書くことは
ものを書くということは、
思いついたことを単にちょっと書き留めておくこと
ではありません。
「何を書けばよいのか分からない、書いておくような考えは何もない」
と私たちはよく口にします。
しかし、
すばらしい書き物の多くは、
書くことそのものの中から生まれて来るようです。
一枚の紙を前にして座り、
頭や心に浮かんだことを言葉で表すようにしてみます。
そうすると
新しい考えが浮かんで来て
私たちを驚かせ、
その存在をほとんど知らなかったような内的空間へと私たちを連れて行ってくれる
でしょう。
ものを書くことの、
最も満足を与えてくれる側面の一つは、
他の人々の目に美しいばかりではなく、
私たちにとってもすばらしい宝物が隠された深い井戸を、
私たちに開き示してくれることです。
(ヘンリ・J・M・ナウエン[著]嶋本操[監修]河田正雄[訳]
『改訂版 今日のパン、明日の糧』聖公会出版、2015年、p.160)
たとえばこのブログを書いていて、
書く前には思っていなかったことを、書いている途中で思いつき、
そのまま思考のめぐりに身を任せるように
ポツポツとキーボードを叩き、
ひとまず終ってみると、
へ~、
こんなところに着地したのか、
みたいな気になることがあります。
それから、推敲を二度、三度、四度。
どういうふうに読まれるかはひとまず置いといて、
書いているわたしが
他人事みたいに驚いている、
ということが
たまにあります。
ナウエンが言うほどすばらしくなくても、
そんなふうにして書き上がったものが、
人さまに読んでもらえたらうれしい。
ちなみに今日は、
そんなふうにではなく、
書こうと思って書いたものです。
・痒き背を掻いてそのまま裸かな 野衾