興味をもつことは

 

精神科医で先年他界された中井久夫さんのことばに
「患者とは、考え、考え、考え、考えている者である」
というのがありまして、
最相葉月さんの『中井久夫 人と仕事』の本の帯にも引用されています。
四十代の終りから五十代の初めにかけ、
いまのこの病気にかかったとき、
敬愛する詩人の飯島耕一さんから速達の手紙をちょうだいし、
それをお守りのようにして養生したことを、ぼんやり考えていました。
「何にもつよい興味をもたないことは
不幸なことだ
ただ自らの内部を
眼を閉じて のぞきこんでいる。」
と飯島さんは、「ゴヤのファースト・ネームは」を書き起こしています。
このたびのことを書きはじめれば、
「さまざまのこと思いだす桜かな」
でありますが、
その思いをひとことの印象で片づけると、
過去に投影する現在と、現在に生きる過去ではちがう、
ということになるでしょうか。
過去にも、それなりにいろいろありましたけれど、
思いだすとなると、
痛みを伴うことはあっても、安心して眺めていられます。
なので、安心して眺めていられるまいにちにこころを寄せながら、
危険でこわい来る日来る日を、
うしろ向きに歩くような具合になっていたようです。
これではいけない! とおもうけど、
なんとも身の置き場がない、みたいな状態のときもありました。
「何にも興味をもたなかったきみが
ある日
ゴヤのファースト・ネームが知りたくて
隣の部屋まで駆けていた。」
と飯島さん。
西洋医学を修めた医者が処方する薬では足りず、
森鷗外も通ったという老舗の漢方薬局にもふらふらの足を運び、
そこで処方される薬がわたしの体力を下支えしてくれたように感じます。
一日分三回の薬を煎じるのに約50分かかりますが、
養生のため、いのちの水とおもってルーティンに加えています。
わたしのいまの興味の対象は、ウォーキングシューズ。

 

・赤錆の屋根の上なる寒烏  野衾

 

おしらせ 2

 

秋田の父は、94歳を過ぎてどこも悪いところがないと医者に太鼓判を押された
と自慢げに電話で言いますが、
へなちょこのわたしはすこし体調を崩し、
「よもやま日記」をしばらく休まざるを得ませんでした。
このところ快方へ向かっているようですので再開を期したいとおもいます。
いろいろご心配をおかけし、ねぎらいと励ましのお言葉をちょうだいし、
まことにありがとうございました。
社員の協力と力添えにも感謝です。
しばらくは「平日毎日更新」をあらため「平日たまに更新」
でいきたいとおもいます。
どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

・考えることほどもなし日向ぼこ  野衾

 

おしらせ

ご愛読ありがとうございます。
しばらく「よもやま日記」をお休みします。

再開の際は、よろしくお願い申し上げます。

 

米のお菓子

 

けっきょく米が好きなんでしょうね。実家が秋田の農家でもあるし。
このごろはおいしそうなおむすび屋さんがあちこちにできているようですが、
いまのところはテレビで見てるだけ。
ではありますが、
おむすびではないですけど、
けっこうハマっている米のお菓子はあります。
茨城県の立正堂からでている「純米せんべいサラダ味」。
会社の創業は1935年だそうですから、
かなりの老舗。
わたしが住んでいるところの近くでは、
駅そばのスーパーマーケットだけにこれがあります。
大きい袋に二枚入りの小分けにされた小袋が九つ。2×9で18枚。
家人もわたしも大好きなので、
買ってきても、わりとすぐになくなってしまいます。
あるとき、会社帰りにスーパーに寄ってみたら、
いくら探しても、見つかりません。
補充するための上の棚も背伸びして見てみましたが、
そこにもありません。ない。ない。
「米の高騰による影響がここにも出てしまったのか?」
なんてちょっとおもった。
しかたなくそのときは、ほかのものを買って帰った。
あきらめきれず、
なんどかスーパーを訪ね、そのたびに「あ~あ」とため息を吐きましたが、
三週間、いや、一か月ほどたっていたかな、
ダメもとで訪ねたら、あった! ありました!
香ばしく、うっすら塩味サラダ味。それになんといっても、
米の味がする。
おいしいですよ。

 

・秋冷やビルも深々息を吐く  野衾

 

いつの間にか秋

 

猛暑酷暑がいつまでつづくかとげんなりした気分でいましたが、
すずしい風がほほをなで、ようやく秋が来た、
と思いきや、肌寒く感じる朝もあり。
おいおい、早すぎるよ。
夏がグッと勢力を伸ばしたせいで、秋が肩身を狭くしているようなぐあい。
虫があちこちで鳴いています。
かぼちゃがおいしい季節になりました。
きのう、家人がかぼちゃスープを作ってくれました。
豆乳と塩こうじで味を調整したのだとか。
「おいしいね。ちょっと砂糖を入れたの?」
「入れてない」
「かぼちゃの甘さだけ?」
「かぼちゃの甘さだけ」
いや、おどろきました。この夏の太陽をじゅうぶんにとり込んで、
この甘さと美味さに結晶させてくれたんでしょうね。

 

・秋茜富士の高嶺を見晴るかす  野衾

 

民謡

 

自宅のCDラックをながめ、ひとケースひとケース引っ張りだしては、
ああ、これよく聴いたなぁ、お、こんなのもあったなぁ
というわけで、つらつら思いだしては書いています。
きょうは民謡。
わたしが歌を聴いたはじまりは三橋美智也ですが、
かれはもともと民謡歌手でした。
三橋の歌う民謡は絶品ですが、民謡の名人といわれる歌い手が日本全国各地にいて、
それを集成したCDを見つけたのでさっそく注文。
SP盤の復刻となればなおさら聴いてみたい。
しばらくこれにハマりました。
すごいもんですねー。
ポルトガルの歌手ドゥルス・ポンテスの歌にも、
風や雨粒や寄せては返す波、砂浜の砂を連想しますが、
日本の民謡もまた、自然界のいろんな音、手触り、肌触りを感じさせてくれます。
名人というのは、自然界のさまざまな音を表現する名人、
かな。
聴き惚れてしまいます。

 

・稲刈りやパンツ一丁若き父  野衾

 

ドゥルス・ポンテス

 

ポルトガルの歌手でドゥルス・ポンテスという人がいます。
彼女の名前を知ったのは、筑紫哲也が司会をつとめるテレビ番組だったでしょうか。
ポルトガルの音楽といえばファドがあり、アマリア・ロドリゲスの歌を聴き、
すごいなぁとおもっていましたが、
ドゥルス・ポンテスはその衣鉢を継ぐかとも感じられ、
テレビ画面にくぎ付けになりました。
その後CDを求め、なんどもくりかえし聴きました。
目を閉じると、そこは野外で、風の音が聴こえ、雨のしずくがほほを濡らし、
裸足が土を踏んでいる。
まさにアーシング。
大地にふれることのすばらしさを体感できる音楽だとおもいます。

 

・汽車が行く暮らしの底の濃竜胆  野衾