正しい人はいない

 

この地上に、正しい人は一人もいない
善を行い、罪に陥ることのない人は。

 

旧約聖書「伝道者の書」にでてくることばです。
「新改訳2017」では「伝道者の書」
ですが、
ほかの訳だと「伝道の書」だったり「コヘレトの言葉」だったりと、
すこしずつ異なります。
引用した箇所の文言も、
すこしずつ違います。
『聖書』を初めて読んだのが十九歳、
けっこうながく親しんできまして、
いまも毎日読むのを日課にしていますから、
いかに物忘れの激しいわたしでも、
長くない、いくつかのフレーズは暗記していて、ことあるごとに思い出します。
意識的に思い出すのではなくて、
不意に口を衝いてでてくる感じですかね。

 

この地上に、正しい人は一人もいない
善を行い、罪に陥ることのない人は。

 

あたりまえと言えばあたりまえのことばのようですが、
年齢を重ねるとともに、
思い出すことが多くなりました。
味わいの深いことばです。
人間関係、コミュニケーションの要諦としても肝に銘じておきたいことば
であると感じます。
じぶんが正しくて、相手の方が悪い、非は相手にある、
と思っている限り、
よき関係をきずくのはむつかしい。
いかに外面をよくしても、
腹のうちで「じぶんは正しい」
と頑なになっている限り、
ふかいコミュニケーションは成り立ちません。
わたしにも非がある、じぶんは正しくないかもしれない、と本気で思った分だけ、
こころはゆるむ、
のではないでしょうか。
お互いのこころが、そうやってゆるんだ分だけ、
相手の良さが、頭で考えるのではなく、
目に見えるようになり、
コミュニケーションの可能性が生まれてくるのだと思います。
この世の悩みの多くは、
人間関係にあり、
それは洋の東西を問わず、古今を問わないようです。

 

・峠道涼しき風の白さかな  野衾