四十代の終りから五十代にかけてうつ病を患い、
それからしばらく経って、また患い、そういう時間のなかで、
だんだんじぶんの傾向が見えてきた気もして、
なるべく医者にかからずに暮らしたいものだなぁと思うようになりました。
じぶんなりの工夫が如何ほどのものか分からない
けれど、
気分転換することや気晴らしがとてもだいじであると、
このごろますます思います。
若々しいのが、やはり「イイ顔」であろう。
物理的年齢のことではなくて、
「知ったかぶり」をしたり、人に教えたりしない、
(教えるということは含羞なくしてできることではない、
それを無意識に知っていること)
知らないことは「知らない」といい、
はじめて聞いて「えっ。ほーんと」とおどろく、素直な顔、
それから、
何かに興趣をもったり関心や欲望を持つと、トライしてみようと早速、
モリモリとエンジンのかかる顔
――そういうのがいい顔であって、
だから七十歳の若い顔もあれば、十七、八の年寄顔もいるわけである。
(田辺聖子[著]『上機嫌な言葉 366日』海竜社、2009年、p.65)
田辺さんにお会いしたことはありませんが、
田辺さんから田辺さんの
「サウイフモノニワタシハナリタイ」
を直にうかがっているような、そんな気になります。
なかなか、言うは易く行うは難し、
ではありますけど、忘れたくないとことばです。
・五月雨を抱いて腕《かひな》の空しずか 野衾