とほほのヘーゲルさん

 

哲学者というのはこわい顔をしている、というイメージが多分にありまして、
それはヘーゲルさんによるところ大であります。
それとフッサールさんかな。
そのヘーゲルさんの伝記を読んでいたら、
『精神現象学』や『大論理学』をものしたヘーゲルさんも、
浮世のことではそうとう困ったろうなと笑ってしまうエピソードが記されており、
あのこわそうな顔を脳裏に浮かべつつ、
人生のままならなさを思わずにはいられませんでした。
ニュルンベルクのギムナジウムで校長先生をしていた当時のこと。

 

とにかく学校の管理のために過大な要求が突きつけられていると彼は思っていた。
校長の職務を減らせてもらえるなら、
一〇〇グルデンの特別手当を返上してもいいとも思った。
そんな金のために「時間の無駄使い」
はしたくなかった。
「補助クラス」の便所が軍隊に接収されるというスキャンダラスな状況があって、
彼はこの問題と何週間も格闘していた。
生徒たちは近所の民家の便所に招かれざる客として押しかけ、
近所の住民からの学校への苦情を覚悟せねばならなかった。
校長にできることと言えば、
生徒の親に
「学校ではできるだけ用便をしないよう子供をしつけてほしい」
と頼み込むことだけであった
(一八〇九年二月十二日付、ニートハマー宛の手紙)。
(ホルスト・アルトハウス[著]山本尤[訳]『ヘーゲル伝 哲学の英雄時代』
法政大学出版局、1999年、p.246)

 

・栗鼠の尾や道の空なる秋風に  野衾