クセルクセスさん

 

クセルクセスのことは、高校の世界史で習った気がします。
教科書は、もう持っていません。
ダレイオス一世の子、ペルシア戦争、サラミスの海戦、
とかとか、
いかにも暗記科目として習い覚えた、知識ともいえないこま切れの単語を覚えている
だけで、
それ以上の意味を見出すことができないまま来たわけですが、
松平千秋さんの訳でヘロドトス記すところの『歴史』を読むことにより、
ヘロドトスもクセルクセスも、
ぐっと身近になった気がします。
ふるい古典を読むと、たとえばそれは大型船で、
わたしは小舟。
ロープをかけて大型船を小舟に引き寄せようとしても、
大型船はびくともせず、
むしろ小舟が大型船に引き寄せられていく体。
教科書で習ったヘロドトスとクセルクセスが初めて、
血のかよった人間であることを知り、
ヘロドトスさん、クセルクセスさんになります。

 

これとは別の説も行なわれており、
それによれば
クセルクセスはアテナイから撤退してストリュモン河畔のエイオンに達すると、
ここからはもはや陸路を進むことをやめ、
軍勢はヒュダルネスに託してヘレスポントスへ引率させ、
自分はフェニキア船に乗ってアジアへ向ったという。
ところが航行中激しい「ストリュモン風」に襲われ、海は波浪でわきかえった。
しかし風はますます吹きつのり、
船は満員で
クセルクセスに同行する多数のペルシア人が甲板上にひしめいている有様であったから、
恐怖に陥った王は船長に声をかけ、助かる方策があるかと訊ねた。
すると船長がいうには、
「殿、この大勢の乗客をなんとか始末せぬ限り、助かる道はございません。」
これを聞いたクセルクセスはいったという。
「ペルシア人どもよ、
いまこそお前たちが王の身を案じてくれる気持を、
各自示してくれ。
わしの身が助かるか助からぬかは、お前たちにかかっているようじゃ。」
クセルクセスがこのようにいうと、
ペルシア人たちは王の前に平伏し、それから海上に飛び込み、
こうして軽くなった船は無事にアジアへ着いた。
下船して陸に上ったクセルクセスが第一にしたことはこうであった。
彼はその船長に、
王の命を救った功によって黄金の冠を与えたが、
ただし彼は多数のペルシア人の命を失わせた罪があるとして、
その首を刎ねさせたのである。
(ヘロドトス[著]松平千秋[訳]『歴史(下)』ワイド版岩波文庫、2008年、
pp.252-253)

 

引用文中の「ストリュモン風」とは北風の異名、
とのこと。

 

・風呂上がりの充足ヤバいっ蚊が居る!  野衾

 

書くことは

 

このブログですが、会社を起こして半年ぐらいたってから始めました。
なので、
これも二十五年目に入ったことになります。
けっこうな時間になりますので、
書くときの心がまえというか、書きっぷりも、時とともに変化しているようです。
じぶんの思いとは別の変化もあるかもしれません。
意識として、
このごろは、
コレのことを書こうかな、の、コレだけをもって書きはじめます。
たとえば今日の場合だと
「書くこと」について書こうかな、
それだけ。
以前ですと、もっと、こういうふうな流れで、こう書こう、
オチまで考えていた時期もありました。
いまは、ほとんどありません。
ほんとうは、
きょうは、「好きなCM」について書こうかな、
と思っていました。
ところが、気まぐれのように、
いや、
「ように」でなく、気まぐれで、
「書くこと」について、いま、こうして書いています。
「書く」といっても、
正確にいえば、
鉛筆やペンでなく、キーボードを打つのですが。
右手の人差し指と中指だけで。
それはずっと変りません。
右手のほかの指、さらに左手の指もつかって、も、考えないわけではなかったけど、
やっぱりこのままでいいや、の気分でずっと来ています。
東洋医学で脈診というのがあり、
名人になると、
患者の脈に触れただけで、
あらゆる病気を百発百中で当てられると聞いたことがあります。
それぐらい、
指先の感覚というのは鋭くも深くもなるのでしょう。
文章をつづるのに、
右手の人差し指と中指だけでキーに触れていると、
ふと、
脈診みたいなものかな?
と思うときがあります。
じぶんのこころ(ひとのこころも)は見えないわけだけど、
そこに触れていくような、
感じ。
その感覚がこのごろおもしろく感じます。
それを基本にし、読んでくださる方にお渡しする、そういうイメージでポツポツと。
読んでくださる方で、
実際にお顔とお名前を承知している方もいます。
すでに亡くなっている方もいます。
そうすると、
いま、
わたしはこんなこころで暮らしています、
と報告する具合にもなり、
さらに想像する読み手の方の声を聴き、
それを通して、
ふだんとはちがうじぶんとの対話も同時におこなえる気がし、
そのこころできょうの文も打ちました。

 

・五月雨や開いて閉じる朱塗りの戸  野衾

 

こ、この鳥!?

 

関東も梅雨入りしたそうですが、例年に比べて遅いそうで、
だけでなく、
いまのところあまり雨が降ってません。
しんぱいは、稲のこと。秋田の父からその旨を告げられていませんから、
いまのところは、大丈夫なのでしょう。
さて、
きのうのこと、
保土ヶ谷駅から西口へ下り、いつものようにてくてく歩いていきました。
一日の仕事を終え、夕暮れどきのこの道を、
看板を視たり、店の様子を窺いながら歩くのが好きです。
右手に古風な造りのそばの店。
「せんせー」「おうっ。そば屋かああっ!!」
の、
あの有名な三波春夫の歌謡浪曲を口ずさんだり。
と、ほどなく踏切。
カンカンカンカンの音がして遮断機が下りはじめます。
それもまた好し。
なぜならば、
すぐ横を流れる今井川を橋の上から眺められるから。
黒々としたおおきな鯉たちがの~んびりゆ~らり(そう見える)泳いでいます。
泳ぎにつれ、川の水もゆ~らりと~ろり。
それでつい、
見てしまいますね。
でありますが、
きのう見たら、鯉たちが泳ぐすぐそばの石の上に大きな黒い鳥。
ん!? な、なんだ!?
でかい! 黒い!
Mの字の両端の縦棒をぐいと開いたような、
あるいは、
Wの字を逆さにしたような形でゆ~っくりゆ~っくり羽を揺らしている。
ゆ~っくりゆ~っくり。
飛ぶのか、と見れば、飛ばない。
羽をゆ~っくりゆ~っくり。
も、もしかして。
あ!!
もぐった!!
ということは…。そうじゃないかと思ったよ。
テレビで見たことあるもん。
芭蕉さんも詠んだあの鳥でしょう。
まちがいない。
キミはウか?
はい。わたしは鵜科の鳥です。
いや、冗談を言っている場合でなかった。
びっくりしたー。
生きた鵜をはじめて見た。
見たよ。
しかもこんな身近で。
じぶんが住むこの町がますます好きになった。

 

・Wを逆さにしたる鵜と遇ひぬ  野衾

 

パインアメのこと

 

たまに、思い出したように、飴を食べたくなって、コンビニに寄ります。
いろいろ種類が多く、袋もカラフル。
電気製品の説明書を読むように、
またクスリの効能書きを読むような具合で、
飴の袋に記されたこまかい文字を、つい読んでしまいます。
ほかから見たら、
ちょっと変なひとかもしれない。
ともかく。
よく読んで、
中にどういう種類の飴が入っているかを確認してから買う。
こんかい買ったのは、
「海のソーダCANDY」。
四種類の飴が入っています。
えらんで食べるわけではなく、袋に手を突っ込み、
指に触れたものをつまんで、ひと粒の飴ごとに包んだ小さな袋を開けて食べる。
きのうの出がけ、
袋に手を入れ、
UFOキャッチャーが持ち上げるみたいに持ち上げた二つの飴は、
ふたつとも
「塩パインソーダ味」。
めんどうなので、ふたつぶ同時に口中へ。
なつかしい!
パイナップルの甘酸っぱいこの味。
メーカーは異なりますが、
パインの味がする飴は、
すぐに、2021年7月5日に他界した装丁家の桂川潤さんを思い出させました。
装丁の仕事を多くしていただきましたが、
それ以外でも、
ウォーキングや句会に参加して下さり、
親しくつきあう時間を持つことができました。
ことばによらなくても通じ合える、
ありがたい友人でした。
三渓園から桜木町まで歩いたときだったと思いますが、
元町辺りまで歩いたときに、
桂川さんが参加者全員にパインアメを配ってくれた。
けっこうな距離を歩いた後だったので、
甘酸っぱいパインの味が、なおいっそう美味しく感じられたかもしれません。
以来、
「パインアメ」だけでなく、
ほかのメーカーのものであっても、
パインの味がする飴を食べると、桂川さんを思い出すことになります。
ひょっとしたら、
無意識に、
桂川さんと話をしたくて、
パインの味がする飴を求めているのかもしれません。

 

・踏み慣れし石段の艶梅雨入かな  野衾

 

朝のあいさつ

 

このごろはよく守宮に会います。小さくてかわいいので、会えばヤモちゃん、
と声をかける。
タモリさんのことを、皆さん親しみをこめ
タモさん、タモちゃんと呼んでいるような感じかな。
きのうの朝も居ました。
ゴミネットを組み立てるとき、きっと居るなと思って注意すると、やっぱり居た。
おはようヤモちゃん。
ネットを伝わり、隙間をかいくぐり、
巧みな身のこなしでネットを降り、藪のほうへ身を隠します。
四時台なので、まだうす暗い。
部屋に戻ると、こんどは蜘蛛くん。
この子はだいたい居ますね。
声をかけても分からないでしょうけど、
つい、
「あっち行ってなさい。踏まれるよ」
なんて。
ツツ、ツツと、
小さく動く影を見れば、条件反射のごとく、だいたい声をかける。
「あっち行ってなさい。踏まれるよ」
たまに、
いかにも声掛けに反応するかのように、ツツ、ツツ、ツツ、
カーテンのほうへ身を避けることも。
それから先だって、こんなことがありました。
雨がしこたま降った日の朝、
ベランダに、大きさは椋鳥ぐらいかと思いましたが、椋鳥でないかもしれない。
いや椋鳥かもしれない。
ともかく。
羽も頭も尻尾も、全身びしょぬれで、
しばらくベランダにいました。
しばらくそこに居て、雨が止むのを待っていればいい、
というようなことを思った。
つい、つぶやいたかもしれない。
ヒョイと見ると、居る。そうか。開いた本の頁に目を落とす。目を上げる。居る。そう。
頁に目を落とす。目を上げる。居る。そうだな。
何度かくり返したあと、目を上げると、
あれ、
居ない。
こんなに降っているのに、飛び出していってどうするの、
と、
あ、戻ってきた。
それからまたしばらくベランダに居た。
そんなことがあった日の翌日、
仕事帰りに保土ヶ谷橋の交差点から小路に入っていつもの急階段を上り切り、
左のゆるい坂道を歩きはじめたら、
あっ!
このまえの椋鳥。
ちがうか?
いや。きみでしょ、きみ、
先だっての。
返事はもちろんないわけだけど。
ジッとこちらを見ている。
それから、パッと飛び立った。
んー。やっぱり、ことばじゃない何か、が通じるのじゃないか、
そう思いたくなる。

 

・夕立止む吾も夕立のこころかな  野衾

 

好きの種

 

どなたかと話をしていて、談たまたま子どもの頃に読んだ本におよぶことがあります。
なんでもいいですけど、
たとえば
『メアリー・ポピンズ』『ドリトル先生』『若草物語』『赤毛のアン』。
あげれば、いっぱいいっぱいあるでしょう。
歳をかさね、
おとなになった者同士が語り合い、
そのうちのひとりがたとえば『メアリー・ポピンズ』のことを話し始めるや、
目に光が宿り、
それまでの話題のときとはまったく異なる、
そういう場面にこれまで幾度か遭遇してきました。
けして長く話してくれるわけではない。
どこがどういうふうにおもしろかった、とか、そういうことでなく、
ほんのちょっとしたこと。
開けていない窓から風が吹いてくる気がしたとか、
ページをめくるときの紙のさわり心地とか、
いわばワクワク感の種。
でも、
『メアリー・ポピンズ』と口にするときの
その人のこころのふるえが、
こちらにも伝わり共振するようで、
気持ちよくなります。
わたしも読んでいるときは、共振が共鳴また共感となることがあり、
まだ読んでいないときは、
話をしてくれている目の前のひとの、
その本に対する興味と関心、
愛情の在り処、
好きの種に触れ、それを垣間見せてもらえた気になり、
ぜひ読んでみよう、
と思います。
じっさいに読んでみて、
本のなかの物語を堪能しつつ、
そこに、
物語のおもしろさも然ることながら、
その本について目を輝かし話してくれた友人・知人の子ども時代のこころの秘密、
また、
それが今のこころの芯になって息づいている
その元があると感じる。
本ていいなぁと思えるこれも瞬間です。

 

・六月の務め果たすや日の残る  野衾

 

気は心

 

秋田の幼なじみのSさんが、きゃばの葉でくるんだ赤飯を送ってくれました。
五十年ぶり、いやもっとか。
会社に届いたものを、タクシーで持ってかえり、
家人が帰宅するのを待たずに、
包みをほどいてみた。
赤飯をくるんだきゃばの葉が、ちゃんと藁で十文字に縛ってあるではないか!
そうだそうだ。なつかしい。
きゃばの葉は抗菌作用、殺菌作用があるとはいえ、
せっかくSさんが送ってくれたのに、
もしも傷んでいたら、もったいないと思って、一分一秒でも早く口にしたかった。
で、
で、
んめがったー!! こでらいねー(こたえられない)!!
感動しきり。な、なだ(涙)でできた!!
(注――「なだ」の「な」と「だ」のあいだに小さい「ん」が入る)
きゃばの葉の香りの青さ、みずみずしさ、すがすがしさ、もったいなさ。
さっそくSさんに電話。
そこで、改めて、
「んめがったー!! こでらいねー!! なだでできた!!」
と告げるや、
Sさん、
「あはは…。んめ、どごさいるじや? あははは…」
全国区のことばに置き換えると、
「あなたどこにいるの?」。
わたしが、もろに秋田弁でしゃべったので、Sさん、
思わず噴き出してしまった。
わざわざ山にきゃばの葉を採りに行き、
赤飯を炊いて、温かいうちにきゃばの葉にくるんで郵便局に持っていったのだとか。
局員から「クールにしますか?」
と訊かれ、
そうしたほうがいいか、とも一瞬思ったけれど、
きゃばの葉は抗菌作用があるし、
常温のまま食したほうがぜったいに美味しいと思い直し、
常温のまま送ってくれたのでした。
電話でその話を聞き、
やっぱりそうかと合点がいった。
会社に届いたとき、
おそらくそうだろうと想像できたので、
それもあって急ぎタクシーで帰り食したのでした。
かつて共同作業で田植えをしていた頃は、
昼の休みに家に帰る時間がもったいないので、
係りの者が、
家からきゃばの葉でくるんだ赤飯を田んぼの畦道まで運び、
そこで地面に座り皆で食べたものでした。
子どもだったわたしもおすそ分けに与りました。
その後、田植え機械が普及したことで、
共同の田植えがなくなり、
同時に、きゃばの葉でくるんだ赤飯を食することもなくなった。
ちなみに、
きゃばの葉は、朴葉のこと。
だから、ひょっとしたら、
「きゃば」の「ば」は葉を指しているのかもしれない。
そうすると「きゃば」の「きゃ」は何?
その辺り、
まだ調べが付いていません。

 

・きゃばの葉の赤飯皆で植田かな  野衾