中井久夫さん 5

 

精神医療と、精神科の患者さんとの対話から得られた知見を
わかりやすく説いてくれる中井さんの本は、
ふだんの人づきあいに応用できることが多くあり、
また、ふり返って、ふかく反省させられることが少なくありません。

 

サリヴァンによれば半年たったのちの患者の応答がこれまたふしぎで、
半年前の治療者のことばをそっくりそのまま自分の意見としていうのである。
「これでよいのだ」とサリヴァンは言う。
「それは俺が半年前君に言ったことだぜ」といえばぶちこわしなのだ。
私は治療者の意見を患者が自分の意見として言うという事態は、
じゅうぶん患者のなかに沈んで消化されてでてきたものだから実にいいではないか
と思う。
しかし、半年間、不毛な面接をつづけた後であるから、
患者にしたり顔でいわれたりすると治療者もひとこと言ってやりたくなる。
それはわかるのだが、
やっぱり「ひとこと多い」のだ。
神田橋條治氏によれば精神療法で一番大切というか自分が好きな言葉は「ホウ」
だそうであるが(個人的談話のなかから)、
「ホウ」とか「ふうん」とかいう、
「相槌」というか「話の継ぎ穂」というか、
そういう応答のほうがよいと思う。
(中井久夫『中井久夫コレクション 世に棲む患者』ちくま学芸文庫、
2011年、p.198)

 

ひとと話していて、相手の言うことに、あれ? と思うことがあります。
それって、わたしが以前あなたに話したことじゃん、て思う。
そのとき、それを相手に告げるか、告げないか。
「ホウ」とか「へー」とか「ふうん」と聴いていることは、なかなかむつかしい。
でも、それを告げないのが、面接でないふつうの会話においてもだいじかな、
と思います。

弊社は、8月9日から8月17日まで夏季休暇となります。
8月18日より通常営業。よろしくお願いいたします。

 

・廃校の金次郎像帰省かな  野衾

 

中井久夫さん 4

 

中井さんは精神科医で、あたまがよく、鋭利な刃物のような分析も感じられますけど、
はんたいに、ぽっかり浮かぶ白い雲、とか、わたあめみたいな感触もあって、
読みながら、ゆるされている気になります。

 

実は「治療者」と名乗ると治療をしていないとあいすまないみたいな気になって、
今日も前進しなかったと気落ちして一日が終わることになりがちだ。
しかし、
人間というものはそう前進するものではない。
「健康人」はめったに進歩しない。
だいたい同じようなことをやって日を送り月を送っているのである。
時に日一日進歩するのは赤ん坊と思春期の子と回復期の患者の一部とだけであろう。
治療者の仕事とは、
「患者の人生をできるだけ無理のないゆたかでふっくらしたような軌跡
を描いて全うできるように援助する」
というくらいのところではあるまいか。
「いやだ」という患者に「いやこうでなくては」と押しつけることはできないが、
さりとて目標は何でも患者の注文どおり
というわけにもいかない。
(中井久夫『中井久夫コレクション 世に棲む患者』ちくま学芸文庫、
2011年、pp.157-158)

 

「無理のないゆたかでふっくらしたような軌跡を描いて全うできる」
ということばがでてくる中井さんのこころは、
ありがたく、あったかいなぁと思います。

 

・坂下る五十メートル先の虹  野衾

 

中井久夫さん 3

 

きょう引用するところは、嫉妬にかんする文章です。夫婦間の嫉妬というのも、
精神科医がうけもつ案件になるようです。ところで、
中井さんの文章を読んでいると、
きのうの「宇宙線のごとく気づかれずに日々降り注ぐハプニング」
もそうですが、意表を突かれる表現がひょいと現れ、
文の風景ががらりと変って見えることが間々あります。

 

嫉妬妄想の人を診ると、身づくろいをせず、歯の治療を怠っている人が多い。
これは印象的なほどである。
ある初老の女性は、髪はざんばら、歯は欠け、悪臭を放つ状態で、
配偶者に性交渉を迫る。配偶者は三舎を避けたいところだが、
嫉妬妄想者の配偶者はふしぎに気の弱い人が多く、相手にしようとするのだが、
やはり気のない肌の合わせ方となる。
これがまた、配偶者が浮気をしている証拠となる。
これは全くの負荷試験である。
何のテストか?
無内容な「愛」の存在を身を以て示せというテストである。
なるほど「愛」があれば、どのような悪臭、身づくろいのなさも問題ではない
ということは、ほんとうかもしれないが、
それは戦時下や難民のような状況の下でのことである。
そうでない場合は、土足をなめて愛を示せというに等しい。
これは、
実はほとんどむき出しの権力意志なのだ。
夫婦の間の長い歴史にこれまでどういうことがあったかということ、
それとは別の問題である。
(中井久夫『中井久夫コレクション 世に棲む患者』ちくま学芸文庫、
2011年、pp.146-147)

 

「身づくろい」「歯の治療」「ざんばら髪」「欠けた歯」「悪臭」、
嫉妬妄想と一見関係なさそうにみえて、
なんともいえないリアリティが感じられます。
「むき出しの権力意志」ということばにハッとします。

 

・夏休み口にするだに笑みしきり  野衾

 

中井久夫さん 2

 

このごろ読んだ中井久夫さんの本から、とくに印象にのこったところを引用しつつ、
思ったり、考えたりしたことをすこし書いてみたくなりました。
それは、中井さんの書くものは、閉じられておらず、
そとの風を浴びることを良しとしているようなところがあるからだと思います。

 

ついでながら、私の経験では、患者がもっとも良質の生産活動の場を発見するのは、
その人の消費生活世界のフロンティアにおいてであった。
そこでの情報交換が有益であった場合も、
端的にそこへ就職してしまった場合もある。
実際、このような前哨点ほどハプニング(思いがけない出来事)に開かれている場合
は他にない。
逆に、
管理中心の病院などがもっとも欠如しているのは、
世に棲む人には宇宙線のごとく気づかれずに日々降り注ぐハプニングである。
患者の家庭も、なぜかハプニングの少ない場であるという印象を持つ。
患者がハプニングに開かれた眼を持ち、
それを活用する姿勢に出ることは、長期的に重要である。
それは治療の場の対話において留意さるべき点の一つである。
治療開始一〇年以後の患者の予後は、
ハプニングあるいは「運」によるところが大であるというのが私の結論である。
いや、人生経路は誰でもそうであろう。
(中井久夫『中井久夫コレクション 世に棲む患者』ちくま学芸文庫、
2011年、p.62)

 

上に引用したこの箇所も、中井さんの面目躍如という感じがします。
「宇宙線のごとく気づかれずに日々降り注ぐハプニング」か。
またここには、10年という時間が記されていますが、
きのう引用したところでも「十数年前」「十年くらい」が記述されていました。
治療というときに、
この時間の長さについても考えさせられます。

 

・目を上ぐや故郷の虹を見て以来  野衾

 

中井久夫さん 1

 

先年お亡くなりになりましたが、精神科医の中井久夫さんにみじかい原稿をお願いし、
書いてもらったことがありました、
『春風新聞』の前誌『春風倶楽部』の時代です。
中井さんの書くものは、専門性のたかいものであっても、
ゆっくりよむと、なるほどなぁ、とか、そうなのかぁ、とか、
いろいろおしえられる気がし、おもしろいので、いまもときどき読んでいます。

 

現実に、多くの患者が治療者や家族の思いもよらない生活世界をもっている。
そして、そのことを人に語らないでいる。
私が知りえたのも、彼らがうっかり洩らしたことばの端からであったことが多い。
ところが、
その生き方を実はすでに十数年前からしていたことが少なくなかった。
たとえば、
うっかり洩らしたのであろうが、
まるで当然のように
「いつものグループの待ち合せ場所で、昨日、こんなことが……」
「えっ、いつもの? グループ?」
時には何気なく告げられることもあるが、
それは相当に信用されてからのことである。
私の場合、十年くらいかかっただろうか。
どのような生き方かといえば、
たとえば、
全く自宅に閉じこもっているばかりと思われていた人が、しばしば、
決まった曜日に家をぬけ出して決まったところへ行っている。
それは、孤独に、ひとりで列車にのって、ある港町に海をみに行き、
また帰ってくる、とか、ある町の映画館に行くとかのことである。
出かけるのはひとりだとしても、たとえば、
あるビア・バーの常連であったり、ある評論家のサロンに入ったりする。
そういうとことへは一旦入ってしまえばしめたもので、
ひっそり聴き耳を立てている人間は咎められないものだ。
(中井久夫『中井久夫コレクション 世に棲む患者』ちくま学芸文庫、
2011年、pp.11-12)

 

中井さんの本を読んでいると、
若いときに読んだ『ドグラ・マグラ』の世界を思いだすことが少なくありません。
やまいを抱えているのが患者で、治るのを補助するのが治療者なわけですが、
いつか、知らないうちに、
治療者も患者のやまいにとり込まれていくような怖さがあります。
たいへんな仕事だなぁ、と思います。

 

・飛行機は夏空をゆく水馬  野衾

 

「のぎ」と「あち」

 

秋田の父からスマホに電話がありました。なにかあったのかと緊張しましたが、
きけば、あんまり暑くて、居間にふとんをもちだし、
そこで寝たとのこと。
想像するに、
秋田の実家は、居間にだけエアコンがあって、ほかの部屋にはありません。
夜も暑いこのごろでは、寝苦しいだろうと、
まえから、わたしも弟も、父に、
エアコンのある居間で寝たらいいだろうと提案していました。
ところが、だいじょうぶだいじょうぶと言い張り、
なかなか言うことを聞いてくれません。
ところがさすがに数日来の猛暑酷暑で、やっと居間にふとんをもち込んだ、
おまえたちの言うとおりにしたよ、と、伝えたかったのかな。
そう思いました。
さて、短い、そのときの会話で、わたしが
「秋田もこのごろは、のぎがらな」(秋田もこのごろは、暑いからな)
と告げるや、
父から、
「なだど。のぎでにゃ。あちでゃ」(なに言ってるんだ。「のぎ」でなく「暑い」だよ)
と半畳を入れられた。ハッとしました。
わたしは「のぎ」=「あち」の認識で、父に言ったのですが、
暑さの程度において、父の認識は、明らかに「のぎ」<「あち」でした。
わたしの地域では「のぎ」ですが、「ぬぎ」というところも。
「のぎ」「ぬぎ」、
ぬくい(温い)からきているものではないかと思います。

 

・そのまんまゴムのおもちゃの守宮かな  野衾

 

クマのプーさん

 

石井桃子さんが訳した「クマのプーさん」「プー横丁にたった家」が一冊になった本
を読みました。A5判サイズ、箱入りのりっぱな本です。
原作は、アラン・アレクサンダー・ミルンさん。
さし絵は、アーネスト・ハワード・シェパードさん。
ハードカバーの本のおもて見返しとうら見返しには、
物語の舞台になったところの地図が絵入りでえがかれていてたのしい。
この本、
ミルンさんの息子クリストファー・ロビンくんと
ぬいぐるみの動物たちが織りなす物語で、
クマのプーさんをはじめ、コブタ、ロバのイーヨー、トラのトラー、ウサギ、
カンガルーの親子カンガとルー、フクロウのフクロなどが登場します。
世界じゅうにファンがいて、
ディズニーのアニメにもなっていますが、
わたしはそちらを見たことがないし、本を読むのもこんかいが初めて。
たのしく読んだことはまちがいないのですが、
どうも、そのたのしさをうまくことばにすることができません。
この物語、
ちょっと調子が外れているような気がして、
それがさいごまでつづきました。
読み終えてふと浮かんだのは、ジャズのセロニアス・モンクさんです。
ジャズのノリみたいなのをじぶんなりにつかんだと思えたころ、
モンクさんが織りなす音に触れ、
なんだ、これはー!! ってなりました。そんな感じ。
モンクさんのジャズもそうですが、唯一無二、
とでも申しましょうか。
ちょっと調子が外れていると感じられるところをふくめ、
どこがどうだからということでもなく、
キャラクターたちがとても印象ぶかく、わすれられなくなりそう。

 

・切れてゐた蜥蜴尻尾を復したり  野衾