方言の味 2

 

このあいだ関東でもめずらしく雪が降り、足元を取られそうになりながら、
恐る恐るちょびちょび歩いて家まで帰りました。
翌朝、
ちょうど実家に電話をかける日だったので、
電話口に出た父に前日からその日の天気について話をしたあと、
ところで秋田のきょうの天気はどうだ、
と尋ねるや、
間髪を入れずに、
「まんどだ、まんど!!」
ん!? ああ、
まんど、か。まんど。なつかしい!
秋田のわたしの地方では、明るいことを「まんど」という。
「窓と関係あるのか?」
と父に尋ねると、
「わがらねでゃ」の返事。
「窓(まど)」自体は、ふるいことばで、
万葉集にも出てくる。
関係あるのかもしれないが、
いまのところ調べがついていない。
けさ、
実家に電話すると、
電話口の父は、開口一番「きょうもまんどだ、まんど!!」
意味としては「明るい」
だけれど、
「まんどだ、まんど!!」を耳にした瞬間、
光がまるで爆発しているかのごとく、生成の現出をともなった明るさであると、
からだは覚え、知っています。

 

・缶コーヒー両手でつつみ春を待つ  野衾

 

方言の味 1

 

帰省して楽しいことの一つに、ずっと、ふるさとのことばで話ができる、
それがあります。
帰省の最終日、
弟がクルマで秋田駅まで送ってくれたとき、
「えじくされ」ということばが話題になりました。
無明舎出版からでている秋田県教育委員会編の『秋田のことば』にも載っています。
『秋田のことば』に掲載されている表記では、
「えじくされ」の「え」と「じ」のあいだに小さい「ん」が入っています。
漢字で書けば「意地腐れ」。
『秋田のことば』では、
「他から見てあまり感心できない意地の張り方をする人を批判的にいう語」
と説明されている。
この辞書にもあるとおり、
けして人を褒めるときに使うことばではありません。
わたしにとっても弟にとっても、
ふだん使いのことばですから、
共通語でいうところの「意地っ張り」の基本的な意味はもちろん知っています。
しかし、
クルマのなかで、
家人も交え三人でひとしきり「えじくされ」で盛り上がったとき、
弟が、ふと、
「えじくされ」は、百パーセント否定的な、
マイナスの価値だけのことばではないと思うよ、
と語り始めました。
「七割三割ぐらいで、積極的な価値をふくんでいる」
それを、
共通語でなく秋田のことばで表現した。
わたしは、こころのなかで唸っていました。
まったくそのとおりと思ったからです。
意地が腐っているだけの意味ならば、
マイナスの価値に塗りこめられていることになりますが、
三割はプラスの価値を帯びている…。
要するに、
根性が座っていて、他からの批判や非難、叱責や暴力にも動じない、
揺るがぬ信念を持っている、
そういったニュアンスを確かにふくみ、
底のほうでむしろいぶし銀のように光っている、
それが「えじくされ」。
方言の味わいを改めて確認しました。

 

・六十年あつといふ間の雪解川  野衾

 

イカの塩辛

 

父も母もイカが好きなので、わたしも小さい頃からイカが好きだったし、
いまも好きです。
小学生のときの弁当には、
よくイカを醤油で煮たものがおかずに入っていました。
イカを使った料理は何でも好きで、
ひつぜん、
イカの塩辛も好んでよく口にしてきました。
究極、
じぶんで作ることを考えたりもしましたが、
いろいろ難しいことがありそうなので、
それは諦め、
もっぱら、
ふつうに売られている商品のなかから、これはと思うものを手にし食してきました。
それぞれ特徴があって
それぞれ好きですが、
波座(なぐら)物産の「昔ながらの濃厚熟成塩辛」は、
はじめて口にしたとき、
その美味しさに、うなりました。
こ、これがイカの塩辛か!!
まさにそんな感じ。
波座(なぐら)とは?
ホームページに、
「暖流と寒流とが重なる、潮の境目をさす言葉」
とあります。
潮が重なるその場所には、
豊富なプランクトンが発生し、多くの魚が集まり、海鳥が上空を舞い、
それを目印に昔の漁師たちは漁をした、
ということも記されています。
すっかりファンになり、
店頭はもちろん、
インターネットを通じて注文したり。
「昔ながら」
というところがミソでしょうか。
調味料で味付けする一般的な塩辛とちがい、
三十日以上をかけ、
じっくりと熟成させるそうなので。
熟成によって培われたり醸されたりするモノは、
天然自然の営み(時間)にまかせる部分がどうしてもあるような気がします。
あの味は、
人と自然が織りなすハーモニー、
そういうことでしょうか。
本づくりにおいては、
校正にかける時間がそれに相当するように思います。

 

・再診に一喜一憂春嵐  野衾

 

八代さんの歌の味

 

毎週金曜日にやっている『武田鉄矢の昭和は輝いていた』
というBSテレ東の番組をよく見ます。
タイトルどおりの番組で、
司会進行役は、武田鉄矢さんとテレビ東京アナウンサーの繁田美貴さん。
せんだっては、
倍賞千恵子さんがゲストとして
よばれていました。
『男はつらいよ』での寅さんとの名シーンを取り上げたり、
倍賞さんのヒット曲『下町の太陽』を取り上げたりしたなかに、
倍賞さんが、
八代亜紀さんの『舟歌』を歌う場面がありました。
わたしは倍賞さんの歌も好きなので、
聴き惚れました。
倍賞さんの『舟歌』を聴きながら、
わたしの脳の奥では八代亜紀さんの『舟歌』が流れ、
はじめてと言っていいかもしれないぐらい、
八代さんの歌う『舟歌』の味を、わたしなりに知った気がしました。
それで、
ああ、
こういうことあるある、
と思いました。
ふつうに見たり聴いたりしているときは、
それほどでもなかったのに、
よく知っていてあたりまえになっていた歌を、
ほかの人が歌うのを聴いて、
はじめて元歌の良さ、味を教えてもらう、そういうことが間々あります。
テレサ・テンさんの歌、西城秀樹さんの歌についても、
そんなことがありました。

 

・春なれば花屋の前に佇みぬ  野衾

 

山のこと

 

わたしの実家は、仲台というところにあり、
広々した丘陵の少し下がった場所に位置しています。
小学生のころ、
登校の際は、ながい坂道を下り、下校の際は、ながい坂道を上って家に帰りました。
小学校は六年間で、一日も欠席しませんでしたから、
いつのまにか、
山と坂道の感触が足裏から入って体に染みついている
かもしれません。
高校も山の上にあったし、
大学時代は、平地にも住みましたが、
山の上に住み、
ここ横浜に来てからも、やはり山の上に住み、
いま居るところも山の上。
なので、
そんなこともあってか、
本を読んでいて山が出てくると、つい目が留まり、いろいろ考え、想像します。

 

知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ(『論語』「雍也第六」)

 

いろいろ解釈があるようです。
吉川幸次郎さんは、
徂徠さんの解釈を紹介し、ご自身の解釈をひかえておられます。

 

多くの民は来て言う。
「さあ、主の山、ヤコブの神の家に登ろう。主はその道を私たちに示してくださる。
私たちはその道を歩もう」と。(『旧約聖書』「イザヤ書」2:3)

 

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、
弟子たちが御もとに来た。そこで、イエスは口を開き、彼らに教えられた。
(『新約聖書』「マタイによる福音書」5:1-2)

 

これまたいろいろ解釈があるようです。
山の上からながめる景色は、どの山の上からでも、ほー、となります。

 

・馬糞乾きこまかき藁を春嵐  野衾

 

ちいさな感動 3

 

もうひとつ、こんかいの帰省で、まえまえから気になっていたものを、
はじめて口にした。
秋田駅構内にある蕎麦店「駅そば しらかみ庵」の
ぎばさそば。
絶品。
「ぎばさ」は秋田での名称、
ホンダワラ科のアカモクという海藻です。
子どもの頃から食べてきて、
なつかしくはありますが、
とくに美味しいと思ったことはなかった気がします。
おとなの味かもしれない。
しらかみ庵で食べたぎばさそばは、ほんのり磯の香りが鼻腔を刺激し、
また、
そばつゆとの相性が抜群によく、
味はもちろんのこと、
ぎばさのネバネバと蕎麦が微妙にからみ、
ビジュアルも美味さが滴らんばかり、
どうして写真を撮ってこなかったのだろうと悔やまれる。
(興味がおありの方は、しらかみ庵さんのホームページをご覧ください)
それにしても馬勝った。
牛負けた。
と、
そんな駄洒落を念頭に浮べころがしながら、
食べ終わって丼を返しに行き、
「うまいですねー!! ぎばさそば!」
と思わず声を発した。
店員さん、
あはは…と笑い、
「それはよかった。からだも暖まりますし…」。
ほんと。
寒いこの季節にぴったり。
「どうもどうも。ごちそうさまでした。また食べに来ます」
と言わずにいられませんでした。
よし!! また次回。
かならず。

 

・沈みゆく思ひもあるさ春嵐  野衾

 

ちいさな感動 2

 

小津安二郎監督の映画に『東京物語』があります。
冒頭のシーンで、
旅支度をしていて東山千栄子さん演じるおばあさんのとみが、
「空気枕ぁ、そっちぃ、入りゃんしたか?」
と尋ねる。
すると、
笠智衆さん演じるおじいさんの周吉が「空気枕ぁ、おまえに頼んだじゃないか」
と応えます。
が、
けっきょく、周吉の勘違いで、
周吉の荷物のほうに入っていたことが分かります。
映画を二度目に観たとき、
そのシーンに、
けっこうな時間をかけていると思い、
印象に残りました。
それが、物語の最後のほう、
とみが亡くなった日の朝、
外に出掛けた周吉を探しにきた、
原節子さん演じる息子の嫁・紀子に語りかける周吉のセリフ
「ああ、今日も暑うなるぞ……」
と重なり、
生きることはたたかいなのだ、
との感想を持ちました。
こんかい、
秋田に帰省し、
ほんの数日しかいませんでしたが、
どれほど仕事をしたらこんな指になるのだろう?の齢92の父と、
歩けなくなった齢88の母の日常は、
覚束なくなった記憶とも重なり、
まさに刻一刻のたたかいであると感じさせられた。
母が歩けなくなってから毎週母に手紙を書くようにしてきましたが、
それを今後も継続することを母に約束し、
また来るよと言って別れてきました。

 

・またの日は弟を連れ猫柳  野衾