書くことは

 

ものを書くということは、
思いついたことを単にちょっと書き留めておくこと
ではありません。
「何を書けばよいのか分からない、書いておくような考えは何もない」
と私たちはよく口にします。
しかし、
すばらしい書き物の多くは、
書くことそのものの中から生まれて来るようです。
一枚の紙を前にして座り、
頭や心に浮かんだことを言葉で表すようにしてみます。
そうすると
新しい考えが浮かんで来て
私たちを驚かせ、
その存在をほとんど知らなかったような内的空間へと私たちを連れて行ってくれる
でしょう。
ものを書くことの、
最も満足を与えてくれる側面の一つは、
他の人々の目に美しいばかりではなく、
私たちにとってもすばらしい宝物が隠された深い井戸を、
私たちに開き示してくれることです。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.160)

 

たとえばこのブログを書いていて、
書く前には思っていなかったことを、書いている途中で思いつき、
そのまま思考のめぐりに身を任せるように
ポツポツとキーボードを叩き、
ひとまず終ってみると、
へ~、
こんなところに着地したのか、
みたいな気になることがあります。
それから、推敲を二度、三度、四度。
どういうふうに読まれるかはひとまず置いといて、
書いているわたしが
他人事みたいに驚いている、
ということが
たまにあります。
ナウエンが言うほどすばらしくなくても、
そんなふうにして書き上がったものが、
人さまに読んでもらえたらうれしい。
ちなみに今日は、
そんなふうにではなく、
書こうと思って書いたものです。

 

・痒き背を掻いてそのまま裸かな  野衾

 

クリサンセマム・ムルチコーレ

 

ながく住んでいると、ご近所さんとだんだん挨拶を交わすようになり、
立ち話をするようになり、
そういうちょっとした会話が楽しくもあります。
近くにある急階段横に住んでおられる女性
は、
花がとても好きらしく、
手入れが行き届いていて、
通るたびにしばし佇んで眺めています。
先日こんなことがありました。
たまたま女性が外におられたので、
挨拶をし、
鉢に植えられた黄色の小さな花がとてもきれいでしたから、
名前を尋ねました。
女性は、
思い出そうとしましたが、
すぐに思い出せない様子で、
あとで名札を挿しておきますとおっしゃいました。
会社の帰りがけに見てみると、
「ムルチコーレ」の札が。
キク科の花だそうで、
和名は「キバナヒナギク」(黄花雛菊)
調べてみたら、
アルジェリア原産でした。
知らないことがいっぱい。

 

・円描いてまたそこに居る大き蠅  野衾

 

『ギリシア文化史』の魅力

 

われわれの理解している本講義の任務は、
ギリシア人の考え方と物の見方の歴史を示すことにあり、
そしてまた、
ギリシア人の生活の中に働いていた活気溢れる諸力、
すなわち、
建設的な力と破壊的な力についての認識を得ようとすることにある。
叙事的にではなく、歴史的に、
それもまず第一に、
彼らの歴史が普遍史の一部分をなしているという意味合いにおいて、
われわれはギリシア人たちの本質的特質を考察せねばならない。
というのも、
これらの特質こそ、
彼らが古代オリエントや、それ以後のもろもろの国民と異なっている点であり、
しかもこの両者への大きな通路を形成している点であるからだ。
全研究はこのために、
つまり
ギリシア精神の歴史のために準備が整えられていなければならない。
個別的なもの、特にいわゆる事件は、
ここでは一般的な事柄についての証人尋問においてのみ発言が許されるのであり、
それ自身のために発言することは許されない。
なぜなら、
われわれの求めている事実的なものは、考え方なのであり、
これもまた事実であるからだ。
しかし資料は、
われわれが上に述べたことに基づいて
この考え方というものについて考察する場合には、
考古学的知識材料を隈なく求める単なる研究とはまったく異なったことを
語ってくれるであろう。
(ヤーコプ・ブルクハルト[著]新井靖一[訳]『ギリシア文化史 第一巻』
筑摩書房、1991年、p.7)

 

ようやく本丸にたどり着いた気持ちです。
ことしはこれを読むぞと決めていたのに、
わるい癖がでてしまい、
試験勉強をしなければいけないときに限って、ほかの本を読みたくなる
のたぐいにも似て、
本丸を仰ぎ見つつ、
寄り道寄り道の連続、
とうとう連休も終わるかというタイミングで
やっと開くことになりました。
全五巻ですから、これからしばらくかかるでしょう。
また寄り道をしないとも限りません。
さてこの『ギリシア文化史』
ですが、
スイスのバーゼル大学において、
ブルクハルトが1872年の夏学期から行なった講義の
講義録が元になっています。
これが通常の叙事的な歴史書とちがうことは、
上に引用した箇所にはっきり出ています。
「考え方も事実」だというところに強く惹かれます。
専門家のためだけの研究でなく、
ひろく一般の人のための学問を標榜していたブルクハルトの面目躍如か、
と思います。

 

・草餅を買うて一段とばしかな  野衾

 

五木さんの「稲」

 

きのう届いた『秋田魁新報』を読んでいましたら、
五木寛之さんのコラム「新・地図のない旅」
に、
おもしろいことが書いてありました。
五木さんは今年九月で九十歳を迎えますが、
これまでずっと、
早稲田の「稲」の字の右下にある「旧」を「田」だと思ってきたと。
稲は田んぼに生えるから、
「田」だろうと、
なんとなく思ってきたのだとか。
手書きの原稿の「稲」の「旧」はすべて「田」と書いていたはずだから、
そのつど、
担当の編集者が、
五木さんに告げずに、
そっと直してくれていたのだろう、
とありました。
ちなみに五木さんの最終学歴は、
早稲田大学露文科中退。
大学時代のエッセイも少なくありませんから、
かなりの数の間違った「稲」を書いてきたのでしょう。
わたしの中学時代の先生で、
「備」の右下「用」のところを、
横棒を2本でなく1本、縦棒を1本でなく2本書く先生がいました。
こわそうな先生でしたから、
だまっていました。

 

・新緑を漏れ来る影の高きより  野衾

 

かけがえのない一日

 

パソコンを立ち上げこのブログを書こうとして少し静かにしていると、
鶯の声が聴こえてきました。
二度。三度。
いい声に、聴き惚れてしまいます。
ただいま朝の四時三十七分。
連休が始まる少し前に、
四歳の時から知っている近所のりなちゃんからメールがあり、
それに刺激され、
わたしもコーヒーグラインダーを求めました。
コーヒーの味は、
いろいろな要因によって決まりますが、
なかでも、
挽いた豆の大きさが均一であることがとても重要です。
十年近く使っているミルは、
重宝し、
気に入っていますが、
経年変化もあってか、
いくら粒度調整をしても、
もはや限界というところに至っていました。
これまで使っていたミルでコーヒー豆を挽く音がガリガリガリガリ
だとすると、
もとめたグラインダーで挽く音は処理処理処理処理。
いや、
ショリショリショリショリ。
あきらかに違います。
挽くときの腕にかかるストレスがほとんどありません。
せっかくなので、
サイフォンの布フィルターも替えてみました。
淹れ方は前と全く同じ。
さて味は。
むむ。
す・ば・ら・し・い・!・!
こんなに違うか、
というぐらいに違います。
これまでが不味かったわけではありません。
けれど、
どう言ったらいいんでしょう。
コーヒーは苦い、
ということを改めて知ったというか…。
あたりまえといえばあたりまえ
ですが、
これまで、
苦さをなるべく回避するように工夫してきた、
それが自分でコーヒーを淹れるときの要諦だと思ってきた節がないではありません。
それが今回、
初めてといっていいぐらい、
苦いことが美味しいことと隣り合わせである
ことに気づかされた、
とでもいいましょうか。
まるで人生のような。
人生コーヒー!?
いや、
冗談でなく。
そんなふうに一日をおくれたらいいなぁ。

弊社は本日より営業再開です。
よろしくお願いいたします。

 

・新緑や井の頭線池ノ上  野衾

 

カッコいい老人

 

鍼灸の日は、朝、暗いうちに家を出ます。
東急元住吉駅で降り、
ホームであたたかい黒豆茶を買い、
待合室の椅子に座って持参の文庫本を開きます。
五分ほどで、
いつものおじいちゃんが来ます。
おじいちゃん…、
じゃないなぁ。
いや、
おじいちゃんなんだけど、
いわゆる「おじいちゃん」という雰囲気じゃない。
キリリとした身なりで、
カッコいい!
鞄から黒いカバーのかかった分厚い本を取り出し、読み始めます。
ページのぶさぶさ加減から、
いかに読み込んできたかが想像されますが、
のぞき見するわけにもいかず、
なんの本かは分かりません。
先だっての雨の日、
ベージュのコートを身にまとい、椅子に腰かけ、いつもの本を取り出した。
そのとき、
コートの裾がかすかにめくれ、
すぐにバーバリ製であることが判明。
バーバリのコートが、いかにも普段着の感じで、
露ほども意識していない。
身のこなしからそれが分かって、
なんともカッコいい!!

弊社は、明日4月29日(金)~5月8日(日)を休業とさせていただきます。
5月9日(月)から通常営業となります。
よろしくお願いいたします。

 

・新緑や三渓園は今になほ  野衾

 

異端の系譜

 

その宗教批判を越えても、スピノザはヘーゲル左派の人々を魅了した。
彼のいわゆる汎神論は、
この地上の現世的な生活と自然な(肉体を持った)存在としての人間に価値と堅固さを
回復させるもの、と理解されたからだ。
物質と精神の統一はヘーゲル左派の謳い文句であり
理想であって、
それを満たすのはヘーゲルではなくスピノザだと目されたのである。
ヘーゲルは根本において人間を、
その感覚的自然を乗り越えこれを圧倒する精神と見なしていた。
この点でヘーゲルはキリスト教的思想家にとどまっていた。
近代の思想家のなかでスピノザただひとりが、
物質と精神、延長と思惟、
身体と知性を同じ次元に置き、
同じ内在的な人間性の二つの同等の表現と見なし、
互いに同じように必要なものと説いたのである。
これは人間存在の自由な自己解放を訴える強固な使信だった。
ヘーゲル左派はこのような使信を
彼ら自身のキリスト教批判から引き出すとともに、
それがスピノザのなかで明確に語られているのを見出した。
二世紀も前にあらゆる超越的宗教を放棄していたこの反体制派ユダヤ人思想家が、
現代の新たな英雄となり、
ハイネの呼び方を用いれば「未来の哲学者」
となった。
彼は新たなモーセであり、ナザレのイエスと同等で、
この二人の預言者と同様に、
新時代の告知者だった。
(イルミヤフ・ヨベル[著]小岸昭・エンゲルベルト ヨリッセン・細見和之[訳]
『スピノザ 異端の系譜』人文書院、1998年、p.354)

 

引用した箇所につづくつぎの段落がまたわくわくする内容でありまして、
著者のヨベルは、
スピノザが救済の過程における聖ヨハネだとすれば、
真の新しい救済者、救済の科学的預言者は、
ほぼ二世紀後に、
スピノザが生まれたアムステルダムではなく、
ドイツのトリアーに生まれたカール・マルクスであると言っている。
思想というものがいかに深く人間を突き動かし、
ひいては社会と歴史を動かしていくものであるかを、
あらためて思い知らされます。

 

・風光るうつむく吾の影に影  野衾