コツコツ型

 

母校である秋田高校の創立150周年にあたり、
『秋田高校同窓会だより 創立150周年記念臨時増刊号』に拙稿が掲載されました。
種を植え、苗を育て、時を得て収穫する農業のイメージでコツコツと。
それがどうもわたしのやり方のようで。
父も母も祖父母もそうやってきた気がします。
土井晩翠さんが作詞した秋田高校校歌の二番の歌詞に
「わが生わが世の天職いかに」
とありますけれど、
編集の仕事に就いて34年が経過しましたから、
これがわたしの天職なのでしょう。
不思議。
拙稿は以下の通りです。

 

 

張り巡らされる樹木の根

 

本を読まない子どもだった。
小学校の参観日に、ほかの子の日常を耳にした母は、あるとき、本を買ってきた。
夏目漱石の『こゝろ』。函入りの立派な本だった。
数ページで読むのを止めた。
どうしてその本だったのか、のちに尋ねたことがあるけれど、
母は、そのことをすっかり忘れていた。しかし、本の種は、このとき蒔かれた。
高校入学後、母にもらった本のことを思い出し、『こゝろ』を読んだ。
今度は読み終えた。衝撃を受けた。
『こゝろ』には友人を裏切り、
死に追いやった罪を生涯もちつづける「先生」が登場する。
この本を読んでいなければ、
その後のわたしの人生は、いまと違ったものになっていたかもしれない。
秋高の生徒たちは、みな勉強ができた。ついて行くのがたいへん。
勉強がそれほど得意でないわたしは、
これからは、なんでも、コツコツやろうとこころに誓った。
先輩や友の話に耳を傾け、語らいにこころを熱くし、
友情を知ったのも高校時代だった。
大学に入り、第二外国語としてドイツ語を選択。
定評のあるキムラ・サガラの『独和辞典』を購入。キムラ・サガラのキムラが、
木村謹治という、
大川村(現在は五城目町)出身で、
秋田高校の前身・秋田中学の卒業生であることを、あとで知った。
また、
秋高の校歌を作詞した詩人・土井晩翠も敬愛した特異なキリスト者の著作集を、
みずから出版することになるなど、当時のわたしは、知る由もない。
勤めていた出版社が倒産し、
自分で学術書の出版社を起こして二十年が過ぎたころ、
夏目漱石の研究をライフワークとする著者の本を編集し出版、
書名を『漱石論集 こゝろのゆくえ』
とした。
程なくして、同窓会から声をかけていただき、
いま、母校の百五十周年を記念する『新先蹤録』の編集に携わっている。
高校の三年間は、あとから思えば短いけれど、
その後の人生を指し示し、
やがて寛ぎと安らぎの影をなす樹木の根が、
大地の各所に張り巡らされ始めていたと思わずにいられない。

 

・鰯雲むしやくしや腹に収まらず  野衾