ブルクハルトの学問

 

ただいま『ギリシア文化史』の二巻目。
A5判・二段組、各巻600ページほどで五巻ありますから、そうとう読みでがあります。
古代ギリシアの文化を総合的に捉えようとするもので、
一巻目は、
わたしの興味関心が薄いジャンルだったせいか、
さほど面白いと感じませんでした。
が、
二巻目に入るや、がぜん面白くなり、
この土、日の二日間、
まさに巻を措く能わずの状態になりまして、
きのうの夕刻、外に出ましたら、ちょっとへろへろしていた。
とくに「ギリシアの英雄神祭祀」「未来の探索」「ギリシア的生の総決算」の項目など、
ギリシア人は私だ!
と感じるぐらいの迫力でせまってきまして。
ところでこの本、
注の数が半端でなく多く、
二ページ、四ページ、あるいは六ページごとに、
十個以上の注がまとめて記載されています。
注を読むのは厭いませんが、
数ページごとに収録されている体裁に、はじめ戸惑いました。
けれど、
左手の指を注のページに挟みながらの読書に、
それほど時間がかからずに慣れましたので、
いまはストレスなく、
割とページが進みます。
注の多くは、
本文の記載がどの本に基づいているかの典拠を示しており、
なかでも、
ホメロス、ヘロドトス、プラトン、プルタルコス
の多さに驚きます。
徹底的にこれらの人の著作を読み込んだことが分かります。
修道社版の『完訳 聊齋志異』を読んだときに、
「読書」のルビが「がくもん」
となっていて、
中国における学問というのは、
なによりもまず書物を読むことであったかと、
ふかく納得しましたが、
中国に限らず、
ヨーロッパにおいても、
それを自身の学問の根本にすえていた人がいたことを、
この本で知りました。

 

・サイフォンの珈琲の香や緑さす  野衾