トホホ…な、嫉妬

 

嫉妬の根源には、したがって二つの発見がある。
一つ目は、われわれは、
自分が大して気にも留めていないと思っていた人物のことを、
案外気にかけていたのだという発見である。
二つ目は、
この人物にもその人自身の人生があり、
その人自身の関心や人間関係があり、
そして、
その人がどんなに従順で服従的に見えたとしても、
その人の欲望は決して
われわれの思い通りにはならないのだという発見である。(p.148)

 

上掲の文章は、
『プルーストと過ごす夏』(アントワーヌ・コンパニョン、ジュリア・クリステヴァ 他
/國分俊宏(こくぶとしひろ)訳/光文社/2017年)の一節。
この本は、
訳者あとがきによれば、
2013年7月1日から8月23日までの月曜から金曜、
八週にわたって毎週一人ずつ
研究者や作家などのゲストがプルーストについて語るという
ラジオ番組の放送からうまれたもの。
ということで、
サクサクッとおもしろく、
ときにプッと噴き出したり、
わかいころの傷みと痛みを思い出したりしながら読みました。
ちなみに、
引用した文章をふくむ「愛」の章の担当は、
1933年生まれ、哲学者でソルボンヌ大学名誉教授のニコラ・グリマルディさん。

 

・崖うへの烏賊焼く店や走り梅雨  野衾

 

縁側の少年

 

幼いころ、ぼくの家は横浜の国道沿いでたばこ屋を営んでいた。
店内には祖父がつくった大きな作業台があって、
そこでお客さんたちはお茶やたばこを飲みながら世間話をしていた。
大学生、サラリーマン、主婦、スナックのママ、定年後のおじいさん……
止まり木で一休みする鳥のように、
毎日いろんな人がやってきた。
ぼくは学校から帰ると、
作業台の片隅にちょこんと座って、
大人たちの会話に耳をかたむけながら、
絵を描いたり、新聞をつくったりした。
そのゆるい空気が好きだった。

 

矢萩多聞さんの『本の縁側』まえがきにあたる文章の冒頭部分。
箱根駅伝の走路にもなっている交差点の角、
保土ヶ谷橋のその店を知ったとき、
すでにたばこ屋ではなく
アジアの輸入雑貨を扱う瀟洒な店になっていた。
わたしはそこで大きな木彫りのガネーシャを買った。
それが縁で、
たびたび店を訪ねるようになった。
そこに腰ぐらいまである髪を束ねた色白の少年がいた。
はたちまえのすらりと背の高い少年、
多聞という名のおとなしい少年だった。
インドやネパール、タイ産の置物にかこまれ、
少年はちょこんと佇んでいた。
オアシスのようでもあり、
縁側のようでもある店にはいろんな人が訪れ、
わたしも、
引き寄せられるように、
たびたびたびたび、
しらふだったり酔っぱらったりしながら訪ねるようになった。
三人で出版社を立ち上げて間もないころである。
いつしか少年とも話しするようになった。
少年は画が描けた。パソコンに強かった。なにより、
はなしが面白かった。
本を出さないかと持ちかけた。
そうしてできたのが『インド・まるごと多聞典』
星の時間の二十年。
少年は押しも押されもせぬ装丁家になった。
矢萩多聞さんが今回のこの図録の企画を持ってきてくれたことが、
わたしはなによりうれしかった。

 

・胡桃ふたつ擦(す)り合わすごと蛙鳴く  野衾

 

やってみよう

 

テレビ番組で、やっているとかならず見るものに
『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』
があります。
このなかにいろんな歌が挿入され、
どうしてこの場面にこの歌がつかわれたのかを考えるのも楽しく、
その意味でも好きな番組です。
なかでも、
ああ、いい歌だなぁと思って
ずっと気になっている歌があります。
歌詞の一部に、
「正しいより楽しい 楽しいより面白い」というのがありまして。
聴くたびに元気がでます。
「正しいより楽しい 楽しいより面白い」
とばかり思っていましたが、
調べてみたら、
「正しいより楽しい 正しいより面白い」
でした。
歌っているのはWANIMAというグループ。
曲名は『やってみよう』
上掲の番組でながれるのを聴く以外、
それ以上のことを知りません。
いぜん、
タクシーを呼んで病院へ向かっているとき、
女性ドライバーの携帯電話に着信がありました。
その音がまさに
『やってみよう』
でした。
ああ、このひともこの歌が好きなんだなぁ
と思って、
なんだか嬉しくなりました。

 

・初夏やわれも光を吸ふてをり  野衾

 

月面着陸

 

ドリトル先生物語全集の8は、
『ドリトル先生月へゆく』
原著がアメリカで出版されたのが1928年
といいますから、
アポロ11号のアームストロング船長とオルドリン
のふたりが人類初の月面着陸を果たした時
からさかのぼることほぼ41年。
実際の月面着陸を、
わたしは小学校のテレビで見ていた記憶がありますが、
正直なところ、
あまり実感がなかった気がします。
にたいして、
ドリトル先生のほうはといえば、
こわごわ月面を旅するドリトル先生、語り手のスタビンズ、
オウムのポリネシア、サルのチーチーの気持ちが
頁を開くごとに
じわりと伝わってきます。
原作者のヒュー・ロフティングは、
人類が月に到着する日が来ることを思っていたかいなかったか、
そんなことを想像しながら
少しずつ読んでいます。

 

・かきくもる利休鼠の空に雷(らい)  野衾

 

梅雨先取り?

 

アルコールを摂取しなくなって一年半ほどがたち、
ほとんど忘れかけていたところ、
梅雨に入るのが今日か明日か
という時期にきて、
からだのほうが梅雨を先取りするかのように、
久しぶりに痛風発作を発症しました。
激痛にみまわれ七転八倒しますが、
初めてのことではないので、
おとなしくして痛み止めのクスリを服み発症部位に湿布を貼っています。
念のため医者へ行くと、
痛みの部位を指し、
「まさに痛風!」
と、
正解でも唱えるような具合。
慢心せず、
さらにからだをだいじにしたいと思います。

 

・笹の葉の擦(こす)れる音や夏来(きた)る  野衾

 

詩を読むには

 

クリスチャン・ボバンの
『老いのかたち 澄みわたる生の輝き』(中央公論事業出版、2019)
を読みました。
翻訳は戸部松実さん。
そのなかに次のような言葉がありました。

 

わたしは友の手からその詩を受け取りました。
小説を読むなら二、三時間で足ります。
でも詩を読むには一生かかるのです。(p.74)

 

じぶんの好きな詩は、好きな詩の言葉は、
なんどでもそこに帰り、
それを読むことでこころが落ち着き励まされます。
いったん離れても、
そこにその詩があると知っているので
ひつようがあればまたそこに帰っていきます。
ふるさとみたいだけど、
ふるさととはちがいます。
詩は、
人生の途中で知ったものですから。
しかし、とも思います。
人生の途中で知ったけれど、
ふるさとよりも古いふるさとで、
読むたびに新しくなるふしぎな土地。
そんな詩を、詩の言葉を
思い出させてくれる本でした。

 

・風薫る光と色を吸ふて吐く  野衾

 

字の意味だけが

 

弊社宛に来た手紙のことですが…。
封筒に書かれている文字はふつうに読めるのに、
申し訳なく思いながら、
なかの便箋の文字がほとんど読めません。
せっかくいただいた直筆の手紙ですからなんとか読み解こうとするものの、
達筆というのか、
とても特徴のある字体で書かれており、
弊社の本を読まれたことを踏まえての文面らしいのですが、
それ以上は、
いくら目を凝らしても
なかなか文意がつかめません。
意味を読み取ろうとして、
あたまからなんども試みているうちに、
待てよ、
文字の意味だけが意味ではないか
ということに思い至りました。
あせらず、
そばに置いて、
しずかなこころの時にまた開いてみようと思います。

 

・逗子までのひかり溢るる暑さかな  野衾