あれから20年

 

しばしば述べたとおり、物語は小説と違うのであり、
物語のなかでもとくに物語的な『源氏物語』は、小説的な統一性をほとんど志向していない。
もし『源氏物語』に統一性を求めるならば、
それは、
現実生活どおりの統一でなくてはなるまい。
つまり、現実生活と同じ構造において、
周辺的な事象までこまごまと書いてゆくのである。
それは、中心的な主題から、ひどく遊離しているようにも見える。
しかし、
主題に直接関係しないことを書いてゆくのは、
じつは、主人公の生活を、いっそう広く深く暗示することになる。
主人公について一切を描きつくすことは、どうせできない相談なのだから、
周辺をこまごま書くことにより、
描かれない中心部分にも主人公の生活があることを暗示するのである。
(中略)
短篇物語の集積と見なしうる『源氏物語』は、
全体的な筋立てにおいてもいちじるしく無限定的だが、
それは、
この作品がもっとも物語的な性格をもつ物語であり、
物語の史的展開において頂点をなすものだという意味において理解されるべきだろう。
(小西甚一『日本文学史』講談社学術文庫、1993年、pp.69-70)

 

まもなく新しい『春風新聞』(第30号)が発行されますが、
ちょうど20年前、
『春風新聞』の前誌ともいえる『春風倶楽部』第6号の特集を、
「〈ものがたり〉の可能性」とし、
エッセイをお願いしたのでした。
ご執筆くださったのは、
谷川俊太郎、田口ランディ、山田太一、吉増剛造、中沢新一、しりあがり寿、
ウペンドラの七氏。
いま思い出せば、
特集のテーマを設定するにあたり、
小説と物語のちがい、
さらに物語の広がり、深さ、不可解さがわたしの胸にあって、
諸氏に尋ねてみたくなり、
原稿をお願いしたように記憶しています。
あの時点で小西さんの『日本文学史』を読んでいれば、
きっと小西さんにも原稿をお願いしていただろうと思います。

 

・金秋を来りたはむる雀かな  野衾