津田先生がおっしゃるには 4

 

一茶さんへの称賛はさらにつづきます。

 

口語の問題に就いてはなほ一言すべきことがある。
歴史的にいふと、
宗鑑・守武の時代から発達して来た俳諧の形の上の一特色は、
日常語・俗語を自由に使用する点にあつたので、
貞門でも談林でもそれを継承したのであるが、
それは口語を卑俗と見て故らに卑俗の語を弄したところに、意味があつた
のである。
しかし談林の一面には却つて古代語や漢語を重んずる傾向が生じ、
蕉風に至つては全体としてむしろ口語から離れる
やうな態度を示して来た。
俳諧の特色を、
言語の上に置くよりは題材や趣味の上に求めるやうになつたのと、
俳諧に詩歌と同様の(当時の人の考に於いて)
高い地位を与へようとする俳人の要求とが、
口語を卑俗とする尚古主義・文字崇拝主義の世の中に於いて、
かういふ形をとらせたのである。
しかし鬼貫などは盛んに口語を用ゐてゐるし、
蕉風の末流でも也有の如きは方言・俗語をかまはずに使つてゐた。
が、
蕪村を初めとしてその時代の作者は、
やはり上代語や漢語を好む傾向を有つてゐたので、
白雄の如きも俗言でなくては俳諧でないといふ説を非としてゐる
(白雄夜話参照)。
目前の事物、日常の用語を卑俗としてゐる社会に於いては、
さう考へらるべき一面の理由がある。
ところが、
一茶は全然それと反対の態度を取つた。
さうして、
詩に於ける高卑雅俗の区別は言語の上にあるではなくして思想の上にあること
を、事実によつて証明したのである。
現代の思想をのべるには現代語を要し、
目前の事物を叙するにはやはり日常語を要する。
田舎の風物、田舎人の生活を写すに田舎語を要することは、
勿論である。
国学の勃興と共に上代ぶりが好まれ、
小説界に於いても
馬琴などが上代語や漢語を列べて得意がつてゐた時代に於いて、
一茶のこの着眼は特に讃嘆に値する。
この点に於いても彼は文学史上に特筆大書せらるべき功績をのこした
ものといはねばならぬ。
これを要するに、
一茶は俳諧の作者ではなくして俳諧の人であり、
職業としての俳諧師ではなくして人間としての俳人である。
さうして人間としての追随者が出来ないと同様、
俳諧に於いても他人の模倣を許さざるものであつた。
(津田左右吉[著]『文学に現はれたる我が国民思想の研究(七)』岩波文庫、
1978年、pp.331-332)

 

シリーズ「津田先生がおっしゃるには」、4まで来てしまいました。
無手勝流ではありますが、
これまで俳句をつづけてき、いまも飽きずにやっている関係上からも、
わたしは津田先生の本をおもしろく読みました。
岩波文庫の『文学に現はれたる我が国民思想の研究』ですが、
ただいま最終巻の(八)、
江戸時代の漢詩について津田先生の舌鋒が冴えわたります。

 

・聖誕祭電車遅延のアナウンス  野衾

 

津田先生がおっしゃるには 3

 

歯に衣着せぬ津田先生ですが、芭蕉さんにかんしては、
そうとう評価が高いと思います。
が、一茶さんほどではないかもしれません。
一茶さんにかんしては、これはもう、いまいうところの「推し」。
ほほえましいぐらい。
熱量の高さにおどろくとともに、
津田先生の人生観を垣間見た気がしました。

 

さうしてまた「痩せ蛙負けるな一茶これにあり」「逃げて来て溜息つくか初蛍」
などに、
一茶みづから彼等の保護者を以て任じてゐる有様が見え、
「よい声のつれはどうしたきりぎりす」
「おとなしう留守をしてゐろきりぎりす」
「鷦鷯きよろきよろ何ぞ落したか」
などに於いて、
彼等に対する限り無き優しみと親しみとが現はれてゐるのを見るがよい。
「雀子の早知りにけり隠れやう」
「塊も心置くかよ巣立鳥」
に至つては、
人の心を恐れなければならぬいたいたしい子雀や巣立鳥を憐むの情が、
真心から現はれてゐる。
だから
「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」
「ねがへりをするぞ脇よれきりぎりす」
と、
この小動物の危険を慮り、
「親不知蠅もしつかり負ぶさりぬ」と、人の背に依頼する蠅の心をいとしがり、
「やれうつな蠅が手をする足をする」
「我が味の柘榴へ這はす虱かな」
と、
蠅や虱の生命を庇はうとするのも自然である。
「虫どもが泣き言いふぞともすれば」
といひ、
「馬鹿鳥よ羽ぬけてから何思案」
といふ類は、
やゝ冷眼に彼等を見てゐるやうに聞こえるが、
実はさうでなく、
最も親しく最も愛するものを最も馴々しく取り扱ふ態度である。
猫の恋に対しても同じ情が見えるので
「うかれ猫どの面さげて又た来たぞ」
などにも、
蕩子に対する慈母の情に類するものがある。
「かはいらし蚊も初声をあげにけり」、
蚊の初声をもかはいらしく聞く一茶ではないか。
従つて「逢坂や手馴れし駒に暇乞ひ」の駒の主の惜別の情は、
彼の深く同感したところであらう
(古来の駒迎の歌にこんなのは一首もあるまい)。
だからまた、
「まかり出でたるはこの藪の蟇にて候」
「雨一見の蝸牛にて候」
のやうなものには、
一茶自身が蟇となり蝸牛となつてゐる感のあるのも、怪しむに足らぬ。
「時鳥蠅虫めらもよつくきけ」の「蠅むしめら」

時鳥に同化した作者の口つきである。
のみならず、
彼に取っては動物もまた彼を愛するのである。
「小便所こゝと馬よぶ夜寒かな」
「犬どもがよけてくれけり雪の道」
と、
彼が馬にも犬にも感謝してゐるのは、この故である。
動物を友として見、恋するものとして見、子を愛する親、親を慕ふ子、
として見ることは、万葉の詩人にもあつた。
しかし一茶ほどの愛を以てあらゆる万有を包んだものは彼等には無かつた。
一茶は日本の生んだ唯一の愛の詩人であり、
一茶の句はすべてが愛の句である。
彼が或る時期に故郷を悪んだのは、故郷を愛することの深かつたがためであり、
彼に世間嫌ひの気味があつたのは、
人と世とを愛することの強かつたがためである。
真に人を愛するものにして始めて真に人を悪み得るのである。
(津田左右吉[著]『文学に現はれたる我が国民思想の研究(七)』岩波文庫、
1978年、pp.324-326)

 

「真に人を愛するものにして始めて真に人を悪み得る」
そうかもしれません。
一茶さんについて、評伝、戯曲、小説などいろいろ出ていますが、
津田先生に教えてもらった一茶句の味わいを、
こんご忘れることはないでしょう。

 

・硬き音たてて転がる木の葉かな  野衾

 

津田先生がおっしゃるには 2

 

津田左右吉さんの物言いは、文字どおり歯に衣着せぬというのがあたっている
ようで、
メリハリが効き、共感するにも、そうとは感じられぬときにも、
こちらの見方が鏡に映される気がします。
下に引用する文章は、共感をもって読みました。

 

かういふ軽い調子で人生を見てゐるのであるから、
彼が上にも述べた如く「わび」の境地を領解しそれに一味の同感を有つてはゐ
ながら、
それが芭蕉の如く彼の詩人生活の基調とならなかつたのは、
当然である。
「嵐雪と蒲団引きあふわび寝かな」
「鬼貫や新酒の中の貧に処す」、
それを興がつてゐるのに無理はないが、
「鍋しきに山家集あり冬籠」には寧ろ造作の嫌ひのあるのを見るがよい。
芭蕉の風狂は芭蕉の人格から出たもの
であるが、
蕪村の句に現はれてゐる寂しさとわびしさとを愛する心持ちもまたその滑稽味
も、
たゞ彼が詩人として理解し得、共鳴し得たにとゞまるので、
それは他の豪快を喜び艶麗をめでる場合と同様である。
芭蕉は自己の体験そのものを十七字詩に表現した
のであるが、
蕪村は客観的に存在する如何なる情味をも自己に同化し得て、
それを句の上に飜訳したのである。
蕪村は詩人ではあるが芭蕉の如き哲人ではない。
(津田左右吉[著]『文学に現はれたる我が国民思想の研究(七)』岩波文庫、
1978年、p.309)

 

芭蕉さんの句の景と蕪村さんの句の景を対比しての、
これほど腑に落ちる文章をわたしはこれまで読んだことがありませず、
それだけになおいっそう、芭蕉さんの句が好きになりました。
蕪村さんの句も。
どちらもそれぞれいいなぁと思います。

 

・初笑ひして目の奥に在る孤独  野衾

 

津田先生がおっしゃるには 1

 

岩波文庫に入っている『文学に現はれたる我が国民思想の研究』の七巻目に、
芭蕉さん、蕪村さん、一茶さんの俳句について
けっこうページが割かれており、
帰省の新幹線のなかでたのしく読みました。
たとえば、

 

蕪村のこの性質は彼の作句の法とおのづから一致する。
彼はすべてを観相として絵として写してゐる。
「すてやらで柳さしけり雨のひま」
といひ
「春の夕たえなんとする香をつぐ」
といひ
「此の冬や紙衣きようと思ひけり」
といふ類も、
さういふ事実・行為、もしくは情懐を客観的存在として見てゐるので、
彼自身の現実の行為や情懐を直叙したのではない。
「討ち果たすぼろ連れ立ちて夏野かな」
「西行の夜具も出てある紅葉かな」
の如く、
想像したり推測したりするやうな語句を毫も挟まず、
決定的に他人の心情を叙し、
「乾鮭や琴に斧うつ響あり」の如く比喩を比喩とせずして直写してゐるのも、
やはりこれと同じところから来てゐる。
観相として事物を写すことは、
前篇に述べた如く俳句に自然な傾向ではあるが、
蕪村はこの点に於いて最も徹底的であり、
さうしてそれが極めて巧みであつて、
「四五人に月落ちかゝる踊かな」(画賛)、
「水鳥や提灯遠き西の京」などに於いて、その一斑が覗はれる。
それには或は彼の、
画家であつたといふことが助けをなしてゐるかも知れぬ。
のみならず、
それはまた彼が人生に対しても自然に対しても常に保持してゐる傍観的態度
と関係がある。
この態度もまた俳諧が由来するところの一大条件であつて、
その滑稽味もまた半ばこゝに根ざしてゐるのであるが、
談林の徒は(根柢の思想に於いては世外に超然としてゐながら)、
世を愚にする点に於いて現実の自己を強く表出してゐるし、
蕉風に至つては自己そのものをも傍観的にながめる点に於いて、
いはゆる風狂の気分が生ずると共に、
外界を自己の情懐の反映として見る点に於いて一種の抒情味を具へて来、
それが一転すると、
也有・蓼太輩の如く世間的人情味を加へるやうにもなつたのである。
ところが蕪村はその何れでもなく、
自己の実生活とは交渉の無い夢と幻とを眼前に髣髴させて、
それを賞美してゐるのである。
彼の俳句はこの意味に於いて全く遊戯的であつて、
芭蕉の句が彼の人間の発現であるのとは大なる違ひがある。
さうしてこの点では彼の南画が遊戯的であるのと趣を同じうしてゐる。
彼の夢の世界が可なりに豊富な色彩を有つてゐて、
芭蕉の単調なのと違ふ所以はこゝにある。
(津田左右吉[著]『文学に現はれたる我が国民思想の研究(七)』岩波文庫、
1978年、pp.303-304)

 

芭蕉さんにひかれ、蕪村さんにひかれ、一茶さんにもひかれるわたしは、
なるほどと思いつつ、
たまに疑問を感じてツッコミを入れながら、
ゆかいな時間を過ごします。
見遣れば、窓外はすっかり雪景色。

弊社は本日より通常営業。
本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

・青空は深ぶか銀杏紅葉かな  野衾

 

これからの出版社

 

 

紙の手ざわりと傷としての文字

 

ことし10月から弊社は26期目に入りました。
周囲を見わたせば、名のある出版社が経営難に陥り、町から書店が消えました。かと思いきや、新しい出版社ができ、新しい書店も生まれています。
15年前、秋田の地元紙に「出版社は絶滅危惧種!?」と題し、文章を書きました。出版業をなりわいとする人間として、おそれを感じながらの投稿でしたが、おそれはどうやら杞憂だったと、いまは思えます。
結論から言えば、出版社は、おそらく絶滅しない。しかし、不易流行のことばどおり、変わらぬものがあれば、他方で変わるものがあるでしょう。
2019年に発生した新型コロナウイルスの世界的大流行は、地球表面を覆うかたちになり、政治、経済、教育、医療、食料などの問題から、個人生活まで、一人一人が真剣に考えざるを得なくなりました。出版社に身を置く人間として、身に降りかかってきた事態をどう考えてきたか。
弊社では、現在、従来型の紙の本のほかに、電子書籍、オンデマンド印刷による三本立てで出版を行っています。時代の趨勢には逆らえず、また、媒体の利便性、在庫をかかえなくて済むことの意味は大きく、無視できません。気持ちとしては、三つのうち、どれが伸びていってほしいということは特にないのですが、新型コロナウイルスが感染症法上の5類に移行し、一定度の落ち着きを見せてきたとき、わたしは、あることに気がつきました。個人的なことながら、本を読むのは、文字を目で追いかける(点字の場合は指で触れる)のですが、紙の本の場合、意識すると、実にいろいろな持ち方で表紙はもとより、本文の紙に触り、撫でるようにしています。ハッとしました。というのは、40代の終りから50代にかけて、わたしはうつ病を患いましたが、その回復過程で、忘れられないエピソードがあるからです。三重の伊勢神宮、鎌倉の鶴岡八幡宮、横浜の伊勢山皇大神宮などを訪れた際、そこにある大木に抱きついた体験です。
ながい年月をかさねた大きな樹木に抱きつき、しばらくすると、だんだん気持ちが落ち着いてくるのを実感しました。このごろ紙の本を読んでいて、紙に触れながら、その感触が木に抱きついていたときと同じであると感じます。
新型コロナウイルスによる反省と教訓は、ひとことで言えば、なるべく接触を避けるということではなかったでしょうか。仕事上の打ち合わせでも、人と直接会わずにZoomによることが多くなり、現在もそれは続いています。しかし、接触を避けるようになって、かえって、接触=触れること、の意味を改めて考えざるを得なくなりました。
読書について言えば、紙の本を読むということは、まず、紙に触れることによって、文字を読むための落ち着き、こころを用意しているのではないか。紙の原料は現在いろいろですが、本来、パピルスをはじめ、三椏《みつまた》、楮《こうぞ》など、植物由来のもの。樹木に抱きついて気持ちが落ち着いたように、紙に触れることによる効能があるような気がします。
新聞の場合はどうか。グーテンベルクの印刷術の発明から150年ほどの開きがある新聞の大きな特徴は何か。それは、耳でなく、目だけでもなく、現在を現在として、直に指で触れ、いまを実感できるようになったことかと思います。新聞を撫《な》でながら、現在を読み進めると、指先に黒いインクが付着します。人は地面に触れて暮らすように、紙面に触れて「いま」を読みます。

紙の本を撫でながら読んでいて気づくも二つ目は、文字は傷痕《きずあと》であるということ。中国の伝説上の人物・蒼頡《そうけつ》は鳥の足跡を見て文字を作ったとされていますが、足跡が残るには、それが刻まれる地面がそこにあるはず。かつての活版印刷であれば、文字をなぞると、指先に紙表面の凸凹が感じられ、はるかの時を超え、蒼頡の伝説を想像できました。活版印刷がなくなり、活字による凸凹はなくなったけれど、そもそも紙は地面や人の皮膚のように、真っ平らではない。東洋医学に脈診《みゃくしん》というのがあります。両手首の脈のちがいを27種、感じ分けられるともいわれます。それぐらい指先の感覚は鋭く、敏感だということでしょう。文字は傷であるとの思いはまた、『聖書』からの連想です。
十字架にかけられ処刑されたイエス・キリストは、三日後に復活したとされています。弟子たちの中に、デドモのトマスという疑りぶかい人間がいました。十字架にかけられたときの傷に触ってみなければ、復活したイエスが本物であるとは認められないという心の持主でした。そのときイエスの発した言葉「あなたの指をここにつけて、わたしの手をみなさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」(ヨハネによる福音書 20・27)を、聖書が“ザ・ブック”と呼ばれてきたことと関連づけて考えたい。
新型コロナウイルスのパンデミックを教訓として、地面に暮らしを立てながら、人と人との触れ合い、人と自然との触れ合い、人と紙との触れ合い、人と音楽との触れ合いを感じていたい。この世のかぎられた人生の意味と味わいを感じ、考え、時代の趨勢を見据えつつ、紙の風合いが感じられる本を、これからも出版しつづけたいと思います。

弊社は、明日28日より2025年1月5日まで冬期休業。6日から通常営業となります。よろしくお願い申し上げます。
どちらさまも、健康で無事に元気で明るく過ごせますよう、
お祈り申し上げます。

 

自分のなかに歴史をよむ

 

ドイツ中世史がご専門だった阿部謹也先生の本を
あまり読まずにこれまで来てしまいましたが、
装丁家の毛利一枝さんと電話でいろいろ話をしていると、
たびたび阿部先生の名前がでてきて
意識するようになったことも、だいじなきっかけだったと思います。
毛利さんは阿部先生と面識があり、
先生の本を多く手掛けてこられました。
『自分のなかに歴史をよむ』
という本がありまして、とても共感しました。

 

施設のあった丘のはずれにきたない小屋がありました。
そこには靴直しのおじいさんが住んでいました。
偏屈な人という評判で、
カトリック信者なのにミサにもほとんど出席せず、
神父や修道女の間で評判がよくありませんでした。
でも私はなぜかこの人が好きで、
いつもひまになると遊びにいったのです。
口数の少ない人でしたが、
私には親切で、
私たちが飢えていることをよく知っていて、遊びにいくと必ず何か食べものを
くれたのです。
でもそこで食べるのが目的でいったのではなくて、
ただおじいさんの仕事をみているだけでとても楽しかったのです。
みすぼらしい小屋でおじいさんは
いつも腰かけたままで仕事をしていました。
このおじいさんが亡くなったのです。
葬儀には私も参列しましたが、
そのときの司祭のことばが私には不審に思えたのです。
司祭や修道女から疎んじられていたおじいさんでしたから、
ほめたたえることばがなくても不思議はありません
でしたが、
そのとき葬儀をとり行った司祭は、
「〇〇さんはこの世で必ずしも十分なカトリックの信者として暮らしたわけ
ではありません。ですから彼の魂は今は煉獄にいると思います……」
といったのです。
そのとき、
はっきりことばで意識したかどうかは別にして、
今そのときの私の感じをことばであらわせば、
「おじいさんが天国にいるのか煉獄にいるのかは、神様でない司祭に
どうしてわかるのか」ということでした。
(阿部謹也[著]『自分のなかに歴史をよむ』筑摩書房、1988年、pp.27-28)

 

阿部先生は少年のころ、カトリックの施設におられたそうです。
先生は学者ですから、
ここに記されていることは事実でしょうが、
靴直しのおじいさんは、
たとえば、トルストイの小説にでも登場するような人物に思えてきます。
こういうひとに魅かれていた阿部少年に共感をおぼえます。

 

・石塀をゆるりくるりの木の葉かな  野衾

 

革命と軍隊

 

時計の時間は、いまもむかしも変らないはずなのですが、
カタカナ用語がふえたせいか、
そんなことはかんけい無いのか、
どんどん日常のスピードが加速していくように感じるきょうこのごろ。
ほんと、
きのうのことが三日ぐらい前みたい。
なんとなく、そういう感覚で過ごしているので、
西川長夫さんの本は、
歴史から目を離さないことの意味をあらためて考えさせてくれます。

 

八九年七月一四日

革命記念日の七月一四日、午前中はシャン=ゼリゼ通りに出かけて、
軍隊のパレードを見る。
革命二〇〇年のこの年は、例年の二倍近い部隊が動員されたという。
パレードの上空を戦闘機の編隊が低空で飛び、
重戦車隊がシャン=ゼリゼの敷石をゆるがせて通る。
毎年、
他国を攻撃するための巨大な新兵器が誇示される。
私はこの種のパレードが嫌いだが、
戦車や巨大な兵器や軍服を着た人間に対する自分のほとんど生理的な嫌悪感
を確かめるために軍事パレードを見に行く。
大統領や国賓たちが席を占める特別席を除いて広いシャン=ゼリゼ通りの両側は
見物客の人垣が、十重二十重に押し寄せていて
なかなか前に出られないが、
何とか割り込んでほんの数分間だけ間近で眺めていた。
自由主義、社会主義を問わず
世界のほとんどすべての大国が、
その国の最も重要な祭日に人殺しの道具を誇示して祝うという
この近代国民国家の悪習は、
いったいいつになったらなくなるのだろうか。
だがこの軍隊の原型(国民軍)を最初に作りだしたのがフランス革命であった
ことは忘れてならないだろう。
(西川長夫[著]『[決定版]パリ五月革命 私論 転換点としての1968年』
平凡社ライブラリー、2018年、p.384)

 

ことしの前半から半ばにかけ、
トゥーキュディデースさんの『戦史』を久保正彰さんの訳で読みましたが、
それを重ねて考えると、
人間て、どういうんかなぁとつくづく考えてしまいます。
紀元前415年にアテネ人はミロス島を攻撃、
住民を無条件降伏させたうえ、屈強な男子を全員殺害、女・子供を奴隷にし、
さらにアテネ人500人を現地に送り、
植民地支配を行ったといわれています。
それが重要な契機となってその後の精緻な哲学の歴史が始まったことを、
西川さんの本とあわせ、胆に銘じたいと思います。

 

・奥山へ又三郎の落ち葉かな  野衾