母の声

 

週に三度、
少なくとも二度は秋田に電話します。
たびたびかけていますから、
双方特段の用事があるわけでなく、
したがいまして
「天気なんとだぁ? 変わったごどないがぁ? 稲の具合はなんとだぁ?」
と、
ほとんど意味のないやり取り。
「ウィスキーを水でわるように
言葉を意味でわるわけにはいかない」と言った
のは詩人の田村隆一。
その言葉どおり、
とくに老親との電話のやり取りで大事なのは、
意味でなく声。
おたがいに
声の調子で体調を診る。
いわば、
子にとって親は医者であり、
親にとって子は医者である。
「天気なんとだぁ? 変わったごどないがぁ? 稲の具合はなんとだぁ?」
呪文のようではあるけれど、
これで十分。
声の調子によって
きょうの日、
いま現在がしあわせかをはかっている。
娘時代の母のことは
知る由もないけれど、
声の具合から判断するに、
年を取って母は、
ますます娘時代に帰っていくようなのだ。

 

・荒梅雨や黙して浮かぶ旧街道  野衾

 

パブロでなく

 

イシバシネタを。
きのうのことです。
仕事がらみから、
スリランカに話題が及んだのを機に、
「スリランカといえば、
あなたがカラオケでよくうたう高橋真梨子の歌に
「素足が似合う街で」という名曲があるよ。
♪スリランカ、サリーまとい…、いい歌だったなぁ」
と告げるや、
イシバシ「そうですか。
高橋真梨子は、
むかしパブロアンドカプリシャスにいたのよね」
「はあ?」とわたし。
「パブロアンド…」
「パブロってなによ」
「だから、高橋真梨子がむかしいたグループの名前がパブロアンド…」
「パブロじゃねーよ」
「えっ!?」
「パブロじゃない!」
「あ!」
「パブロじゃなくペドロ。ペドロ&カプリシャス」
「ああ、ペドロ。そうか」
「そうだよ」
「ペドロねペドロ。なんか変だと思った。あはははは」
「あははじゃねーし」

 

・荒梅雨や車も人も留まらず  野衾

 

ふたりの女性

 

会社を退けて紅葉坂を下るとき、
よくすれちがう若い女性がおりました。
わたしがそこを通る時刻はだいたい決まっていて、
彼女は下から
スマホを見ながら上ってくるのです。
つけまつげをバッチリと決め、
濃い化粧と着ている服がよくマッチし、
とくにあいさつするわけではありませんが、
坂を下りながら、
とおくに彼女の姿をみとめると、
お、来た来た
となるのでした。
それがこのごろとんと彼女を見かけなくなり、
少し寂しい気持ちになっていました。
先週のことです。
会社を退けて坂を歩いていると、
下から
中年の女性がゆっくり近づいてきました。
見るともなく
視線が彼女に向かいます。
ごくふつうの女性です。
と、
いや、
待てよ、
彼女、ひょっとして、
いやいやそんなはずはないでしょう。
あたまのなかを二つの意見が交錯します。
結論はといえば、
やはりくだんの彼女なのでした。
つけまつげがなく、
化粧もふつうでしたから見逃しそうになりましたが、
歩く姿勢は見まごうはずもなく。
彼女にまちがいありません。
どうしてつけまつげと濃い化粧をやめたのか。
知る由もありませんが、
二つの印象がチリンとひびきあい、
感動しながらわたしは坂を下りました。

 

・荒梅雨や折れたる傘の骨二本  野衾

 

ぼだっこ

 

わたしの生まれ故郷秋田では、
塩鮭のことを「塩引き」といったり「ぼだっこ」といったりします。
塩引きはいいとして、
「ぼだっこ」の「ぼだ」が分からない。
さっそく『秋田のことば』(無明舎出版)で調べてみた。
ありました。
ぼだ。ぼだっこ。
塩鮭のことを意味し、
「この魚肉の赤みの強い色を「牡丹」の花の色に
なぞらえたものであろうか」
と。
なるほど。
でも「~あろうか」
ですから、
ハッキリしたことは分からないということでしょう。
岩手では「ぼた」というそう。
秋田に帰ると、
朝はかならずぼだっこが出てきます。
ヨダレ出てきたゾ。

下の写真は友人が送ってくれたもの。
ディルを食べる毛虫たちがかわいいので、
本人の了解を得、
掲載させていただくことにしました。

 

・荒梅雨を土曜の午後の鮨屋かな  野衾

 

不和の因

 

ある病院の廊下に置かれたベンチでのこと。
午後のこととて
人はまばら。
わたしのとなりのベンチに、
八十歳がらみの夫婦らしき男女が腰かけていました。
男性が手にした冊子を熱心に見ながら、
「ペン持ってない?」
と早口で女性に訊いています。
早口なので、
「ペン持ってない?」の撥音が
ほとんど消えてしまい、
「ペもてない」みたいにしか聴こえません。
「ペもてない」ではなんのことやらちんぷんかんぷん。
案の定「はい?」と女性が訊き返しました。
「ペン持ってないか?」
と男性。
さっきよりすこし声が大きくなりました。
早口は変わりません。
したがって
相変わらず「ペもてない」
としか聴こえない。
「え? なに? なんですって?」
と女性はやおら男性のほうへ身を近づかせます。
「ペン持ってないのかよ? もういいよっ」
男性は話しかけるのをやめ、
目の前の冊子に目を落としています。
「なによもうっ。すぐそうやって怒るんだから。
ペン、持って、ないか? って、
最初からゆっくり大きな声で言ってくれれば分かるのよ…」
と女性が抗弁するも、
男性は下を向いたまま身じろぎしません。
我が身を振り返り、
ひとにものを言うときは、
ゆっくり大きな声で言おうと思った次第です。
ではありますが、
ぼくは半分男性に同感です。

 

・旧街道つぎの宿まで走り梅雨  野衾

 

とじぇねわらし

 

さびしいことを秋田弁で「とじぇね」、
こどものことを「わらし」、
したがって、
「とじぇねわらし」は「さびしいこども」
ということになります。
この三月に
「とじぇねわらしと学術書」という拙文が
秋田魁新報の文化欄に掲載されました。
遅ればせながら、
お読みいただければ幸いです。
こんなふうにして
学術図書の出版社をやってまいりました。
コチラです。

 

・荒梅雨や保土ヶ谷宿に留まりぬ  野衾

 

被災地の声

 

東日本大震災が起きたとき、
わたしは会社にいた。
あの日、
遠くから来ている者は会社泊、
わたしは国道一号線を歩いて保土ヶ谷の自宅へ帰った。
あれから七年がたつ。
昨年の秋ごろから、
体の不調に悩まされ、
医者にかかり、
体重が減り血圧が下がって歩くことすらままならない日を送った。
わたしの知らないところで
体とこころに
余震が襲っていたかもしれない…。
縁ある方から
石巻からの手紙」という訳詩をお預かりした。
石巻を訪ねた日のこと、
あの日の空気感までがすぐに蘇った。
第二連一行目に
「空っぽの窓枠のうつろな視線」
とある。
石巻を訪ねた日にお会いした方々の視線と重なる。
あれから七年、
ひとりひとりの日常は癒されたろうか。
いま何を視ているだろう。
こころのなかに池があって、
ひとしれずの波紋があとからあとから、
黙する声を届けてくる。

 

・荒梅雨や平成がゆく猫二匹  野衾