シェイクスピアさんと風土

 

きのうここで取り上げた『シェイクスピア伝』の著者ピーター・アクロイドさんは、
1949年、ロンドンの生まれ。
なので、
伝記で取り上げられた人物と著者は、同国人、
ということになります。
わたしは、イギリスを含めヨーロッパを訪れたことがありませんので、
風土を体感したり、
土地の人びとの風合いを自分で感じ分ける
ことができません。
そこで、
同じ土地で生まれた人がシェイクスピアさんをどんな風に見、感じているか、
好悪を含めての馴染み具合を知りたいと思いました。
それとキリスト教。
ふたつの興味から手に取った本でしたが、
そこのところについて、
以下のような記述があり、我が意を得たり、の観を深くしました。
引用文中の「この劇」は『ペリクリーズ』。

 

子供時代に観た宗教劇をシェイクスピアがいつまでも愛していたことが、
この劇から特にわかる。
最後の聖史劇はコヴェントリーで一五七九年という遅い時期に上演され、
シェイクスピア少年も観たかもしれない。
聖史劇を観ていなければならないというわけではない
――ストラットフォードで少年時代を過ごせばまずは観ただろうが――
ただ、
聖史劇が重要な役割を果たした文化に馴染んでいたということだ。
それは、
その土地の魂のようなものだった。
「キリストの苦悶」とか「ユダの裏切り」といった大きな枠組みパラダイム
を成す出来事は、
シェイクスピア劇の多くで再利用されている。
特に『ペリクリーズ』の世界は幻視と超常現象の世界であり、
そこでは、
世俗を脱した主人公は祝福を受ける前に多大な苦しみを経なければならない。
よくある処女マリアの御出現に代わって女神ダイアナが訪れるが、
意味は同じだ。
確かに、
ディグビー手稿にあるマグダラの聖マリアの劇には、
シェイクスピア劇と多くの類似点があり、
嵐の最中に子供が生まれたり、
不幸な母親が奇跡的に蘇ったりする。
ヨークシャーの国教忌避の家々で演じたカトリックの役者たちが『ペリクリーズ』を
レパートリーに入れており、
この劇が
フランスのサントメールにあるイングランドのイエズス会カレッジ
の蔵書一覧にも挙がっていたことは特筆に価する。
旧教を堅く守ろうとする人には大変馴染みやすい劇であったに違いない。
(ピーター・アクロイド[著]河合祥一郎・酒井もえ[訳]『シェイクスピア伝』
白水社、2008年、p.428)

 

・初茸や山這ひのぼる祖母に遇ふ  野衾