予定があること

 

自宅でも会社でも、身の周りにいくつかカレンダーがあります。
二十四節気や七十二候ではきょうがなんの日かを説明してくれているものもあり、
日々の暮らしに彩りが添えられるようです。
秋田の実家のトイレには、
ながく付き合いのある店から毎年いただく大きなカレンダーがあり、
月ごとに金言のような訓えが記されていて、
「一粒万倍日(いちりゅうまんばいび)」ということばは、
そのカレンダーで知りました。
卓上カレンダーは、
会社と自宅に同じものがあり、
会社のには仕事上の予定を、自宅のにはプライベートの予定を書き込むようにしています
が、
いまは、
すこしの予定があることがありがたい。
多すぎるのは困る。
なんにもない(ことは今のところないけど)
のも困る。
来月九十三になる父の口ぐせの一つ、
「なんにもやるごどがないようでも、なにがかしかがあるものだ」。

 

時によって、人生では、約束ごとは、
香辛料の役目を果すこともある。
(田辺聖子[著]『上機嫌な言葉 366日』海竜社、2009年、p.12)

 

・雀三羽夏をつんざく石つぶて  野衾

 

夏休みのこと

 

子どもたちは、そろそろ夏休み、かな。
夏休みといえば、忘れられない思い出があります。
冬休みの前もそうだったと思いますが、
休み前になると、
授業の時間に休み中の計画表なるものを各自書いた。
担任の先生から書くように指導されたのでした。
書いた後どうしたかといえば、
おそらく、
先生に見せたあとで、それぞれ家に持って帰ったんじゃなかったですかね。
そこのところは記憶があいまいですけど、
仮に提出しちゃうのだったとすると、
どういう計画を立てたのか分からないことになってしまうし、
コピーするとか、
そういう厳密なものではなかった気がします。
計画を立てて暮らすこと、ムダに時間を過ごさないようにしましょう、
ということだったようです。
ともかく。
その計画表を書いていたときのこと、
前の席にいたTくんの計画表の一日の終りのところに「とうみん」とあった。
「Tくん、とうみんじゃなくて、すいみんだよ」
と、わたし。
「そうか。まちがえた」
Tくん、消しゴムでガシガシやり、
「とうみん」を「すいみん」に直した。
以上。
たったそれだけのことですが、
忘れられない。
夏休み前というのは、実際の夏休みの日々とくらべ、
なおいっそうのワクワク感があった気がします。
子どものときに感じた、あの感じ、
ことばにしようとすると、なかなか思うようにいきません。
ムリっ! と、諦めてしまいそうになります。
そのときは、
ただ、たのしいだけだったのに、
時間がたてば、たつほどに、
たとえばあのときのTくんの受けこたえ、声、
あわてぶり、表情、消しゴムが紙をこする音までが聴こえ、
ひとつひとつがありありと目に浮かび、
かたまりとなって、光を放ちつづけています。

 

七月二十一日 夏やすみ

夏休みのはじまりは、いつもうれしかった。
時間がたっぷりあって、こわいぐらいで。
ほんとうの夏がはじまったようで、うれしかった。
そうして、七月はゆっくり時間が過ぎるのに、八月はあっという間。
あれは、どうしてだったんだろう。
夏休みのはじまりの日――。学校は、もうとっくに卒業してしまったけれど、
夏の時間がたっぷりあることを思い出させてくれるから、
今でもこの日は、わたしにとって特別な日。
(おーなり由子[絵と文]『ひらがな暦 三六六日の絵ことば歳時記』
新潮社、2006年、p.235)

 

・梅雨湿りこころ干したる灸かな  野衾

 

いい顔でいこう

 

四十代の終りから五十代にかけてうつ病を患い、
それからしばらく経って、また患い、そういう時間のなかで、
だんだんじぶんの傾向が見えてきた気もして、
なるべく医者にかからずに暮らしたいものだなぁと思うようになりました。
じぶんなりの工夫が如何ほどのものか分からない
けれど、
気分転換することや気晴らしがとてもだいじであると、
このごろますます思います。

 

若々しいのが、やはり「イイ顔」であろう。
物理的年齢のことではなくて、
「知ったかぶり」をしたり、人に教えたりしない、
(教えるということは含羞なくしてできることではない、
それを無意識に知っていること)
知らないことは「知らない」といい、
はじめて聞いて「えっ。ほーんと」とおどろく、素直な顔、
それから、
何かに興趣をもったり関心や欲望を持つと、トライしてみようと早速、
モリモリとエンジンのかかる顔
――そういうのがいい顔であって、
だから七十歳の若い顔もあれば、十七、八の年寄顔もいるわけである。
(田辺聖子[著]『上機嫌な言葉 366日』海竜社、2009年、p.65)

 

田辺さんにお会いしたことはありませんが、
田辺さんから田辺さんの
「サウイフモノニワタシハナリタイ」
を直にうかがっているような、そんな気になります。
なかなか、言うは易く行うは難し、
ではありますけど、忘れたくないとことばです。

 

・五月雨を抱いて腕《かひな》の空しずか  野衾

 

上機嫌でいこう

 

田辺聖子さんの本を、ときどき読みます。
さいしょは、『新源氏物語』。
原文に忠実な現代語訳というのではなく、
田辺さんが源氏を読み、消化し、自家薬籠中のものとしたうえで改めて書き起こした、
というようなふう。
だから、
古文の現代語訳を読んだときにおぼえる違和感のようなものが
ほとんどありませんでした。
それなら超訳的なものか
といえば、そういうことでもなく、
物語の展開はちゃんとおさえているようですし、
すごいなぁと思いました。
円地さんや寂聴さんの現代語訳とはまた異なる味わいがあり、
円地さん、寂聴さんのもいいけれど、
田辺さんのも好きです。
『むかし・あけぼの 小説枕草子』もよかった。
田辺さん、
ほんとうに古典が好きなんだなぁ、
と思います。
さてこんかい、『上機嫌な言葉 366日』を読んだ。
一日一ページものが好きなので、
これもそういうふうにして読もうかと思っていたのですが、
肩の凝らない言い回しについつい惹かれ、
さいごまで読んでしまった。付箋を何か所か貼りましたから、
気が沈みがちなときにまた読み返そうと思います。

 

ほんというと、上機嫌、なんていうハカナゲな気分は蜃気楼しんきろう
のようなもので、
手につかまえられないからすぐ消えてしまう。
だから多くの人は価値を与えないけど、
私は、ここだけの話、どんな財宝やどんな卓見や芸術よりも、
人間の上機嫌を上においている。
人間が上機嫌でいられるときときというのは、
この世では全く少い。
(田辺聖子[著]『上機嫌な言葉 366日』海竜社、2009年、p.149)

 

このことばは、七月二十七日のところにあります。
分かりやすいことばで、しみじみ深いことが書いてあると思います。
子どものときだって思い悩みはあったけど、
歳をかさねるとかさねた分だけ、また思い悩みがふえますから、
まさに田辺さんの言うとおり。
つくづく上機嫌でいきたいものです。

 

・あいさつを濁らぬ人と夏日かな  野衾

 

日日是好日

 

おもしろい本を読みました。『文にあたる』著者は、牟田都子(むた・さとこ)さん。
1977年生まれだそうですから、
わたしよりちょうど二十歳若い方です。
図書館員を経て出版社の校閲部に勤務。2018年より個人で書籍・雑誌の公正を行う、
とのこと。
わたしの場合は、編集者と校正者を兼ねているわけですが、
仕事上、教わることが多くありました。
わが身をふり返り、
自戒したり、へ~、そうなんだ~、と、あたらしい発見があったり、
悲喜こもごもに共感したりしながら
しずかに読み終えました。
いちばん感動して何度も読み返し、
付箋を立てた文があります。
同じ仕事をされていたというお父さまとのエピソード。

 

同じ仕事をしていた父に、小さい頃テストをされたのを覚えています。
買ってもらったばかりの国語辞書を渡され、
いくつかの単語を引いてみなさいといわれました。
見当をつけて辞書を開き、ページをめくること一回、二回……
父はにやりと笑って「貸してみろ」
と辞書を手に取りました。
親指の腹で小口こぐちをなぞり、
ぐいと食い込ませると辞書は貝のようにぱっくりと口を開いて、
求める単語が真珠のように光っていました。
集中して仕事ができているときには自分でも、
辞書を手に取って当たりをつけ、
親指の腹に力を込めて開くと、目的のページを開けることができます。
あの頃は
父と同じ仕事をすることになるとは思ってもみませんでしたが。
(牟田都子[著]『文にあたる』亜紀書房、2022年、p.159)

 

これはわたしの偏見かもしれませんが、
どういうたぐいの本でも、
仮に何百頁もある本のなかでたった一行であっても、
親について、親との関係についてどういう書き方がされているか、
に、こころの深いところが現れていると感じます。
引用した文を読むと、
情景がありありと浮かぶだけでなく、
そのときのこころのふるえが伝わってくるようで、
本全体が細やかなこころくばりがされていて
いいわけだけど、
この文はとりわけ深い光を放ち、本の光源になっていると思います。

 

・夕涼み百年前の百年後  野衾

 

なんのための学び

 

生松敬三(いきまつ けいぞう)さんのお名前は、翻訳書を通じて、
記憶にありましたので、
原著者のことを知りませんでしたが、
『読書日記』という書名にひかれ、古書で求めました。
この本では「クルティウス」
となっていますが、
いまは「クルツィウス」と表記されるようです。
ノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュヴァイツァーさんとの親交についても、
ちらり触れられており、
そんなこともあって、おもしろく読みました。

 

われわれが形而上学者でないにしても、
われわれは次のようなことははっきりと知っている――聖なるもの、善なるもの、
美なるもの、真なるものがあるということ、
これらは互いに抗争する必要はないということ、
これらの諸価値をより深くより広く認識し実現すれば、
それだけ人間は価値豊かなものとなるということ、
またわれわれはまず人間であり、しかるのちに学者であるのでなければならぬということ、
学問の意義を生の全体的意味の中に組み入れることはできるということ、
学問に献身するわれわれが
――教える者であると教わる者であるとを問わず――
われわれの学問的存在と人間的存在の間に隔壁を設けることは、有害な、悪い、
不条理なことであるということ。
そしてまたわれわれは知っている――純粋な研究目的を自分の学校・研究所で維持する
のは善いこと、必要なことではあるが、
大学はたんに研究機関であるにとどまらず教養〔人間形成〕の施設でもあるのだ
ということ、
学問的即事象性ザッハリヒカイトへの教育(今日切実に必要とされているもの)

精神的な生の諸価値の伝達という
より大きな目標の中に組み入れられるということ、
勉強し研究する青年たちがそのような即事象性への訓練をもっとも喜んで受けるのは、
まさしくかれらがそのほかのもの、
より深く実り多いものを見出すことを確信できるような教師たちからである
ということを。
(E.R.クルティウス[著]生松敬三[訳]『読書日記』みすず書房、1973年、pp.157-158)

 

この文章は、『読書日記』の付録として巻末に収録されている二つの書評のうちの一つから。
マックス・ヴェーバーさんの『職業としての学問』に関する書評です。

 

・五月雨やほの暗きなか書を読む  野衾

 

著者と訳者からの手紙

 

久保正彰さんの日本語訳によってトゥキュディデスさんの『戦史』を読みました。
岩波文庫で上中下三冊ありますが、各巻に充実した訳注が付されています。
たとえば下巻の訳注は125頁分。
訳注とあわせ読むことで、
久保さんがいかにアクチュアルな問題意識をもってこの仕事をされたのか
が分かった気がしました。
そのことをとおして教科書で習ったトゥキュディデスが
ようやく身近になり、
さん付けで呼びたくなります。
なので、
本はまた、著者、訳者からの手紙でもあります。
久保さんは翻訳の最後に「後記」として、つぎのように述べられています。

 

トゥーキュディデースにとって、
「戦史」の記述は己れの生命のあるかぎり完成するところのない、
補正と加筆のはてしない道程を意味したことであろう。
大戦二十七年目にアテーナイが降伏し長城壁が破壊される場面まで、
かれの筆が進んでいたと仮りに考えてみても、
歴史家としてかれはまだ何かを書き加え、
この大事件の核心になお一歩迫るための努力を最後まで惜しまなかったであろうと思う。
周到なる準備によって集められる限りの史料をあつめ、
その一々に厳密な吟味を加え、
事実を明確に再現し、
そしてさらに
その背後にあって事件のモーメントをあやつる人間の心理的諸力
にまで光をあてようとする、史家の客観的な論理の道は、
戦争を記述しながらなお戦争記述の範囲にとどまることに甘んじない。
人間が人間であるかぎり、これが脱しえない桎梏なのである
という論理的な解答に達するまでは、
一つの事件の記述は完結されたとは思えない。
かれに「戦史」を書かしめた苦しみはそれほどに大であり逃れがたく、
またかれが歴史記述によって到達を望んだ目標は、
宗教的な解脱に近いものであったと言っても過言ではない。
そしてその鍵である真実が、
彼岸にではなく、
生けるがままの人間の言動に求められなくてはならなかったところに、
悲劇的なアイロニーがあった。
(トゥーキュディデース[著]久保正彰[訳]『戦史(下)』岩波文庫、1967年、
pp.367-368)

 

上の文章に触れられているとおり、トゥキュディデスさんの『戦史』は未完
に終っています。
なんらか事情があってのことだったのでしょうけれど、
理由・原因とはべつに、
そのことの意味に思いをいたすとき、
それが21世紀のいまに託された悲願であるとも感じます。

 

・見えねども屋根に目を上ぐ盂蘭盆会  野衾