ふるさとの遊び 5 ばんばいっこ

 

これも弟のメールで、にわかに思い出した遊び。ばんばいっこ。
語源が分からないながら、
内容としては、新雪が積ったときにやる子どもの遊びで、
いたってシンプル。
どういうのかといえば、
まず、新雪に、細い道をデタラメに、ときに規則正しく、付けてゆく。
雪を踏み込んでつくる道が長ければ長いほど、
あとの遊びが盛り上がるので、
どうやったら道が長くなるのか、
いろいろ工夫して複雑に曲がりくねった道をつくる。
うずまき状のデカい飴がありますが、
たとえば、
あのような形状の道を新雪にえがいてゆく。
ぐぐっ、ぐぐっ、と新雪を踏み込んでいき、ぐるぐる螺旋を絞りこんでいったら、
今度は、中心から外へ向かって、
螺旋をほどくように道をつけていく。
そうやって、なるべくなるべく複雑な道をつくる。
道が出来たら、
ふたつのチームに分かれ、
道の両端から、よういドンの合図で走りはじめる。
双方、道の途中で行き会ったら、ジャンケンをし、勝った方は、そのまま走りつづける。
負けた方は、道の外へ逃れ、
そのチームの二番手がチームのスタート地点から走りはじめて、
相手と行き合ったら、またジャンケン。
それをくり返し、
相手チームのスタート地点に先にたどり着いた方の勝ち。
いやあ、あれは、ほんとうに疲れた。
汗だくになったもの。
さて、
語源は分かりませんが、
相手陣地に乗り込むような遊びは、けっこうありそう。
そう考えると、
「ばんばいっこ」の「ば」は場所の場か?
「い」は「獲る」or「得る」の秋田風発音?
「こ」は、なんにでも付ける秋田方言のクセでしょうから、
「場ん場獲っこ」=「ばんばいっこ」
ん~、
だいぶあやしい。

 

・丘上の列車や花に弾み来る  野衾

 

ふるさとの遊び 4 石当て

 

いま仮に「石当て」としましたが、その遊びを当時どう呼んでいたのか、
思い出せません。
足の甲にてきとうな石を載せたり、両足のくるぶしのところに石を挟んだりして、
相手の石にぶつける、というもの。
弟からのメールによって思い出したものの、
弟も、
遊びの名称を思い出せないらしい。
「石当て」「石ぶつけ」「石落とし」……
ふむ、
なんて言ったっけなぁ?
それはともかく、
この遊びで勝つためには、
できるだけ平べったい石を見つけることが肝要、
だったような。
足の甲にも載せやすいし、
両足で挟むにも都合がいいわけです。
足の甲に載せて運ぶ場合は、
石を載せていないほうの足をつかい、ぴょんぴょん跳んで移動、
両足のくるぶしのところに石を挟む場合は、
挟みながら、石を落とさぬようにして、両足でぴょんぴょん跳ねていって、
タイミングを合わせ、
パッとじぶんの石を放ち相手の石にぶつける。
いずれにしても、
石を落とさぬように運ぶのは、かなり難しかった。
ところでこの遊び、
どれぐらいの範囲で行われていたのだろう?
たとえば、当時、子どもの遊びとしてわが村全域で、割と行われていたのか、
いや、もっと狭い範囲でのことだったのか、
あるいは、
意外と村を越え広域に及んでいたものか、
遊びは確実にかつて存在していて思い出せるのに、
名称はもとより、
謎に包まれています。
手を使わないことでいえば、
蹴鞠的でもあるし、サッカーのリフティングのようでもあるけれど…

 

・聴きなれし音の滴よ春に落つ  野衾

 

ふるさとの遊び 3 光の子

 

せんじつ、子どもの頃のふるさとの遊びについて書いたところ、
田んぼでやったやきゅうに関し、
秋田の弟から連絡がありました。
バットの代用を、わたしは棒と書きましたが、
弟の記憶では、
握りこぶしではなかったか、
とのこと。
そう言われれば、そんな気もしてきました。
ボールが軟式テニスの球なので、
握りこぶしで弾いても、痛くなかったはず。
しずかに思い出してみると、
たしかにバットの代わりの握りこぶしの感触がよみがえってきます。
ただ、バット代わりの棒、
も微かな記憶ですが捨てがたくありまして、
自前の田んぼやきゅうにふさわしい、
それらしい真っ直ぐな棒を探した時間とともに、ぼんやりよみがえります。
と。
こういうふうに、
ああだったかなあ、こうだったかなあ、どうだったかなあ、
いや待てよ、
あれこれ思い出そうとするこの時間がまた、
なんとも楽しく味わい深い。
事実とひょっとしたら食い違っている
かもしれない
けれど、
思い出の風景は、いわばこころの光景であって、
光が満ちています。
子どもは、光の子だなあ、と思います。

 

・鳴らせ音ズージヤで行こう春なんだぜ  野衾

 

目礼

 

先だって、こんなことがあり、ちょっと意識にのこりました。
先週土曜日に出勤し、
このごろのルーティンの一つ、
週に一度の母への手紙を書いて、ほかの仕事をひと段落つけて退社した折、
坂の途中のポストに向かいました。
信号のない道の左右を見、素早く横断してポストに近づくや、
わたしよりも早くポストに近づいた女性がいて、
角2サイズの封筒をポストの広い口に投函しました。
そのとき、
わたしはすでに二メートルほどのところに近づいていました。
その女性、
投函するほんの一瞬前、
わたしにすばやく目礼したように見えたので、
わたしも目礼を返しました。
ほんの一瞬のことで、
互いにことばを用いはしませんでしたけれど、
仮にことばを添えるなら、
「お先に失礼します」
「いいえ。どういたしまして」
ぐらいなことだったでしょうか。
女性はその後、道路を横断し、足早に坂を下っていきました。
たったそれだけのことですが、
そのことにより、
すこし気分が高揚しているじぶんに気づきました。

 

・二時間をすることなしに春日かな  野衾

 

藪の中

 

三月に入りました。なかなかスッと温暖な気候に移り変ることはありませんけれど、
ここ山の上から眺めると、
近くの丘、向こうの丘、また遥かの峰に、
ちらほらと淡いピンクの彩りが添えられ、
目をたのしませてくれます。
こうなると、朝のゴミ出しも、なんとなく気持ちが弾んできます。
先週、静かな朝のこと、
ゴミネットの後ろの藪の中で、なにか動いたような気がし、
息を殺してしばらくじっとしていました。
やがてまたガサガサと。
さいしょムクドリかと思いました。
飛び立つかと思いきや、そうでもありません。
ムクドリではなさそうです。
あきらめずに、しばらく佇んでいました。
と。
あ!! リス!!
向こうも驚いている様子です。
目が合いました。
クリックリの眼。
電線を伝わって走り回る姿はしょっちゅう目にしますが、
こんな至近距離で向き合うのは初めて。
ヒョコヒョコと首を二三度、下げたようにも見えました。
春は、いろんな生き物がうごきはじめます。

 

・能見台鎌倉武士の春日かな  野衾

 

ふるさとの遊び 2 やきゅう

 

つぎは、やきゅう。もっぱら田んぼでやったので、
田球かな。
わたしが初めて自分のグローブを手にしたのは、小学校の高学年だったと思います。
なので、それ以前、子どもたちで遊んだやきゅうは、
グローブもバットもない状態での遊びでした。
ボールは、野球のボールではなく、軟式テニス用のボール。
いま思えば、軟式テニス用のボールを、子どもたちがする野球のために、
店が用意してくれていたのかな?
ともかく、
ふにゅふにゅ柔らかいので、グローブでなく素手で受け取っても痛くありませんでした。
バットの代用は適当な棒。
たいへんなのが人数集め。
でも、正式の人数がそろわなくても、
一チーム五人だったり、三人だったり、それでもじゅうぶん楽しめた。
稲を刈ったあとの、
切り株の残る田んぼでやった野球ならぬ田球は、
けっして忘れることができません。
夕焼けの空には赤とんぼ。
あのときの喜びの質、飛翔するようなたのしさというのは、
なかなかことばで表現できないものがあります。

 

あそびをせんとやうまれけむ たはぶれせんとやむまれけん、

あそぶこどものこゑきけば わがみさへこそゆるがるれ

 

有名な『梁塵秘抄』の一節。
よく知られた歌で、
受験生だった遥か昔に習い覚えていまに至っているわけですけれど、
味わいということでいいますと、
来し方をふり返り、瞑目せざるを得ない心境になります。
直接お目にかかったことはありませんけれど、
伊勢神宮の近くに生を成した敬愛する小西甚一さんの『梁塵秘抄考』(1941年、三省堂)
に、
この歌に関してこんなことが書かれています。
「この歌は秘抄の中でもすぐれたものであるが、以下の数首が遊女に関する歌である
から、これも遊女の感慨であるかと思ふ。
平生罪業深い生活を送つてゐる遊女が、
みづからの沈淪に対しての身をゆるがす悔恨をうたつたものであらう。」

 

・半僧坊眼下はるかの桜かな  野衾

 

ふるさとの遊び 1 たっきゅう

 

たっきゅうは「卓球」と書きます。
卓のうえで球が行ったり来たりするので「卓球」。
ところで、
わたしが子どものころ、弟と遊んだたっきゅうは、卓がないので卓球ではない。
いわば、卓無しの卓球、無卓球。
どうするかといえば、
家の中の庭がコンクリート(けっこうな広さ)だったので、
消し炭でてきとうに線を引き、それを卓球台に見立てて、ピンポン玉をやり取りする。
ラケットもありませんから、
てきとうな板の切れ端をラケット代わりに使用。
むかしの農家(いまもかも知れませんが)
では、
子どもが遊ぶための道具、板の切れ端とか、消し炭とか、
さがせば何となくそれらしいものが見つかった。
ピンポン球はさすがに代用できるものがありませんから、
近くの店で調達しました。
田舎でしたが、
ピンポン球は売っていたと記憶しています。
(なんでピンポン球が売っていたんだろう?)
試合開始!
卓無しのたっきゅうに、
だんだん夢中になっていきました。
いつしか試合は白熱し、
消し炭で書いたフニャフニャのラインを、恨めしく思ったり、ラッキー!
と思ったり。
弟は年齢がわたしより三つ下で、
子どもの頃の三歳の違いは相当なものだと思うのですが、
弟の場合、
何ごとによらず、運動神経がよかったので、
三つ下であることを意識したことがありませんでした。
生来寂しがり屋だったわたしは、
弟によってどれだけ救われたか分かりません。

 

・春近し厨の音の弾むかな  野衾