やばくね ⤴

 

桜木町駅で電車を降り、エスカレーターで地上へ向かっていると、
五、六段前で、
ふたりの若い女性がなにやら会話をしています。
話の内容までは分かりませんが、
髪の長い方の女性がさいごに「やばくね ⤴」
ああ、またかと思いました。
はじめて聴いた時、
へんな言い方だなあと思って耳に残ったのですが、
あれよあれよという間に広がって、
このごろは、
ちっちゃい子どもまで
やばくね ⤴ やばくね ⤴ やばいんじゃね ⤴
の大合唱。
と、
こんどはいい歳の大人まで。
ことばの感染力は大したものです。
「やばくね ⤴」を使っているひとを見ると、
いじわるな見方かもしれませんが、
話のさいごにたまたま「やばくね ⤴」と言うのではなくて、
極端なことをいえば、
話の中身はなんでもよく、
とにかくいま流行りの「やばくね ⤴」を使いたくて、
とりあえずなにか口に出している、
そんな印象さえ受けます。
話したことが相手に伝わろうが
伝わらなかろうが、
そんなことよりも、
「やばくね ⤴」を上手なニュアンスで言えた
ことに満足しているようにさえ
見えます。
わたしはぜったいに使うまい、
とは思っているのですが…

 

・梅が香や日の出の里の神さぶる  野衾

 

飯田蛇笏の燕の句

 

『新編 飯田蛇笏全句集』(角川書店、1985年)
を少しずつ読み進めてきましたが、
ようやく最晩年の『椿花集』に入りまして、
アッと目をみはる句に出合いました。
それは、

 

雙燕のもつれたかみて槻の風

 

もつれながら空の高みへ向かう二羽の燕の姿から、
蛇笏の四男にして、
蛇笏を継ぎ俳誌「雲母」を主宰した
飯田龍太の有名な俳句を思い出したからです。

 

春の鳶寄りわかれては高みつつ

 

蛇笏のは燕、息子・龍太のは鳶ですが、
近寄ったり離れたりしながら
空の高みへせりあがっていく様子が似ています。
龍太はふたつの句についてどこかで書いているのかもしれませんが、
残念ながら、
わたしは今のところ目にしていません。
父の俳句を踏まえて作ったのか、
いつのまにか刷り込まれていて眼前の景にふれたとき、
ふいに言葉が生まれてきたのか、
その辺のところを知りたい気がします。
言葉のインプットとアウトプットを考えるとき、
とても参考になる気がします。
いずれにしても、
蛇笏の俳句を読んでいると、
彼がいかに
和漢の古典に親しんでいたかがじわりと見えてきますが、
龍太は、
まず父である蛇笏を仰ぎ見、
親近しつつさらに、
古典の世界へいざなわれていったのか
と想像されます。

 

・放物線飛び去る春の雀かな  野衾

 

ペローの散歩?

 

ふと気づいたら、
笑うことがこのごろ少なくなっていました。
そう思ったのには理由がありまして。
きのうのことです。
専務イシバシが隣のKさんと何やら話をしています。
わたしはじぶんの席で
新しい仕事の原稿を読んでいたのですが、
つい耳に入りました。
「フェロー。いや、フォロー。ちがうか。そうだ、ペローの『散歩』」
思わず吹き出しました。
Kさんは、
上司の発言をたしなめることはせず、
きちんと
「ソローの『ウォーキング』では?」
「そうそう。それそれ。ソローの『ウォーキング』!」
とイシバシ。
たしかに、
フェローもフォローもペローも
「ロー」と伸ばすところはソローと同じ。
ウォーキングは、散歩とは限りませんが、当たらずとも遠からず。
ともかく。
笑ったおかげで、
どんよりとしていたこの頃の気分から
しばし解き放たれました。

 

・梅が香に吾も仲間入り遊子かな  野衾

 

孤独について

 

子供の孤独は成人の孤独よりもっと深く秘められている。
わたしたちが
自分の子供のころの孤独、青春期の孤独を、その奥深い次元で把握するのは、
後になってからということが多い。
人生の最初の四分の一の時期の孤独をひとびとが理解するのは、
晩年の四分の一の時期においてである。
(ガストン・バシュラール/及川馥=訳『夢想の詩学』ちくま学芸文庫、2004年、p.179)

 

バシュラールはフランスの哲学者(1884-1962)ですが、
『夢想の詩学』は
原著が1960年に発行されていますから、
バシュラール最晩年の著作といっていいでしょう。
そうすると、
引用した文章も、
博学多識の根底に
著者の実体験が重きをなしていると思われます。

 

・恋よりも情ふかまりぬ桜かな  野衾

 

港町横濱よもやま日記

 

はい。このブログのタイトルです。
けさ見た夢の中で、
会社を離れ、
青森近辺まで来ていて、さて、どこでブログを書こうか、
などと考えていました。
一日の始まりにこれを書く
ということをこころに決めてから、
ほぼ二十年が経ちました。
これまた過ぎてしまえばアッという間。
会社を立ち上げて二年目ぐらい
だったしょうか、
出張で九州の山中に泊まったことがありました。
一度決めたことはとことんやりぬくと決めてはいたものの、
泊まった宿にパソコンがなく、
仕方がないので、
手書きの文章を会社にファックスで送り、
当時の編集長が、
それをアップしてくれたのでした。
農家で飼われている鶏の声が辺りに木霊していたっけ。
なつかしい思い出です。

 

・たづねきて空山ひとり初音かな  野衾

 

免疫となれば

 

人間の免疫システムの新型コロナウイルスへの反応が
インフルエンザの場合と同じ、
と、
オーストラリアの研究グループが発表したそう。
免疫という言葉に、
わたしはパブロフの犬のごとくに反応してしまう。
なぜなら、
世話になっている鍼灸の先生が
施術のたびに口にするから。
鍼も灸も即効性はない(あるものもある)
けれど、
新型コロナウイルスの特効薬が見つかっていない現在、
自宅にいることが多くなり、
鍼はじぶんでできないにしても、
お灸はじぶんでできるから、
予防のため、
また、
感染していたとしても軽症で済ませるために、
免疫力アップを図りせっせとお灸するのはどうでしょう。
お灸は今のところ売り切れてないし。

 

・黝々と闇の香深し沈丁花  野衾

 

沈丁花は

 

帰宅の道のさいごの難関、
心臓破りの階段を上ってハアハア息をしていたら、
ふいにいい香りが鼻をついた。
沈丁花。
きょろきょろ見渡したが、
夜ということもあってかそれらしき花は見つからない。
しかしまちがいなく沈丁花だ。
コロナで戦々恐々としているうちにも、
季節は確実にめぐっている。
わたしが使っている
『合本俳句歳時記第三版』(角川書店編)
には、
「和名の由来は沈香と丁字の香りをあわせ持つからとも、
香りは沈香で花の形は丁字であるからともいわれる」
とある。
中国原産で、漢名は瑞香。
そういわれてみると、たしかに沈香のかおりに似ている。
きのうの朝、
鶯の声をことし初めて聴いた。

 

・沈丁花闇の深さを量りかね  野衾