思う火だから「思ひ」

 

連日記録的な暑さがつづいていますが、暦の上では秋に入りました。
無理にも涼しい風を引き寄せ感じて、
ことし三分の二の来し方を反省する日もあり。
反省はまた物を思うことでもありますが、
和歌の世界では、
「思ひ」の「ひ」は「火」に掛けられて詠まれることが多かったようです。
たとえば『新古今和歌集』1032番、
寂蓮法師の

 

思ひあれば 袖に蛍を つつみても いはばやものを 問ふ人はなし

 

峯村文人(みねむら ふみと)さんの訳は、
「思いという火があるので、袖に蛍を包んででも、心を告げたいものだ。
物思いをしているのかと問う人はいない。」

 

また1033番、後鳥羽院の

 

思ひつつ 経にける年の かひやなき ただあらましの 夕暮の空

 

峯村さんの訳は、
「思い続けて過ぎてしまった年のかいがないのか。
ひたすら、逢えたらよいという期待がつのるばかりの、夕暮の空よ。」

 

なにか物を思うのは、精神的な営みだとの観念があり、
そうではありますけれど、
それが胸に、こころに、火を宿しているという、
その捉え方がなるほどと思い、
いいなぁ、わかるなぁ、
腑に落ちる気がします。

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よろしくお願い申し上げます。

 

・秋近し恋は思ひの止み難し  野衾