いねむりの味

 

家で本を読むのは、本棚横のソファにすわって、ということになっています。
二十年以上つかっているので、革が疲弊してきたらしく、
たしかコロナ前だったと思いますが、
専門業者をよび、
革の破れそうになっているところを直してもらいました。
あれから数年たちまして、
こんどは右手指先の触れる辺りの革がひび割れてきました。
このソファも、
わたしと同様だいぶ齢を重ねました。
読書の同行二人
といったところでしょうか。
このソファにふかく腰かけて本を読んでいると、
食事の時間や散歩の時間は離れても、
何時間でも、一日でも、読みつづけられますが、
途中一、二度、眠くなることがあります。
大きなあくびが出ますから、からだが眠りを欲していると気づきます。
本を横において、リクライニングを倒し、
目をつむります。
目をひらき、壁の時計を見やると、
十五分、二十分たっています。
あたまがスッキリし、なんとも気持ちがいい。
横に置いた本をふたたび手にとり、つづきを読み始めます。
以前は、本を読み、疲れてそのまま眠ると、
金しばりに遭うことがありました。
が、
このごろは、
そういうこともなくなった。
なので、
あくびが出ると、しめた!
となって、
すぐに本を横に置き、リクライニングを倒して目を閉じる。
たのしい居眠りの時間。

 

・不要不急なれど冬の散歩かな  野衾

 

やさしいこころ

 

仕事でもプライベートでも、とくに何ということもなく、
ふつうにしゃべっているのに、
ことばの意味を超えて、ことばに盛られたじぶんの声の冷たさにハッとする
ことがあります。
いけない! と感じて、
ひつよう最小限のこと以外はしゃべらないようにします。
どうやら疲れてくるとそうなりがちな気がする。
やさしくないなぁ、
と思う。
じぶんの体感体験としてそんなふうに感じることがあり、
ということは、
どなたでもそういうことがあるのかな
とも想像します。
「どうしてそんなこと言うの?」
「どうしてそんな言い方するの?」
と感じるときは、
そのことばを口にした人が、疲れ果て、その人が本来有っているよいところ
が隠れているしまっているかもしれない。
相手を否定したくなったら、じぶんはどうかと考える。
やさしいこころを、ことばに乗せたい。
わたしの叔母からこんな話を聞いたことがあります。
「亡くなった母(わたしの祖母)からいつも言われていたことがある。
なんだか分かる?
それは、いちど口から出たことばは戻せない
ということ。ときどき思い出す…」
祖母は、経験からそのことをみずからの教訓にしていたのかもしれません。
かざったことばでなく、あいさつや何気ないことばを、
やさしいこころで伝えたい。

 

・週末や佳きこともあり冬の月  野衾

 

さびさび!!

 

秋田のわたしの地方では、寒いことを「さび」といいます。
いくら大声で「寒い」といっても、
あまり寒くない。
「さび」といって、ようやく寒い。
いまこうして文章を入力しながら、小声で「さび」を実演してみて気づいた
のですが、
どうも「さび」の「び」が利いている。
「び」は濁点なので、
なんだかからだにヒビでも入るようだし、
ガラスがビビビ!とふるえる
ようでもあります。
「さび」を重ねて「さびさび」といえばさらに寒く、
「う~っさびさび!!」とやれば、これはもう、身も凍るほど寒い
わけです。
きのうは寒かったですが、サビ、
ではなかった。
「サビ」には、乾いた空からちらちらと雪が降ってくる、
天を見あげる子どものイメージも重なります。
ところで。
きのう、このブログに「谷川さんのこと」を書きました。
一日の仕事を終え、
自宅近くの坂道を上っていたとき、
不意に思い出した。
谷川さんが佐々木幹郎さんに「佐々木さんだったら、どう言うの?」
と問いかけたとき、
佐々木さんは「スープが寝ている」
とおっしゃった。
それを思い出しました。
それで、
「寝ている」の説明がされ、
それを受けての谷川さんの「さすが詩人!」
でありました。
「立っている」に対して「寝ている」。
なんという褒めことば。
きのうのブログのそこのところを訂正しておきましたが、
きのう読んで、きょうは見ない人がほとんどかな
と思い、
ここに記します。

 

・ふくろふが五郎助呆と鳴く日かな  野衾

 

谷川さんのこと

 

谷川俊太郎さんがお亡くなりになったとニュースで知りました。
わたしの父と同じ昭和六年生まれで、
父は八月に93になりましたけど、
谷川さんは十二月の誕生日前でしたので、
享年92。
本で知っていただけの谷川さんとのつきあいは、
2002年に上梓した『インド・まるごと多聞典』がきっかけでした。
推薦文を頂戴しました。
それから弊社の『春風俱楽部』『春風目録新聞』にもご投稿いただきました。
忘れられないのは、
仕事の打ち合わせで佐々木幹郎さんといっしょに
来社された折、
拙宅で手づくりのラーメンをごちそうしたこと。
麺は山形から取り寄せた丸山製麺をつかっていました。
おふたりにラーメンを供したところ、
さいしょはだまって召し上がっておられた。
佐々木さんが、
「ラーメン、どうですか?」と谷川さんに問いかけられた。
谷川さん「おいしい」。
佐々木さんほほ笑まれ「おいしいのはわかるけど、詩人なんだから、
ほかになんかあるでしょ」。
佐々木さんと谷川さんは仲がいい。
そこで谷川さん、
「うん。ふだんあまりラーメンを食べないから、
ほかと比較して、このラーメンの特徴がどういうふうか、
言うことができない。佐々木さんだったら、どう言うの?」
そう訊かれた佐々木さん、
「スープが寝ている」
「寝ている?」
「ラーメンを食べると、たとえばこれは昆布出汁がきいている、
煮干しの出汁がきいている、あご出汁、かつお出汁、
出汁につかっているものの味が立っているのが多いけれど、
このラーメンは、
ぜんたいがひとつにまとまっていてまろやか」
というような感想を、たしかおっしゃった。
すると「さすが詩人!」
と谷川さん。
佐々木さんも谷川さんもわたしも、そこにいた社員も笑いに包まれた。
詩人というのは、
生きたことばを話す人なんだと知った瞬間でした。
忘れられません。
谷川さんのご冥福をお祈りします。

 

・小春日や記憶の底にあと少し  野衾

 

冬の蝶

 

凩が吹く朝 ベランダにうす茶色のちいさな

蝶がいた

風にあおられ 右に左に まるでヨットの帆

生きているのか 死んでいるのか

右は否定 左は否定

こんな季節まで どうやっていのちをつないできたのだろう

二度目のコーヒーのための

アルコールランプで熱せられたお湯が

フラスコからロートにのぼる

いったん目を離し

蝶のゆくえを追う

右に倒れ

左に倒れ

きょう一日のすべきこと

を思いうかべたら うんざりし

急ぎアルコールランプの火に蓋をする

死んでいるのか

生きているのか

まずコーヒーを

 

・コーヒーを淹れるルーチン冬の朝  野衾

 

時のおもしろさ

 

せんだって、仕事の打ち合わせで赤羽まで行ってきました。
以前勤めていた会社があったところですが、
駅の構内、周辺がすっかり変っていて驚きました。
よく見ると、
会社を起こすきっかけの場所となった店はのこっており、
とてもなつかしく。
さて、
著者の方のご自宅にうかがった折、
ジェイン・オースティンさんの『マンスフィールド・パーク』
が書棚にあるのを目にしました。
わたしも有っているのにまだ読んでいなかった
ことを思い出し、
これもなにかのご縁かな、
という気がして読んでみました。
『自負と偏見』『エマ』のときも感じましたが、
時のうつろいのなかで、
人も人のこころも、
また登場人物それぞれの物の見方、人の見方が微妙に変っていく
そのあり様がていねいに描かれており、
しみじみとおもしろかった。

 

時の流れと云うものは、
人間が計画したことと最終的な結果とのあいだに決って
このような対照をもたらしては、
当事者を教育し、
まわりの者達を面白がらせるのである。
(ジェイン・オースティン[著]大島一彦[訳]『マンスフィールド・パーク』
中公文庫、2005年、p.686)

 

そうかもしれないなぁ。悲劇、また喜劇。

 

・冬のタクシー佳き音楽佳き会話  野衾

 

アライグマ

 

仕事帰り、重い靴を履いて、七十数段ある階段を上りきると息があがる。
しばらく休み、見慣れた景色に目をやる。
一日一日と日が短くなり、六時前だというのに、
すっかり暗くなっている。
人通りはない。
煉瓦の上の藪が張りだし、正面の崖が大きくかぶさってくるようだ。
東の空に月が煌々と照っている。
月の方角へ道はゆっくり上りに向かう。
一歩、また一歩。
俳句が浮かびそうになり、歩を止めてみた。
冬の月、冬の月、冬の月、
唱えてみたが、中七、下五はいっこうに浮かんできそうにない。
正面の月を左手にやりながら歩を進めたとき、
右手の崖から何やらもの凄い勢いで駆け下りてくる。
瞬時に目の前の道を斜めに横切り、
東側のガードレールの下に潜り込むとき、一瞬立ち止まってこちらを見た
気がした。目の光に射竦められる。
すぐに体勢をもどし、月光を背に、崖を下りていく。
縞のある太い大きな尻尾が残像となって目に焼きつく。
野生が崖を下り何もいわずに去っていった。
わたしは無言のまま歩く。
靴が重い。
ゴミネットを過ぎれば道は鋭角に曲がる。
月はさらに上空へと。
冬の月、冬の月。
中七、下五は浮かばない。

 

・コーヒーを淹れてビル・エバンスと冬  野衾