心位
蕪村によれば、俳諧の修行は、
結局、
みずからの心位を高めることによって完成されるのであり、
その実際的方法としては、
古典をたくさんよむことが第一だという。
古典に含まれる精神の高さを自分のなかに生かすこと、
それが俳諧修行の基礎でなくてはならぬ。
この考え方は、
蕪村のえがく文人画においても、同様であった。
それは、あくまで技巧だけの画ではない。
いくら巧《うま》くても、
巧いだけではいけない。
技巧よりも、むしろ気韻の高さが必要なのである。
気韻のこもらぬ画は「職人のしごと」だと意識される。
「文人の画」であるためには、
画技を磨くよりもさきに、古典をよみ、心位を高めることが要件であった。
(小西甚一『日本文学史』講談社学術文庫、1993年、pp.165-6)
小西さんによれば、蕪村にとっての古典とは中国古典、とくに漢詩だった、
ということになります。
しかし、
小西さんの説く「心位」ということでいえば、
漢詩にかぎらず、
古典が古典という名に恥じないものであるかぎり、
どの古典も心位の高さを湛えていると思われ、
そこに古典をよむことの意味も意義もあるのでしょう。
たとえば『孟子』「公孫丑上」に「浩然の気を養う」がでてきます。
この箇所だけでなく、
『孟子』の文章をよめば、
文のそこここに浩然の気が盈ちていると感じられ、
心位の高さに触れることができます。
・秋晴やする事しばし忘れをり 野衾