太陽神と皇祖神

 

これら諸学説は細部では異なる見解を示しているけれど、
はじめは伊勢の地方神であった伊勢神宮が、
(日本書紀)の初伝よりもはるかに新しい時期になってから皇室の神に転化した、
と考える点では共通しており、
その点に関するかぎり、
今日学界の通説として認められているといってよい。
記紀神代巻の天照大神が太陽神であるとともに皇祖神でもある
という二重の性格は、
このような伊勢神宮の祭神の転化と考え合わせるとき、
いっそうよく理解せられよう。
(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋[校注]『日本書紀(二)』
岩波文庫、1994年、pp.351-2)

 

火、穂、秀の三つの漢字のルーツがいっしょであることを併せ考えるとき、
日本の歴史と文化を根底で支えてきた稲づくり
を思わずにはいられない。
哲学者の森信三は、
「人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。
しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に」
と語ったが、
逢うべきひとに、一瞬早すぎず一瞬遅すぎないときに逢えるのと同じく、
本との出合いも、一瞬早すぎず一瞬遅すぎない
ということかもしれません。

弊社は、明日(11日)から15日までを夏季休暇とさせていただきます。
16日から通常営業となります。
よろしくお願いいたします。

 

・業務終了工事現場の涼新た  野衾

 

稲作と日本書紀

 

天照大神が皇祖神であるとともに神を祭る巫女としての性格をも帯びているのは、
天皇が政治的君主であると同時に最高の巫祝でもあった
(明治憲法時代でもそうであった)現実を反映するものにほかならない。
……………
古代日本では、一般に巫祝たることが同時に政治的君主たりうる条件であり、
かつ巫女的女王の実在した形迹が顕著であるから、
神代説話中の天照大神に上記のごとき性格の見出される理由も、
よく理解せられる。
(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋[校注]『日本書紀(一)』
岩波文庫、1994年、p.335)

 

引用した箇所は、天照大神に関する補注の説明である。
五冊あるうちの一巻目であり、まだ読みはじめたばかりだが、
本文とも合わせ、たとえば新嘗祭、大嘗祭、
また、昭和天皇が始め、いまの天皇陛下も行なった田植えの姿が目に浮かぶ。
さらに、
二〇一八年夏の甲子園で何度か耳にした金足農業高校の校歌にある
「農はこれたぐひなき愛 日輪のたぐひなき愛」
が重なる。
日本書紀の記述の紙背から、
営々と稲作に勤しんできた人びとの祈りが生活の光となって差している、
そういう想像がもたげてくる。

 

・新涼を求め旦暮を暮らしをり  野衾

 

きのうの生き物

 

テレビを点けてもインターネットのニュースを見ても、面白くないので、
テレビを消し、パソコンを落として部屋を眺めてみる。
しばらくはなんの変化もなかったけれど、
どれぐらいの時間が経ったろう、
1分、10分、もっとか。
とにかく、
視界の中で動くものがいて、そちらへ近づいてよく見たら、
蜘蛛。蜘蛛くん。また出て来たな。
そんなとこ居たら、踏まれるぞ。あっち行ってな。
目を上げたら、

蟬。
ああびっくりした。
ここまで、飛んできた。
鳴かないな。
……………
遠くのほうで動くもの。台湾栗鼠か? そうだ。あらあらあら。すげー!
ん!?
今度は蜥蜴。ちっちぇえ!
この辺りから、ちょっぴり気分、を持ち直した。
家から出て歩いてみることにする。
猫、犬を連れたおじいさん、蟻、烏、見知らぬ人、鶯(姿は見えないけれど)、蝶、
だまし、だまされ、
ニンゲンのことばが無いのがうれしい。

 

・新涼や東の空を呆けたり  野衾

 

ただかたそばぞかし

 

源氏物語の蛍の巻に、光源氏の語る(すなわち紫式部の)物語論として有名な、
「日本紀などはただかたそばぞかし」
ということばがでてきます。
源氏物語をおもしろく読んだ者として、
主人公の光源氏に、
ということは、
作者の紫式部にそう言われると、
そうだよなあ、
日本書紀を初めとする、
いわゆる正史なるものは、
歴史のことがらのほんの一面に過ぎないかもなあ、
そんなふうに感じられ、
古事記は、
三浦佑之さんの口語訳で読んだものの、
日本書紀については、
式部先生の御説にならうかたちで、これまで読んできませんでした。
ところが、
里中満智子さんの『天上の虹 持統天皇物語』
を読み進めるにつれ、
ああ、これは、
里中さんの源氏物語であるな、
とも感じられ、
日本書紀をちゃんと読んでみたいと思い始めました。
『天上の虹』は、
三十年以上を費やした、
いわば里中さんのライフワークとも呼べる作品で、
コミックで23巻ありますが、
巻が進むほどに、
ぐいぐい物語に引き込まれます。
これから18巻目。
ええっ、こんなこと本当にあったの?
と疑問に思い調べてみると、
実際にあった話で、
日本書紀に記されている、とくに天智、天武、持統の三天皇周辺のことは、
きちんと事実を押さえているのがよく分かります。
よくぞ描いたものだと思います。
素晴らしい!
このマンガは、大化の改新から始まっています。
なので神代の話は出てきません。
ここに里中さんの歴史認識があると思います。
日本書紀を読むための大きなモチベーションを『天上の虹』が与えてくれました。

 

・首筋を撫でて背中へ溽暑かな  野衾

 

臀を掻く音は

 

夜中目が覚めトイレへと。
小用を足して寝床へ戻るとき、臀の辺りがかゆくなった。
エアコンを入れてはいるものの、寝ているうちに汗をかいたのだろう。
左の臀が痒い。
深夜のこととて、うるさい蟬の声もなく、
静まり返っている中、
ひとり臀を掻く。
ギョエギョエギョエギョエ。
漢字で書くと、
御江御江御江御江。
あるいは、魚会魚会魚会魚会。
なんてことを考えていたら、
ハッと気づいた。
ギョエであろうが、御江であろうが、はたまた魚会であろうが、
音としては、
このごろよく耳にするあの
台湾栗鼠の鳴き声にそっくりではないか。
臀の痒みはとっくにおさまっていたけれど、
台湾栗鼠の鳴き声と相似であることを確認するために、
痒みのおさまった臀を再度掻いてみた。
ギョエギョエギョエギョエ。
やはり、
台湾栗鼠の鳴き声だ。

 

・雲の峰時のしずくを浴びてをり  野衾

 

刊行日の変更

 

先月末刊行予定の拙著『文の風景 ときどきマンガ、音楽、映画』
ですが、
造本がコデックス装
(機械でなく、職人さんの手作業の工程をふくむ)
ということもあり、
刊行がひと月ほど遅れ、
今月末の刊行となりました。
アマゾン等オンライン書店の表示を変えてもらうよう、
依頼してありますが、
すこし時間がかかっているようです。
すでに予約注文されている方には、
たいへん恐縮ですが、いましばらくお待ちくださいませ。
刊行に合わせ、
今月末には、
フランス文学者で学習院大学文学部教授の中条省平さん、
東京学芸大学教育学部准教授の末松裕基さん
のお二人をお迎えし、
拙著をめぐって鼎談を行うことになっています。
鼎談の内容は、
のちに図書新聞への掲載を予定。
あわせてお覚えいただければ幸いです。
よろしくお願い申し上げます。

 

・寄せ来る波や風鈴の鳴り止まず  野衾

 

いのちのふるえ

 

この季節、外へ出ると、大瀑布のようなる蟬の声が襲ってきます。
指でつまめるほどの体が発する、
何万年のまえからつづく、
小さないのちの大合唱。
猛暑酷暑は身にこたえますが、
耳を突き破るような壮大な自然の音楽は爽快そのもの。
つとめを終えた蟬たちが、そろそろ地面に身を横たえ始めました。
ころんと静かの貌に見とれてしまいます。
つまめば、
いのちが抜き去られ、いかにも空っぽ、のものあり。
かと思えば、
いのちのちからが充ち溢れ、
指先に伝わってき、
静謐の時が辺りを支配するかのようなものあり。
いのちが黙って歩いていきます。

 

・昼餉終え風鈴の音の幽かかな  野衾