秋の日の…

 

仕事帰り社を出ると、こころなしか、ひんやりしている気がしました。
秋の日は釣瓶落としのことばどおり、
暮れるのも早くなりました。

 

秋 の 日 の
ヸ オ ロ ン の
た め い き の
身 に し み て
ひ た ぶ る に
う ら 悲 し。

……………

 

ポール・ヴェルレーヌの詩「落葉」の第一連。
ひたぶるにうら悲し。
ひたぶるに、
か。
上田敏の訳詩集『海潮音』に入っているものですが、
若いころは
こんなの見てもなんとも思わなかった
のに、
まったく、
季節の移り変わりとおんなじように、
いつの間にか、
「秋の日のヴィオロンの…」
とアタマをかすめ、
えーと、だれだっけ、
となるじぶんに驚いているじぶんがいます。
いまなら
もっとほかの訳もあるようですが、
すこし古風な上田敏の訳が秋のもの悲しさには合うようです。

 

・曉(あかとき)の光り跳ね入る鯔日和  野衾

 

アランの人間観

 

定理を一つよけいに学んだことは、偶然の出来事にすぎない。
定理を一つよけいに知っているために〔他人を〕軽蔑しようとする人々を見かける。
彼らはこうして、文章を三行読んだということで、
人びとの精神に一種の恐怖を植えつける。
だが、
さらに三行よけいに読んだ別の人がすぐさま見つかるもので、
これには限りがない。
これはまた悪しき無限である。
いっさいを知る人は、諸精神に固有な偉大さにおいて、
一事を知る人より偉大なのか。
これは疑問である。いやむしろ疑問ではない。
ソクラテスは、私たちが知っている多くのことを知らなかったけれども、
断じて小さな精神ではなかった。

 

上の文は、
米山優著『アラン『定義集』講義』(p.508、幻戯書房、2018年)
からの孫引きで、
アランの『人間論』にでてくることばだそう。
米山さんのこの本には適宜引用がなされていますが、
いずれ『人間論』も読みたいと思います。

 

・友去りて呆けて居たり残暑かな  野衾

 

遅ればせの矢沢ファン

 

矢沢永吉さんのことですが…。
キャロル時代の頃から知ってはいましたが、
知っているだけ。
熱烈なファンが多いなか、
ただのファンでもなく、
たとえばカラオケで歌うことはなく、
たまに歌っているひとがいると、
顔から動きからすっかり“永ちゃん”になりきっていて、
ちょっと呆気にとられたり。
わたしが矢沢永吉を意識して聴いたのは、
彼が2012年のNHK紅白歌合戦に出演し、
「IT’S UP TO YOU」を歌ったのを見たときでした。
登場からはじまり、
歌っているときの姿、かたち、すべて目が離せませんでした。
オーラがほかの歌手とまったくちがって見えた。
すなわち、
カッコいい!!
その後、はじめて矢沢さんのCDを購入し、
ときどき聴いていました。
先日、
世話になっている鍼灸の先生のところへ行ったとき、
矢沢永吉の「ひき潮」を聴かせてくださり、
(先生、矢沢さんのかなりのファン)
歌がはじまった瞬間、
文字どおりザワザワっと鳥肌が立った。
いいなあ! って思いました。
それで今度は、
EIKICHI YAZAWA 40th ANNIVERSARY LIVE『BLUE SKY』のDVDを購入。
紅白歌合戦をのぞき、
歌う矢沢さんをちゃんと見たのはこれが初めて。
で。
ミック・ジャガーの動きになんと似ていることよ。
歌の途中の「ハイハイハイ」の盛り上げがサブちゃんの「まつり」みたい。
思わず笑ってしまう。
そしてその明るさ、エネルギー、向日性、
むむ、
だっ、だれかに似ている、
だれだ? だれだ? だれだ?
そうか、そうだ、
三波春夫!
E.YAZAWAはロック界の三波春夫だ。
なんて。
そんなのがファーストインプレッションで。
とにかく見る前と見た後では気分と体調がぜんぜんちがう。
元気になります。
というわけで、
超超遅ればせの矢沢永吉ファンです。

 

・かなかなや吾と社に降りなづむ  野衾

 

岩田書院の目録

 

1999年に春風社を創業して以来、
いつも参考にしている先輩出版社がふたつあります。
ひとつは無明舎出版。
ひとつは岩田書院。
無明舎出版から『ひとり出版社「岩田書院」の舞台裏』という本がでていますが、
出版の仕事の裏表がありのままに記されており、
理想論でなくそれが道しるべとなり、
ブログに感想を書いて
そのことを岩田さんにお知らせしたところ、
ありがたいことに
岩田さんから連絡をいただき、
以来、
毎年の目録、
都度の『地方紙情報』『新刊ニュース』
を送ってくださるようになりました。
それがまたとても勉強になるのです。
今回送っていただいた『新刊ニュース』の裏だよりNo.1076に
「図書目録も終刊に」のタイトルで以下のような文章が載っていました。

 

この図書目録、作るのに150万円くらいかかる。@100円である。
それにたいする効果は、となると、????。 
以前は、学会販売の時などは、結構、図書目録を持っていってくれたが、
最近はほとんど見向きもされない。
「図書目録」は出版社の「顔」だ、と言われてきたが、
あまり お見せするような顔でもないので、ここらで目録も、やめにしようかと。

 

岩田書院は1993年の創業、岩田博さん44歳のとき。
それから二十六年ということになります。
目録を含め、岩田さんがどう考え、
どう判断しどうされるのか見守りたいと思います。

 

・かなかなや招ばるるごとく社まで  野衾

 

詩と記憶

 

トロイア戦争のことは忘れられる運命にあった。
忘れたくなければ、歌にしなくてはならなかったのだ。
詩というものは記憶の努力であり、
そして記憶の勝利なのであった。
今日でもやはり、詩というものはかならず、過ぎ去った事物である。

 

追憶を改めて見直し、追憶に別れを告げること、
それが人生の均衡そのものを保つことである。
それは自己を認めながらも自己から退くことである。
そこから、この進み行く追憶のうちにひそかな崇高の感情が生まれる。
それはすでに叙事詩的な動きである。

 

上の二つの文は、
米山優著『アラン『定義集』講義』(p.296、幻戯書房、2018年)
からの孫引きで、
それぞれアランの『文学折にふれて』『芸術について』
にあるもの。
この本、
名古屋大学における米山さんの約十年間にわたる講義
がもとになっているもので、
読んでいて自然と講義を聴講した学生たちにまで想像が及ぶ。
この講義の単位取得後も参加してくれたひと、
大学院生になっても参加してくれたひと、
大学を卒業して教員になってからも顔を出してくれたひとまでいたという。
人気のほどがしのばれる。
この本を読んでいると、
教師だったアランの口吻までつたわってくるような気さえします。

 

・かなかなとむかしむかしへさそひけり  野衾

 

池内さんのこと

 

池内紀さんが亡くなったことをきのうの新聞で知った。
まとまった本としては出したことがなかったが、
ご縁を賜り、
『おうすいポケット』の巻頭言などを書いていただいた。
またトークイベントのため、
二度ほど弊社へお越しくださった。
原稿はいつもFAXで、
小さくとてもクセのある直筆の文字で書かれていた。
文のはじめに時候のあいさつと
ちょっとしたイラストが添えられているのが常だった。
いま弊社では
二十周年企画として『春風と野(や)』の冊子をつくっているが、
池内さんにも原稿をお願いした。
下の写真は、
今月13日にFAXでいただいた原稿である。
こちらの組に流し込み、
著者校正用ゲラをお送りし、
25日に池内さんの朱の入ったゲラがFAXで届いた。
それから五日後に池内さんは亡くなった。
弊社で行ったトークイベントの際、
死が引き算であることについて
池内さんはいつものやさしい静かな口調で語った。
「引き算は、
皆さんも体験されていると思います。
ぼくはそういう過程(両親の死のことなど)のなかで文学を知った
ものですから、
ことばを足すことによって世界ができあがる、
自分の努める気持ち次第で、
どのようにも増えていく、
こんなすばらしい世界があるというのがうれしかった」
そのことばが、
あのときの表情、語り口といっしょに、
なんどもリフレインされる。

ご冥福をお祈りします。

 

・惜しむごと裏の畑の秋の蝶  野衾

 

カラスの紅いノド

 

わたしが住んでいるところは保土ヶ谷の山の上、
すぐそばの電柱に
毎日カラスが二羽、三羽とやってきます。
たしか今週の月曜日、
いつも来るカラスがきて、
くちばしをハサミのようにパカッとひらいたままにしていました。
閉じることなく終始ひらいたまま。
いかにも苦しそう。
暑いからか?
とも思いましたが、
もっと暑い日もあったのにどうしたのだろう?
わたしが気づかなかっただけか…。
家を出、
階段を下りたところのゴミ集積所へ向かったところ、
そこにカラスが十数羽集まっていました。
どのカラスもくちばしを
パカッ!
異様な光景。
一羽はブロック塀のうえに止まり、
これまたくちばしを
パカッ!
ノドの奥の奥まで真っ赤に見えます。
はじめて見ました。
なんだったんでしょう。
三日の夜、
横浜では大雨、洪水、雷雨の警報が発令されましたが、
その前兆を感じてのことだったのでしょうか。
夢にでてきそうな
ふしぎな光景でした。

 

・なつかしや浜の朝練秋の風  野衾