わたしが子どもだったころ

 

ケストナーの『わたしが子どもだったころ』(高橋健二訳、岩波書店)
は、
1957年に出版された本。
1957年は昭和32年。
わたしはこの年の11月25日早朝に生まれました。
タイトルどおり
ケストナーが子どもだったころの思い出を
ケストナー自身がいつくしむように記しており、
ドイツの話なのに、
わがことのように切々と迫ってくるものがあります。
それにつけても思い出されるのは、
じぶんの子どもだったころの思い出。
さびしい「とじぇね」わらしでありましたが、
そうであればあるほど、
弟がいつもそばにいてくれたことは
わたしにとって
大いなる救いでありました。
同年齢の友だちもいたことはいたし、
かれらとも遊んだけれど、
弟抜きでということはほとんどなかった気がします。
弟とつれだって友だちとも遊んだ
というのが
実際のところだったと思います。
季節季節に弟と遊んだことが
つぎつぎとのうりをかけめぐり、
わたしの子どもじだいを彩ってくれます。

 

・ライオンのたてがみ洗ふひばり東風  野衾

 

本のにおい

 

休日、ロフティングの『ドリトル先生アフリカゆき』を
たのしく読みました。
シリーズ十二冊を古書で求めていたのですが、
会社の机の横に置いたまま
つん読状態になっていました。
プロイスラーの
『大どろぼうホッツェンプロッツ』が面白かったので、
つぎ
なににしようかと考えあぐねていたところ、
ふと思い出しました。
挿絵とあいまって、
ものがたりに流れている空気感がたまりません。
わたしが読んだのは、
昭和四十三年十月五日、第十七刷のもので、
いまから五十一年前。
当時のわたしはといえば、
こういう本にとんと縁がありませんでした。
弟と外で遊ぶことに忙しかった。
本をひらくと、
ほんのりかわいた秋のにおいがします。
祖父母の部屋の畳のような、
祖父の枕のような、
作業場に積まれた藁のような、
夏の草のような、
とてもとてもなつかしいにおいです。
あと十一冊ありますから、
ゆっくり読みたいと思います。

 

・ふるさとの古家の軒も梅の花  野衾

 

草木萠動

 

第六候「そうもくめばえいずる」
三月に入りました。
前方後円墳があったというここ保土ヶ谷区瀬戸ヶ谷町の丘の上から、
そこここで梅の花がほころび
色をつけているのが見られ、
早春の気を浴びることができます。
そとにでて
ゆっくりしずかに呼吸すれば、
地球の呼吸に同調していくかと想像され。
さてきょうは。
はじめて来社されるお客さんがあります。
元気に新しい気持ちでお迎えしたい。

 

・唐宋の名筆にほふ梅に風  野衾

 

対談のご案内

 

きょうが二月最終日。
あしたからいよいよ三月です。
急に暖かくなったと思いきやまたグッと寒さがぶり返したりと、
このところ不安定な天候がつづいていましたが、
安定的に暖かくなることへの期待を込めて
「いよいよ」
さて、
三月末に予定している対談のお知らせです。
「学ぶ」について――昌益の学び、昌益に学ぶ
と題し、
安藤昌益の会事務局の石渡博明さんにお話を伺います。
石渡さんは、
野に在りライフワークとして安藤昌益を研究し、
『安藤昌益全集』の編集にも携わりました。
石渡さんの昌益研究から「学ぶ」ことの意味を探りたいと思います。
安藤昌益は江戸時代の医者で社会思想家。
万人の平等を唱え、万人が農耕に従事する「自然世」を理想とした。(広辞苑より)

日時:3月31日(日)17時~

場所:春風社

参加費は無料です。
対談終了後、軽食と飲み物を用意いたします。
ご興味のある方は春風社まで電話かメールでご連絡ください。

 

・冬の湯の肉(ししむら)垂るる滴(しずく)かな  野衾

 

治すのでなく治める

 

五木寛之さんの養生の考え方が好きで、
タイトルから判断し、
ときどき買っては読むようにしています。
書かれている内容は
かさなるところも多々ありますが、
情報を仕入れるためではなく、
このごろのじぶんの考え方のクセ、
ひょっとしたら
歪んでいるかもしれない方向を見直すために服用するクスリ
とでもいったところですから
楽に読むことができます。
『人生百年時代の「こころ」と「体」の整え方』(PHP)
もそのような一冊。
病気は治す(なおす)のではなく治める(おさめる)
というのは、
腰痛と偏頭痛に長年悩まされてきた五木さん
ならではの考え方だと思いますが、
ほんとうに、
若いときならいざ知らず、
としを重ねたにんげんが心身の衰えや故障を治そうと躍起になっても、
苦しいことのほうが多い気がします。
五木さんの本を読むとすこし気が楽になります。
五木さんには「気」に関する本もあり。
養生に必要な三つの「休め」

なるほどと合点がいきます。
「気休め」「骨休め」「箸休め」

 

・悶ゆれど背(そびら)は見えず寒灸(やいと)  野衾

 

子どものこころ

 

『長くつ下のピッピ』を読んでいたら、
ストーリーとは別に、
じぶんの子ども時代のことがいろいろ思い出されてきました。
翻訳を通してですが、
本のなかの子どものこころが
わたしのなかに眠っている
子どものこころとひびきあったのかもしれません。
うす暗い木の洞(うろ)に入り、
すき間から外を覗くシーンがでてきますが、
これなど、
国のちがいを超え、
子どもはみんな好きだろうなぁと想像されます。
おとなの知らない子どもだけの世界。
子どもはいつも隠れ家が大好き。
天才的な児童文学者は、
子どものこころを子どもの視点で描けるのでしょう。

 

・鈴鳴らし杣木(そまぎ)里まで馬橇かな  野衾

 

読書禁止デー

 

じぶんの本棚なのに、
なにがどこにあるのか確かめたくなって、
脚立にまたがり
時をすごすことがあります。
アストリッド・リンドグレーン作/大塚勇三訳『長くつ下のピッピ』
がふと目にとまりました。
岩波少年文庫の一冊。
つん読状態のまま、
まだ読んでいませんでした。
漢字のおおい本に少々疲れ気味ですので、
この機会にと思いゆっくり読みはじめました。
教師時代の教え子からは、
読書禁止デーをもうけたらと
うれしいメールをいただきそうしようかなと思っていた矢先、
漢字が少ないとはいいながら、
やはり文字を追ってしまいました。

 

・掌をかへし老いを養ふ火鉢かな  野衾

 

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