あらゆる点で支配者から等閑に附せられた国民とその少年とに対する同情は、
ペスタロッチーを若い頃から動かして、
彼等を救ひ、
彼等が陥つてゐる貧困の源泉を塞がせようとした。
それは彼が自己の畢生の目的と見做した偉大な神聖な使命であつた。
彼はその行為において二重の無信仰に逢着した。
その一つは国民教化の可能性に関する無信仰であつた。
「人間はどうすることも出来ない。
彼等を幸福にするとか、
改善するとか、
また秩序化するとかいふことは、
この世の続く限り夢であつたし、またこの世の続く限り飽くまでも
夢であらう。」
彼れの最初のビルの学校の貧児、
シュタンツの貧児に関する彼れの経験は、
人間性の尊厳性と崇高性とに対する彼れの信仰を裏書した。
「国民の教化は単なる夢に過ぎない
とまで言ひ得るやうな人間に対する激昂が私の胸のうちでは波立つた。
否な、それは決して夢ではない。
――神よ、
私は如何に汝に私の貧困を感謝することか。
貧困なくしては私はかうした言葉を言ふことが出来ないし、
また右のやうな人間を沈黙させることも出来ないであらう。」
他の一つは
ペスタロッチー自身に関する無信仰であつた。
「汝、憫むべき者よ、
汝は最も劣等の日傭取にも劣つてゐる。
汝自身を救ふことが出来ないのに、
汝は国民を救ふことが出来ると空想してゐる!」
(ハインリヒ・モルフ[著]長田新[訳]『ペスタロッチー伝 第三巻』岩波書店、1940年、
pp.493-4)
引用した本の初版は、1940年ですが、
わたしが読んだのはその復刻版で、1985年の出版になるものです。
引用は、新字旧かなを用いました。
この箇所を読むと、
貧乏は克服できるものでなく、
貧乏な人を教化することはできないとする考えが広く蔓延っていたことが分かります。
当時のその常識をくつがえすような事業に身を挺したのが、
ペスタロッチーさんでした。
無理だと思われていたことを実際に行い、
目に見えるような形でつぎつぎ実現していきます。
スイスだけでなく、
他のヨーロッパの国々に広がりを見せていくことになります。
事実で常識を覆したとはいうものの、
ペスタロッチーさんに対するバッシングは、
それはそれはひどいものでした。
(ふかく共感し、協力し、支援する人もいました)
「汝、憫むべき者よ、
汝は最も劣等の日傭取にも劣つてゐる。
汝自身を救ふことが出来ないのに、
汝は国民を救ふことが出来ると空想してゐる!」
このことばは、
すぐに『聖書』の、たとえば、
「マタイによる福音書」の第27章41-43節を思いだします。
同じように、祭司長たちも律法学者たちや長老たちと一緒に、
イエスを侮辱して言った。
「他人は救ったのに、自分は救えない。
イスラエルの王だ。
今すぐ十字架から降りるがいい。
そうすれば、信じてやろう。
神に頼っているが、神の御心ならば、今すぐ救ってもらえ。
『わたしは神の子だ』と言っていたのだから。」
ハインリヒ・モルフさんは、
ペスタロッチーさんのいいところも、だめなところも、
事実に基づきながら共に記録し、描いています。
それゆえにかえって、
稀有な人物、冒険者であるペスタロッチーさんが圧倒的な迫力で迫ってきます。
第四巻の冒頭には、
シャイトリンという人のことばが記されています。
「私は唯一の完全者たる基督並びにその直接の使徒を除いては
ペスタロッチーより偉大な者を知らない。」
ペスタロッチーさんは、
教会的なキリスト教を越えて、
『聖書』を、いわば仕事師の手帳として読み、
ひたすら実行した人であったと思います。
・友の家吾を招くよ芝桜 野衾