いい顔でいこう

 

四十代の終りから五十代にかけてうつ病を患い、
それからしばらく経って、また患い、そういう時間のなかで、
だんだんじぶんの傾向が見えてきた気もして、
なるべく医者にかからずに暮らしたいものだなぁと思うようになりました。
じぶんなりの工夫が如何ほどのものか分からない
けれど、
気分転換することや気晴らしがとてもだいじであると、
このごろますます思います。

 

若々しいのが、やはり「イイ顔」であろう。
物理的年齢のことではなくて、
「知ったかぶり」をしたり、人に教えたりしない、
(教えるということは含羞なくしてできることではない、
それを無意識に知っていること)
知らないことは「知らない」といい、
はじめて聞いて「えっ。ほーんと」とおどろく、素直な顔、
それから、
何かに興趣をもったり関心や欲望を持つと、トライしてみようと早速、
モリモリとエンジンのかかる顔
――そういうのがいい顔であって、
だから七十歳の若い顔もあれば、十七、八の年寄顔もいるわけである。
(田辺聖子[著]『上機嫌な言葉 366日』海竜社、2009年、p.65)

 

田辺さんにお会いしたことはありませんが、
田辺さんから田辺さんの
「サウイフモノニワタシハナリタイ」
を直にうかがっているような、そんな気になります。
なかなか、言うは易く行うは難し、
ではありますけど、忘れたくないとことばです。

 

・五月雨を抱いて腕《かひな》の空しずか  野衾

 

上機嫌でいこう

 

田辺聖子さんの本を、ときどき読みます。
さいしょは、『新源氏物語』。
原文に忠実な現代語訳というのではなく、
田辺さんが源氏を読み、消化し、自家薬籠中のものとしたうえで改めて書き起こした、
というようなふう。
だから、
古文の現代語訳を読んだときにおぼえる違和感のようなものが
ほとんどありませんでした。
それなら超訳的なものか
といえば、そういうことでもなく、
物語の展開はちゃんとおさえているようですし、
すごいなぁと思いました。
円地さんや寂聴さんの現代語訳とはまた異なる味わいがあり、
円地さん、寂聴さんのもいいけれど、
田辺さんのも好きです。
『むかし・あけぼの 小説枕草子』もよかった。
田辺さん、
ほんとうに古典が好きなんだなぁ、
と思います。
さてこんかい、『上機嫌な言葉 366日』を読んだ。
一日一ページものが好きなので、
これもそういうふうにして読もうかと思っていたのですが、
肩の凝らない言い回しについつい惹かれ、
さいごまで読んでしまった。付箋を何か所か貼りましたから、
気が沈みがちなときにまた読み返そうと思います。

 

ほんというと、上機嫌、なんていうハカナゲな気分は蜃気楼しんきろう
のようなもので、
手につかまえられないからすぐ消えてしまう。
だから多くの人は価値を与えないけど、
私は、ここだけの話、どんな財宝やどんな卓見や芸術よりも、
人間の上機嫌を上においている。
人間が上機嫌でいられるときときというのは、
この世では全く少い。
(田辺聖子[著]『上機嫌な言葉 366日』海竜社、2009年、p.149)

 

このことばは、七月二十七日のところにあります。
分かりやすいことばで、しみじみ深いことが書いてあると思います。
子どものときだって思い悩みはあったけど、
歳をかさねるとかさねた分だけ、また思い悩みがふえますから、
まさに田辺さんの言うとおり。
つくづく上機嫌でいきたいものです。

 

・あいさつを濁らぬ人と夏日かな  野衾

 

日日是好日

 

おもしろい本を読みました。『文にあたる』著者は、牟田都子(むた・さとこ)さん。
1977年生まれだそうですから、
わたしよりちょうど二十歳若い方です。
図書館員を経て出版社の校閲部に勤務。2018年より個人で書籍・雑誌の公正を行う、
とのこと。
わたしの場合は、編集者と校正者を兼ねているわけですが、
仕事上、教わることが多くありました。
わが身をふり返り、
自戒したり、へ~、そうなんだ~、と、あたらしい発見があったり、
悲喜こもごもに共感したりしながら
しずかに読み終えました。
いちばん感動して何度も読み返し、
付箋を立てた文があります。
同じ仕事をされていたというお父さまとのエピソード。

 

同じ仕事をしていた父に、小さい頃テストをされたのを覚えています。
買ってもらったばかりの国語辞書を渡され、
いくつかの単語を引いてみなさいといわれました。
見当をつけて辞書を開き、ページをめくること一回、二回……
父はにやりと笑って「貸してみろ」
と辞書を手に取りました。
親指の腹で小口こぐちをなぞり、
ぐいと食い込ませると辞書は貝のようにぱっくりと口を開いて、
求める単語が真珠のように光っていました。
集中して仕事ができているときには自分でも、
辞書を手に取って当たりをつけ、
親指の腹に力を込めて開くと、目的のページを開けることができます。
あの頃は
父と同じ仕事をすることになるとは思ってもみませんでしたが。
(牟田都子[著]『文にあたる』亜紀書房、2022年、p.159)

 

これはわたしの偏見かもしれませんが、
どういうたぐいの本でも、
仮に何百頁もある本のなかでたった一行であっても、
親について、親との関係についてどういう書き方がされているか、
に、こころの深いところが現れていると感じます。
引用した文を読むと、
情景がありありと浮かぶだけでなく、
そのときのこころのふるえが伝わってくるようで、
本全体が細やかなこころくばりがされていて
いいわけだけど、
この文はとりわけ深い光を放ち、本の光源になっていると思います。

 

・夕涼み百年前の百年後  野衾

 

なんのための学び

 

生松敬三(いきまつ けいぞう)さんのお名前は、翻訳書を通じて、
記憶にありましたので、
原著者のことを知りませんでしたが、
『読書日記』という書名にひかれ、古書で求めました。
この本では「クルティウス」
となっていますが、
いまは「クルツィウス」と表記されるようです。
ノーベル平和賞を受賞したアルベルト・シュヴァイツァーさんとの親交についても、
ちらり触れられており、
そんなこともあって、おもしろく読みました。

 

われわれが形而上学者でないにしても、
われわれは次のようなことははっきりと知っている――聖なるもの、善なるもの、
美なるもの、真なるものがあるということ、
これらは互いに抗争する必要はないということ、
これらの諸価値をより深くより広く認識し実現すれば、
それだけ人間は価値豊かなものとなるということ、
またわれわれはまず人間であり、しかるのちに学者であるのでなければならぬということ、
学問の意義を生の全体的意味の中に組み入れることはできるということ、
学問に献身するわれわれが
――教える者であると教わる者であるとを問わず――
われわれの学問的存在と人間的存在の間に隔壁を設けることは、有害な、悪い、
不条理なことであるということ。
そしてまたわれわれは知っている――純粋な研究目的を自分の学校・研究所で維持する
のは善いこと、必要なことではあるが、
大学はたんに研究機関であるにとどまらず教養〔人間形成〕の施設でもあるのだ
ということ、
学問的即事象性ザッハリヒカイトへの教育(今日切実に必要とされているもの)

精神的な生の諸価値の伝達という
より大きな目標の中に組み入れられるということ、
勉強し研究する青年たちがそのような即事象性への訓練をもっとも喜んで受けるのは、
まさしくかれらがそのほかのもの、
より深く実り多いものを見出すことを確信できるような教師たちからである
ということを。
(E.R.クルティウス[著]生松敬三[訳]『読書日記』みすず書房、1973年、pp.157-158)

 

この文章は、『読書日記』の付録として巻末に収録されている二つの書評のうちの一つから。
マックス・ヴェーバーさんの『職業としての学問』に関する書評です。

 

・五月雨やほの暗きなか書を読む  野衾

 

著者と訳者からの手紙

 

久保正彰さんの日本語訳によってトゥキュディデスさんの『戦史』を読みました。
岩波文庫で上中下三冊ありますが、各巻に充実した訳注が付されています。
たとえば下巻の訳注は125頁分。
訳注とあわせ読むことで、
久保さんがいかにアクチュアルな問題意識をもってこの仕事をされたのか
が分かった気がしました。
そのことをとおして教科書で習ったトゥキュディデスが
ようやく身近になり、
さん付けで呼びたくなります。
なので、
本はまた、著者、訳者からの手紙でもあります。
久保さんは翻訳の最後に「後記」として、つぎのように述べられています。

 

トゥーキュディデースにとって、
「戦史」の記述は己れの生命のあるかぎり完成するところのない、
補正と加筆のはてしない道程を意味したことであろう。
大戦二十七年目にアテーナイが降伏し長城壁が破壊される場面まで、
かれの筆が進んでいたと仮りに考えてみても、
歴史家としてかれはまだ何かを書き加え、
この大事件の核心になお一歩迫るための努力を最後まで惜しまなかったであろうと思う。
周到なる準備によって集められる限りの史料をあつめ、
その一々に厳密な吟味を加え、
事実を明確に再現し、
そしてさらに
その背後にあって事件のモーメントをあやつる人間の心理的諸力
にまで光をあてようとする、史家の客観的な論理の道は、
戦争を記述しながらなお戦争記述の範囲にとどまることに甘んじない。
人間が人間であるかぎり、これが脱しえない桎梏なのである
という論理的な解答に達するまでは、
一つの事件の記述は完結されたとは思えない。
かれに「戦史」を書かしめた苦しみはそれほどに大であり逃れがたく、
またかれが歴史記述によって到達を望んだ目標は、
宗教的な解脱に近いものであったと言っても過言ではない。
そしてその鍵である真実が、
彼岸にではなく、
生けるがままの人間の言動に求められなくてはならなかったところに、
悲劇的なアイロニーがあった。
(トゥーキュディデース[著]久保正彰[訳]『戦史(下)』岩波文庫、1967年、
pp.367-368)

 

上の文章に触れられているとおり、トゥキュディデスさんの『戦史』は未完
に終っています。
なんらか事情があってのことだったのでしょうけれど、
理由・原因とはべつに、
そのことの意味に思いをいたすとき、
それが21世紀のいまに託された悲願であるとも感じます。

 

・見えねども屋根に目を上ぐ盂蘭盆会  野衾

 

傘を振る

 

書こう書こうと思いながら、きょうになってしまいました。
先週の土曜日
だったと思いますが、
朝のルーティンのツボ踏み板を踏みながら外をぼんやり見ていました。
(はじめたときは、脂汗が噴き出すほど痛かったのに、
いつの間にか、
鼻唄交じりでメニューをこなせるようになりました。
継続の賜物)
海沿いならば岬のようなる丘の上の窓から
目をこらすと、
峰につらなる向こうの階段を初老の男性が上っていきます。
うっそうとする緑のなかを、ゆっくりゆっくり、
一段ずつ。
右手に持っているビニール傘を、竹刀を振るかのごとく、上下にゆっくり振りながら。
傘についた雨の滴を振り放とうとしているのか、
とも思いましたが、
傘はたたまれているし、傘の動かし方がゆっくりなので、
そのための動作とは思えません。
階段を踏みゆく歩みもゆっくりですが、
たたんだ傘の上下動もあくまでゆっくり、ゆっくり。
ただなんとなく?
あそんでる?
おとなだって遊びたくなる。
そういうこともあるよな、と、つらつら想像していて、アッ
と気がついた。
そうか。
蜘蛛の糸! 蜘蛛の糸だ!
階段の両脇は緑が鬱蒼としており、
さらに片側には木々が枝を伸ばしています。
この梅雨どき、
蜘蛛くんたちがさかんに糸を張る。
湿気を含んだ空気のなかを歩いていて、
汗をかいた首に蜘蛛の糸が触れることが間々ある。
あの感覚が俄かに思い出され、
首筋がゾワッ!
それだそれ!
万が一、蜘蛛の糸が張られていたときのことを想定し、
からだに触れるのを避けるために、
それで、たたんだ傘を上下動させているんだ!
そうにちげーねー!!
窓を開け大声を上げ、階段を上っていく人に尋ねてみたくなった。
いやいや。
尋ねるまでもなく、
もはやそれ以外に考えられない。
初老の男性は、ほどなく藪のなかへ消えていった。

 

・雨上がり草取りすすむ庭の陰  野衾

 

湿気と健康

 

無明舎出版の社主である安倍甲(あべ はじめ)さんのブログをよく見るのですが、
七月九日は「湿気」について書かれていました。
梅雨の時期に寝つきが悪くなるのは、
暑さよりも湿気によってからだのコントロール能力が奪われるから
と教えられ、
それをご自身でも実感したとの内容でした。
いま、朝の読書はもっぱらトゥーキュディデースさんの『戦史』
でありますが、
岩波文庫の下巻を読んでいたら、
シケリア島のアテーナイ側陣営が置かれている地域が沼沢状態を呈し、
それもあって兵士らが疲弊していたことについて、
久保正彰さんが訳注に、
こんなことを書かれています。

 

季節、水質、立地条件が人体に及ぼす決定的影響については、
当時のヒッポクラテースの医学書『空気、水、地域』が説いている。
ことに沼沢地帯の害は、同書七節に詳しい。
史家(=トゥーキュディデースさん)もこれをよく知っていたと考えてよい。
シケリア島南部は、パピルス草が自然繁茂する亜熱帯気候であり、
夏季は酷暑、沼沢地にはマラリアや消化器官の障害が、多々生じえた。
(トゥーキュディデース[著]久保正彰[訳]『戦史(下)』岩波文庫、1967年、p.444)

 

ヒッポクラテースさんは、トゥーキュディデースさんと同様、
紀元前460年ごろの生まれ。
湿気が人体に及ぼす影響について、すでにそのころ気づいていたことに、
ちょっと感動を覚えまして。
梅雨明けまで、あと少しありそう。
きのうも、エアコンを除湿に設定し眠りにつきました。
ですので、けさも快適。

 

・連れられてはぐれし海や夏帽子  野衾