人間と思想

 

大学の講義とは別に、こころざしをもって、じぶんで『資本論』を読もうと決意し、
友人といっしょに『資本論』を読む自主ゼミナールを始めました。
どうしてこんな小難しい言い方をするのだろうか。
それが、
読み始めてまず最初に感じた疑問でした。
半世紀ちかく前の話。
はは~、そういうことだったのね、と、自分なりに納得したのは、
マルクスさんの生涯を紹介してくれる本を読んだからでした。
大内兵衛さんの『マルクス・エンゲルス小伝』
だったかと思います。
ああ、こういう少年らしい疑問、義憤が、ああいう大著を書く原動力になったのね、
そう思いました。
むつかしい理論、思想といえども、
それが思想であるかぎり、人間のものですから、
人間を離れて存在するわけではありません。
思想を、
それを生み出した人間の伝記的事実から読み解こうとする方向に対し、
批判があるようですが、
それも一理あるとは思いますけれど、
伝記的事実を知ることによって、
思想の射程をとらえるのに役立つこともある気がします。

 

無についての思索としての『精神現象学』は、
ヘーゲルの自伝的要素が底音にこの上なく強く響いている著作である。
成立の状況から考えるとそれも当然であって、
これが書かれたのは、
イェーナにおける生活の危機状況が絶頂にあったときで、
貧困に苦しみ、
いつ職を失うかもしれないという不安に苛まれ、
将来の見通しが立たないために見当識を失い、
私生児の誕生を間近にしてじわじわと窮地が身辺に迫っていて、
こうしたことが重なり合って、
ヘーゲルはイェーナを離れようと考えていた。
ここ数カ月の悲惨な状況にヘーゲルは身ぐるみ剥がれた形になってしまっていた。
自殺を考えた瞬間もあった。
一八〇六年十月十四日にはイェーナとアウエルシュテットの戦いが始まって、
戦争はその恐ろしい顔を見せつけてきた。
戦場のどよめきがイェーナの町にまで聞こえてきた。
(ホルスト・アルトハウス[著]山本尤[訳]『ヘーゲル伝 哲学の英雄時代』
法政大学出版局、1999年、p.199)

 

・病院へ雲行く空の残暑かな  野衾