収穫の時

 

両親ともに高齢なので、週に三度電話をします。
一日おきぐらいですから、具体的な用事はほとんどなく、朝の食事は終ったか、
けさの天気はどうか、稲の具合は、そんな程度のことではありますが、
親子ですので、
声の質やトーンで、体調や気持ちの張りが分かります。
電話にはだいたい父が出ます。
きのうは電話をする日でしたが、
明らかに声の張りがちがっていました。
力がみなぎっているというのか、
若々しい声なので、
すぐに予測がつきましたが、
父の語りをだまって聴いていると、予測的中。
家の稲刈りが半分終ったとのこと。
あと半分をすぐに収穫できればいいのだけれど、コンバインの調子が悪く、
いま業者を呼んでいる云々。
九十二歳の稲刈りがいよいよ始まりました。

 

あめが下のすべての事には季節があり、
すべてのわざには時がある。
うまるるに時があり、死ぬるに時があり、
植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、
殺すに時があり、いやすに時があり、
こわすに時があり、建てるに時があり、
泣くに時があり、笑うに時があり、
悲しむに時があり、踊るに時があり、
石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、
抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、
捜すに時があり、失うに時があり、
保つに時があり、捨てるに時があり、
裂くに時があり、縫うに時があり、
黙るに時があり、語るに時があり、
愛するに時があり、憎むに時があり、
戦うに時があり、和らぐに時がある。

 

旧約聖書にあることばですが、引用した日本語は、わたしが十代で購入し、
もっともながく親しんできた1955年改訳の口語訳。
「伝道の書」第三章にある文言です。
うれしいときも、悲しいときも、
こころがどんより曇ってなかなか晴れないときも、
事あることに思い出しては
口にしてきましたから、
いまはそらで言うことができます。
それはともかく。
帰宅後、テレビを見ながら夕飯を食べていたとき、
電話が鳴りました。
これはきっと、
と、予測がつきました。
電話に出ると、父の明るい声がする。
「稲刈り、終った!! 安堵した。やああ、えがった!」
「そうが、えがったな。疲れだべ。おつかれさん。あど、ゆっくり休め!」
九十二歳の稲刈りが終りました。

 

・雲は動かずおとなしき秋となる  野衾