ごせるのか」
を中心に考えることやと思います。
他人さんを変えて快適にするのではなく、
「自分がどう動けば快適になるやろうか」
「ここで気持ちよく過ごせるようになるやろうか」
なんです。
ハッキリ言ってしまうと、
他人さんを変えることなんか無理。
100%不可能とは言いませんけど、ちょっとそっとの努力では、
人の考えやふるまいは変わりません。
あの手この手を使って、
何年も十何年も徹底的にめんどうを見る。
それくらいの覚悟やエネルギーが必要になるもんや
と思ったほうがええでしょう。
(中村恒子・奥田弘美[共著]『心に折り合いをつけて うまいことやる習慣』
すばる舎、2018年、p.51)

 

「思ったほうがええでしょう」
そうか。
そうだろうなあ。
中村恒子さんは1929年生まれの精神科医。
この本は奥田弘美さんの聞き書きによるものです。
奥田さんは、内科医だったそうですが、
中村恒子先生と出会ったことをきっかけに精神科医に転科したとのこと。

 

・コーヒーの香りや味や冬ざるる  野衾

 

世界が揺れた!

 

ふと、あるエピソードを思い出しました。
食べたものの味や匂いに関係なく。
なにも口にしていない、そばに誰もいない、休日、ただ宙に目を泳がせていたときでした。
不意に。
小学生にはなっていたと思います。
友だちの真一くんに誘われて、川へ魚を捕りに行ったことがありました。
その頃は真一くんとよく遊んだ。
手ぶらでよく知っている川べりへ向かう。
遊ぶときには、だいたい弟もいっしょだったが、
そのときは弟はいなかったと記憶している。
真一くんに言われるまま、
ぼくも真似して靴を脱ぎ、ズボンのすそをまくって裸足になった。
靴下は穿いていなかったから、夏だったと思う。
夏休みだったかもしれない。
真一くんには悪いけど、
こんなことして魚が捕れるのかと怪しんだ気がする。
真一くんはさっそくズブズブと川へ入っていく。
ぼくも後からズブズブと。
腰を落とし、
半袖シャツから出ている腕を肘まで水に入れ、
水が土手に触れる辺りをガサガサやりながら歩を進めていく。
水中の草や木の枝に触ることはあるけれど、
魚をつかむことはなかった。
真一くんは無言で前を進んでいく。
まえに捕ったことがあるんだろうか。おぼつかない足取りではないから、
きっと捕ったことがあるんだろう。
と、そのとき。
アッと叫んだか、なんかするから、ぼくは体を起こし、まえを見た。
真一くんの広げた両手の先、宙に魚が浮いている。
光った!
あふれるばかりの光が降りそそぐ。
魚に、真一くんに、ぼくにも。
世界が揺れ、一瞬そのまま停まったかと思った。
あのとき見た光景はずっと胸にあって、
クロード・モネの『散歩、日傘をさす女性』を画集か何かで見たとき、
似ていると思ったけれど、
真一くんが魚を放ったときに顔を上げ、浴びた光の量はもっと多かった気がする。
捕った魚を逃がし、その後二人とも一匹も捕れなかったけど、
真一くんは、一度は魚をつかんだのだ。
生きた魚を素手で。
忘れられない思い出だ。

 

・寒き夜や言葉の海のはるかなる  野衾

 

木の家に住むように

 

子どもの頃、大工さんが家を建てるのをワクワクしながら見ていました。
少しずつしかできていかない。でも、少しずつできていく。
じぶんの家じゃないのに、
毎日見ているうちに、なんだか楽しくなってくる。
あたりまえに暮らしていたけれど、
じぶんの家もそうやってできたのかと思うと、
いとしく思えてきて、
家に帰ってから、古くなった柱を撫でてみたり、床を足裏でこすってみたり。
紙の本を読むときも、
両手の指で本のノドのところを何度も押し開き、
両手で持って読むときもあれば、
左手だけで本を持って読んだり、右手に持ち替えてみたり。
むつかしい本の場合は、
左手の親指を本のノドにあてがい、
ふかく本を持ち、
右手の親指で、文章の一行一行をゆっくりなぞっていく。
紙の感触が指から脳に伝わり、
一行の意味と相まって得も言われぬ快感が走る。
「生命活動、というのはすなわち物質世界に投げ出された意識のことであるが、
その注意を自らの運動そのものに注ぐとともに、自らが通過してゆく物質世界にも注いでいる。」
しばらく意味の海に身を任せ、
左手でこれから読んでいく本のページの束をつかみながら、
右手の指で、
いま読んだばかりの二行を二度、三度、
撫でてみる。
時間をかけて大工さんが建てた木の家に住むように、
しばしの時間、本に住む。
その家の空気を吸うようにして。
本を読むことは、
撫でさすり、指の腹で紙の感触を味わうことだ。
意味はそのためのきっかけに過ぎない。
物に触れて感じる味わいを「感味」
と呼ぶことを、
峯村文人(みねむら ふみと)さん校注の本で知った。
「感味」は『新古今和歌集』の歌の意味だけにあるのではない。
みじかい歌の一行に指を這わせることで、
よりいっそうの「感味」が脳を刺激し、
生きていることが実感され、
深い味わいとなってわたしを支えてくれる。
きょうもまた、何冊かの本を訪ね、本に触り、本を味わう。

 

・このごろの父の電話や冬構  野衾

 

『新先蹤録』の書評

 

わたしの母校・秋田高校の同窓会からの依頼で上梓した
『新先蹤録 秋田高校を飛び立った俊英たち』
の書評が『図書新聞』に掲載されました。
各界で活躍してきた卒業生38名のライフヒストリー
をまとめたもので、
同窓会の了解を得て市販することになった本
(中身は同窓会へ納めたものと同じ)
につき、
東京学芸大学の末松裕基(すえまつ ひろき)さんが書いてくださいました。
本にこめられた精神を深く汲む、いい書評であると思います。
コチラです。
高校の三年間は、
時計的なながさからいったら、あっという間ですが、
このごろよく口にする、
薄い縁が浅いわけではなく、
いろいろ感じ、また考え、吸収する時間でありました。

 

・秋風とぎれ人知れず松の声  野衾

 

トラウマを耕す

 

宮地尚子(みやじ なおこ)さんが書かれた本『トラウマ』(岩波新書、2013年)
を読もうと思って買って、まだ読んでいませんが、
ぱらぱらめくっていましたら、
第6章の見出しが「トラウマを耕す」
となっており、
目が留まり、中扉の裏に記されたことばを、そこだけ読んでみました。
幾度かくり返し読んでいるうちに、
書かれたことばが発せられる声まで想像できる気がし、
これは、
のっぴきならない事象を、思い、反芻し、ご自身のこころにも浸み込ませるようにして、
やわらかく、わかりやすく記した実のあることば
と思えてきました。

 

この章では、「トラウマを耕す」ということを考えてみます。
トラウマを社会から消し去ることはできないし、
いったん被ったトラウマを個々人が忘れ去ることもできません。
トラウマを抱えることは苦しいことですが、
それでも人は生きていきます。
他者とのつながりを少しずつ取り戻し、自分の居場所を一時的にでも見つけ、
生きていく意味をかすかに感じながら日々を紡ぎ続けること
はできます。
そこから出てくる知恵や想像力、創造性もあります。
だから、
むしろトラウマの存在をきちんと認め、
生き延びてきた人たちから学び、
トラウマによって生みだされる文化を尊重し、味わうという方向性
を考えてみたいと思うのです。
(宮地尚子『トラウマ』岩波新書、2013年、p.222)

 

・ことばに傷つき癒され秋の風  野衾

 

金色の午後

 

『不思議の国のアリス』のもとになったお話は、
1862年7月4日、ルイス・キャロルことチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンさん、
友人のロビンソン・ダックワースさん、
それとロリーナさん、アリスさん、イーディスさんのリデル三姉妹
といっしょに、
アイシス川をボートで遡るピクニックに出かけた際、
ドジソンさんがアリスさんのために語った「アリスの地下の冒険」
でした。
それから四半世紀後に、
チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンさんは、
思い出にふけったとして、
伝記作家のコーエンさんは、
ドジソンさんが記した文章から引用しています。
わたしは、日本語に翻訳された日本語で読んだのですが、
訳文がいいせいで、
もとから日本語で書かれた日記を読むようなぐあいで、たのしく読み、
また、しみじみした気持ちになったのでした。

 

何日も何日もぼくたちはいっしょにあの静かな流れを漕いだのだった
――幼い三人の少女とぼくと――
そしてたくさんのおとぎ話があの少女たちのために即興で語られた
――時には、作者の「気が向いて」、
追い求めずともさまざまな空想が群をなして押し寄せてくることもあり、
また時には、
疲れ切った詩神が突き棒で追い立てられて動きはじめ、
何か語りたいことがあるからというよりは、
何か語らなくてはならないと責め立てられるかのように
おとなしくとぼとぼと歩いていくこともあったにせよ――
けれどもこれらの多くのお話は
どれひとつとして書き留められはしなかった。
それらは夏の小さな羽虫のように生まれては死んでいった。
それぞれがそれなりの金色の午後を迎えながら。
けれど
やがてある日のこと、
たまたまぼくの幼い聞き手のひとりが
そのお話をあたしのために清書してほしいのと哀願したのだ。
それは何年も何年も昔のことだ。
だが今こうして書きながらも、ぼくははっきりと思い出す。
妖精伝説に何か新機軸を打ち出そうと必死になって、
あとさきの展開も考えずに、
手始めに女主人公をウサギの穴のなかに投げ込んだことを……
そのお話を書き留めながら、
ぼくはたくさんの新鮮な着想を付け加えていった。
それらはもとの幹からひとりでにどんどん成長していくみたいだった。
そしてさらにたくさんの着想がおのずと付け加わっていき、
数年のちに
ぼくはもう一度すっかり書き直し、出版したのだ……
ほんとうに何年もの歳月がいつのまにか過ぎ去ってしまった。
おまえを生みだしたあの「金色の午後」
のときから。
しかしぼくはまるで昨日のことのように、
あの午後をほぼはっきりと蘇らせることができる
――雲ひとつない青空が上方に広がり、水の鏡が下方に光っていた。
ゆったりと漂いながら進むボート。
オールがゆらゆらとたいそう眠たげに波打つたびに、
滴り落ちる雫の音。
そして
(こうしたまどろみに誘われる眺めのなかでただひとつ、命の輝きを放っていた)
三つの熱心な顔。
妖精の国からの便りを待ち焦がれている。
それにはとても「だめ」とは言えそうもなかった。
唇からもれるのは、
「お願い、あたしたちにお話をして」という言葉。
そこには変えることのできぬ運命の三女神のいかめしさが浮かんでいた!
(モートン・N・コーエン[著]高橋康也[監訳]安達まみ/佐藤容子/三村明[訳]
『ルイス・キャロル伝(上)』河出書房新社、1999年、pp.166-7)

 

金色の午後……、
ドジソンさんとアリスさんたちのようではありませんけれど、
わたしにも「金色の午後」
とよべる時間があったように思います。
おそらく、
だれにとっても「金色の午後」があるのでしょう。
さてその「金色の午後」ですが、
引用した文章中に「雲ひとつない青空」という文言もあるくらいですから、
当然快晴だっただろうと想像しますが、
この本の原注によると、
気象庁の記録では雨ということになっており、
そうすると「金色の午後」の意味合いは違ってくることになります。
ですが、
そうであっても、
それならばそれで、感味は尚いっそう深まる気もいたします。

 

・夕映えやけふはここまで窓の秋  野衾