ツボ踏み読書

 

本を並行して何冊か読んでいるひとは少なくないと思いますが、
わたしのばあいもその伝で、
朝読の本、
コーヒーを淹れながらの本、
電車で読む本、
三つがありました。
が、
ちかごろひとつ加わりまして、
足裏のツボ踏みをしながら読む本。
台湾式の健康板ウォークマットⅡを踏みはじめてから
はや一年が経過し、
当初痛くて
へんな脂汗がでてきたものでしたが、
いまでは鼻歌交じりに踏めるようになり、
慣れのすばらしさを感じているきょうこのごろ。
説明書にあるコースを順に踏むと、
45分ほどかかります。
鼻歌もいいのですが、
なんだか時間がもったいない気がして
板のデコボコを踏みながら本を読みはじめました。
ながいものは無理でも、
みじかいエッセー風のものなら
けっこう読み進められ、
板に乗っている45分がみじかく感じられます。
一石二鳥。
ウォークマットⅡは、
帰省の際も持っていきます。

さて、
弊社は明日から5月6日まで休業とし、
7日から営業を再開します。
よろしくお願いいたします。

 

・千年の古墳のうへや緑さす  野衾

 

イタチごっこ

 

ひとつきほどになるでしょうか。
秋田の実家に電話した折、めずらしく母がでて、
「たいへんだったや」
と、
恐怖につつまれたような声を発した。
きけば、
鶏小屋のニワトリが一羽イタチに殺(や)られたとのこと。
首に噛みつかれ血を吸われて
絶命。
吸血鬼!
父がさっそくワナを仕掛けにっくきイタチを仕留めた。
そういう話でした。
それから数日して母から電話がありました。
なんと、
また別のイタチが現れ
こんどは二羽殺られたと。
おっそろしきイタチ。
父はふたたびワナを仕掛けイタチ退治。
それからどうなったか、
忘れてしまっていましたが、
きのう、
思い出して父に電話をしてみた。
そうしたら、
またまた別のイタチが
鶏小屋の朽ち始めた屋根のちょっとしたすき間から入り込み、
四羽殺られてしまったと。
一、二、四、
まさに倍々ゲーム。
十羽いたニワトリが
いまでは老いた三羽きり居なくなった。
イタチはどうやら
若いニワトリに照準を定め、
血を吸うだけで肉は食わないらしい。
「いだわしがったな、いだわしがったな」と父。
それにしても、
どんだけイタチがいるというのか。
ちかくに住む叔父がきて、
鶏小屋の屋根を補修し完璧を期したというが、
さてもさても
この一件どうなることやら。

 

・ランドセル置きて戯る数珠子かな  野衾

 

モンテーニュ再読

 

はじめて読んだのは岩波文庫でした。
原二郎訳『エセー』
いまから三十年ほどまえでしょうか。
過日インターネットをつらつら眺めていたら、
関根秀雄訳『モンテーニュ随想録』が二〇一四年に国書刊行会から
一冊もので刊行されていることを知り、
これまで読んだことはありませんでしたが、
関根秀雄の名前は知っており、
岩波文庫で六冊だった分量のものが一冊で、
というのも興味があり、
さっそく購入し読みはじめました。
巻末の年表・付録・あとがき・索引を除く本文だけで1285ページあります。
改訳をふくめ
生涯かけて自身の訳文に手を入れていた
ということにまず驚きますが、
そのためもあってか
日本語の文章がこなれていてとても読みやすい
だけでなく、
ところどころに施された注が
言葉の注にとどまらず、
関根さんがモンテーニュをいかに読んできたかが想像され、
小さな文字の注が
ふかくこの本の滋味を支えていると感じます。
関根秀雄は、
一九八七年七月に九十一歳で亡くなりました。
本のあとがきは、
ご息女である戸部松実さんが書いています。
それがまたすばらしく、
すっきりさらりとしていながら、
ご父君へのふかい情愛と
『モンテーニュ随想録』のおもしろさが
しみじみつたわってきます。
その戸部さんに、
なんとわが社の武家屋敷こと山岸が
大学時代に教わっていたことを知りさらにびっくり。
いつか、
関根秀雄の学問とモンテーニュの魅力について、
戸部先生からじかにお話をうかがえる機会があればと願っています。

 

・花ぐもりドローン見上ぐる親子かな  野衾

 

わが家の一生懸命機械

 

吉田戦車のマンガに『一生懸命機械』がありますが、
わたしの家にもありまして、
ふだん当たり前すぎて気づかずにいたのに、
こわれそうになると
みょうな雄たけびやため息を漏らし、
いっしょうけんめだったんだなー
と感じ入ることしきり。
二十年も使っていた冷蔵庫を二年前に買い換えましたが、
こわれるまえ何度もガオ~ンガオ~ンガガガオ~ンと大声でうめいたと思ったら、
つぎにごく低い声でゴーーーーン
とうなり、
ついには冷気を失ってしまいました。
文句も言わず、
ほんとよく冷やしてくれました。
さて、
このごろはエアコン。
これまた十年以上使ってきて、
数年前ガスを入れ直してもらいました。
その際、
工事に来てくれたひとが、
つぎこうなったら買い替えたほうがいいでしょうね
と言っていたことを思い出します。
「こうなったら」とはどうなったら
かといえば、
たまにブファ~ッと大きなため息を漏らす
そのことでありまして。
ブファ~ッがだんだん頻繁になり、
ブファ~ッブファ~ッブブファ~ッ
そして五日ほど前でしたか、
とうとう、
暖房に設定しているのに、
吹き出し口に手を当ててもただの風が吹き出されてくるばかり。
しばらくはしのぎやすい季節とはいえ、
夏前には買い替えなければならないでしょう。
わが家の一生懸命機械たちでした。

 

・欄干を越えて初蝶谿のうへ  野衾

 

本と片恋

 

渥美清としてのものだったか、
『男はつらいよ』での寅さんのセリフだったのか定かではありませんが、
恋の本質は片思いにある、
みたいな言葉があったと記憶しています。
思っているだけなら、
こちらがどんな立場であれ、
相手がどんな立場のひとであれ傷つけることはない…。
ときどきその言葉を思い出しては、
それって本に似ているなと。
このごろまた本を買うことが多くなりました。
リアル書店で買うことはほとんどなくなり、
ネット書店でばかり買っています。
古書もしかり。
想像、妄想、興味、関心、
いろいろひろがって。
すでに一生かかっても読み切れないほどの本が
自宅にも会社にも所持しているのに
それでも買ってしまいます。
いかにもムダのようにも思えますが、
どんな内容のどんな装丁の本かなとウキウキした気持ちで待っているときの気持ち、
本がとどいて包装をとくときの気持ち、
本を手に持ち重さを感じる瞬間の気持ち、
パラパラ適当にページをめくって
文字の大きさや字配りをながめるときの気持ち、
などなど、
わずかな時間ですが、
極端なことをいえば、
その高揚する気持ちを味わいたくて、
つぎつぎと本を買っているような気もします。
もちろん買って読む本もありますが、
強がりでなく、
仮に読まなくたってもいい。
好きになったひとに
じっさいは声をかけることがなくても、
遠くからながめてどんなひとだろうと想像する、
それも本を買うときの気持ちに似ている気がします。

 

・印刷はぜったい無理の躑躅かな  野衾

 

体質の変化

 

三か月に一度ほどの検査のため行きつけの病院へ。
血液検査と尿検査を済ませ、
あとは診察を待つだけ。
なんど訪れても好きになれず、
それどころか緊張して心臓がバクバクしてしまいます。
これ母親とまったく同じ。
なさけない話ではありますけれど、
論語を読もうが法華経を読もうが聖書を読もうが
病院へ行った時の緊張を解くことはできません。
これがわたくしのあるがままの姿と諦めるしかないようです。
なんてことをつらつら考えているうちに
名前を呼ばれ診察室へ。
問題のクレアチニンの値が若干下がり、
まずは一安心。
とはいえ、
まだ基準値にはおさまらず
予断を許しません。
ひとついいなと感じるのは、
総合病院なのに、
この先生、
ひとの話をちゃんと聞いてくれいっしょに考えてくれること。
なので、
予約しているにもかかわらず、
どんどん時間がたち、
待合室では不満の声が漏れることしきり。
それはさておき、
コレステロールの値が高めであることを指摘されました。
これまた母親と同じですから、
遺伝によるものでしょうかと尋ねると、
言下に
「遺伝よりも体質の変化によるものでしょう」
体質の変化、
か。
還暦をまえに体調をくずし、
アルコールを飲まなくなって一年半、
こまかいことを数え上げれば、
からだの変化をあれこれ自覚することが多くなりました。
と同時に、
仕事でもプライベートでも
極端を避けるような気持になっている
気がします。
若いときは、極端なことをいえば、
極端が好きでした。
あやまちもありました。
アルコールを飲んだときなど、
深さの果てに真理が垣間見えるのではないかと想像したり。
しかし、
つぎの日気持ち悪くなるだけで、
想像はたんなる妄想にすぎなかった。
極端というならば、
いまは、
中庸であることにいかに徹底できるか、
そこに極端でありたいとねがうこころもち。
ただ、
中庸の中庸たる所以は
ひょっとして、
徹底しないところにあるかとも思ったり。
いずれにしても、
この歳になってようやく、
母親をかがみにして
じぶんの姿が少し見えてきたかなという気がします。

 

・書けずともながめてうれし躑躅かな  野衾

 

線引き

 

『本の虫の本』(創元社、2018年)は本の虫五人による共著ですが、
そのひとり田中美穂さんは、
岡山県倉敷市で「蟲文庫」を営んでおられる方。
そのひとの文章に「消しゴム」があります。

 

消しゴムを何に使うかというと、鉛筆による線引きを消すためだ。
きれいに消えて新品同様になるのならば
数百円から数千円をつけることができ、
無理なら百円くらいで出すしかない。
(同書、p.112)

 

やはりそうであったか、
と思いました。
古本を求めたとき、
ボールペンや万年筆の線が引かれているのはやむを得ないこととして、
鉛筆による線引きが、
消されている(ようく見ると、雪道の轍のように、へこんでいてそれと分かります)本と
そうでない本があり、
消されている本というのは、
売り手が古書店に持ち込む前に消すのか、
それとも、
古書店の店主が消しているのだろうか
どっちだろうと思っていました。
じぶんのことを考えても、
どっちもありとは思いますけれど、
古書店主がそうしている
ことを書いた文章を読むのは初めてでした。
ばあいによっては
何時間もかけ、
見開きページのすき間に消しゴムのカスが入り込み、
薄い定規で取り除くこともあるのだとか。
そうして値付けされた本は、
これはこれで幸福な一冊といえるでしょう。
蟲文庫を訪ねてみたくなりました。

 

・忘れもの思い出してる花ぐもり  野衾

 

3 / 51312345...102030...最後 »