腹も歳とる

 

久しぶりに発症した痛風発作でしたが、
ようやく治まり、
ふつうに歩けるようになりました。
酒を止めているのでこころに油断があったか
とも反省しましたが、
それほどぜいたくな食事を重ねたわけでもないのに、
なにゆえ?
の思いがくすぶっていました。
ふと気づいたのが加齢。
外見は鏡を見ればいやでも気づくし、
歯や目の衰えも気づきやすい。
ところで内臓は?
めだつ変化を感じることがあまりなくても、
内臓だって
年相応に古びてきているにちがいありません。
おなじものを食べても
若いときと今とでは、
消化吸収にかかる時間が変わってきて当然。
そともうちも、
労わりながら付き合っていくしかないなと納得したしだいです。

 

・日輪も海も深ぶか夏に入る  野衾

 

輝く星になれ!

 

テレビで日本ハム×広島戦を観戦。
金足農業高校出身の吉田輝星選手がプロ入り初登板とのこと。
見ないわけにはいきません。
秋田での視聴率高かったろうなぁ。
いやぁ、見ているこっちがドキドキしました。
吉田の表情はといえば、
さほど緊張する風でもなく、
ひょうひょうとしたいつもの感じで。
五回を投げ一失点。
ほかの選手の応援もあり、
チームとしても2-1で広島に勝利。
えがったえがった!
ヒーローインタビューでお立ち台に立った吉田、
親への感謝をことばにし、
キラキラ輝いていました。
まさに輝星、輝く星!
泣けてきましたよ。
これからますます楽しみです。
ということで、
床に就く時刻をいつもより三十分延長。

 

・枝離れ跳ねとぶ蛇の刹那かな  野衾

 

教育と他者

 

橋本憲幸さんの
教育と他者 非対称性の倫理に向けて』が
日本比較教育学会平塚賞審査委員会特別賞を受賞いたしました。
わたしが体調を崩したことで、
さいごはほかの編集者に頼みましたが、
編集にかかわった者として、
これはとても印象深い本でした。
それは書名の変更に端的に表れていたと思います。
当初はちがうタイトルでした。
なんどかの校正のやり取りをする過程で、
橋本さんは、
自身がしてきた研究は、
とどのつまり、
教育の倫理に関するものだったとはっきり認識するに至ります。
そのプロセスが、
伴走する者としてとてもスリリングに感じました。
帯文は本文から引いたものですが、
そこに橋本さんの感性が
ひとことで表現されています。
すなわち、

 

教育はどこまでも教育者の側にあり、教育は不遜な行為である――
だとすれば、教育という行為はどこまで正当化しうるのか?

 

橋本さんの真摯な学びと研究が斯界のひとの目にとまり、
受け止められ、了とされたことを
わたしもたいへんうれしく思います。

 

・逗子までの眉間に皺寄す暑さかな  野衾

 

腐草為蛍

 

七十二候の第二十六候。
くされたるくさ、ほたるとなる。
実際に腐った草がホタルになるわけではないでしょうが、
むかしからそういわれてきたのは、
臭いによるところ大じゃないでしょうか。
子どものころ、
結婚前のおばさんと蛍狩りに行ったりしましたが、
ホタルって、
ながめている分にはいいけど、
捕まえると、
指先や掌がながく臭います。
あの臭い。
たしかに、
青草をすりつぶしたような、
それにプラスして腐ったような独特の臭いでありまして、
腐草→ホタルの連想は、
臭いに関してはあるあると思います。
むかしのひとのセンスに感服。

 

・ながむしを跨ぐつかのま空ゆらぎ  野衾

 

トホホ…な、嫉妬

 

嫉妬の根源には、したがって二つの発見がある。
一つ目は、われわれは、
自分が大して気にも留めていないと思っていた人物のことを、
案外気にかけていたのだという発見である。
二つ目は、
この人物にもその人自身の人生があり、
その人自身の関心や人間関係があり、
そして、
その人がどんなに従順で服従的に見えたとしても、
その人の欲望は決して
われわれの思い通りにはならないのだという発見である。(p.148)

 

上掲の文章は、
『プルーストと過ごす夏』(アントワーヌ・コンパニョン、ジュリア・クリステヴァ 他
/國分俊宏(こくぶとしひろ)訳/光文社/2017年)の一節。
この本は、
訳者あとがきによれば、
2013年7月1日から8月23日までの月曜から金曜、
八週にわたって毎週一人ずつ
研究者や作家などのゲストがプルーストについて語るという
ラジオ番組の放送からうまれたもの。
ということで、
サクサクッとおもしろく、
ときにプッと噴き出したり、
わかいころの傷みと痛みを思い出したりしながら読みました。
ちなみに、
引用した文章をふくむ「愛」の章の担当は、
1933年生まれ、哲学者でソルボンヌ大学名誉教授のニコラ・グリマルディさん。

 

・崖うへの烏賊焼く店や走り梅雨  野衾

 

縁側の少年

 

幼いころ、ぼくの家は横浜の国道沿いでたばこ屋を営んでいた。
店内には祖父がつくった大きな作業台があって、
そこでお客さんたちはお茶やたばこを飲みながら世間話をしていた。
大学生、サラリーマン、主婦、スナックのママ、定年後のおじいさん……
止まり木で一休みする鳥のように、
毎日いろんな人がやってきた。
ぼくは学校から帰ると、
作業台の片隅にちょこんと座って、
大人たちの会話に耳をかたむけながら、
絵を描いたり、新聞をつくったりした。
そのゆるい空気が好きだった。

 

矢萩多聞さんの『本の縁側』まえがきにあたる文章の冒頭部分。
箱根駅伝の走路にもなっている交差点の角、
保土ヶ谷橋のその店を知ったとき、
すでにたばこ屋ではなく
アジアの輸入雑貨を扱う瀟洒な店になっていた。
わたしはそこで大きな木彫りのガネーシャを買った。
それが縁で、
たびたび店を訪ねるようになった。
そこに腰ぐらいまである髪を束ねた色白の少年がいた。
はたちまえのすらりと背の高い少年、
多聞という名のおとなしい少年だった。
インドやネパール、タイ産の置物にかこまれ、
少年はちょこんと佇んでいた。
オアシスのようでもあり、
縁側のようでもある店にはいろんな人が訪れ、
わたしも、
引き寄せられるように、
たびたびたびたび、
しらふだったり酔っぱらったりしながら訪ねるようになった。
三人で出版社を立ち上げて間もないころである。
いつしか少年とも話しするようになった。
少年は画が描けた。パソコンに強かった。なにより、
はなしが面白かった。
本を出さないかと持ちかけた。
そうしてできたのが『インド・まるごと多聞典』
星の時間の二十年。
少年は押しも押されもせぬ装丁家になった。
矢萩多聞さんが今回のこの図録の企画を持ってきてくれたことが、
わたしはなによりうれしかった。

 

・胡桃ふたつ擦(す)り合わすごと蛙鳴く  野衾

 

やってみよう

 

テレビ番組で、やっているとかならず見るものに
『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』
があります。
このなかにいろんな歌が挿入され、
どうしてこの場面にこの歌がつかわれたのかを考えるのも楽しく、
その意味でも好きな番組です。
なかでも、
ああ、いい歌だなぁと思って
ずっと気になっている歌があります。
歌詞の一部に、
「正しいより楽しい 楽しいより面白い」というのがありまして。
聴くたびに元気がでます。
「正しいより楽しい 楽しいより面白い」
とばかり思っていましたが、
調べてみたら、
「正しいより楽しい 正しいより面白い」
でした。
歌っているのはWANIMAというグループ。
曲名は『やってみよう』
上掲の番組でながれるのを聴く以外、
それ以上のことを知りません。
いぜん、
タクシーを呼んで病院へ向かっているとき、
女性ドライバーの携帯電話に着信がありました。
その音がまさに
『やってみよう』
でした。
ああ、このひともこの歌が好きなんだなぁ
と思って、
なんだか嬉しくなりました。

 

・初夏やわれも光を吸ふてをり  野衾